第13話 波紋(一)

 パリやルーアンの様な大都会には及ぶべくもないこの都邑の市壁の内で、ささやかながら悪所と目される一帯。その中でも一きわ怪しげな構えの店先で、二人の衛兵が所在無さげに突っ立っていた。


 背後の戸口の脇には古びた頭蓋骨が吊るされている。そこに穴を穿ち通した縄には、何やら得体の知れないヤモリの様な、だがそれにしては大きすぎる爬虫類の真っ黒な干物が結び付けられていた。


 とても真っ当なキリストの信徒がおとなう先とは考えられない。異教の呪術・魔術にまみれた怪しげな店構えだ。


 彼らはこの店を訪れた主人に従ってきたのだが、店の外で見張りを命じられ、主人一人が店主である女呪い師と会っている。


 黒髪で小太りの方の衛兵が、隣に立つ金髪短躯の相棒にブレトン訛りでのんびりと話しかける。


「なぁ、ジャンよぉ。何があったか知らんが、このところえらく不機嫌だなぁ、我らのご主人様はよぉ」


 ジャンと呼ばれた方の衛兵は、いつもの癖で目をキョロキョロさせながらまくし立てた。

「おいおい、アランよ。てめぇもう少し世の中の事にも気を配りやがれ。それじゃあいつまでたっても棒を担いで門番に立つだけの人生だぜ。こりゃあなぁ、お前。アレだよ。クルスローのご領主の婚約のせいさ」


「クルスローってえと、あのメーヌ伯を追い返して名を挙げた御仁か。その婚約でなんで俺らのご主人様が不機嫌になるんだぁ? 嫉妬やきもちかい? 女にだらしねぇのは知ってたが、男までイケるとは知らなかったぜぇ。こりゃあ俺も安心してお仕えなんざできねぇなぁ」

「てめぇの汚ねえケツなんざ誰が見たがるか! そうじゃねえ、クルスロー卿のお相手が問題なのさ」

「誰だい?」

「エウーゴン卿の一人娘、ジゼル様よ」

 ジャンの挙げた名に、アランははあと合点した。

「ジゼル様って、何年か前にご主人様をあっさり袖にしたあの姫様かい?」

「そうそう」

 アランはにやけて続けた。

「あんときゃぁ、腹の中で大笑いしたなぁ。顔に出るんじゃねぇかと冷や冷やしたぜぇ。うちのご主人様ときちゃぁ、婚約も決まらんうちに我が物顔の好き放題だったからなぁ。梯子外されて愕然としているのを見ても、ざまあみろとしか思わんかったぜぇ」

 ジャンの方はといえば、肩をすくめて嘆いてみせる。

「あちらも結構な家柄だが、ご主人様の家柄だって負けちゃいない。十分に釣り合いのとれた縁組だったんだがな。調子に乗って油断し過ぎた。向こうの家人が傍に居ないからって、年寄りの爺エウーゴン卿なんぞすぐに死んじまうとか、そうなりゃうるさい親戚もいないし、娘の方は修道院にでも閉じ込めちまえば好き放題だの、向こうさんの城中で放言してちゃあなあ。実はあん時、壁の裏に衣擦れの音がして人の居る気配があったんだよなぁ。絶対聞かれていたぜ、あれ」

「そうなのかい? なんで言わなかったんだ?」

「分ってるだろ? うちのご主人、調子に乗って話してるのを邪魔されるとご機嫌斜めになるじぇねぇか。そんな貧乏くじは御免だね」

 主人自身の人徳のなさが配下の忠誠を削り取り、巡り巡ってその身に還っていた。

「だいたい、司教様の後釜を狙っている身だというのに、なんでこんな怪しげな魔女の様な呪い師だかをわざわざル・マンから連れてくるんだか」


 そんなの、とブルトン訛りのアランが応える。

「ほかでもねぇ、ジャンよぉ。ル・マンに行ったときにお前が仕入れてきた噂話のせいじゃねぇかぁ。人の寿命を測るだけじゃなく、それを伸ばしたり縮めたりできるという凄腕の呪い師がいる、っていうよぉ」

 ぐっ、と喉をくもぐらせたジャンは、神妙な顔つきになって相棒を諭した。

「なぁ、アラン。悪いことは言わん、それは忘れろ。口にするな。でないといつかお前、ご主人様に首をねられるぜ」

「へっ、あの腰抜けご主人様の剣で、人の首なんぞ打ち落とせるもんかねぇ?」

「そうだな。なんてったって守りの一手の『タルヴァス』様だからな。自分で刎ねる代わりに、お前の首が腐り落ちるのを、呪いながらじっと待ってるかもしれんな」

 言われた方も言った方も、ともに無言で背後の怪しげな店の扉を振り返って黙り込んだ。




 従者二人が立ち番する扉の向こう、店内では彼らの主たるベレーム卿の第四子ギョームことタルヴァスが、憤懣やるかたない思いを吐き出しながら、荒れていた。


 部屋の奥には、黒のトーガとヴェールで身をよろい、わずかに覗く顔の下半分には白い肌と艶やかで形の良い唇を覗かせた、若くも熟れても見える年齢不詳の魔女が座していた。

 そのわずかにのぞく部分だけでも相当の美形であると想像を掻き立ててやまない。


 その魔女、ル・マンに在る頃は『ブレトンの星占女ほしうらめ』として名を売っていたが、アヴェスガルド司教を訪ねたタルヴァスの知る処となり、半ば強引にベレームまで連れて来られた。


 もっとも、たっぷり手付の金をせしめていたのでそのこと自体に不満はない。タルヴァス自身の金ではなく、司教の宝庫から勝手にくすねたものらしいが。


 だが、突然来訪するや、自分を拒絶した貴婦人、そしてその貴婦人と婚約が決まった領主騎士を延々悪し様に罵倒しつつ、室内の調度や備品に手あたり次第当たり散らされたのには閉口した。

 とはいえ、いまや大事な金蔓かねづるである。ひとまずは放っておくしかあるまい、とあきらめた。

 やがて、罵詈雑言のネタも尽き、肩で息をするようになってやっとタルヴァスも大人しくなった。無反応で迎合しようとしない魔女に対する不満を滲ませつつ、

「報酬に見合った仕事をしろ。この婚礼を潰せ」

と、命じた。

「さて、いささか元手が必要になりますが」

「金なら渡したであろう!」

「いやいや、いただいた金貨は殿に従いこの地へ移り住み店を構えるために費やしております。いわば支度金。仕事をご下命くださるのであれば、併せて元手をご下賜たまわねば、成就は何時になるやら」

「……ちっ!」

 憎々しげに舌打ちしたタルヴァスは、隠しポケットを探ってずっしりとした革袋を取り出し、魔女に投げ渡した。

 革袋の中身をさっと検め、おおよそ満足できる程度のノミスマ金貨が詰められているのを確認すると、魔女は慇懃に礼をして述べた。

「確かに、承りました。かの婚礼はいかなる手段を用いても妨害いたしましょう」

「一度延期させた程度で終わりなどと申すなよ? かならずこの婚礼話自体を終わらせるのだぞ?」

 

 しつこく念押ししてタルヴァスが去ると、入れ替わりに奥から店主同様黒ずくめの人影が現れた。


「仕事?」

 若い女の声だった。

「今度は自分の懐からの支払いだね。ノミスマ金貨だ」

 随分と惜しかったようだよ、とタルヴァスを嘲笑して見せた魔女は、さて、と立ち上がりながら告げた。

「しばらくの間、店番を頼むよ、アーレッテ。やばそうな奴は店に入れちゃいけない。母さんの具合が悪い時は構わず休みにしちまいな」

「分ってる。気を付けて」

「ああ大丈夫、無理はしないよ」 

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