第14話 波紋(二)

 ブリヨンヌ伯ジルベールの居城、ブリヨンヌ城はノルマンディー公領の首都ルーアンから南西に直線距離で九リュー余りの距離に位置する。


 ノルマンディ中西部を南北に流れる主要水路の一つリスル川流域に位置し、もともとノルマンディー公の居城の一つであった。


 ノルマン人が築城した城としては珍しく、方形の形状をした天守を有していた。当時の天守は十八世紀に破壊され、現存していない。


 ジルベール伯の父ジョフロワは先代ノルマンディー公リシャール一世の非嫡出子であり、当代リシャール二世の異母弟にあたる。


 リシャール二世が公位を継ぐにあたり、ウー伯爵位とともにジョフロワに分与されたのがこの城である。


 現在はジョフロワの子ジルベールが居城としている。


 血統的にノルマンディー公爵家に極めて近いながらも、公位継承からは遠い。ノルマンディー公にとっては、脅威が低く便利な身内であった。


 対イングランド防衛の要衝となるウーを任されているのは、公爵家の厚い信頼の証でもある。


 ウーはノルマンディー公領の北端に位置する港町でノルマンディー・イングランド間航路の起点である。戦時には真っ先に攻撃を受ける重要拠点であり、ウーの市街は二マイルに亘る長大な城壁で守備を固めていた。


 必然、ブリヨンヌ伯はノルマンディー公宮廷でも重鎮となる。多くの人が関りを持った。クルスローの領主ジロワ卿も遍歴時代に雇われ騎士として仕えたことがある。


 今、そのブリヨンヌ伯家には、ジロワ卿の子フルクが騎士修行のため仕えていた。この年十六歳。


 容貌は父よりも亡き母マリーに似た。色白でやや線が細いところがあるが、それが成長途上の少年のしなやかで見栄えの良い容姿として結実していた。


 父ジロワ卿がブリヨンヌ伯家中にあった際、伯家の下女であった母と出会い生まれたのがフルクである。


 フルクという名はゲルマンの言葉で『族長』を意味するという。


 名付け親は、現ブリヨンヌ伯ジルベールその人である。フルクが生まれた際、ジルベール伯が何の気まぐれか名付け親を買って出た、と聞いた。


 傍流とはいえノルマンディー公家の一員が、一介の雇われ騎士と下女との間に生まれた子の名付け親になるなど、珍しいことである。


 それは、結婚というイベントが身分の上下を超えて広く祝福される傾向にあった当時でさえ稀有なことだった。


 フルクが生まれた直後、クルスローの祖父が亡くなり、父は領地を継ぐためブリヨンヌを離れた。フルクにとってブリヨンヌは生誕地ではあるけれど、再び訪れるまではほぼ見知らぬ土地であった。


 成長したフルクは、過去の縁を頼ってブリヨンヌ伯家に騎士修行の口を得た。なるべく有力な貴族の下で修業するのが将来の出世の助けになる。


 ブリヨンヌ伯ジルベールは、自分が名付け親となったフルクのことをよく覚えていた。到着の際には歓迎され、その後の生活でも何くれとなく目を掛けてもらった。


 そうした特別扱いに反感を持つ同輩も居たが、主人のお気に入りにわざわざ喧嘩を売ったりはしない。逆に利用しようとして寄ってくる者の方が多く、それらだけを相手にしていれば十分だったので問題ではなかった。


 公都ルーアンほどではないが、ブリヨンヌはそこからほぼ一日程度の距離しか離れていない。

 しかも、交易・交通の要衝で宮廷重鎮のお膝元とくれば、人も物も集まらぬわけはなく、その賑わいはクルスローの鄙びた村とは別天地である。

 加えて主人の寵も厚く順風満帆とくれば、若いフルクには我が世の春だ。日々目新しい事物や享楽に驚き愉しむのに忙しく、故郷のことは忘れがちであった。

 

 だがこの春、二つの報せが彼の内面を上下に揺さぶった。

 

 一つ目は、父ジロワの勝ち戦の報せであった。


 味方が劣勢敗走する中踏みとどまり、遂には逆転の勝利をもたらす。


 相手は『眠らない番犬』エルベール伯。


 新たな英雄の誕生と騒がれ、その子が公都近くブリヨンヌにいると知った宮廷雀達がブリヨンヌ伯に要望し、ブリヨンヌ伯はそれに応えてフルクを従者として宮廷社交に伴った。


 まだ騎士修行中の身でありながら高位の宮廷人に交わる機会を得たフルクは、さすがに自身の幸運を空恐ろしく感じる。


 本来であれば、主人の催した晩餐で給仕として立ち働き、貴人の目に留まればそれが出世の機会となる、という程度がフルクら修業中の従騎士の一般的な立場である。

 

 二つ目は、父ジロワとエウーゴン卿息女ジゼル嬢との婚約の報せだった。


 フルクはジロワの一人息子であり、これまで自分の立場に不安を覚えたことはなかった。


 だが、この報せを受けて初めて彼は自分の拠って立つ場所に脆いところがあることを意識させられた。


 ジロワとジゼルの婚約は教会からの婚約公示に基づくもの。ということはこの婚姻はキリスト教徒として教会法の下、その手続きにより行われるものである。


 二人に子が生まれれば、それはキリスト教の下ではケチのつけようのない『嫡出子』である。


 ジロワとフルクの母マリーは、そうではなかった。古くからのノルマンの慣習によるいわば事実婚である。


 これはジロワがマリーをないがしろにした、ということではない。当時はまだそうだった、というだけのことなのだ。


 嫡出か非嫡出か、というのはあくまで『キリスト教徒としての婚姻の手続き』を経た夫婦間の子であるか、ということだ。


 もともと北方、ヴァイキングに祖を持つノルマン人はキリスト教徒ではない。ノルマンディー公領開祖『長足公』ロロがフランス王からノルマンディーに封じられて以降、次第にフランク化、キリスト教化が進んだ結果である。


 二代ギョーム『長剣公』自身、その基準でいえば非嫡出子である。だが、誰もそれについて問題になどしなかった。当時はまだそれほどキリスト教化が進んでいなかったからだ。


 しかし、これよりも後、『善良公』と称されたリシャール二世がキリスト教に深く帰依したことでその普及は加速した。後の世に征服王と称されるギョーム二世が公位に就く頃には、嫡出か否かが厳しく追及され、ギョーム二世は『庶子公』と綽名されることになる。それほど、教会の支配力が浸透していたのだ。


 もっともこの時について云えば、公位を争う立場の競争者たちにとって、その点を強調して非嫡出子の継承権を否定しないと自分たちの継承権の劣勢を覆せないという事情もあったと考える。


 これは後の百年戦争において、女系子孫のイングランド王によるフランス王位請求を、サリカ法の拡大解釈による女子の王位継承権否定で対抗しようとしたフランス側との関係に通じたものを感じる。自分に都合の良い理屈を利用しながら後にはそれに逆に囚われてしまう姿だ。


 すぐ後の時代にはそのような進展を見せるが、今この時のフルクにとっては、確固たる状況の変化というよりも、まだ漠然とした不安程度ではあった。


 ジロワとジゼルの間に男子が生まれたなら……。


 呑気で軽率な同輩の中には、父が大貴族のエウーゴン卿の領地を得るものと考えて祝福してくる間抜けもいる。だが、エウーゴン卿の領地を相続するのはあくまでジゼルと(まだ生まれてくるかどうかわからない)、嫡出子となるその子である。


 フルクが主張できるのはあくまでもともと父の領地であったクルスローまでで、非嫡出云々を追及されるとそれすらも怪しくなるかもしれない。


 もし、フルクがすべてを手に入れられるとすれば、それは……。


「フルク殿」

 回廊の端で物思いに沈むフルクに声を掛けたのは、ジルベール伯の侍従の一人だった。

「伯爵閣下が貴殿をお呼びだ。すぐに御前に参られよ。執務部屋だ」

「はっ、承りました。御免」

 一礼して侍従の脇を抜ける。

 また宮廷社交への同行を命じられるのだろうか? フルクは廊下を急ぎ足で西翼の執務部屋へ急ぐ。

 実績も後ろ盾もない若者がこれほど厚遇されることの不自然さに気付くには、フルクはまだ若過ぎた。

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