第41話 動乱(四)
ノルマンディー公リシャール三世、崩御。
将来を嘱望された若き君主の治世は、たった一年で幕を閉じた。
主を立て続けに失ったノルマンディーは混乱の只中にある。
順当にゆけば、公爵位を継ぐのはイエモア伯ロベールであった。
だが、状況からいってイエモア伯には公爵の死に関して濃厚な嫌疑がある。
服従の誓約を為した後である。誓約を踏みにじる行為は背教であり、その様な人物を君主に迎え入れるわけにはいかない。
とはいえ、確たる証拠はないのだ。
直後、毒見役の奴隷に異常が見られなかったため、毒による暗殺の可能性は除外されていた。
それが発覚したのは、宴の後片付けをしていた下男たちの一人が残されていた酒を盗み飲みし、公爵と同じ症状を呈して急死したためだ。
すぐさま、その酒を献上した女の行方を追い掛けたのだが、どうしたことかその女の足跡は忽然と消え失せていた。誰もその女が公爵の陣を出て行ったところを見ていなかったのだ。
さらに、その女を取り次いだ侍従の死体が納屋の藁束の中から発見された。
何者かの陰謀があったことはほぼ確かなのだが、イエモア伯ロベールに繋がる痕跡は見出されない。
この状況下で、公爵位を巡る貴族領主・聖職者たちの態度は二つに分かれた。
一つはイエモア伯ロベールの公爵位就任をやむなしとする態度で、貴族領主が中心であった。兄弟間の血で血を洗う権力闘争など、彼らにとってはそう珍しいものではない。
このまま公爵位を空席にして内部分裂し、そこを他勢力に付け込まれるよりは、という現実を見据えた考えである。
一方、状況証拠しかないにも関わらず、イエモア伯を主謀者と断定、あるいは嫌疑を抱き、その襲位に反対だったり消極的な理念優先の者たちも存在した。
主に聖職者である司教たちがそうで、公爵リシャール三世やイエモア伯ロベールらの従兄弟にあたるバイユー司教ユーグ・ド・イヴリーがその最先鋒であった。
ここで、イエモア伯ロベールはただ座して待つことなどしなかった。
ノルマンディー公爵たることを宣言し、味方する領主に対して教会財産への略奪を黙認したのだ。
モンゴメリー卿ロジェがイエモア伯に協力したのも、こうした見返りが約束されていたからだ。
欲につられた領主たちがイエモア伯支持に回り始める。
それとともに、各地の教会領では略奪が相次ぎ、ノルマンディー領内は混乱を見せる。だが、イエモア伯としてはまず、己の支持層を固めることが優先だったのだ。
フェカンやジュミエージュといった大修道院すらも厳しい収奪を受けていた。
ルーアン宮殿の一角。
大司教ロベールは、母グンノール妃の寝台の脇に伺候していた。
「イエモア伯は昨夜ルーアンへ入り、母上への拝謁と公爵襲位の儀式を要求する使者を私めの下へ寄越しました」
大司教の報告を聞いてもグンノール妃は瞑目したままだ。
「……イエモア伯には公爵暗殺の嫌疑がございます。物証はなく、状況証拠のみではありますが……聖界諸卿には根強く反発がございます。拙速に公爵襲位をお認めになっては」
「ロベール」
「は、はい」
「イエモア伯を排したとして、代わりに誰を就けるというの?」
大司教はすぐに応えることができなかった。
イエモア伯ロベールを差し置いて公爵位に就くべき人物は、現状ほぼいないのだ。
あるいは、誰を選んでも同じくらい相応しくない、というべきか。
「甥のモージェ、あるいはギョーム……」
モージェとギョームはいずれもリシャール二世の後妻の子で、リシャール三世やイエモア伯ロベールらの異母弟である。
「モージェとギョームは幾つになったかしら?」
「……六歳と五歳です」
「お前の傀儡と見られるのは、間違いないでしょう」
そうだ。無理を通せば、それはこの国を割ることになる。
「いっそ、お前がなりますか?」
「――!」
確かに、イエモア伯を候補から外した場合、条件的に最も有利なのは彼、ルーアン大司教兼エヴルー伯にして先代公爵リシャール二世の次弟、永らく宮廷で政治面を補佐してきた大司教ロベール自身なのだ。
不利なのは高齢であること位だが、大司教ロベールには長子リシャールを始め三人の息子がいる。跡継ぎにも支障はない。
しかし。
「でもそうなれば、公爵暗殺の嫌疑がかけられるのは、お前もですね」
そうなのだ。物証なくしてイエモア伯が疑われているのは、公爵暗殺による最大受益者と目されているからだ。
それは大司教には公爵位に対する野心が無い、という暗黙の了解があってのこと。
もしここで大司教が公爵跡目に名乗りを上げるようだと、前提が変わる。
優位である、ということがより強い嫌疑を招き寄せるのだ。
実際のところ、大司教に公爵位に対する野心はない。その地位がどの様なものであるか、永年傍らで支えてきていてよく見知っている。彼が継ぐことで国が安定するのなら引き受けなくはないが、今の状況では逆効果だ。
「決まったようですね」
「はい」
「……ノルマンの
グンノール妃の感慨に、大司教は頭を垂れるのみであった。
一〇二七年晩夏、イエモア伯ロベールが公爵位に就いた。
後の世に『華麗公』あるいは『悪魔公』と渾名される、ノルマンディー公ロベール一世の誕生である。
公爵襲位に功ありとして、モンゴメリー卿ロジェはイエモア子爵に叙された。
だが、まだ混乱は収まらない。
ロベール批判の急先鋒であったバイユー司教ユーグ・ド・イヴリーは公爵ロベールの配下に捕らわれ、ノルマンディーを追放される。
ルーアン大司教は度々、公爵ロベール一世を諫めようとするものの、まるで相手にされない。
新公爵の擁立にあたって聖職者を中心に反対勢力が組まれていたことに対する報復だろうか? ノルマンディー領内の司教区・教会教区およびその領内は辛酸を舐めることとなった。
司教区や教会領だけではない。これを好機とばかり、野心を抱く領主間での闘争も激しさをましていた。
多くの没落した領主たちが南イタリアへ新天地を求めて亡命してゆき、ノルマンディーの支配層の顔ぶれは激しい対流を起こして変化していた。
後に南イタリアに一大勢力を築いたドレンゴト家がノルマンディーを離れたのもこの頃のことである。
この頃、ジロワはひたすら自領を維持する戦いに腐心している。
周辺の動向に眼を光らせ、自ら他領を犯すことは無くても侵略を受ければ徹底的に報復を行った。
『我らに手を出すな。出せば必ず後悔するぞ』
実際の行動に基づく警告が浸透するにつれ、ジロワ領での諍いは減った。
だが、ノルマンディー全土を見ればさながら乱世の様相である。
あまり気乗りしないことではあったが、ジロワもロベール公の支持者の一端に名を連ねていた。
妻ジゼルや側近らの強い説得を受けもしたが、結局ロベール公以外にノルマンディーに安定をもたらしてくれそうな候補者がいなかったせいでもある。
「教会やら修道院やら手ひどくやられているようですな」
ル・グロがぼやく。
エショフール、モントライユ、クルスローほかジロワ領の防衛体制の巡検を終えて帰着したところだ。
「いまだに略奪が続くなんぞ、一体どれだけ貯めこんでいたのやら。いつから聖職者の仕事は金儲けになったんでしょうかね?」
報告がてら伺候してきたル・グロが毒を吐く。宥めようとするジロワも、これという反論が舌に上ってこない。
同じことを考えないではなかったからだ。
「これは、なんとも耳に痛いことでございますな」
苦笑とともに広間の入り口に立っていたのは、モンテカッシーノ修道院の修道司祭にして、現在は乞われてヴェルヌッセの聖パウロ教会司祭を務めるマルコ修道司祭であった。
「こ、これは
「どうぞお気になさらず、ル・グロ殿。教会内にも神に仕えることが本分であるはずの司教・司祭たちの行状に疑問を持つ者が居ないわけではありませんので」
とは言われたものの、さすがに聖職者を前にして教会批判を続けられはしない。
「俗事に忙殺されて司祭殿にはご無沙汰いたしておりましたが、本日はエショフールになにか御用でも?」
ジロワが話題を変えると、サラセン人司祭も合わせて来る。
「ロジェ司教様と今年の復活祭の打ち合わせがございましてな。ル・グロ殿も丁度お戻りになられたところ、と伺いましたのでご挨拶がてら伺いました」
「わざわざ御足労いただき恐縮にございますな」
「あとひとつ」
司祭の表情から笑みが消えた。
「ご報告がございまして。オルウェン殿のことです」
「オルウェンがなにか?」
そういえばこのところ会っていないな、とジロワも思い返す。
「記憶が戻りました
「何!?」
ジロワとル・グロの声が重なる。
「ただし、全て、ではございません。怪我を負ったかの夜の事は、残念ながら」
「あ、ああ。そうであった、な」
正直なところ、ジロワは失念していたのだ。
オルウェンが負傷したあの夜、彼はジロワが追っている仇についての何らかの手掛かりを掴み、それを追っていた可能性があるのだと。
そのことを後に回してしまうほど、オルウェンの負傷による記憶喪失と彼の家族に与えた負担のことはジロワの心に重くのしかかっていたのだ。
だから、オルウェンの記憶喪失が回復した、という報せは吉報としか思わなかったのだが。
「御坊、良い知らせと思ったのですが、何か問題があるのですかな?」
悪いことではないはずの報告なのに、司祭が表情を消したままであることを不審に感じたル・グロが問い掛けた。
「然様……このことでオルウェン殿の奥方アナ殿は気塞ぎの様子。またご本人も様々に思い悩まれ、拙僧に告解を求められました」
「告解、と!? あのオルウェンが……」
「いかにも。記憶を取り戻した際の経緯から追ってご説明申し上げましょう」
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