第34話 もう一人のジゼル(一)

 右手を流れるセーヌの川面が、陽光を映して光の華を咲かせている。

 青空と新緑の森、輝く水面。

 明るくのんびりとした、初夏の気持ちのよい風景だった。


 ジロワとベレーム卿はモンフォール卿の領地へ向けての途上にある。


 髭のモンフォール卿ユーグは、上機嫌で二人の客と馬を並べていた。


 貴人の旅といえば水路を利用することが多い当時であったが、一行は陸路をとっていた。


 船旅を選択しなかったのは、ベレーム卿がルーアン滞在中に偶々目にした良馬を購入したためだ。


 今回は限定的な目的で随員が絞られていたため、二手に分かれて行動することは困難であったのだ。馬や荷物だけを少数の者に預けて陸路で帰路をとらせた場合、途上で盗賊の被害にあう恐れが高まる。


 ベレーム卿だけを置いてゆくわけにもいかず、モンフォール卿とジロワも陸路を行くこととなった。


 馬上での談笑に加わりながら、ジロワは別の物思いに耽っていた。


 結局、ルーアン滞在中にエウーゴン事件の黒幕についての調べは全く進展しなかった。領地の権利が焦点であれば、みすみすジロワが授封を受けるのを見過ごせるわけがない。必ずその前に動きがある、そう想定していたのだが。


 動機を読み違えているのだろうか?


 その場合、自らを囮として敵を招き寄せる、という企みは見当違いになる。

 単独行動に送り出したオルウェンも、安否不明だ。

 事件に関係していると断定はできないが、彼の身に何かが起こった事は間違いのないことだ。

 他人から見れば、さぞや絶頂の境遇と見える事だろうが、内面は風雨吹き荒れる嵐の中だ。

 

 ルーアンのモンフォール邸からの使いが追いついたのは、一行が街道脇の木陰で休息したときの事だった。 


 緊迫した趣の使者は内密に火急のご報告が、と告げた。

 モンフォール卿はベレーム卿とジロワに断りを入れて少し離れた所に移り使者の報告を聞く。

 話を聞いたモンフォール卿の表情が強張ってゆくのは遠目にもよく分かった。何か良くない出来事であろうか。


 使者との会話を終え、ベレーム卿とジロワが待つ場所へ戻ったモンフォール卿は、面倒事が起きて急ぎ領地へ向かわねばならない、大変失礼で申し訳ないのだが、案内人を置いて行くのでお二方にはゆるりと参られたい、としぼるように言をつむいだ。


「何かお力になれる事があれば、遠慮なく申されよ」

 ベレーム卿の申し出にジロワも同意を頷きで示す。


 モンフォール卿は二人に感謝の意を表したが、先に現状把握をする必要があり、そのうえで必要となればご助力をお願いする、として一旦二人の申し出を辞退した。


 モンフォール卿が急ぎ出発した後、残された案内役の男に何が起こったのか探りを入れてみる。

 だが嘘か真かその男は、自分は何も聞かされていない、ただご両名に心配をお掛けして旅を急がせることの無いよう命じられている、とだけ答えた。


 使者がやって来たのはルーアンからであるのに、モンフォール卿が向かったのは自身の領地の方角である。


 事件が起こったのは領地だろうか? なぜそれを伝える使者はルーアンからきたのだ?


 ジロワは違和感を感じたものの、それが意味のある問題か判断がつかず、その疑問はいったん棚上げとした。


 モンフォール卿の様子からは、客である二人にはできるかぎり遅く到着して欲しいようだ。

 ベレーム卿とジロワは、目線でお互いにそう理解したことを確認していた。


 事情も分からないでは、できる事もない。


 となれば、主人役ホストの要望に沿ってゆるりと行くことにしよう、と。


 以降、ベレーム卿とジロワらのみとなった一行は、それまでよりも更にゆったりとした歩調で進み始めた。


 とはいえ、もともとルーアンからモンフォール卿の領地までは急げば一日、ゆっくり行っても三日とはかからない距離だ。


 一行は時間稼ぎのため、目的地目前の村で一泊することとなった。


 村に入ったのは、まだ日の高い頃である。

 取り立てて何かがある訳でもない平凡な村であった。


 ベレーム卿は退屈しのぎに早々と酒宴を始め、ジロワは村はずれの森の縁辺りを、護衛役のワセリンを背後に従えつつ散策して廻った。


 この森もモンフォール卿の所有ということで、お気に召さば狩猟もご自由に、と案内人からは告げられていた。

 本音としては、狩りでもして時間を潰してもらえればもっけの幸い、というところであろう。


 鳥や啼き声や羽音がひんぴん伝わってくる。


 獲物の多い、よい森だ。


 しかし、今のジロワには狩猟よりも、頭の中の整理が必要だ。

 

 歩き回るうち、森の中へと続く径に足を踏み入れた。

 青臭く湿気ゆたかな空気に、腐葉土の熱を孕んだ匂いがこみ上げる。


 樹冠の隙間から差す日の光を、下生えの草木がより高く広く枝や葉を広げることで奪い合い、森の底までは届かない。


 径は一本道でよく手入れされており、迷う恐れはなかった。昼の間で、径を外れることがなければ。


 どれくらい歩いた頃だろうか。

 そう遠くない所で男女の諍う声が聞こえた。


 逢引中の村人だろうか。

 ばったり出くわしても気まずい。ここは気付かれぬうちに通り過ぎよう、と足取りを速めたジロワとワセリンの耳に、


「こぉんのあまァ! くらわしたろか!」


 どこのものだか見当もつかないひどいなまりの男の銅鑼声と、ガツン! という、刃が枝を打つ音が飛び込んできた。

 これはいけない。いくら男女の逢瀬であっても、刃傷沙汰となっては見過ごすわけにはいくまい。

 ジロワとワセリンは声のした方へと、枝をかき分け急いだ。


 二人が駆け付けたその場の光景は、想像していたものとはずいぶん異なっていた。


 男と若い娘が一人づつ、それぞれ手に得物を持って対峙していたのだ。


 男はどう見てもまともな農民などには見えない、ギラギラした殺気を放つ傭兵くずれの無法者アウトローで、手には肉厚の斧頭を備えた戦斧。


 一方、若い娘の方は、所々裂け目や汚れがあるものの上等の衣裳をまとい、光沢豊かな金髪が編み込まれて膝の辺りまで届いていた。とてもそこらの村娘には見えない。そして短めの短剣、ちょうど短剣とナイフの中間位の刀身の剣を構えていたのだ。


 ジロワらが彼らを視界に入れた時、ちょうど男の振るった斧の一撃を、女が鮮やかに受け流したところだった。


 予想外のなりゆきに、ジロワは仰天した。

 そして、乱入を受けた男女も、突然現れた彼らに驚愕し、それぞれ距離をとって警戒を露わにした。


 お互いに目まぐるしく品定めをしあう三者の中、最初に動いたのは女だった。

「あぁ! そこな気高く勇敢なキリストの騎士様がた! このか弱き女をお救いくださいまし!」

 そう叫び、素早い身のこなしでジロワらの背後に隠れようと廻り込んだ。


 二人の騎士はぎょっとして身構えたが、迷いが反応を遅らせた。


 女はまだ短剣を手放してはいないのだ。しかも先ほど男の重厚な斧の一撃に対して見せた受け流しは、にわかなものとは思えない。


 これでは盾にされたうえ、背後から斬りつけられる恐れもある。

 かといって、表面上は救けを求めて来た女性を、先制的に斬り伏せるわけにもいかない。


 やられた、か。

 どうしますか? 困惑顔のワセリンが視線で問い掛けてくる。


「ううむ……事情は分からんが、双方武器を納めよ。由あっての争いならば、領主の裁きを求めるが理。神の御名において必ずや正義は下されようぞ」

 とりあえず、斬り合いはやめさせる。その後の事は、領主であるモンフォール卿の仕事だ。ありていに言うと、ジロワは丸投げすることに決めたのだ。


 だが。


「せからしかぁ! にくじゅうな、ぶちくらすぞ! こらぁ!」

 相変わらず聞き取りにくいなまりの怒声を響かせ、すっかり興奮状態の男がジロワに斧を打ち込んできた。


 こうなってしまっては仕方ない。


 女に味方するつもりはなかったものの、刃を向けられた以上戦わないわけにはいかない。そして、抜き身の刃で戦う以上、手加減は油断でしかない。


 護衛役のワセリンがかばうまでもなく、ジロワは抜き打ちで鮮やかに男の首を斬り飛ばした。


 戦場で用いる大剣ではこうはいかない。


 切れ味に比重を置いた護身用の短剣だからこそだ。


 さらには、剣のゆき足の速さと踏み込みの鋭さ、そして何よりも瞬時に斬るという覚悟を決められること。


 その本質として戦闘者である騎士に対し、刃を向けた末の順当な結末であった。


「さて」

 当事者の一方が自滅(?)したため、はからずも紛争もめごとは解決した(してしまった)。


 もともと、行き過ぎた痴話喧嘩の仲裁程度のつもりだったのだ。それがどうした訳か、思いもよらぬ成り行きとなってしまった。


 この地の治安に責任のある立場ではないジロワにしてみれば、あとは知ったことではないのだが。


 結果的に女の方に味方したことになるのだが、この娘は色々と怪しすぎる。さらに自分たちが態よく利用されたようですこぶる不愉快でもある。


 せめて事情だけでも聞かなくては納得のしようもない。


「お話しを聞かせていただけますかな? ご婦人ダーメ。それと、その物騒な得物はもう必要ありますまい。供の者がお預かりさせていただきますがよろしいかな?」

「もちろんでございます、騎士様。ですが、我が家の伝来の護り刀でございますので後ほどお返しくださいませ」


 娘は短剣をワセリンに渡し、ここに至る事情を話し始めた。


 曰く、娘は一族の故郷への旅の途中、盗賊一味に襲われた。供の者たちは一味の手に掛かり、彼女一人が身代金目的で拉致されたという。


 盗賊たちの内輪もめの隙をみて逃げ出したものの、追いつかれて危地に陥り必死の抵抗を試みていたところにジロワらが現れたのだと。


 身代金目的でかどわかされとなると、裕福な家の娘であることになる。確かに身に纏う衣裳やその立ち居振る舞いなど、矛盾するところは見られない。


「身代金目的でということは、その盗賊一味は貴女のことをそれと知ったうえで狙ったのであろうか?」

「それは……」

 娘は言い淀んだあと、自信無げに答えた。

「なんとも言えません。知っていた可能性もあるし、たまたまだったかもしれません。供を連れておりましたので、それなりに目星はついたのかも……」


 家に無事を知らせ迎えを送るよう伝えるため、近くの村へ案内して欲しい、という娘を伴って森の径を引き返しながら、ジロワの尋問は続く。

「貴方の剣の扱いは、女性とは思えぬほど見事でしたが、あの剣技はいずこで?」

「我が家の女には、代々護身の術を伝える習わしがございます。あくまで護身のためのものですので、受け流しと体捌き主体で攻めの技はございません。ですから騎士様が来られなければいずれ妾の身も危うかったかと。まことに神のご加護でございました」 


 一応話のつじつまは合っているが、それを信じたとして、なんと見かけによらず豪胆な女性であろうか。


 供の者たちが虐殺されたというのに微塵も動揺を見せず、絶望もせず、生き残るための最善の途を冷静に選び取る。


 まるで一軍を率いる将のようである。

 ジロワがこれまで接したことの無い種類の女性であった。

 こんな女性も、いるのか。


 ……あの菫色の娘ブルーベルとは真逆の。


 例えるなら、花ではない。

 強い生命力と、強靭な魂。


 そう、これは真冬の緑、神聖なミステルヤドリギだ。


 森を抜け、村の端まで辿り着く。そこでジロワは聞き損ねていたことを尋ねた。


「まだお名前を伺っておりませんでしたな」

「あら、まぁ、そうでした。妾は――」

「ジゼル様! なぜここに!?」


 二人の背後から声を掛けたのは、案内役としてつけられたモンフォール卿の家臣であった。


「お前は……。なぜここに?」

 ジゼル、それがこの女性の名なのか。だが、なぜモンフォール卿の家臣と面識が?

 それに、よりにもよって、ジゼル、とは何という……。


 彼女、ジゼル嬢は驚きを見せた後、はっとしてジロワを見返した。

「もしや……クルスロー卿ジロワ様、でいらっしゃる?」

「今は、エショフール卿を名乗るようになりました」


 その答えた際に、一瞬垣間見えた彼女の表情は何なのだろう?


 そのかおに浮かんだ表情を言葉で表すとしたら、それは『しまった』というものだったのだ。

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