第6話
俺は本当の両親を知らない。
戦争孤児だった俺をビエナート王国の騎士だった親父が引き取ってくれたのが俺が五歳の時だった。
アインスという名もその時親父から貰ったものだ。
今思えば俺は幸運だった。
支度金の掛からない孤児院から子供を捜していた親父が俺を選んだのは、俺に才能の片鱗を感じたわけでも、まして愛着を持った訳でもない。
――――ただ其処に居た。
親父が来た時にたまたま近くで遊んでいただけの……只それだけの理由……愛想が良い訳でもなく、生きる目的さえ希薄だった俺は多くの他の孤児たちと同様に心を閉ざしていた十把一絡げの一人に過ぎなかったのだから。
それでも俺の親父への感謝は変わらない。
あの時、あの瞬間から何も持たなかった名無しの俺は、アインス・ベルトナーとしての新たな人生を貰い……この世界に存在する意味をあの人は与えてくれた……息子になれと言ってくれた親父の照れ臭そうな笑顔を俺は生涯忘れはしない。
親父は厳しい人だった。
ベルトナー家は貴族とは名ばかりの没落貴族ではあったが、そんな貧しい生活の中でも親父は人として厳格に生きることの大切さを俺に教えてくれた。
それからの五年間は俺にとって掛け替えの無い……穏やかな時が流れ――――俺が十歳の折に親父は地域紛争の解決の為に遠征し……そして二度と帰ってくる事は無かった。
親父の僅かな俸給が生活の糧であったベルトナー家の生活は直ぐに困窮し……だが国に尽くし殉職した親父に……その残された家族に対してこの国が出した見舞金の額を俺は一生忘れる事はないだろう。
ビエナート王国では十六歳で成人と見なされ、それまでは家督を継ぐことが許されない……家督を継がねば国からの俸給は受けられず、しかし貴族の嫡子が生活の為に街に出て働く事など許される事ではなかった。
母は俺と家を守るために働きに出るようになる。
貴族の婦人が街で酒場女の真似事までして俺を貴族の子弟が通う学院にまで通わせてくれた。
それこそ身を粉にして働き続けた母。
どんなに疲れている時でも俺に微笑み掛けてくれるそんな優しい人だった。
俺は十六になると同時に学院を卒業しベルトナー家の家督を継いだ……母はそんな俺を自分の誇りだといって優しく抱きしめてくれた……その時の母の優しい温もりは今も忘れられない。
俺が騎士となり僅か一月――――その母も亡くなった。
医者の話では重度の過労が原因の心不全であった。
俺に人生をくれた親父。
俺を育ててくれた母。
俺は受けた恩を何一つ返す事すらできずまた全てを失ってしまった……だから俺は騎士としての名声を求めた……自分の為ではない、ベルトナーという家名をこの国中に轟かせる為に。
ビエナート王国は大陸の西に位置する大陸でも古い歴史をもつ大国。
この国の人間たちは自分たちの国を格式高い由緒ある王国だと自慢する……だが俺に言わせれば古臭い因習に囚われた差別主義者たちの国だ。
故にこの国はカテリーナの災厄以前は民族間の紛争が絶えない、常に国内で争いが起きているそんな国だった。
俺は国の為という大儀の旗の下、多くの者をこの手に掛けてきた……それが只の虚構だとしても構わなかった……俺は名声が欲しかった……名を成したかった。
それから十一年――――十一年もそんな生き方をしてきた……いや、そんな生き方しか選べなかった。
だから俺はカテリーナの災厄が起きた時、心の何処かでほっとしていたのかも知れない。
災厄以降、ビエナート王国だけではなく大陸から戦争自体が無くなった。
今は魔物によって多くの人々が命を落としている……だが以前は同じように人間同士が殺し合っていたあの時代と一体どちらが異常だったのだろう。
カテリーナを討ち英雄などと呼ばれる俺を親父は認めてくれるだろうか。
母は喜んでくれるのだろうか。
俺は二人に少しでも報いることが出来たのだろうか。
今も俺はその答えを捜し求めている……得られる筈の無い回答を……。
ビエナート王国の英雄アインス・ベルトナーは魔女カテリーナを討ちその命を落とした……今は生死不明の扱いでもいづれはそういうことになるだろう。
そうなれば跡取りが居ないベルトナー家は取り潰されるかも知れない。
だが本当の意味では親父が死んだ時点でベルトナー家の血筋は絶えているのだ……今更その事に感傷は無い……対価は既に得ている……代わりに英雄アインスの名と共にベルトナー家の名は大陸全土で語り継がれるのだから。
この時点でもう俺の目的は果たされていた。
俺は生きる意義を見失い……だからこそエリーゼによってこの身体に魂が移されたと告げられた時もそれ程焦りはしなかった。
いや寧ろエリーゼには感謝している。
例え僅かな期間でも本当の意味で自由に生きられる機会をくれたのだから。
俺はもうアインス・ベルトナーではない。
一介の傭兵エレナ・ロゼなのだ。
▼▼▼▼
王都マルテナは高い城壁に囲まれた城塞都市であった。
いや、言葉が少し足りなかったかも知れない……最早この大陸で人が生活する街に壁が存在しないなどということは有り得ないのだが、その中でもやはり一国の王都であるこのマルテナの城壁は一際堅牢に聳え立っていた。
マルテナの外壁の北門に、リドア方面からの出入り口となる城門に張り付くように立ち、門を見つめる二人の男性の姿がある。
。
無事マルテナへと到着していたレイリオとカロッソの姿が其処にはあった。
悲痛な面持ちで城門を見つめるレイリオの姿にカロッソは声を掛けられないでいた。
恐らくあの状況では連れの女性もそしてミローズも助からないだろう……と、そう思いながらもカロッソはその事実を告げる事が出来ずにいる。
こうなれば彼が納得するまで付き合うしかないと、カロッソはそう腹を括ることにした。
自己満足でしかないが、依頼を果たせなかった自分が他に彼にしてやれることが思いつかなかったのだ。
不意に依頼人の若者が城門へと駆け出し――――その姿にまさか、とカロッソも視線を向ける。
マルテナ近辺は比較的安全だとはいえ、やはり人の往来は少ない……そんな閑散とした街道を城門へと近づく一騎の騎影をカロッソはその視界に映す。
「まさか……どんな魔法を使ったんだミローズ……」
不覚にもカロッソの胸が熱くなる。
次第に近づく馬上の二人の姿に思わずカロッソも駆け出していた。
「ふえっ――――!!」
ミローズの手を借り馬から降りたエレナはいきなり後ろからレイリオに抱きつかれおかしな声を洩らしてしまう。
「エレナ――――!!」
背後から抱きつかれた為にその表情は伺えないが、微かにレイリオの声は震えていた。
男に抱きつかれるなど趣味では無いのだが、レイリオに掛けた心配を考えればこの程度は我慢しなければならないだろうな、とエレナも直ぐに抵抗を諦める。
「もう無茶な事は止めてくれないか……僕の心臓がもたないよ……」
「悪かったよ、心配掛けて済まない」
エレナは素直に謝罪を口にする。
今回のことは全て自分に否があるのだから言い訳などしようもない。
小柄な少女が天を仰ぎ、その少女を青年が抱きしめている……そしてそれを見守る屈強な男たちが二人。
そんな奇妙な光景を前に、城門を守る門番の兵士たちが奇異な視線を彼らに送るが――――だがその光景はどうやらもう少し続きそうであった。
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