第5話
協会が調査を重ね、多大な犠牲の元に集積された資料によれば魔物の種別は数百種にも及び、その個体数は実に大陸全土で数千万にまで達するといわれている。
協会は魔物に懸賞金を賭け、傭兵たちが生活の糧として、また各国の騎士団が国の威信を懸けて日々魔物の討伐が行われていたが、現状に劇的な変化を齎すまでには至ってはいない。
それどころか一部の研究者の報告によれば月単位で寧ろ増加傾向すら見られるという魔物の存在は、今だその誕生も生態すらも多くが謎に包まれたいた。
魔物たちによって人類の生活圏は限定され、人々は日々その恐怖に怯えながら生活することを余儀なくされている……それは全ての元凶とされる災厄の魔女カテリーナが討たれた現在に置いても人々の中に深い影を落としていた。
協会は魔物の脅威度を独自に格付けし報奨金を決めている。
一個体しか確認されておらず、人知を超えた存在とさえ言われている特定位危険種を頂点にピラミット状に形成される格付けの底辺に位置するのが最も絶対数が多く云わば身近な脅威となる下級位危険種たちである。
街や村を一歩出れば容易く遭遇してしまうこれら下級位危険種たちの報奨金は安く、しかしそれが必ずしも魔物の危険度と釣り合いが取れているかと問われれば首を傾げざる得ない。
その最たる種が鉄の蜥蜴『アイアン・リーパー』であろう。
固体によって多少差異はあるが全長約二メートルの巨体を持ち、その見た目はまさに蜥蜴を彷彿とさせる。
全身を覆う鱗は高い硬度を持ち刃を寄せ付けず、その爪と牙は鋼を裂き、容易く噛み砕き、四足で歩行する種に見られる様にその巨体には似つかわしくない高い俊敏性をも兼ね備えていた。
だがこの魔物が最も恐れられる理由はそれらとは異なるところにある。
多くの魔物が生物としての根源的な欲求……つまり食欲によって人間を捕食するのに対してこのアイアン・リーパーはそれとは異なり狩りを楽しむが如く人間を捕食するのだ。
その特異な特徴の現れであろう、アイアン・リーパーは常に群れで行動し最大の単位でその規模は数百にも及び、それら大規模な群れに一度狙われれば街一つなど容易く半日と掛からず滅んでしまう。
協会にはアイアン・リーパーの群れに襲われ、街の住民全てが食い殺されたという事例が多数寄せられ、ゆえに人々にとって最も身近な恐怖の対象となり、畏怖の象徴として恐れられる魔物こそがこのアイアン・リーパーたちである事は間違いない。
原野から一直線に馬車へと接近するアイアン・リーパーの群れを視界に捉えたミローズは苦々しげに舌打ちする。
その個体数は五体……群れとしては小規模だが現状の絶望的状況は例え群れの規模が数百であろうと変わらない……奴らと出会ってしまった時点でほぼ詰んでいる。
――――どうする、馬車を見捨てるか……。
傭兵としてミローズは今、選択を迫られていた。
アイアン・リーパーの群れが馬車に狙いを定めている事は間違い無い……つまり今の時点ならば馬車を見捨てさえすればミローズたちは助かることが出来る。
ミローズたちは高い報酬を貰ってはいたが、無駄に命を捨てる事までは契約に含まれてはいない……此処で馬車を見捨てても契約違反には当たらないのだ。
傭兵にとって最も優先されるべきは常に己の命……ゆえに結ばれる契約もそれを尊重されたモノとなる事が彼らを雇う為の前提条件となっていた。
だが……と依頼人たちの姿がミローズの脳裏に浮かぶ。
男の方は随分と女受けしそうな優男ではあったが、穏やか物腰には上品さが感じられ金払いも良く、何よりそうした金持ちに特有な傲慢さが感じられず、傭兵というだけで見下すような下衆な連中とは明らかに違っていた。
ミローズ自身そうした男の姿勢に好感を抱いていたのだ。
そして男の連れは外套のせいで顔は分からなかったがその小柄な体格といい、時折微かに聞こえる声音からもまだ若い女であろう事は間違いない。
若い女の身で男と連れ立って街道を渡るなど余程の事情があるのだろうが、どんな理由であれ女を見捨てて逃げ出すなど、例え青臭いと言われ様とミローズの矜持に反した。
「カロッソ、ラドック。お前たちは――――」
覚悟を決めそう叫び掛けたミローズは此方を見る二人の表情に言葉を詰まらせる。
「なに一人で格好付けようとしてやがる」
「まったくだ」
呆れたようにミローズを見やり二人は笑う。
「お前たち……」
どうやら馬鹿は伝染するらしい……。
しかしミローズはそんな馬鹿たちをこの時ほど誇らしく感じたことは無かった。
「カロッソ、お前は馬車のお守りをしてくれ、クソ蜥蜴共は俺とラドックで足止めする」
「ミローズ……」
「俺もミローズの意見に賛成だ。お前には帰りを待つかみさんと餓鬼共がいるだろうが、幸い俺もミローズもしがない一人身だ。後腐れがなくていい。お前に死なれて残された家族に恨まれるのは些か堪えるからな」
ラドックはそう言うとカロッソから目線を逸らす。
言葉とは裏腹なラドックの不器用な彼なりの気遣いにカロッソは言葉を失う。
「援護を頼むぞ、カロッソ」
ミローズのその言葉を合図として二人は馬車から離れ、アイアン・リーパーの群れへと手綱を向ける。
離れていく二人の背を見つめ弓に矢を番えるカロッソ――――放たれた矢は正確にアイアン・リーパーの群れの前方へと飛来し着弾点に炎の壁を形成させる。
次々にカロッソから放たれた矢は群れと馬車を幾重にも隔てる炎の壁となりアイアン・リーパーたちの行く手を塞いでいった。
だが行く手を塞ぐ炎の壁を前にしてもアイアン・リーパーたちの速度が緩む様子は見られず、それどころか微塵の迷いも見せずに炎の中へと身を投じていく。
自身の身体の特性を知ってか奴らは火を恐れない……次々に炎の壁を超えていくその姿を忌々しげにミローズが睨む。
「奴らの注意を引き付けるぞミローズ!!」
馬の胴の側面部に括られた長槍を引き抜くとラドックが叫んだ。
それに習いミローズも長槍を手にアイアン・リーパーの群れの側面へと切り込んで行くが、近づく二騎の馬影にもまるで関心が無いかの様にただ馬車の進路へと駆けるアイアン・リーパーの群れ。
ミローズは群れとの間合いを慎重に測り、渾身の力を込め長槍を振り下ろした。
体重を乗せたその一撃はアイアン・リーパーの胴体部を正確に捉え、金属音にも似た音と共にその刃先から激しい火花が散る――――しかし槍を引いた胴体部には傷一つ付いてはいない。
鉄の蜥蜴を狩る為には鱗の隙間に刃を通す必要があり、ただでさえ動きが俊敏なアイアン・リーパーを相手に馬上からでは有効な打撃を与えられない事は無論折込済みではある。
だが今はそれでいい……目的は奴らの注意を少しでも馬車から逸らす事なのだから。
ラドックもミローズ同様、何度となく群れに近づき槍を振り下ろしている……そんなラドックの様子をまるで付き纏う小蝿でも見るかの様に爬虫類特有の有鱗目がラドックを睨む。
「このクソ蜥蜴が!!」
その目つきに一瞬怒りの余り我を忘れたラドックが致命的なミスを犯す。
より力を込め様とラドックが馬を群れに近づけた刹那――――一体のアイアン・リーパーが突如進路を変えラドックの馬へと飛び掛る。
ラドックは咄嗟に手綱を引き向きを変えようとするが間に合わない……その爪が馬の前足へと抉るように食い込み、苦痛の嘶きと共に激しく暴れる馬の背から放り投げ出されたラドックはしたたかに地面へと叩きつけられる。
幸い密集して生えている枯れた雑草がクッションの役割を果たしダメージは少ない……だが起き上がろうと顔を上げたラドックの前には大きく口を開いたアイアン・リーパーの顎門が視界一杯に広がっていた。
「ちきしょうめ……」
それがラドックの最後の言葉となった。
ラドックの頭部が食い千切られるのを為す術もなく見つめる事しか出来ないミローズ。
その固体は何度がラドックの頭部を咀嚼するが直ぐにそれを吐き出すと、まるで興味を失ったかの様にラドックの無残な遺体には目もくれず先行している群れへと戻っていった。
アイアン・リーパーの群れと馬車との距離が縮まっていく。
何も出来ず後方からそれを追うミローズ。
知らず噛み締めた唇から血が滲む……自分たちを無視する群れと命を賭けても足止めすらで出来ない無力感がミローズの心を苛む。
そんな中、突然馬車から何かが飛び出すのがミローズの視界に映り……それは原野を滑るように転がり――――徐に立ち上がる。
風に靡く長い黒髪。
少女は腰と背中の長剣を引き抜くと後方から迫るアイアン・リーパーの群れを睨みつける。
走り去る馬車を背に双剣を構える美しき少女の姿は何処か現実離れした幻想的な光景で――――束の間ミローズは全てを忘れ目を奪われていた。
▼▼▼▼
馬車の窓からラドックの無残な最期を見届けエレナは僅かに瞳を伏せる。
――――何故逃げださないんだ……。
傭兵である彼らがアイアン・リーパーの脅威を知らない筈は無い……この現状で自分たちを見捨て逃げ出したとしても契約違反には当たらない事は彼ら自身が良く判っている筈だと言うのに、だが彼らはそうはしなかった……その道を選ばなかった。
傭兵たちが依頼主を護るために己の命を捨てようとしている――――その事実が何よりもエレナには堪らない。
これでは護る方も護られる方も、誰も救われないじゃないか……。
エレナの中に複雑な思いが渦巻く。
「何があってもこのまま走り抜けて欲しい」
エレナは正面の小窓を開け、御者にそう声を掛けるとレイリオへと向き直る。
「レイリオ、済まないが先にマルテナで待っていてくれ」
そのエレナの言葉の意味をレイリオは直ぐには理解出来なかった……だがエレナが馬車の扉に手を掛けるのを見て彼女の意図を察する。
「無茶だエレナ、止めてくれ!!」
悲痛な表情を浮かべエレナを止めようと差し伸ばされたレイリオの手が虚空を掴む――――その手より一瞬早くエレナは馬車の外へと身を躍らせていた。
「エレナ――――!!」
車内にレイリオの絶叫が響き渡り、レイリオの叫びが残響となってエレナの耳にも届く……そんなレイリオの姿を刹那見つめ、エレナは少し困った様に笑った。
馬車から投げ出されたエレナの身体は原野へと堕ち――――咄嗟に受身を取りその衝撃を逃がしながら転がり、勢いに逆らわずその身が止まるまで身を任せたエレナは、やがてゆっくりと立ち上がると自身の状態を確認する。
予想以上に地面は柔らかく、また雑草がクッションの役割を果たしていたせいか、あの速度から身を投げ出した割には全身に幾つかの擦り傷が出来た程度ですんでいた。
地響きにも似た地鳴りを響かせて迫るアイアン・リーパーの群れにエレナは向き直ると己が双剣を抜き放つ。
その黒い瞳は正確に五体の固体を捉えていた。
▼▼▼▼
アイアン・リーパーたちが速度を落としている。
今まで馬車のみを追っていた群れがその少女を視界に捉えるやいなや標的を変えた様にゆっくりと散開しだす。
「一体どうなってる……」
アイアン・リーパーたちが馬車から少女に標的を変えたのは最早間違いない……しかしミローズが混乱していたのは群れの行動では無く少女の方にあった。
自分の身を犠牲にして男を護ろうとした……そうとしか思えない無謀な行為ではあった――――あったのだが、両手に長剣を握る少女の姿は恐ろしい程自然で堂に入っている。
少女は両手を下ろしその腕を交差させ長剣と一対の斜め十字を虚空に刻む。
それはミローズから見ても紛れも無く双剣の型に見えた。
一般的にこの大陸では双剣を扱う者は珍しい……手数は増えるが一撃の重さに比重を置く主流の流れからは外れる為、傭兵たちの間でも扱う者は少なく、特に魔物を相手にする場合はその剣撃の軽さが致命的だといわれている。
だが中には例外といわれる者も存在する。
救世の騎士アインス・ベルトナー。
世界を救った英雄である彼もまた双剣を扱うという。
彼の名は英雄と呼ばれる以前、まだビエナート王国の騎士であった頃から高名で、大陸屈指の剣の使い手としてその名を轟かせていた。
彼の繰り出す双剣からの連撃は暴風『テンペスト』と呼ばれ剣撃の極致と称される。
ミローズ自身アインスとは面識は無かったものの、自分より十は下、まだ二十台半ばで剣の真髄を極めたといわれるアインスの存在に羨望とそして嫉妬を覚えたものだ。
完全に少女を取り囲み、その周囲を時計回りに回りながら威嚇を繰り返すアイアン・リーパーたちは楽しんでいるかの様に、チリチリと細い舌を震わせては嫌な音を奏でている。
戯れの様に不意にその内の一体が動き、前足を上げ少女へと躍り掛かる。
――――瞬間、風が鳴った。
ミローズにはそうとしか感じられず他に上手い表現方法が思い浮かばない。
大きな音を立てて前足と頭部を失ったアイアン・リーパーの胴体が地面へと崩れ落ち、失われたその頭部は少女の足元に転がる。
それが少女の手による斬撃なのは間違い無い。
――――それはまさに神速。
少女の手より放たれた神速の刃はアイアン・リーパーの鱗をまるで紙を裂くが如く容易く切断し、ミローズにはその繰り出されたであろう長剣の軌道を追う事すら出来なかった。
▼▼▼▼
「まずは一匹」
エレナは足元に転がる邪魔な蜥蜴の頭部を無造作に蹴り飛ばし、また斜め十字に剣を重ねる。
以前のエレナの剣技が荒れ狂う暴風ならば今のこの体から繰り出される剣技は二撃終殺――――相手の反応速度すら凌駕する高速の斬撃を打ち込む事で最小限の動作で相手を仕留める神速の剣。
絶対的な体力の無さを補う為にエレナが半年掛けて編み出した新たな双剣の形であった。
レイリオに偉そうな大言を吐いておいて、結局こうして剣を振るわねば為らないこの状況にエレナは苦笑する。
だがある意味これが自分の望みなのかも知れないとも思う。
エレナ・ロゼとして残りの人生を純粋に生きる……それは言い換えるならば国や人のしがらみに囚われず、自分が護りたいと思う者たちの為に剣を振るう事。
その為に一匹でも多くの魔物をこの大陸から駆逐する事にエレナは何らの矛盾も感じてはいなかった。
無造作に一歩前へとエレナは踏み出す。
不用意なその動きに動物の本能ゆえかアイアン・リーパーは即座に反応し今度は三体が同時にエレナへと襲い掛かる――――三体の動きを黒い瞳に捉えたままエレナの肢体は静かにそして流れるように螺旋を描く。
――――旋律を奏でる様に風が鳴る。
二撃終殺――――繰り出された神速の六連撃。
返す長剣の残滓が揺らめき、常人にはその軌道さえ捉え切れぬ速度で繰り出される死の旋律はアイアン・リーパーの身体を一瞬で只の肉塊へと変化させていた。
剣技と呼ぶには余りに凄まじく……そして美しい。
エレナが見せたそれはまさに剣人一体の極致――――一つの到達点。
蜥蜴の返り血で塗れた刀身を横に一閃させ払うエレナ。
仲間たちの残骸を前に残されたアイアン・リーパーがエレナを見て後ずさる……魔物とはいえ動物の本能か……この時点でエレナとの間の格付けは出来ていた。
絶対的強者を前にしてアイアン・リーパーの有鱗目に怯えと恐怖の色が浮かぶ。
瞬間、背を向けて逃走を図るアイアン・リーパーをエレナは追わない……走り出したその先に一つの騎影を視界の先に映していたゆえに。
「貴様だけは!!」
ミローズは迫りくるアイアン・リーパーを、ラドックを殺した個体に向けて叫びを上げる。
アイアン・リーパーはエレナの影に怯える様に、まるでミローズなど視界に入らないかの様にその横を通り過ぎようとする。
両者が交差する瞬間――――狙いすましたミローズの槍がアイアン・リーパーの有燐目を貫き、深々と突き刺さった槍を受けたままミローズの横を走り抜けたアイアン・リーパーはやがて後方で失速するとそのまま力無く横倒しに倒れた。
それを確認したミローズは少女の下へと走りよる。
「君は何者なんだ……」
驚愕とも恐れとも取れる表情を浮かべエレナを見つめるミローズ。
「話はまずここを離れてからにしないか、死臭に誘われて魔物たちが集まってくるかも知れない」
馬上のミローズへと細い華奢な腕を伸ばすエレナ。
ミローズはその小さな手を掴み馬上へと引き上げ、抱き止めた少女の身体は恐ろしく軽くそして柔らかい。
間近で見る少女の顔は人と呼ぶには余りにも美しく一瞬少女に魅入ってしまったミローズであったが直ぐに我に返ると慌てて馬の腹を足で蹴る。
街道を駆ける馬上に二人……抱きしめるように自分の腰に腕を回している少女の長い黒髪が、風に靡き時折ミローズの鼻腔をくすぐる。
その艶やかな長い黒髪からは春の花のような、そんな心地良い匂いがした。
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