第7話
王都マルテナにある高級宿「ユータス・ヒルト」。
再会を果たしたエレナたちはレイリオが手配した宿の一室で改めて顔を合わせていた。
整った部屋の内装と広さは一流の宿らしくエレナたちが居る大きな広間とは別に寝室を二つも備え、広間のテーブルには今のご時勢では中々味わうことが困難であろう料理の数々と高級な酒が所狭しと並んでいた。
「本当に俺たちも食事をご馳走になってもいいのかな?」
「食事だけでなく良かったら今日はこの宿に泊まっていって下さい。そのつもりで既に隣の部屋も押さえてありますので」
戸惑っているミローズとカロッソにそう声を掛けるレイリオ。
本来依頼を済ませた雇い主と傭兵がこうして卓を囲むなど極めて稀なことだが、エレナの命の恩人を手ぶらで帰すなどレイリオの矜持が許さなかった。
些か無粋なのは承知の上で、今のレイリオが感謝の気持ちを示すにはこうして金を掛けることくらいしか出来ず、傭兵たちにしても感謝の言葉を連ねて贈られるよりこうして形に残る物の方が良いに決まっている。
「折角のお誘いだし、此処はお言葉に甘えるとしようかカロッソ」
「そうだな、もうこんな豪勢な食事を取る機会も無いだろう」
二人が席につくのを確認するとエレナは酒の注がれた杯を二人に手渡す。
「それじゃあ、まずは亡き友人に乾杯しよう」
エレナが自らの杯を掲げると他の三人もそれに倣う。
「「ラドックに!!」」
四人の声が部屋に木霊しそれぞれが手にした杯を空ける。
そしてささやかな宴が始まった。
初めはやはりどこか余所余所しかった四人であったが酒が入るにつれ緊張も解れてきたのだろう、少なからぬ時間が過ぎ去り、宴もたけなわともなると皆一様に饒舌になっていく。
「大体エレナは少し勝手なところがあるんだよ」
「だからそのことは何度も謝ったじゃないか……君もしつこいな」
大分酒が入り赤い顔をしたレイリオがエレナに舌戦を仕掛けると、同じく雪の様に白い肌をほんのりと朱に染めたエレナがこれに応戦する。
「僕が言ってるのは、僕たちの関係を会って間もない人間になんで勝手に話しちゃうのかってことだよ」
レイリオは何よりそれが一番気に入らない。
二人の話し合いで旅の道中は二人の関係は夫婦で通そうと決めていたにも関わらず、エレナはマルテナに向かう馬上でミローズに全てを話してしまったという……。
酒の席、という事もあってか或いは単純に酒の勢いなのか、レイリオの表情にはありありとエレナへの不満の色が見て取れる。
仮初めでも好意を寄せる相手と夫婦でいられるという関係をレイリオは少なからず楽しんでいたし、また、どこかで高嶺の花であるとすら感じていたこの少女を自分のものにしているという独占欲からくる虚栄心が何処かにあったかも知れない。
「その約束の趣旨はあくまで交渉事の時に違和感を無くすためだろ、雇った後にばれたって別に構わないじゃないか」
体面上、夫婦という体裁の方が男女が旅をするのに周囲から怪しまれないという、その程度の理由だった筈なのに何故此処までレイリオが絡んでくるのかがエレナには分からない。
「それが勝手な考えなんだよ、そういうのを軽率な行動っていうんだ」
「なん……だとぅ……」
レイリオを睨むエレナの目が据わっている。
呂律すら怪しいエレナが座る席の脇には既に空の酒瓶が三本ほど転がっていた。
「二人とも飲みすぎだ。まったく最近の若者は酒の飲み方も知らんのか……」
二人の余りに子供じみた喧嘩に呆れたようにミローズが仲裁に入る。
レイリオとしてはこの際もう少し言っておきたいことはあったのだが、エレナが拗ねたようにそっぽを向いてしまった事と、カロッソが空気を察したのか合いの手を入れる様に酒を勧めてくるのでなにやら気を削がれてしまっていた。
暫くすると可愛い寝息がレイリオの耳元に届いて来る。
ふと其方を見ると椅子の背にもたれるように眠ってるエレナの無防備な寝顔が映り、知らずレイリオの口からは小さな溜息が漏れる。
恐ろしい程に用心深く慎重かと思えば、こうして男たちの中で平気で酔い潰れてしまえるエレナの事が未だにレイリオには良く分からなかった。
寝ているときはこんなに可愛いのに……。
と、エレナの寝顔をしばし眺めていたレイリオはそんなことを思ってしまい……瞬間、思わず浮かんでしまったよからぬ妄想を慌てて頭を振って打ち消した。
そんなレイリオの妄想を知ってか知らずかカロッソが不意に立ち上がると寝息を立てるエレナをそっと抱き上げる。
それが余りにも自然な行為であった為にレイリオは一瞬、疑問すら浮かばずカロッソを見つめてしまった。
「このままでは風邪を引く。心配せずとも寝かせてくるだけだ」
近い年頃の娘がいるカロッソには流石に酔い潰れるという事はないが、こうして寝てしまった娘や息子を寝台まで運ぶのは日常の生活の一部となっていたので、つい少女のそうした姿に身体が動いてしまったのだ。
レイリオの心配を他所にエレナを抱かかえたまま寝室へとカロッソの姿が消えていくが、さして間を空ける事なくカロッソは姿を見せると何事も無かったように席へと戻る。
しばらく男だけになった広間で酒を酌み交わしていた三人であったが、
「実は僕の方から、お二人にお話があります」
と二人を交互に見やりレイリオがそう切り出した。
「先程思いついた、というと少し失礼にあたるかも知れませんが、どうでしょうこの先も僕の護衛を勤めてくれませんか」
「それはオーランド王国に共に行くということか?」
「そうです、そしてその先も、ということです」
ふむと考え込むミローズ。
正直そう悪い話では無い……馬車の護衛なぞ危険の割りに実りの少ない稼業には見切りを付けて、常々個人の護衛に切り替えたいという思いがミローズにはあった。
だが個人の護衛とは依頼人と長い年月を共にする可能性がある……そういう意味でリドアの街で募集が掛かる護衛の依頼人たちにミローズと気が合いそうな人物が居なかったのだ。
「俺はその依頼受けてもいい」
この若者が少なくても傭兵を見下さないという一点だけでも守る価値はありそうだ、とミローズは思う。
「済まない……俺の方はこの稼業から足を洗うつもりでな、リドアで家族とゆっくり暮らそうと思っている」
「そうですか……残念です。しかしこれは提案なのですが、もし僕がご家族をオーランド王国に招待するといったらどうでしょう。勿論ご家族が乗る魔導船の料金は此方で持たせてもらいますよ」
「本気でいっているのか?」
「勿論です。ただし僕の護衛は危険を伴うでしょう。そのことは踏まえて下さい。貴方の覚悟を変える選択になると思うので、後悔の残らない決断を下してください」
「いや、そういう事であるなら此方から頭を下げてお願いすることであろうな」
と、カロッソは即断した。
確かに家族と静かに暮らす……それがカロッソの夢であった。
だがそれでもオーランド王国で家族が暮らせるというのなら、それは魅力的な話であったのだ。
リドアの街とオーランド王国の王都ライズワースとでは得られる安全が違い過ぎる。
いつ魔物に襲われるか分からないという漠然とした恐怖を抱えながら生活していかなければならないリドアの街とは違い、ライズワースなら妻と子供たちが安全に暮らしていける……カロッソにしてみればそれだけで傭兵を続ける理由には十分であった。
「だがどうして俺……いや俺たちにそこまでしてくれる?」
騙されているとは思えないがそれでもカロッソには疑問が残る。
魔導船の料金だけとってみてもかなりの額になる事は想像に難しくない……だというのに何故其処までしてレイリオが自分たちに声を掛けたのかがどうしてもカロッソには分からない。
「貴方々をエレナが選んだから……僕にとって条件はそれで十分です。最初にいくら高い出費になろうと最高の人材を揃える。それが僕のやり方ですし、それが必ず後に利益に繋がることを僕は知っています」
「随分と彼女のことを信用しているのだな」
「僕にとってエレナは最高の護衛ですからね」
レイリオはカロッソの問いにそう答えた。
そしてこう続ける。
「エレナとの護衛の契約はオーランド王国に着いた時点で終わります。その後の彼女と僕の関係はもっと違ったものになるでしょう」
と。
「君はまだ若い。彼女は難敵だとは思うがまず頑張ってみることだな」
若さが見える青年の姿にカロッソは僅かに目を細め、レイリオの杯に酒を注ぐ……そしてそれは契約の成立を示す行為でもあった。
そうして男三人は結局朝まで酒を酌み交わすのであった。
▼▼▼▼
この国が保有する二隻の魔導船『エンプレス』と『レガリア』は大陸にある四つの大国とを空路で結ぶ重要な役割を果たしていた。
二隻が扱うのは人の交流というよりも主に物資を中心とした交易品が大半を占め、占有スペースの殆どはそれらの物資が積み込まれる為に実際に搭乗する人員は十数人に過ぎない。
海路とは異なり地域を限定することの無い空路は最も安全で確実な輸送手段であり、内陸部で生きる人々の重要な生命線でもあった。
だがこの空路も絶対に安全という訳ではない……なぜならば魔物の中には飛行種と呼ばれる空を駆る魔物たちも存在するからだ。
幸いな事に飛行種は大陸中央域からは滅多に他の地域に姿を見せることは無く、その事が今だ人類が生き延びることが出来ている大きな理由の一つになっている。
一年前、この大陸には五つの大国が覇を競っていた。
北のオーランド王国、西のビエナート王国、南のファーレンガルト連邦、東のロザリア帝国……そして五大国の中でも、最も強大な軍事力を誇った中央域のベルサリア王国。
その五大国が近隣の小さな周辺諸国を巻き込んで大陸は百年にも及ぶ長き騒乱の中にあった。
だがあの日。カテリーナの災厄が起きた始まりの日に全てが一変する。
突如現れた魔物の大群によってベルサリア王国は僅か三日でその版図を完全に大陸から消失させ、ベルサリア王国の王都ノートワールが陥落した段階で述べ死傷者は八百万人を越えていたといわれている。
多くの人々と王族の血を吸ったその王城はそれ以後魔女カテリーナの居城となり、魔女が討たれ災厄が終わった後も数多の上級位危険種と協会の最上位指定を受ける魔物たちが生息する大陸中央域は、今尚人が近寄ることすら出来ぬ魔境と化していた。
「まさに絶景だね」
オーランド王国へと向かう魔導船『レガリア』の甲板でレイリオが感嘆の声を洩らす。
眼下に広がる雲の隙間から遠く地上の風景が垣間見え、まるで極小サイズの玩具のようなその光景にレイリオの瞳は子供にように輝いていた。
「そうだな……」
レイリオの隣に立ち同じ光景を眺めている筈のエレナの脳裏にはそれとはまったく異なる情景が浮かんでいた。
見渡せばそこに映るのは各国が誇る魔導戦艦群。
嘗ての自分が搭乗しているビエナート王国の戦艦『グイレゴリウス』。
オーランド王国の『グレイスワール』、『ノーデンヒルト』。
ファーレンガルト連邦の『サクシャリア』。
ロザリア帝国の『ブルムデリク』。
そして数百隻にも上る魔導強襲艦。
有史以来これ程の魔導船が一同に介したことなど無かったでだろう、その空には大陸全土から集められた最高戦力が集結していた。
この『レガリア』などとはまるで規模が違うその巨大な威容は地上を行く数百万の遠征軍の兵士たちにはまさに希望に見えたかも知れない。
だが嘗ての自分が乗るそれが……エレナには巨大な鉄の棺桶にすら感じられていた。
何故なら向かう空の先、黒一色で埋め尽くす様に、空の色すら望めぬ程の夥しい飛行種たちが天空を飲み込むかの如く全てを覆い隠していたのだから……。
「そろそろ着陸の為に高度を下げるらしい。艦内に戻って欲しいそうだ」
背後から掛けられた声がエレナの意識を現実へと引き戻す。
振り返ったエレナの視界の先にはミローズの姿があった。
カロッソは一度家族を迎えにリドアの街へと戻り再度家族を連れマルテナでレイリオと合流する手筈になっているらしい。
今の大陸で一度別れてしまえば後に連絡を取り合うことは難しく、その為にレイリオとカロッソはかなり詳細な話し合いを重ねたらしく、レイリオが色々とマルテナで手回しをしていた事をエレナは思い出す。
ふとそんな事を思い返していたエレナの隣でレイリオが少し名残惜しそうな表情を浮かべていたものの、やがて諦めたのかミローズに従い甲板を後にしていく。
そんな二人を見届けるようにエレナもまた船室へと戻るのであった。
▼▼▼▼
オーランド王国王都ライズワース。
その面積は実に国土の三分の一を占めるほどの規模を誇り、都市部のみならず周辺の地域全てを堅牢な外壁で囲むライズワースは大陸でも最大の大都市である。
そして協会のお膝元でもあるこのライズワースは、魔物を専門に狩る傭兵たちにとってはまさに総本山ともいえる。
広大な魔導船発着場へと降り立ったエレナたちは係員の誘導に従い、受付がある待合所まで来ていた。
待合所、といっても舞踏会が開けそうなほどの広間であり、幾つかある受付には搭乗の手続きや案内を聞いているだろう人々で列が出来ている。
そうでない人間たちは三々五々、備え付けのソファーで寛いでいた……恐らくは魔導船を待っているのか或るいはその積荷が目的なのだろう。
このような情景はライズワース特有の光景であり、魔導船を二隻所有するマルテナでも積荷の積み下ろしを請け負う人工以外は殆ど人はおらず、搭乗窓口に至ってはかなり閑散とした寂しい場所となっている。
「ここでお別れかな、こんな言い方は良くないのかも知れないけど、レイリオ、君との旅は結構楽しかったよ」
そういって差し出されたエレナの手をレイリオは握り返す。
「エレナ、君はこの街でやるべきことがあるのだろう? 君が何をしようとしてるかは僕は聞かない。だけど、もし……もしその用事が済んだら、僕の元に戻ってきてくれないか」
「戻るも何ももう優秀な護衛が二人もいるじゃないか、もう俺が出る幕は――――」
「護衛としてじゃない……僕の伴侶として傍に居て欲しい。エレナ、僕は君を愛している」
突然の告白にエレナはレイリオに手を握られたまま立ち尽くす。
正直、驚いたというよりも何を言われたのかを理解するまでに時間が掛かったと言う方が正解であろうか。
エレナにとって男に告白されるなど当たり前だが初めての経験であり、どうしても困惑が先に立ってしまう……勿論レイリオの事が嫌いかと言われればそんな訳はない。
嫌いな人間と命を懸けた旅などエレナには考えられない事であったし、好意と呼べるモノをレイリオに抱いていなかったかと言えば嘘になる。
だがそれが男女間の恋愛感情で語られる好きかと問われれば否と答えるしかない。
そもそも思考が正常な男性のモノであるエレナには同性を好きになる嗜好は備わってはいないのだから、当然と言うべきか……必然的にレイリオに感じているのは友人、いや歳の離れた弟に感じるようなそんな親愛の情に近い感情であった。
「それはまた……どうも……」
なんと答えていいか分からず、エレナはつい曖昧な返事を返してしまう。
普通に考えれば丁重に断われば良いだけの事……だがこの様な大衆の面前で女に振られるなどそれこそ男の沽券に関わる大事……男であったからこそ、それが分かるエレナにはこの場でレイリオに掛けるべき言葉が上手く見つからない。
女に告白するならもう少し場所と雰囲気を考えたらどうなんだ……。
などと恨みがましくレイリオを見つめてしまうエレナ。
「友人として……というのは駄目なのかな」
「友人としてなら僕の傍に居てくれるのかい?」
「こちらの用事が片付いたらまた逢いにいくよ。ただいつまで掛かるのかは俺にも分からないし、必ず行けるかも約束は出来ない。勝手に聞こえるかも知れないけどそれで良ければ」
「分かった、待ってるよエレナ」
と、何の迷いも無くレイリオは言う。
エレナの性格からしてきっぱり断られないだけで脈はある。
最悪の言葉を覚悟していたレイリオにとっては寧ろそれは確かな手応えとなって心に響いていた。
「このライズワースには商人たちの相互扶助を目的とした会館があるらしいんだ。もし僕に何か頼み事が出来たならそこに僕宛の言付けを残して欲しい。そうすれば僕は必ず君の力になるからね」
「有難うレイリオ。友人として感謝するよ」
「それじゃあ、別れの言葉は要らないね」
「そうだな……また逢おうレイリオ」
二人の手がそっと離れる。
エレナはレイリオの後ろに立っているミローズにそっと目線を送る。
「レイリオのこと頼むよ」
「ああ任せとけ、嬢ちゃんがいない間の面倒はちゃんと見ててやるから安心していってきな」
若い二人のぎこちない会話を昔の自分と重ね、何やらミローズは気恥ずかしくなってしまう……不器用なこの二人が今後どうなるのか、それがミローズの密かな楽しみになっていた。
二人の道は分かたれた。
その道がまた先で交わる事になるのかは今はまだ誰にも分からない……しかしエレナの物語は此処ライズワースで新たに始まろうとしていた。
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