190話


 「さて……次の一手はどうするつもりなのかなエレナちゃん」


 グレゴリウスとの会見を終え、城外へと続く城門の桟橋の上を歩くエレナに身を寄せてセイルが囁く。


 その様子は露骨に意味有りげではあったが、エレナとセイルに随行するローレンスとフェリドが変わらず距離を取りながら同行している為に、二人に聞かれぬ程度の、となると如何しても声を潜めねばならず、自然とエレナとセイルは寄り添う程の距離で歩く事になる。


 「セイルさん……王国側で話を聞いて下さる可能性が有る方に心当たりが……いいえ、紹介して頂けますか?」


 「勿論だよ、ライズワースの支店を通して既に何人か興味を示している人物が居る……エレナちゃんが望むなら本腰を入れて話を進めよう」


 グレゴリウスとの会見はエレナとしては不本意な結果とはなったが、セイルとしてはほぼ読み通り……まず順当な結末と云えた。

 

 派兵の時期まで予想出来ていたとは流石に思えないが、此処まで長期に渡り企てて来た計画が、彼らなりに言うならば誓願を成就させたこの段で、王国に帰順し魔境と化したラテーヌ地方への移住などというエレナからの提案を呑める筈などない。


 無論それを十分に承知の上でエレナがグレゴリウスとの会見に臨んでいた事は、会見への道筋を付ける事だけならばガラート商会でも可能であった筈にも関わらず、敢えてエレナが自分を頼ってきた事でセイルにはほぼその思惑を理解していた。


 三大商会の一つ――――ロダック商会の持つ情報網と人脈を必要としているその理由に。


 元よりエレナの構想には多くの無理が存在してはいた……しかしグレゴリウスとの交渉が決裂したからと云って全てが潰えた訳ではない……いや、寧ろ始めからグレゴリウスを飛び越して王国側と直接交渉するという手段の方が寄り現実性の高い選択……と云えた。


 ゆえに、グレゴリウスへの説得を諦めぬ姿勢を貫くエレナではあったが……同時に王国側の人間と接触出来る機会を設けて貰える様、セイルに要請をしていた王国側からの感触はエレナにとって希望を抱かせるに十分なモノであった。


 民衆からの一定の支持の元、独立と云う気運に乗り最早後には退けぬグレゴリウスとは違い、例え実現が難しくとも失われる損失と齎されるかも知れぬ多大な功績を秤に掛けられる王国とでは、エレナが語る構想への捉え方がそもそもに置いて異なる。


 特に今回の独立騒動を機に王宮内での勢力を……発言力を増したいと暗躍する輩は少なからず存在し……ギルド制度の設立を奨励し災厄からの復興への礎を築いた最大の功労者として磐石な権勢を誇る宰相オルセット・ゲルトに対して対抗心を燻らせ、反目する者たちの中にはエレナの話に関心を示す者たちが居る。

 

 いや……正確に云うならば、エレナ・ロゼ個人の持つ商品価値を知る者たちが、これを機に手に入れようと画策する思惑が其処にはあった、と云うべきか。


 エレナに頼まれセイルが収集した今のライズワースの情勢は……王宮での動向は、エレナにとっての追い風となっている事は間違いない……だからこそ、セイルには今一度だけ確認して置かねばならない事があった。


 「最終的な交渉のカードとして、エレナちゃんの騎士叙勲の話を切っても構わないのだね?」


 王国の長い歴史の中でも初となる最年少の美しき聖騎士の誕生は、ライズワースに置けるエレナ・ロゼの人気と名声に更なる拍車を掛ける事は疑い様がない……そしてそのエレナを家門の騎士として迎える事で齎される栄誉は計り知れず……それは交渉の切り札足り得るモノとなる。


 しかしその事は同時に、エレナがこれまで傭兵として生きて来た全てを捨てる事をも意味する……小さき願いを、想いを護る為に振るってきたその剣を……得られた自由を――――。


 セイルの問いにエレナは一度だけ……確かに頷き、少女が示した覚悟を前にセイルは満足げに頷き返す。


 「実に素晴らしい……いや、求められし者が在るべき場所へと至るのはごく自然な流れ……エレナちゃんとは今後も良き関係を維持していきたいと私は願っているよ」


 エレナ・ロゼの名が……その価値が高まれば高まるほどに、後に齎されるセイルへの見返りは、恩恵は寄り大きく……そして計り知れぬ財産となる。


 エレナ・ロゼが歩むであろう、輝かしい道の先に己の夢の実現を見たセイルは知らずエレナの肩へと手を伸ばし掛け――――だが近づいて来る馬車の車輪の音にその手が止まる。

 歩みを止めたエレナの瞳の先を追うセイルの視界に、黒塗りの馬車が桟橋の袂へと止まり中から姿を見せた人物を映し出す。


 「クラウディア殿!!」


 馬車を降りエレナを待つ女性の姿に……クラウディア・メイズの姿に驚きの声を上げたのはエレナたちでは無く随伴する騎士の一人、ローレンスであった。


 護衛を付けている様子すら見られず一人姿を現したクラウディアに対するローレンスの反応は、今や評議会の象徴として扱われる彼女の立ち位置と、一見して評議会の新たなる統治の下、平静を装っているこのシャリアテの情勢が如何に不安定で危ういモノなのかを如実に窺わせるモノであった。


 「エレナ・ロゼ様、宜しければ繁華街まで御一緒いたしませんか」


 深々と頭を下げエレナを迎えたクラウディアの一言にローレンスとフェリドの顔色が変わる。


 「クラウディア殿……流石にそれは……」


 見た目は可憐な少女であろうと、エレナ・ロゼは自分たちとて及ばぬであろう凄腕の傭兵……会見の場でその人となりは十分に察せられたとは云え、ローレンスたちにして見れば袂を別った者と、まして帯剣した彼女とクラウディアを警備の目が行き届かぬ狭い馬車の車内で同席させる訳にはいかない。


 「女の身同士、殿方には話せぬ内輪の話も御座いますればどうか御容赦下さい」


 ローレンスたちの動揺を察してか二人に向けるクラウディアの眼差しは穏やかなモノではあったが、その言動からも見られる様にエレナ以外の者の同行を拒む、明確な意思が其処には見られる。


 「詳しい話は商会で……セイルさんは先に戻っていて下さい」


 クラウディアの誘いに応じるエレナの姿にセイルもまたローレンスとは異なる危惧を内心に抱きながらも、この場でエレナを制止するだけの理由が思い浮かばず迷いを見せはするが頷くしかなかった。


 堂々とした二人の女たちを前に狼狽した姿を見せる男たちの図、というもは端から見れば滑稽にすら映る光景であったかも知れないが、少なくともこの場でそれを笑える者など居よう筈もなく、セイルを始めローレンスたちも、そして城外の警備に就いていた騎士たちもまた、エレナとクラウディアを乗せた馬車が走り去るまでの間、その光景を只見送る事しか出来ずにいた。


 

 特別区画の街路を走る馬車の車中、エレナとクラウディアは向かい合う様に座る……馬車の作りゆえに交し合う眼差しの下、その距離は膝を付き合わせる、と言っても良い程である。


 「クラウディア・メイズさん……アニエスたちから話は伺っています、貴女にはこうして一度お会いして直接感謝を伝えたかった」


 「いいえエレナ様……叔父様……ラザレス・オールマンが私欲の為にエレナ様の御命を狙い、一方的に巻き込んでしまった事を詫びねばならないのは寧ろ此方の方……どうかお許し下さい」


 謝罪の言葉を口にするクラウディアに、エレナは微笑み黙って首を横に振る。


 そんなエレナの膝に置かれていた小さな右手をクラウディアは両手添え、潤んだ瞳をエレナへと向ける。


 「叔父様がエレナ様の存在を危惧され、亡き者にせんと画策していた時より私は貴女様の存在を希望と……同じ理想を共にする者として、私共を導いて下さる導きの風であると……そう信じて参りました」


 クラウディアの震える声音には熱が篭り、縋るが如く潤んだ瞳を湛えるクラウディアの美しい容姿は、男なら……いや、同性であっても魅了せずにはおかない妖しい魅力を放つ。


 「どうか……どうか……このクラウディアに御力をお貸し下さいエレナ様……」


 何者であろうと虜にせずには置かぬクラウディアの甘い言霊の囁きに……だが添えられていた己の手を引いたエレナの黒い瞳がクラウディアを正面から見据える。


 「覚悟を宿した者の生き様に口を挟む道理も……その資格すら私にはない……しかし貴女たちが巻き込んだ多くの人々は覚悟無き者たち……今この時を必死に生きている人々の、貧しさや待遇に抗う彼らの想いに付け込むが如き貴方たちの導きを、押し付けられた理想と共に私は歩む事など出来ません」


 エレナからの拒絶の言葉にクラウディアは寂しげに瞳を伏せる。


 「では責めて貴女様の御命を救ったと、このクラウディアに恩義を感じて下さっているのなら……このまま街を離れては頂けませんか」


 懇願にも似たクラウディアの乞いにもエレナは黙って首を振る。


 「もう一度……貴女たちは人々に問うべきだ、飾らぬ言葉で、偽らざる本心で、待ち受ける苦難の道を理解しても尚、共に歩む覚悟のある者たちを……新たな地でその夢を、その理想を育むと言うのなら私は全てを賭けて貴女たちと共に力を尽くします」


 クラウディアの問いに問いで返すエレナの言葉に返事が返されることは無く、沈黙だけがその場に流れていく。


 ガタン、と一度馬車が揺れ、窓の外、大通りを外れた馬車は緑豊かな特別区の舗装すらされていない林道へと差し掛かっていた。


 「エレナ様……貴女の選択が、決断が、貴女が大切に想う方々の身に危険を及ぼすとしても……ですか」


 俯き瞳を伏せるクラウディアの表情は窺う事は出来ない……しかしその声音は先程までとは異なり、感情の起伏を感じさせぬ恐ろしく冷静なモノであった。


 「叱られてしまったから……迷惑を掛けると決めてしまったから……だからその言葉は私を縛る楔には……足枷とはならないよ」


 クラウディアに寂しげに微笑むエレナの瞳には最早迷いは見られない。


 「貴女様とグランデル子爵に全てを託して往ける、と勝手に夢を抱いていた私が誤っていたのでしょうか……やはり叔父様の仰っていた通り貴女は……本当に残念ですエレナ様」


 別れの挨拶の如きクラウディアの言葉に――――瞬間、咄嗟に首筋を庇うエレナの右手の手甲を抉る白刃の火花が舞い散り、四人掛けとは云え狭い車内の有り得ぬ角度から振るわれた凶刃に、エレナは飛び退く様に背中で馬車の扉を押し開き走る馬車からその身を躍らせる。


 受身を取りながら落下していくエレナとクラウディアの瞳が一瞬交差し、走り去る馬車から身を投げ出したエレナは林道の草むらへと転がり落ちる。


 林道の硬い土の道を避けたエレナは勢いに抗わぬまま地面を蹴り上げ空中で反転する様に勢いを殺し立ち上がるが、落下した時の衝撃であろう、額から滲む血が頬を伝わり地面へと落ちる。


 虫の音が微かに響く林道で双剣を抜き放ったエレナの周囲には人の気配など皆無であり……だがエレナですら直前まで存在に気づけぬ……気配を捉え切れなかった者の存在を証明するが如く、エレナの周辺から全ての音が消失する様に虫の音が止むのであった。

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