189話


 評議会本部として定められた旧領主の居城。


 謁見の間へと続く回廊を颯爽と歩く戦装束の少女の姿に、城内の警備任務に就いている巡回中の騎士たちが……評議会で働く自由市民たちが、或る者は道を譲り、或る者は立ち止まったまま少女の姿を見送っていく。


 少女の体格に合わせ設えたのだろう白銀の戦装束は、少女の黒曜石を思わせる黒い髪と瞳を寄り引き立たせ、二振りの長剣を腰に帯剣し歩くその凛々しく美しい容姿は神話に語られる天上の戦女神が現出したかの如き姿が其処に在る。


 先導する騎士の背を見据えたまま視線すら揺るがす事なく回廊を歩く少女……エレナの傍らで付き添いとして共に遣って来ていたセイルは、周囲の光景を……職務に忠実な騎士たちや雑務に追われる評議会の者たちがエレナを前にして足を止める姿に、まるで自分の宝物を自慢する子供の様な、そんな満足げな表情を時折垣間見せている。


 更にその二人の後方、意識的に距離を取りながら随伴する騎士が二人。


 「まさかあの娘御がエレナ・ロゼ殿であったとはな……」


 エレナの背を追いながら隣を歩く同僚の騎士に問うでも無くローレンス・アルヘルムは呟いていた。


 「ローレンス……お前は一度直接合って……その折りに名も聞いていたのではなかったのか?」


 「いや……そうは言うがなフェリド……拘禁されていた可憐な娘御とまさか彼の御仁が同一人物とは流石に思わんだろ……」


 と、困惑げに同僚のフェリド・バーンズにローレンスは訴えかける。


 言い訳がましいと云われてしまえばそれまでではあるが、真実それがローレンスの本音の部分ではあった。


 助け出した娘を初めて見た時、美しく心強き可憐な少女の姿を前に……まるで自分が物語の騎士にでもなったかの様な甚だ不謹慎な高揚感を抱かなかったかと云えば嘘になる。


 しかしあの薄暗い地下牢での一瞬の邂逅だけで……それだけで噂に高いあのエレナ・ロゼと少女を結び付けるほど……関連付けて連想させるほどにはローレンスは彼女の事を詳細に知っていた訳ではなかった。


 彼の英雄、アインス・ベルトナーを彷彿させる双剣を扱う女傭兵の事を。


 王都ライズワースのギルドに所属していた傭兵、エレナ・ロゼの名は二つの意味合いでこのシャリアテでも勇名を馳せていた。


 一つは試合形式であったとは云え、女の身でオーランド王国……いや、北部域屈指の傭兵とさえ謳われるベルナディス・ベルリオーズを剣舞の宴で破り勝利者となったその剣の力量と名声。


 だがシャリアテの騎士たちがエレナ・ロゼの名と共に連想するのは寧ろ後者の呼び名の方であろう。


 アドラトルテの奇跡――――その体現者たる『福音の風』。


 南部の地では最早偶像としての英雄の名を越えて、神の御遣いとして語られる『福音の聖女』の名が――――。


 遥か北の地にありながら多国間貿易が盛んな都市ゆえに、南部域で語られるエレナ・ロゼの名とその敬称が持つ意味を……周知とまではいかずとも、少なくても騎士たちの間では敬意と尊敬の念と共に広く知られている。


 「尾ひれが付き美化された偶像だとばかり思っていたが、南部の連中が口々に熱に浮かされた様に彼女の事を語る理由もなるほど頷ける」


 と、納得げに南部域ファーレンガルト連邦の都市アドラトルテの住民たちを救った英雄の姿を目の前にして、俗っぽい感想を述べる友人の姿にローレンスは呆れた顔を向ける。


 「我らはもう貴族ではないのだから、美しい者を美しいと素直に愛でて何が悪い」


 思った事が顔に出る、と言えば言葉は悪いが、実直な騎士であるローレンスの表情にははっきり不謹慎、と出ていたがフェリドは己の持論を曲げる気はないのか、さも心外そうに抗議する。


 ――――だが。


 「ではフェリド……お前が他の女に目移りしていると俺の方から奥方に伝えておいてやる」


 そうローレンスがさり気なく一言告げるだけでフェリドの顔は見る見る青ざめてゆき……直ぐに己の発言を訂正し謝罪する。


 その後の二人の間には奇妙な緊張が奔り、先程までの様な軽々しい会話が交わされる事は無く……もう迂闊な事は口に済まい、と神妙な面持ちで口を結ぶフェリドの様子に、余りの恐妻家ぶりに独り身であるローレンスは羨望の気持ちが芽生える己に気づき、知らず苦笑する。




 そんな遣り取りが背後で行われていた事など知らぬであろう――――足を止めたエレナの眼前には両開きの大扉が行く先を塞ぎ……先導していた騎士はエレナたちを待たせると一人その重厚な大扉の前へと立つと両手で扉を開け放つ。


 エレナの視界の先、数十人規模の人間たちが参列出来る様に想定され作られたのだろう、謁見の間は扉から赤絨毯が真っ直ぐと敷かれ、段差が付けられた奥の壇上には今は空位となっている領主の座る玉座の如き一際立派な席が設けられている。


 その壇上の下、此方は臨時に用意された事が窺える明らかにこの空間には似つかわしくない木造の長テーブルが置かれ、城内の警備の都合上ゆえ……とはいえ、外部の者たちとの会合の場として開放されている謁見の間はその広さとは余りにも不釣合いなテーブルが一つだけが置かれている空間は、かなりの違和感を感じさせるものとなっていた。


 「商工会からの添え状には正式な使者としてではなく、個人的に儂との面会を求めて、と記されておったのでな……他の者たちは同席させてはおらぬが、それで構わなかったかな、エレナ・ロゼ殿」


 テーブルに肘を添えて座る巨漢の男の姿に、エレナは進み出ると腰を落として膝を付こうとするが、巨漢の男……グレゴリウス・グランデルは右手でそれを制した。


 「儂は既に貴族ではないゆえ、その様な礼は不要だ」

 

 とだけグレゴリウスは短く述べ、エレナとセイルに席を勧める。


 帯剣したままのエレナにグレゴリウスが同席を許した事で、エレナたちを先導してきた騎士は外側から大扉に両手を掛け、軋む乾いた音を広い広間に響かせながら閉まる扉の内側……その両脇に随伴していたローレンスとフェリドが立つ。


 それは何よりこの場での話し合いが始まったという事を示していた。


 「本来ならばエレナ殿の美しさを賞賛の言葉の数々で現したい気持ちはあれど、儂も多忙な身ゆえそう時間も取れぬ……美辞麗句を重ね時間を費やすよりは限りある時間を有意義なものとしたい……御容赦されよ」


 社交辞令は不要、と告げるグレゴリウスにエレナもまた同意を示す様に頷き……瞳に映るグレゴリウスの姿に、巷で噂される気さくで豪快な人物像とは異なるその気配に、エレナはグレゴリウスがこの場に臨む武人としての覚悟と矜持を見る。


 「閣下にご提案が御座います」


 と、口を開いたエレナは飾らず自分の想いの全てを込めてグレゴリウスへと語り掛ける。


 エレナが語る内容はセイルに説明したものと同様のものではあったが、己へとぶつけられるエレナの想いにグレゴリウスは只黙って耳を傾け……最後までその口が開かれる事は無かった。


 「閣下の決断を仰げるのならば、王国との交渉に置いて影ながら我らロダック商会が御力添えをさせて頂きます……加えてエレナ殿の南部域での名声は閣下もご存知の筈……その発言如何に寄っては七都市同盟からの支援も私どもは視野に置いております」


 エレナに加勢する様に発せられたセイルの言葉。


 自由と平等を掲げる評議会にとって市民の声を反映させ議員を選出する議会制を敷くファーレンガルト連邦は形骸化されたその内実は別に置いても、王制や帝政を敷く他の四大国と比べその理念と思想は近しいと云える。


 ゆえに厳しい外交とはなるだろうが、平時であるならば評議会がファーレンガルト連邦からの支援を得られる可能性は十分にあった……しかし、現在ファーレンガルト連邦は七都市の一つ、アドラトルテの奪還を掲げ他国に大規模な派兵を要請し協力を呼びかけている立場……。


 そうした大陸の今の情勢からもオーランド王国からの独立を宣言した『エラル・エデル』に対して七都市同盟が後ろ盾として支援を行う事など……時節が悪かった、と言ってしまえば身も蓋もない話ではあったが、有り得ぬ話ではあったのだ。


 だがそれには普通の方法では……と言う注釈が付く。


 以前から公式の場に置いてエレナ・ロゼという個人に対しての恩義と支持を表明して憚らぬアドラトルテ執政官ラグス・バラッシュを始めとして、エレナの口利きがあるのならば協力を惜しまぬという南部の有力者たちは驚く程に多い。


 エレナからの要請ならば少なくとも七都市の一つであるニールバルナやルーエンといった都市が協力を示す可能性は高く、南部域との繋がりを絶たれなければ『エラル・エデル』の生命線は保たれる事となる。


 グレゴリウスとてそれを考慮していなかったかといえば嘘になる……そうでもなければ如何に商工会からの添え状があるとは云え、評議会議長として多忙な身の僅かな時間を削ってまでこうして一介の傭兵でしかないエレナと個人的に面会の場など設けるなど、それこそ有り得ぬ話であったのだから。


 「アインス・ベルトナー殿がもしご存命であられたならば……その理想の旗の下、我らは共に歩めたやも知れぬ……しかし災厄から既に三年近く……今だ所在が掴めぬ以上、最早それは叶わぬ望みであるのだろうな」


 重々しく開かれたグレゴリウスの言葉にエレナは黙って耳を傾ける。


 「エレナ殿……そなたの言葉は、その想いは耳に心地良く……心に響く事は認めよう……しかしそれは叶わぬからこそ、見果てぬ夢だからこそ焦がれ抱く甘い幻想に過ぎない」


 グレゴリウスは断じそしてエレナを真っ直ぐに見つめる。


 「夢を幻想のまま終わらせぬ……それがアインス殿を始めとして未来を信じ散って逝った英霊たちに報いる為に想いを託された我らの使命……だからこそ形として残さねばならぬ、成さねばならぬのだ」


 「それは違う……彼らが真実望んだモノは、一人ひとりが悩み間違えながらも……それでも変わろうと願う人々の強さ……」


 何度踏みつけられようが枯れた大地に種を残し、また何時の日にか芽吹き花を咲かせる草木の様に強く生きる人々の姿にこそ夢を見た。


 「平和な世を望み求め、己の内から湧き上がる想いを親が子に……子が孫に伝え託しながら答えを捜し求めるその過程こそが何より尊い未来への可能性……」


 エレナの揺るがぬ黒い瞳とグラゴリウスの眼差しが真っ向から対峙する。


 「家族の為、大切な者たちの為に今を必死に生き抜いている人々に誰かの勝手な理想を押し付けて良い筈がない……犠牲を強いて良い筈がない……過程を省き求める結果の先に、希望に縋る無辜の人々の血で染まった道の先に救いなど有りはしない」


 譲れぬ信念の下……同じ理想を抱く者同士ゆえに、エレナもグレゴリウスも互いに退く事が出来ぬ一線が其処には在った。


 謁見の間に流れる沈黙は両者の埋まらぬ溝を現わすが如く深く重く――――。


 「これ以上話し合う事柄はないようだ」


 告げられたグレゴリウスの言葉は交渉の決裂と終わりを意味していた。


 「エレナ殿、そなたがこの街に留まる自由は認めよう……しかし貴殿がもし不穏当な発言や民を扇動するが如き行動を見せた場合は此方としても断固とした対応を示さねばならなくなる……お互いの為にも早急にこの街を離れる事をお勧めする」


 無碍も無くそう言い放ち席を立ったグレゴリウスは……だが不思議とその心は晴れやかなモノあった。


 例え全てが潰えたとしても未来を託せる若者たちがこうして此処にも存在する……。


 それは決して口には出せぬ身勝手な想い……だがグレゴリウスにとってそれが確かな救いであった事だけは間違いない。


 瞳を伏せたまま席に座るエレナと立ち去るグレゴリウスの距離は離れ往き――――二人の歩む道が完全に別たれた事を示すかの如く、其処には呼び止める声も、掛けられる言葉も無く、互いに背後を振り返る事すらなかった。

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