175話


 「出兵まで後三日……悪戯に事を荒立てず放置しておいても良かったのではないのか、ラザレスよ」


 「閣下、大事の前の小事と侮り軽視すれば足下を掬われかねない……古来より歴史がそれを証明しております……我らの大願成就の妨げに、また、閣下が新たに行われる統治にあの娘は影を落とす不安要素、ならば此処で確実に取り除いて置かねばなりません」


 クラウディア・メイズという存在を知るだけに、それに抗するだけの魅力と求心力を持つ存在がどれほどの脅威になるかをラザレスは実感として知っていた。

 だからこそ、殺せる時に殺して置く、その自分の考えに微塵の迷いも抱いてはいなかった。



 『エラル・エデル』の楼閣の最上階、限られた、選ばれた一握りの者しか立ち入りを許されない貴賓室にラザレスとクラウディアの姿がある。


 そして二人に向かい合う様に座る男は手に持つ杯を傾ける。


 四十代後半であろう男は然したる特徴もない……いや、高位の貴族に多く見られるその体形は特徴と言っても良いのかも知れない。

 摂生などという言葉とは無縁であるのだろう、だらしなく膨れ上がった腹回り、弛んだ二の腕から伸びる手は鍛錬を怠らぬ騎士にはあるまじく擦り傷すらない。

 容姿の美醜を語る前に重量過多なその体重に比して平均的な成人男性の身長と比べても高くは無い男が周囲の者たちに与える印象は……例えて一言、醜悪であろう。


 男の名はハイラム・マーモット子爵。


 司法を司る貴族議会の議長であり、憲兵隊を統括する近衛騎士長。


 加えて出自は王国でも譜代の名門貴族オルドネス家の系譜でもあるハイラムは、領主であるオベリンよりも家の格が勝る。

 ゆえにオルバラス地方は領主派とハイラム派の二大派閥が競い合い、時に血生臭い闘争劇を繰り広げながらも、それが結果的に今のシャリアテの繁栄を築き上げる原動力となっていた事は喜劇とは笑えぬ甚だ皮肉な話ではある。


 「この派兵で領主派の貴族の大半がこの地を離れることになりましょう、この好機、活かさねば次などありません」


 「分かっておる、その為にどれほどの根回しをしたことか……ラザレス、其方も首尾は整っておるのであろうな」


 頬の肉に吊られ只でさえ細い目を更に細めるハイラムにラザレスは用意していた木箱を開き中の書面の数々を並べてテーブルへと広げる。


 それらの書面にはこれまでオベリンが犯して来た国税の横領を始め数々の違法行為の証拠が……それだけではない、領主派と思しき貴族たちの証拠を裏付ける証言と共に署名までされている。


 其処にはオベリンを失脚させるに十分な確たる物証の数々が並んでいた。


 二年――――ラザレスが二年の歳月を掛けて地固めをし財を惜しみなく使い、そしてクラウディアに篭絡させた貴族たち……男たちから得た全てが其処にある。


 「私とて手に入れられなかった物を、者たちを……女とはかくも恐ろしき生き物よな」


 ラザレスとハイラム……本来ならば接点など持てぬ筈の二人の縁を結んだのもまた美しきクラウディアの肢体であり――――差し伸ばされるハイラムの手。


 クラウディアは微笑みを浮かべながらその手を取ると、ハイラムの隣に席を移り握る手をそのままに身を寄せその頬をハイラムの胸へと埋める。


 「閣下、お約束の物を」


 黄金の様な艶やかなクラウディアの髪を愛でる様に、嘗め回すが如く撫でていたハイラムは懐から無造作に取り出したソレをテーブルへと投げた。

 その衝撃で円環状のソレを止めていた紐が解け、書面が広がる。


 それはラザレスとハイラムの名が記された連判状。


 決して表には出さぬ、もし公の場に出れば両者共に身を滅ぼす事となる……それは両者が運命共同体であることを示す証。


 「既に本家を通じて王都での工作は済んでおる、アレが失脚すれば次期領主は私だ、そうなれば私は晴れて伯爵……お前には約束通り領主の権限に置いて騎士爵の称号をくれてやる。後は金で爵位を買うなり好きにすれば良い」


 爵位を持つ貴族たちが何故純貴族と呼ばれるのかには相応の理由がある。

 純貴族たちに仕える家門の従騎士たちは貴族に順ずる資格が与えられる……同じく国に貢献した功労者たちに与えられる騎士爵の称号もまたそれに順じる為に、貴族の扱いを受けられる者と爵位を持つ貴族を明確に分ける為に生まれた言葉だとされていた。


 平民が貴族になる手段……剣を握れぬ者が成り上がる為に残された唯一の方法、それが騎士爵の称号を受ける事であったのだ。


 妻を、子供たちを……家族を戦乱で失いながらも自身は徴兵され地獄の様な戦場へと送られた嘗ての自分の姿がラザレスの脳裏に浮かぶ。

 貴族共は、自分たちは安全な場所に居ながら、机上の遊びを楽しむが如く平民たちを駒の様に戦場へと送り出す。

 剣の握り方すら知らぬ自分たちが最前線へと送られ、希望すら与えられず、夢を叶える事もなく多くの仲間たちが、友たちが名も残せず死んで逝った。

 貴族など所詮は肥溜めに集る蠅と変わらない。

 小さな港街であったこのシャリアテを此処までの都市にしたのは、利権を、甘い汁を貪る様に後からわいてきた貴族どもではない、やつらが奴隷の様に扱う平民である自分たちの力なのだ。


 だからこそラザレスは誓った。

 

 盗賊に村を焼かれ殺された妻や娘の為に、貴族どもの盾となり死んで逝った多くの仲間たちの為に、せめて自分たちの手で育てたこの都市で同じ悲しみを繰り返させぬ為に、目の前に座っている豚も、生まれのみで他者を見下す糞共全てを飼い慣らし、このシャリアテを『エラル・エデル』、悠久の楽園へと改革するのだ、と。


 例え己自身が忌み嫌う醜悪な蠅に成り下がろうとも。


 「有難う御座います、閣下」


 ラザレスはテーブルに置かれた全ての書簡を厳重に管理された金庫へと保管しようと手を伸ばす。


 「それは私が」


 それまでハイラムに侍っていたクラウディアが不意にテーブルへと手を伸ばし――――そのクラウディアの身体を強引にハイラムが引き寄せる。

 結果クラウディアの手に触れた書簡の多くがばら撒かれる様に床へと落ちる。


 ハイラムは一度引き寄せたクラウディアを突き飛ばし、床へと倒れる彼女の上へと覆い被さった。

 

 「閣下」


 「己の身を滅ぼすモノの上で致すというのも一興だとは思わんか」


 ラザレスの眼前でクラウディアを床に組み敷くハイラム……いや其処には人の姿などない。


 其処に居るのは欲情に狂った醜い獣。


 「決行は派兵の翌日、閣下が指揮する憲兵隊が速やかにオベリンの身柄を拘束し、証拠となる書簡は来航予定の魔導船で王都ライズワースのオルドネス家に渡す……それで宜しいですね」


 只の告発では意味が無い……不正を正す正義の志士としてハイラムが立つからこそ残る領主派を押さえられ、また民衆の支持を得られるのだ。

 それがどれ程下らぬ三文芝居であろうと後の統治を円滑に進める為には必要不可欠な儀式であったのだ。


 だが……ハイラムからの返答はない。


 やがて獣の様な荒いハイラムの息遣いと断続的に、だが熱を帯び出すクラウディアの吐息だけが部屋に木霊するとラザレスは無言のまま二人に背を向け扉へと歩き出す。


 背後から途切れ途切れに耳に届くクラウディアの甘い嬌声が、ラザレスには泣き叫ぶ少女の悲痛な叫びに聞こえ、握る手の爪の食い込む皮膚が裂け、一筋流れる血が床へと落ちた。



 


 「そのバッフェルト・タウンズという男を尋問するのが一番確実な選択ではなくて」


 色街を始め歓楽街を有する中央区画とは違い、深夜の商業区画は寝静まり通りには人の姿は余り見られない。そんな商業区画の通りの一つに建つガラート商会の建物は、今だ煌々と明かりが灯され周囲の暗闇を照らし出していた。


 今レイリオの私室にはアニエス、クレスト、アイラ、そして部屋の主たるレイリオが一同に会していた。

 

 「確かに……しかしそれは負うリスクも高う御座います」


 相手は純貴族、しかも憲兵隊の支部長、それ程の大物に手を出すならば最低限先の見通しを、計画を立てて置かねばならない。

 バッフェルトがエレナを害そうとする一連の流れに関与している事は疑い様もない事実……しかしアイラの報告を聞いてもバッフェルトが今回の首謀者とは考え難い。何よりバッフェルトが接点すらないエレナを殺さねばならぬ動機が分からない。


 仮にバッフェルトを尋問して黒幕の名前を聞き出せたとしても、その真偽は不明な上に、真実であったとしても手が出せぬほどの大物であった場合、明確な敵対行動を取った挙句此方が追い込まれかねないのだ。

 

 此処がライズワースやセント・バジルナであったならばガラート商会として動ける幅は広かった……だが店を構えたばかりのこのシャリアテでは人脈も影響力も低い商会の力で、限られた時間の中で出来る事はそう多くはなかったのだ。


 「エレナが敢えて身を呈して囮になったんだ……黒幕を必ず引き摺り出してこの報いは受けさせる」


 レイリオの姿に冷静さを失った、取り乱した様子は見られない……だが瞳に宿る激しいまでの焔がその怒りの、葛藤の深さを何よりも物語っていた。

 それは変わらず無茶をするエレナに対しての怒り、大切な者を直ぐに救い出すことも出来ぬ無能で無力な自分に対する憤り、そして愛しい人があわされているかも知れぬ非道な行為に、気が狂いそうになる程の葛藤を抱えながらレイリオはそれら全てを意思の力で抑え込んでいた。


 「明朝には無実の少女を不当に拘束した憲兵隊に対する抗議運動として支部の前に座り込みの抗議活動が行われる予定です」


 それは先にアイラから報告を受けたクレストが手を回して集めた者たちであり、同様にエレナの名は出さず殺人事件に巻き込まれた無実の少女の噂は歓楽街全体に一気に広まる手筈になっている。


 「同時にバッフェルトと反りが悪い、関係が良好ではない憲兵隊員たちに働きかけ監視させる、出来うるなら干渉させるよう話を進めています」


 これら全ては決定打にはなり得ぬ時間稼ぎ……周囲を動かすことでバッフェルトがエレナを謀殺し難くはなるだろうが、だからと言って絶対に阻止できる訳でもない上に、以前としてバッフェルトの意思次第という不確定要素の解決には至らない。


 「少しでも時間を稼いでいる間に有効な一手を打たないとね」


 「エレナ様を狙う一連の動き……複数の思惑が策動している様に思われます。ゆえにその全てを一度に紐解き解決することは至難の業……限られた時間の中、まずはエレナ様に害意を抱く者の排除を優先させては如何で御座いましょうか」


 「クレスト様、それを見極める方法があるのでしょうか?」


 「アイラ、如何に複雑に思惑が交錯していても何かを得たいと思う人の利が必ず其処には働いているものなのです。枝葉が多く別れていても根は必ず一つ、エレナ様を害する事で一番利益を得られる者は果たして誰なのでしょうか」


 物事をありのままに単純に捉えた時、エレナがこのシャリアテを訪れてからまだ三週間と経たぬ短い時の中、エレナの存在で不利益を被っていた者など、そんな存在など一つしかないではないか。


 エリーゼ・アウストリアの登場で大きく変化を見せ始めている色街の――――。


 瞬間、アニエスの右手が動き、放たれた鋼線が背後の扉を二つに断ち切る。


 音を立てて室内へと倒れる扉。


 突如扉が破壊され、よろめく様に驚いたアイラが数歩後ろへと後ずさり、最も扉の近くに居たクレストはそのまま、すっ、と壁際まで身を引いて薄暗い廊下の闇へと一礼し頭を下げる。


 「招待した覚えは無いのですが」


 闇へと声を掛けるレイリオの言葉に応える様に二つの影が室内へと姿を見せる。


 小太りではあるが身なりの整った男とその背後に影の様に立つ浅黒い長身の男。


 「それは奇遇だ、私も呼ばれた記憶はないのでね、初めましてかなレイリオ・ガラート君」


 お世辞にも友好的とは言えぬ、だが意味有り気で不敵な笑みを浮かべセイル・ロダックはそうレイリオに笑い掛けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る