174話


 「ですから先程から申している通り、彼女の身元の保証は我々ガラート商会が請け負うと、そう申し上げております」


 「話は分かるのだが此方としても大量殺人の容疑が掛かった容疑者を、はいそうですか、と引き渡す訳にもいかないのでね」


 夜の帳が降りた繁華街の外れ、憲兵隊の支部の応接室でもう何度目になるのだろうか、不毛と思える問答が繰り返される。

 応接室に備えられた長テーブルを挟み向かう合う男女。


 「容疑者と言われますが目撃者も居ない、武器も携帯してはいなかった……何よりあの様な年端もいかぬ少女が宿に居た十人以上もの成人の男女を殺めることが出来たと、まさか本気で信じておられる訳ではありませんよね」


 エレナの身柄の引渡しを求め支部を訪れていたアイラ・ボーデンは別の角度から話を切り出す。

 客観的な目線から見ても今回の事件で憲兵隊がエレナを保護した、というのならば話は分かる……だが拘束したとなれば、それは道理に合わないと言わざるを得ない。

 あの場に居た唯一の生存者などと言う希薄な状況証拠を理由に拘束にまで至った憲兵隊の対応はアイラには俄かには信じられない暴挙以外の何物でもない。


 「容疑を晴らすためにも彼女には説明なり弁明なりをして貰いたいんですがね、しかし彼女は此方の質問には一切答え様とはせず黙秘を続けている……こうなると我々としても疑いを持たざるを得ない……そうは思いませんか」


 「寧ろ逆なのでは? 年頃の少女があの様な惨劇の場に居合わせ一部始終を目撃していたとしたら、錯乱し記憶が混濁して正常な判断能力を失っている可能性は十分に考えられます……黙秘、と言われますが、それは心身に異常をきたした為に発症した言語障害だとすれば早急に医者の――――」


 「いい加減少し黙れ!!」


 此処まで最低限の礼節を守ってきた男の仮面が外れ、苛立った男の怒号が応接室に響き渡る。


 束の間、応接室は沈黙に包まれる。


 アイラが大人しく口を閉ざす姿に男は満足したのか、おっと失礼、と謝罪などとは呼べぬが、本気で機嫌を損ねた訳ではない、と安心させるかの様におどけた様子を見せるが、男の唇の動きを読んでいたアイラは発せられなかった言葉の続きを正確に読み解いていた。


 平民の糞女が、と続く男の呟きを。


 男の名はバッフェルト・タウンズ。


 憲兵隊を束ねる五人の隊長の一人であり、この歓楽街を含む中央区画を担当する支部を統括する支部長……そして男爵位を持つ純貴族。


 この短い会話の中でアイラはバッフェルトの性格と人となりをほぼ完全に把握していた……旧時代的な慣習を尊ぶ古風な貴族、と言えばまだ聞こえは良いが、内実は気位が高く、自意識過剰で選民意識に凝り固まった……典型的なクソ野郎。


 辛辣なアイラの評価ではあったが、バッフェルトが時折見せるアイラを見下す様な眼差しは同等の人間……いや、人と見ているかすら疑問を抱かせるほどに違和感を感じさせる、嫌悪感を抱かせる眼差しである事だけは間違いない。


 「もう一つだけ宜しいでしょうか?」


 アイラは敢えて声の調子を落とし、意図して上目遣いにバッフェルトを見上げる。

 己の一喝でアイラが自分に怯え、一転して媚を売るかの様な眼差しに、自尊心を擽られたバッフェルトは満更でもなさそうな表情を浮かべ、どうぞお嬢さん、と右の掌を翳し続きを促す。


 「死亡した者たちの中に数名、後ろ暗い、表に出せぬ種の人間たちが居たと聞き及んでいます……その者たちの諍いに巻き込まれたという可能性はありませんか」


 「それは鋭意捜査中だ」


 まだこの話を続けるのか、と面倒そうに短くバッフェルトは答える。


 「本来であれば私自らがこうして話を聞く事自体が異例と言えるほどの対応なのだよ、それは一重に貴女が所属する商会が今後この街の発展に寄与出来る有望な店子であると判断しての、言わば特例的な処置であると理解して頂きたいのですがね」


 「勿論で御座います……バッフェルト様の御恩情と御配慮は私アイラ・ボーデンを始め主レイリオ・ガラートも言葉に尽くせぬほどの感謝の念を抱いております」


 語られる言葉とは真逆の感情を胸中に抱きながらも、しをらしい淑女然とした対応を見せるアイラの心の内を見通せる者が仮にいたとするならば、その者は恐らく女性不信に陥っていたことだろう……女とはかくも恐ろしい生き物なのか、と。


 話は終わりだ、と席を立とうとするバッフェルトの前にアイラは懐から取り出した二枚の書面をテーブルに並べ差し出す。


 胡乱げな眼差しでそれに目を通すバッフェルトであったが、書面に書かれている内容に目を見開き、浮かし掛けていた腰を椅子へと落としてしまう。


 二枚の書面……それは商工会が発行する正式な誓約書と契約書。


 不履行が許されない重要な商談や高額な取引に用いられる、商人たちにとっては違う事が許されぬ強制力を持つ書面には二つの記述がされていた。


 誓約書にはエレナ・ロゼの身柄の引渡しの条件として保釈金を支払う旨と共に、もし今後エレナ・ロゼが重大な犯罪行為を犯した場合、その全ての責任をガラート商会が負うという事。


 契約書はバッフェルト宛であり、保釈金の三割に当たる金額を労を取ってくれたバッフェルトに対して支払うものであり、保釈金の額についてはバッフェルトに一任するという事。


 常識を疑う冗談染みた提案を前にバッフェルトは動揺を隠せない。


 仮にバッフェルトがガラート商会が支払いきれぬであろう法外な額を提示したとしても、商工会の刻印が刻まれた書面の強制力は効力を有し例えどの様な形になろうとも支払い義務からは逃れる事は出来ない。

 無論、支払えぬ額などを要求しても結果的にバッフェルトには得る物は少ないのだから、その額はより常識的なものにならざるを得ない。

 当然それを見越してのこのガラート商会の提案なのだろうが、その事実がバッフェルトに現実感を与え、予期せぬ大金を得られる好機を前にして千々にその思考が乱れる。


 「バッフェルト様の恩情に縋らせて頂く私どもからのせめてもの感謝の気持ち……どうかお受け取り下さい」


 甘く艶っぽいアイラの声音は耳元で誘う悪魔の囁きにも似て――――バッフェルトの手が無意識にテーブルに置かれた書面へと伸ばされる。


 「き……今日はこれから所用があってな……この件以外の相談事であるならば後日別に席を設けて貰っても構わんと、そう会頭殿に伝え置くように……よ……良いな?」


 不意に手を止め立ち上がったバッフェルトは狼狽した様にそのまま部屋を出て行ってしまう……まるでこのまま此処に居ては自制が効かなくなると言わんばかりに。


 バッフェルトを止める機会を逸したアイラは一人応接室に残され……想定していた事態の中でもより深刻なこの状況に整った眉を顰める。

 アニエスから話を聞いた通り、この件がエレナに狙いを定めた何者かの思惑が働いている事は最早疑いようがない。


 本来ならば金で動く輩がその金の力でも動かない……その理由など、行き着く答えなど一つしかないからだ。


 より強い別の力が働いている……それもバッフェルトの様な男に大金を棒に振らせる様な大きな力が……。


 「レイリオ様にご報告を……いえ、クレスト様にご相談する方が先ね……」


 最優先されるべきは今後の方策と事態の打破……ならばこうした案件に関してはレイリオよりもクレストの方がより適切な判断を仰げるであろうと即座に決断する。

 

 主への報告が事後報告になるなど本来ならば有り得ぬ不調法……だが、優先させねばならぬ事がありながら、それを怠る者を誰よりも嫌うレイリオの性格を知るアイラの表情には微塵の迷いも見られなかった。




 応接室を後にしたバッフェルトはそのまま支部の地下に設備されている牢獄へと続く通路を一人歩いていた。その機嫌はすこぶる悪い……だがあれだけの大金を棒に振ったと思えばそれも致し方ないとは言える。


 バッフェルトには断らざるを得ない理由があった……何故ならば既に厳命が下っていたのだ。


 拘束した少女を速やかに処分せよ、と。


 しかしアイラも、そして命令を下した人物ですらもバッフェルト・タウンズという男の本質の部分を見誤っていた……バッフェルトは少なくともこの支部内で少女を……エレナ・ロゼを殺すつもりはなかったのだから。


 今回の事件は公にはせず極秘裏に始末をつけてしまう手筈になっていた……しかし現場の余りの惨状に、その陰惨さゆえに、表には出ずとも支部内ではもうこの事件の事は広く知れ渡っている……当然、事件の担当をバッフェルトが自ら買って出たことも、だ。


 そんな中でエレナ・ロゼという少女が牢獄で不審死などされては困るのだ……そんな事になれば全ては担当責任者たる自分の不始末と、責任となる。

 この先に約束されている栄達の……輝かしい人生の……その経歴に汚点を残すことだけは如何してもバッフェルトには許容できない、我慢ならない事であった。

 

 だからこそバッフェルトは合法的に少女を殺すために別の手段を講じる事にしたのだ。



 壁に掛けられたランプの明かりだけが薄暗い、じめじめとした地下の通路を淡く照らし出す。

 通路を挟み向かい合う様に並ぶ牢の更に奥、通路の突き当たりの鉄の扉を開くと其処には隔離された牢獄があった。

 

 牢獄の格子の前には憲兵らしき二人の男の姿がある。

 バッフェルトは家門の従騎士である男たちの下へとそのまま歩みを進めながら格子の奥、牢の中へと視線を送る。


 無骨な石造りの壁と床、寝台すら無い牢獄の天井に備え付けられた長い鎖が床へと垂れ下がり、少女の……エレナの両手首を拘束する鉄の手錠へと繫がれた鎖が細いエレナの両腕を上方へと吊り上げている。


 上体を引き上げられているエレナの身体は仰け反る様な姿勢を強制され、硬い床の上で両脚だけで体重を支えねばならないこの姿勢はそれだけで苦痛を伴う……最早それは拷問であった。


 「自供は取れたのか?」


 「いや……それが恐ろしく意思の強い女でして……」


 と、男の一人が苦しげな言い訳をする。


 「薬はちゃんと投与したのだろうな」


 「勿論です、それこそ許容量一杯まで」


 男の言葉にバッフェルトは驚いた様にエレナへと視線を戻す。


 意識を失っているのだろうか、力無く頭を下げ、長い黒髪が顔を覆い隠していた為にこの場からではバッフェルトにエレナの表情までは窺えない。


 憲兵隊といえども使用する為には幾つもの許可を必要とする自白薬……それは色街で女たちを従わせる手段として調合された麻薬の一種……快楽を伴う肉体的変調と共に思考を混濁させ他者の言葉を意識に刷り込む、言わば強力な催眠導入薬である。


 それを人体の許容量一杯まで投与されて尚、従わぬなど、抵抗できるなど、その効力を知るバッフェルトにしてみれば信じ難い話であったのだ。


 「これ以上投薬を続ければ良くて廃人……悪くすれば死んでしまいますが」


 どうしますか、と言わんばかりにバッフェルトにもう一人の男が目で訴えてくる。


 薬を使えば自白など直ぐに取れる、供述書に犯行を認める記述をさせ署名させてしまえば晴れて大罪人……いくらでも処理のしようがある、と高を括っていたバッフェルトは予想外の出来事に動揺を隠せずにいた。


 「と……兎に角、時間を見計らい薬の投与を続けろ……水も食事も最低限度に抑えて構わん、体力を回復させてやる必要はないからな」


 男たちは頷き、直ぐにエレナへと視線を向ける……欲情した獣の様な眼差しを。


 「それと女には絶対に手を出すなよ、これだけはきつく申し付けておくぞ」


 それに気づいたバッフェルトは念を押しておく。


 どうせ殺す女なのだから部下たちに楽しませて……自分も楽しんでから殺しても良いかとも考えもしたが、死体の検分の折に女の身体に乱暴の痕が残っていては流石に不味いと直ぐに気づき思い直していたのだ。


 バッフェルトの言葉に情け無さそうな、お預けを食った犬の様な表情を浮かべる男たちではあったが、バッフェルトが自ら選びこの件に関わらせた男たちだけあってか、言葉に出して不満を口にする者はいなかった、


 多発する犯罪と生じる冤罪の多さゆえに、光と影、二面性を併せ持つシャリアテという都市ゆえに確立された司法制度が、歪み凝り固まった性質を持つバッフェルトの二重の足枷となっていた事は間違いない。

 

 闇から闇へ……例え疑惑や疑念を持たれ様が強引に事を処理する影響力と力を持つバッフェルトであっても、公にエレナを裁こうとすれば多くの手順を踏まねばならず、筆跡を確認される供述書を始め独立性の高い審問官たちを前に本人に告解させる必要性もある。

 

 エレナにとって幸運であったのは、そうした周到な事前準備や抱き込み工作を行える時間的猶予が与えられぬほど、バッフェルト本人にして見ても性急かつ突発的な事案であったことであろうか。


 だが計画性が無い故に、熟考した末での判断では無いが故に、比して多い障害を前にしていつバッフェルトが翻意してもおかしくはない。

 肥大した虚栄心と事の容易さを天秤に掛けた時、危うく揺れ動くその秤がどちらに傾くかなど本人にしか分かりはしないのだから。


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