第152話


 「そう言えば、この街で懐かしい顔を見かけたな」


 ロボスに宛がわれた宿に併設されている酒場で酒を飲み交わしている砂塵の大鷲と天壌の焔の傭兵たち。

 相対的な数の差がそうさせている一面はあるとは言え、言葉数も少なく、黙々と酒を呷っている砂塵の大鷲の傭兵たちの雰囲気に引き摺られ、天壌の焔の傭兵たちも酒の席だというもに羽目を外すことも出来ず、その顔には其処か白けた様子が垣間見えていた。

 最も魔物の群れを掃討したことで一応の体面は保てたものの、守るべき対象を救えず、結果として依頼は失敗に終わっていたのだから、そう馬鹿騒ぎも出来ない、という自覚もまた彼らの中にあったのは間違いない。

 そんな酒場の雰囲気の中、ヴォルフガングを前に会話に詰まったクルスはそんな事をぽつり、と呟いていた。


 「カルヴィン・フェルスの事か」


 「なんだ、お前も奴の事を知っていたのか」


 カルヴィンが共通の顔見知りであると告げられたクルスは少し意外そうな表情を見せる……こういっては何だがヴォルフガングが余り他人の顔や名前を覚えるのが得意な種の……まめな人間には見えなかった為だ。


 「俺は元は南部の傭兵だぞ、南部三傑の名前と顔くらい知っていて当然だろう」


 ヴォルフガングの言葉に今度こそ本当にクルスは驚きの声を上げる。

 災厄以前、幾つかの戦場で顔を合わせた事があったカルヴィンが、それ程の有名人である事をクルスは知らなかったからだ。


 子供を中心に大人を巻き込んで流行っている言葉遊びがある。


 英雄はだれぞ、と一人が問い、他の者たちが次々と名を上げていく単純な遊び……だが最初に挙がる名は決まっている……その名は救世の騎士アインス・ベルトナー。

 それは申し合わせた訳ではなく、大陸全土、誰に問うてもアインスの名から始まり次へと続いていく。

 それだけ大陸の人々にとって災厄の魔女を討ち滅ぼしたアインスの名は絶対的な存在として心に刻み付けられているのだ。

 だがアインスに続く名は国や地方によって様々に変わってゆく。

 ロザリア帝国で問えば、天剣アンリ・アメレール、剣聖ヘクター・ハーヴェルと続き、ファーレンガルド連邦では南部三傑の名が順序こそ変われど必ず挙げられていく。


 アスボルト・リーゲン、フラウス・ワグナー、そしてカルヴィン・フェルス。


 動乱期、ベルサリア王国やロザリア帝国との大戦で名を馳せ、災厄の混迷期には現在の七都市同盟の礎を作る為に奔走した南部域の人々にとって比類無き英雄たち……彼らを南部域の人々は敬意と尊敬を込め南部三傑と讃えた。

 大陸の北と南という距離ゆえに動乱期においても戦火を交えたことのない北部域の人間たちには馴染みの薄い名ではあるが、彼らが今尚、大陸にあって指折りの勇士たちであることは間違いない。


 「アイツが南部の英雄ねえ……それにしても随分と面変わりしたものだな」


 確かにカルヴィンは腕に立つ傭兵であった、という記憶がクルスにはある。

 しかしクルスの記憶に残るカルヴィンの姿はこの街で姿を見かけたカルヴィンとは別人と言って良い程に印象が異なる。

 刹那を生きる傭兵たちの多くが戦場を共にする仲間に対して、数時間前に出会ったばかりの者たちと肩を組み酒を飲み交わすほどの気安さを見せる。それはいつ命を失うかも分からぬ稼業にあって、その背を預けるかも知れぬ者の人となりを知ろうという思惑と、それとは別に一期一会の出会いを大切にする傭兵という人種特有の価値観ゆえでもある。

 だがクルスの記憶の中のカルヴィン・フェルスとは、そうした傭兵同士の輪から離れ、黙々と一人酒を飲む様な孤高然とした寡黙な男という印象が強い。現にクルスは幾度かカルヴィンに話し掛けたことがあったが直ぐに会話が途切れてしまうような、そんな不器用で無口な男であった。


 「人様の事に関心を寄せられるほどの余裕があるとは、流石に序列一位様は貫禄が違うな」


 酒瓶を片手にクルスをにやにやと眺めるヴォルフガングの顔にはその言葉とは相反してクルスに対する敬意などは微塵も見られない……つまりはただの皮肉である。

 

 剣舞の宴の本選でアニエスに、そして決選でエレナに敗れているクルス、ギルド内でも明らかに別格であったベルナディスの存在を含め、少なくとも身近にクルスが勝てぬ相手が三人も存在している。

 エレナたちがギルドを離れ、序列が返上された為に遠からずクルスに与えられる事になる序列一位の座……だがそれはベルナディスが君臨しエレナが手にした最強の座とは程遠い、安物の赤石が施された紛い物。

 無論クルスもそれを十分に承知した上で、手に出来る物は全て手に入れる、利用出来る物は利用すればいい、と物事を割り切って考えている。

 この世界に自分以上の強者が存在しないなどと……譲られた序列など受け入れられぬなどと、子供じみた意地を張るつもりはクルスには毛頭ない。

 良くも悪くもクルスは動乱の大陸を生き抜いた経験豊富な熟達した傭兵であった、故にこの程度の煽り文句に一々腹を立てる様な事は普段は決してないのだが……。


 「まったくお前さんの言う通りだヴォルフガング……俺には荷が重い、だから代わって……おおっと、決選にも進めず本選でぽんでの小僧に破れちまったお前に頼めるような話ではなかったな、忘れてくれよ、熊野郎」


 そう笑顔で切り返すクルスにヴォルフガングは不機嫌そうに酒を呷るが、これ以上この話題を続ける気はお互いなかったのだろう、舌戦が始まる、といった気配は二人の様子からは感じ取れない。


 「お前ら、明日の船でライズワースに戻るつもりなんだろう、なら身の回りには注意を払っておけよ」

 

 別の切り口で嫌味を言われるのかとクルスは身構えるが、ヴォルフガングの調子に含まれた真面目な気配に、その意図が分からずクルスは困惑する。


 「どういう意味だ」


 「そうか……お前には分からねえか……エレナが周囲に与える影響が、エレナ・ロゼという少女と深く関わった者たちにとってエレナがどういった存在なのかをな」


 恐ろしいまでに美しく、そして同様に恐ろしく腕の立つ魅力的な少女……だがそれだけだ。クルスにとってエレナとは試合で剣を交えただけの存在……確かに興味は惹かれはしたがクルスにとってはヴォルフガングの言葉の意味を理解出来るほどの思い入れがエレナにはない。


 「考えても見ろ、依頼人が……一介の商人が俺たちを雇うのに一体どれ程の金を使ったのかをな」


 依頼の為に協会に払った手数料、ギルドの活動範囲外であるこの地にヴォルフガングたちを派遣する為にギルド会館に支払われたであろう金銭……渡航が禁止されていたセント・バジルナからの船の出港許可と手配。


 一個人が一個人を救う為に一体どれ程の額の金が動き使われたのか。


 「見送りに来た爺さんが最後になんと言ったか覚えているか」


 ――――失敗は許されませんのでどうか宜しくお願い致します。


 クルスの脳裏に浮かぶのは深々と頭を下げた身なりの整った初老の男。


 「冗談……だろ」


 この段階でようやくクルスはヴォルフガングの言葉の真意に気づく。

 確かに依頼は失敗したかも知れない……だが自分たちはそれを補うだけの成果を上げている。それに依頼の成否は水物だ……例え万全の状態で挑んだとしても絶対など有り得はしない……後ろ暗い、表に出せぬ依頼とは違い協会とギルド会館を通した正規の依頼で依頼の失敗を理由に命を狙われるなど、そんな馬鹿げた話聞いた事もない。


 「依頼の失敗を理由に報復なんてのはただの逆恨み……そんな事をすればギルド会館も協会も黙っちゃいない……でもな金さえ積めば裏で幾らでも事が運べるってもんさ」


 「そんな事をして依頼人に何の得がある……仮にも商人であれば事が露見すれば身の破滅、たった一人の女の為に其処までやるってのか」


 「だからお前は分かってねえって言っている……まあ、俺たちはエレナの護衛でもう暫くこの街に残る……帰るお前らは精々周囲に注意を払ってな」


 クルスたちの動向を確認してから自分たちは身の処し方を決める……暗にヴォルフガングはそう臭わせていた。元々ギルドという仕組みに執着の薄いヴォルフガングならば、もし面倒事が起きたならこのままオーランド王国を離れる事も考えているのかも知れない、とクルスには思えた。

 無論自分たちはヴォルフガングたち砂塵の大鷲の様には行く筈もない。


 「最後に忠告しといてやるよ、あの爺さんは相当やばいぜ」


 本来ならば一笑に付す様な馬鹿げた話……ヴォルフガングの法螺話……だがクルスは笑えない。

 ヴォルフガングのふざけた様な眼差しの奥に秘める真実の色に、砂塵の大鷲の傭兵たち……百戦錬磨の男たちが見せているお通夜の様な沈んだ雰囲気に、笑い飛ばせない確かな何かをクルスは感じていた。


 「頼むぜエレナ・ロゼ……」


 クルスは天を仰ぎ、一度は断ったロボスの依頼を受ける事を心に決めるのであった。


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