第135話


 自警団の朝は早い。

 薄っすらと滲む様な朝焼けの空の下、今は仮の棲家として暮らす宿の中庭に年若い少年、少女たちが集まり各々与えられた作業に従事していた。

 街に備蓄されている物資の中から非常時に当たり一部配給制となっている品々、宿の食料庫へと一部集められていたそれらの物資を幾つかの荷馬車へと積み込んでいる者たち。

 街の全域に渡り活動を行うには警備隊の絶対数が少なく、その負担の軽減を主目的とした補助業務を受け持っていた自警団が行うそうした伝達事項の確認を行っている者たち、と子弟たちが分担して行っている活動は多岐に渡る。


 長かった金髪を肩までに切り揃え、育ちの良さが現れた品の良い整った顔立ちをした少女もまた額に汗を滲ませ両手で木箱を抱え作業に従事していた。

 

 木箱を荷馬車の荷台へと運び、自身の額に流れる汗を手で拭う少女、リリアナ・リュクスは自分と同じ様に働く同年代の若者たちへと視線を向け周囲を見渡す。

 この生活が始まってから七日が過ぎ、目に見えて変わったことがある。

 当初は不承不承……嫌々参加していた感が否めなかった皆の表情が明らかに最初の頃とは大きく異なっていた。最早日課となってるこの早朝の活動一つ取って見ても、初めの二日間は半強制的に集められ、誰一人自主的に集まろうとする者はいなかった。

 それが今では全て、とは言わないまでも大半の者たちが率先して行動し時間前には集合を終えている……それだけを見ても皆の意識の変化を感じるには十分な出来事といえる。

 皆の心境の変化……自分もその一人であるリリアナにはその理由が理解出来る。

 簡単に言ってしまえば与えられた活動を通して生まれた責任感と街の人々との交流……そのことに尽きるだろう。

 たった十三年から十五年……その程度の人生経験の中で受けてきた教育……そして大きな責任もなく何不自由なく与えられる者として生活してきた自分たちが、知識として貴族たちにただ奉仕するだけの存在でしかなかった街の人々と直接触れ合い、其処で生まれた責任感が彼らを変えていったのだ。

 何かに奉仕し、その対価として得られる純粋な感謝の気持ち……役割を与えられ、それを成し遂げた時の達成感……それらはこれまで感じることのなかった充実感を自分たちに与えていた。

 

 来年成人の儀を迎えるリリアナは知識としてだけではあったが、王国の……いや、大陸の図式というものを自分なりに理解しているつもりでいた。


 それは極々単純で……それ故に酷く難解な……。


 大きく分けてこの大陸には二通りの人間しかいない。

 搾取する側の人間と搾取される側の人間だ。


 単純に貴族という階級に身を置く者という意味ではなく、それは商人であろうが傭兵であろうが、職種や身分に関わりなくこの両者に大別される。そして自分たちは間違いなく前者の存在であり、今自分たちが奉仕の対象として活動している人々は後者に分類される者たち。


 だがリリアナはこの活動を経て気づかされていた……直接触れ合い接する彼らは脆弱で自分たちに比べ劣る存在などではないことに……それどころか彼らが居なければ自分たちこそが存在する意味も意義もない、ただの虚像の様な存在であることに。

 

 特権を有するという事は、それに伴うだけの責任もまた有するという事なのだ……何故ならば彼らの存在なくしては生きられぬ我々だからこそ彼らを守ることで自分たちをもまた彼らから守られているのだ。

 

 まだ幼き頃、侍女の一人に裸で街を歩く王様の物語を聞かされたことがあった……当時はただそのお話が面白く楽しげに聞いていたという思い出しかなかったが、今にして思えば彼女はそのお話を通して自分に何かを伝えたかったのかも知れない、とリリアナはふとそんな事を考えていた。


 「まだ荷物が残っているのに手を休めている暇なんてないぞ リリ」


 肩越しに掛けられた声にリリアナは振り返る。


 自分と同い年である見知った少年、クロイルが咎める様な眼差しをリリアナへと向けるが、僅かに逡巡し疲れたのならせめて物陰で休んでいろ、とぶっきら棒にそれだけ告げるとリリアナの傍を離れていく。

 その背中を見つめリリアナは思う。

 誰よりも変わったのはやはり自分と同じ小隊の仲間であるクロイルたちであろうか、と。


 あの日を境にクロイルたちのレオニールやリリアナに対する嫌がらせは鳴りを潜め、それどころが一定の配慮や気遣いの様なものまで二人に対して見せるまでになったいた。

 今現在においても小隊内にまったく不和がないかといえば嘘にはなるが、それでも以前のような陰湿な雰囲気はなく小隊として大きく改善されてきていることだけは間違いない。


 以前のクロイルからは絶対に聞かれなかったであろう、他者を気遣う様な言葉……その確かなクロイルの成長を目にし、同時にリリアナの脳裏に一人の美しい少女の姿が浮かぶ。


 エレナ・ロゼ。


 まるで神話やお伽噺の中から現れた様な可憐で美しい少女……彼女の存在がクロイルたちに大きな影響を与えたことは想像に難しくない……そしてレオニールにも……。


 リリアナは彼女のことが嫌いであった。

 男たちがエレナという少女に憧れるのは理解できたし納得もしている。

 美しい容貌、常人の範疇を越えた剣の腕、全てにおいて規格外の少女……そんな少女に対して憧れを抱かぬ方がおかしい。


 しかし……いやだからこそリリアナは彼女が恐ろしかった。


 自分と同年代の少女が見せる異常としか思えぬ力に……凡そ揺らぎを感じさせぬ老成したその物腰に……リリアナは得体の知れぬ不気味さと恐怖すら感じていた。

 

 魔物を支配し大陸を滅ぼそうとした災厄の魔女カテリーナ。


 リリアナにとっては空想上の人物と変わらぬ魔女の姿とエレナの姿が重なり……魔女も元はこんな人物であったのでは、と何ら根拠すらない憶測だけの想像が先走る。


 馬鹿馬鹿しい……。


 エレナを忌まわしき魔女と同列に並べる自分の愚かさをリリアナは笑う。

 流石に災厄の魔女と比べるなどエレナに対して余りにも無礼であろう。


 嫉妬や対抗心……自分でも浅ましいとは思うが男たちとは違い、同性の自分にはそうした負の感情をエレナに対し抱いている事は否定しようもない事実であり、それがこのような下らぬ妄想を生むのだとリリアナは自戒する。

 

 「クロイルに何か言われたのか、リリ?」


 自身の思考の内に囚われていたリリアナは赤茶けた少年の、自分を心配そうに見つめるレオニールの瞳に気づき笑顔を向ける。


 「なんでもないわ、心配しないでレオ」


 幼き頃より共に過ごしてきた心優しき少年、レオニール。

 しかし二人の関係は幼馴染や友人と呼ぶには些かそぐわぬものであった。

 リュクス家はマドラー家と並び代々クライフ家の傍近く仕える譜代の名家であり、王都で職務にも就けずリュクス家に拾われる形でトルーセンへとやってきたレオニールの家とでは同じ貴族といえど、家の格が違う。

 主従とまではいかずとも、両家には明確な格差が存在し、幼少の折には等しく遊んでいた二人の関係も年を追う毎に変化を重ね、その認識も変わっていった。


 リリアナはレオニールに対して淡い恋心を抱いている……だがそれが実らぬ恋であることをリリアナは理解していた。

 今はまだ友人として傍にいる事は出来ても、来年二人が成人を迎えれば確実にその関係は崩壊する。

 レオニールが正式に騎士の称号を得れば、他家の人間としてリリアナに対して敬称を付けて呼ぶ様なそんな日が必ずやって来る……互いに敬称で呼び合うそんな未来を想像しリリアナは身震いするような恐怖と不安に襲われる。

 だがそれは妄想や杞憂ではなく確実に訪れる確定した未来。

 レオニールは騎士としてトルーセンの騎士団に所属するか、王都の準騎士団に志願するか、どちらにしても二人の歩む道は大きく別たれる。

 リリアナにしてもリュクス家に連なる、または懇意にしている何処かの貴族の子弟の下に嫁ぐことになるだろう……望まぬ婚姻であろうと、それが貴族の家に生まれた者の勤めであるのだから……。

 レオニールの栄達を望みはすれど、身分が釣り合うまで待てるだけの時間がリリアナにはない……だからこそ添い遂げることが出来ぬ恋ならば、この想いは諦めねばならぬものであったのだ。


 「午後からは協会の手伝いだと聞いているし、きつい労働ではないだろうからお互い頑張ろう」


 レオニールの気遣う様な眼差しにリリアナもまた笑顔で応える。

 リリアナは気づいている。

 自分の身を案じ気遣うレオニールの瞳に宿る諦めの色を。

 それは自分と同じ……そうした種の想いであると。

 だがその対象がその想いが決して自分に向けられたものではないことが、リリアナの胸に小さな棘となって突き刺さる。

 諦めると、叶わぬ恋であると、そう理解しながらもリリアナの胸に湧き上がるのは……多感な年頃の娘が抱く嫉妬というごく自然で人間的な感情であった。



 

 トルーセンの協会支部は大通りに面した一角に存在していた。

 ライズワースのギルド会館やセント・バジルナの支部と比べる事は街の規模を考えても甚だ無意味なものではあったが、トルーセンの経済力とは無関係に協会の財力と王国からの支援の下建てられたその建物は、領主邸や子弟たちが滞在する宿屋といった、トルーセンでも指折りの建造物と比較しても群を抜いて立派な佇まいを見せる建物であることは間違いない。


 利便性を重視したのであろう、通りに面し横に長い三階建ての協会支部は一階部分が全て受け付けや支払い、相談業務を行う為の広大な広間となっていた。

 だが以前ならば仕事を求める傭兵や、依頼者たちで賑わいを見せていた広間は今は閑古鳥が鳴くほどの静けさに包まれている。

 依頼主の大半を占める商人や街の有力者たちがセント・バジルナへと避難している現状では、協会を通して依頼を行う者など居る筈もなく、また依頼を受けるべき傭兵が今このトルーセンにはエレナとアニエスの二人しか存在しないのではそもそもが成り立つ話ではなかったのだ。

 人も疎らな大通りに比例して協会はその機能の大半を失っていた……だが業務そのものがまったく無い訳ではない……いや、協会に派遣されたリリアナたちはそれこそ駆けずり回る様に残務処理に追われていた。

 住民の避難に当たり、協会に所属する職員の大半もまたトルーセンを去っていた為に、依頼の履行、不履行に関わらず大量の案件が宙に浮いた形で残されていたのだ。

 金銭に関わる問題だけに書類上の処理を怠る訳にもいかず、残された僅かな職員と共にリリアナたちはその処理に追われていた。

 

 街が魔物の手で蹂躙されれば全てが無に帰すのだから、と満足に手もつけず残された案件は膨大な数に及び、直接的な処理や判断の出来ぬ案件は職員たちの下へと回し、リリアナたちは山の様に詰まれた依頼書や報告書を一つ一つ手に取り読み返しながら区分けし分類していく。

 肉体的疲労が余り伴わぬこうした業務に始めは嬉々として取り組んでいたリリアナたちではあったが、夕刻も近づく頃合になもなると、目頭を押さえ手が止まる者、まったく減らぬ書類の山を絶望に満ちた眼差しで呆然と眺めている者、と当初見せていた余裕は失われ、まるで終わりの見えぬ作業にうんざりと頭を抱えていた。


 「リュクス様でしたね? 切りの良いところで受付業務をお願いしても宜しいでしょうか」


 書類へと没頭していたリリアナは背後から掛けられた声に顔を上げる。

 灰色のローブを纏う中年の男性……一見してそれと分かる魔法士の男は協会の職員の一人であった。

 協会内部の一般的な業務を扱う職員たちの多くが魔法とは無縁な市井の者たちが大半を占める中、支部でもそれなりの役職に就く者たちの多くに魔法士たちの姿が見られる。

 そしてある種皮肉な話ではあったが、街に残ることを選択した協会の職員たちの多くは、一般の人々からは得体が知れぬと距離を置かれることが多いそうした魔法士たちであったのだ。


 「分かりました、直ぐに参ります」


 リリアナにも類に漏れず魔法士に対してそうした偏見とまでは呼べずとも、自分たちとは明らかな別種の人間であるという認識は持っている……しかしこの時ばかりはこの魔法士の男に感謝の念に近い感情が込み上げていた。

 受付業務とはいっても依頼者など訪れようもない現在の街の状況にあって、精々訪れるのは領主邸からの使者くらいであろう事を考えても、ただ座っているだけでこなせる簡単な業務である受付の仕事は、いい加減辟易としていた書類との格闘から開放されるまさに渡りに船の申し出といえた。


 少々疲れた笑みではあったが、貴族の令嬢として恥じぬ振る舞いと微笑を湛えリリアナは魔法士の男へと快諾の意思を示す。

 

 だがリリアナは直ぐにそれを後悔することになる。


 受付の席へと移動したリリアナの前に現れた一人の男……その最悪の出会いに。


 協会の入口、忽然と姿を見せた顔すら窺えぬ漆黒のローブを羽織る魔法士然とした姿……まだ受付とは遠く距離が離れているというのに漂うその悪臭にリリアナは不快そうに眉根を寄せる。


 余り馴染みの無い臭い……それはまるで肉が爛れ腐ったかのような腐敗臭にも似た吐き気を催す様な異臭。


 死臭を纏い、不吉と背徳を……不浄の闇を連想させる漆黒の魔法士……その姿をリリアナはその双眸に映し出す。

 

 「支部長殿にお目通り願いたい……」


 受付へと歩みを進めた魔法士はリリアナへと呟く。

 

 凶兆を告げるかの如くかすれ潰れたその声に見上げたリリアナの視界の先、フードに覆われた闇からはその相貌を窺うことは出来ない。

 だがリリアナはその余りの闇の深さに……その余りの不吉さに瞳孔が開く程の激しい恐怖に襲われる。


 「た……ただいま……確認を」


 それだけを呟くのがやっとであった。

 恐れ震える自分を叱咤し立ち上がり廊下を進む自分の背に男の舐め回す様な不快な視線を感じ、リリアナの全身から冷たい汗が流れ止まる事はなかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る