第114話


 トルーセンの港に巨大な船影を残し四隻の軍船が並ぶ。それら戦船の船橋に高々と掲げられる旗はオーランド王国の王国旗。そして七尾の霊鳥ダラーシュを模したルーデバッハ家の家紋が海風を受けはためく。

 街道を撤退中のバイロンからの急報を受けたジルベルトの命により直ぐにセント・バジルナからトルーセン救援の為に騎士団が編成され、魔物襲来の翌朝にはトルーセンの沖合いに騎士団を乗せた軍船が到着していた。

 不測の事態に備え準備は講じていたとはいえ、即応で対応したその速さは異例の速度といえる。

 ジルベルト旗下の家門の騎士のみで構成された騎士団は約五千。

 同時に陸路を辿り派遣された一万五千もの騎士団を合わせれば二万にも及ぶこの救援部隊は、ジルベルトが単独で動かせる兵力の四分の三を越え、この大規模な騎士団の構成の為に二十七家門の騎士たち全てに動員が掛けられていた。


 セント・バジルナの防衛、及び近隣の治安維持を主任務とするジルベルト公爵旗下の騎士団、ダラーシュ騎士団はオーランド王国騎士団とは別にルーデバッハ公爵家が持つ独立した騎士団である。

 だがその構成は二十七家門の貴族たちとその従騎士たちで構成される混成部隊であり、指揮命令系統はジルベルトを頂点としてより高位の貴族たちが順に名を連ね、幾つかの騎士団が混在するダラーシュ騎士団として行動する場合においてはその場で最も位の高い貴族が全体の指揮権を有する。


 トルーセンへと派遣されたダラーシュ騎士団の指揮権を持つ数名の高位の騎士たちが、港に停泊中の軍船……その旗艦の船橋へと集まっていた。

 それは今後の方針を話し合う為ではあったのだが、予期せぬ……予想外のトルーセンの状況を再度確認するという意味合いも多分に含まれている。


 「朗報……ではあるのだがな……」


 口を開いた騎士の表情に浮かぶのは困惑と僅かな苛立ち。

 トルーセンへの魔物襲撃の一報から一日足らずで救援に赴いた彼らではあったが、正直此処にいる誰もが到着までにトルーセンが健在であると、まさか単独で魔物の群れを撃退出来るなどと考えていた者はいなかった。


 「防衛に当たった騎士団は壊滅、それを考えれば彼らの勇猛さと勇敢さを讃えるべきではなかろうか」


 別の騎士が口を開き、そしてそれに異論を唱えようとする者はいない。


 「その通りではあるのだが、結果的に魔物を討ち果たしたのが傭兵共……それもたった五人などと言う与太話をそのまま報告する訳にはいかぬであろう」


 騎士団の壊滅後、尚二百を超える魔物の群れをたった五人の傭兵が打ち破り、トルーセンの街を救った……そう寄せられた報告を騎士たちは頭から信じてはいなかった。

 ライズワースの騎士たちとは違い、セント・バジルナの騎士は常に魔物との戦いに身を投じている。故に彼らもまた魔物の恐ろしさもそしてその力も良く知っていたのだ。

 少数の人間が魔物を相手にして戦える限界を大きく逸脱したおとぎ話の様な戦果を鵜呑みになどできよう筈はないし、何よりその様な法螺話を報告したのでは命を賭して街を救った騎士たちに対し申し訳が立たない。


 「では大半の魔物は騎士団が討ち、僅かに残った魔物をその傭兵団が処理したと……そう報告する事としよう」


 「異論はないがそれではその傭兵共が納得しないのではないか? 事の一切を外壁から複数の者が見ていたとの報告もある。その者どもが不満を訴えれば散って逝った騎士たちの名誉を傷つける事にもなりかねない」


 二百にも及ぶ魔物を傭兵が討ったなどと虚偽の報告をする様な輩どもなのだ、大方その傭兵団から金でも受け取り戦果を水増しする様に頼まれたのであろう。

 そんな輩の言葉など相手にする価値すらないが、真偽を確認する手段がない以上、殊更に騒がれでもしたらその後処理が面倒ではあったのだ。


 ルーデバッツハ公爵家譜代の貴族である彼らは傭兵に対してある種の蟠りと敵愾心に似た複雑な感情を抱いていた。

 直接的な要因ではなかったとは言え、当時ジルベルトがギルド制度反対派の盟主であった事が政争に敗れた要因の一端であった事は間違いなく、それが彼らの傭兵に抱く感情に無関係ではない事は言うまでもない。


 「傭兵共にはそれなりの額の報酬を渡してやれば問題なかろう、所詮は金でどうにでも転ぶような連中だ、納得出来るだけの額をくれてやれば文句もあるまいよ」


 傭兵共の思惑に嵌るようで口惜しくもあるが、今はそれよりも優先させねばならぬ使命があり、いつまでもその事に関わり合っている時間が彼らには無かったのだ。

 その場の一同が納得した様に頷く。

 戦いの様子を見ていたという者たちの証言を、緊迫した状況が齎した数の誤認であるとし話を纏めると、彼らの関心は今後の方針についてへと移っていった。



 

 ダラーシュ騎士団が駐屯する港の付近を離れると、トルーセンの街中は慌しい喧騒に包まれていた。

 魔物の襲撃を受けてまだ間もないという事もあるが、一番の理由は外壁から立ち昇る無数の黒煙にあるのだろう。

 昇る黒煙の正体……それは新たな魔物の襲来、という訳ではなく大量に残った魔物の死骸を焼却していた為に発生していた煙であった。

 魔物の死骸を放置すれば、それが新たな魔物を呼び寄せる温床となる為早急な措置が必要であったのだ。その為ダラーシュ騎士団の従騎士たちと日当を払い臨時で雇われた街の者たちの手で焼却処分が行われていた。

 それと平行して騎士たちの遺体の回収も行われていたのだが、此方は原型を留めている者の数が圧倒的に少なく、個人と判別できぬ部位や家族の下に還すには余りにも無残で忍びない遺体に関しては魔物とは別にその場で火葬に処していた為に掛かる労力はそう多くはなかった。

 無論街を救ってくれた勇士たちを丁重に埋葬し弔ってあげたいという思いは作業に従事している全ての者たちの偽らざる思いではあったのだが、それに掛かる作業量を考えると断念せねばならなかったのだ。


 

 トルーセンの正門に近い酒場や宿屋は、交代で食事をとりに来たのであろう多くの人々で何処も賑わいを見せたいた。正午を大きく過ぎ、いつもならば比較的空いている時間帯の店内もこの日ばかりは満席に近いテーブルを慌しく走り回る給仕の女性の姿が見て取れる。

 エレナたち一行もそんな喧騒に包まれる酒場の一つで思い思いに遅い食事を取っていた。


 「それでこの街の住民の命の価値ってのはいくらだったんだ? 」


 傭兵団双刻の月の団長として正式に領主邸へと招かれていたベルナディスにフェリクスが遠慮の欠片もない言い様で問う。

 身も蓋もない物言いではあったが傭兵団として領主邸に呼ばれた以上、感謝の言葉だけ、と言うのは有り得ぬ話であり、地位や名誉とは無縁な傭兵たちに対して誠意を示す方法があるとすればそれは一つしかない。

 フェリクスの言葉にベルナディスは一つ条件は付いたが、と前置きをした後で懐から小さめの皮袋を取り出しテーブルへと置いた。

 それに手を伸ばすフェリクス。

 だが直前で横からフィーゴが皮袋を攫うと空を切った自身の手を握りしめフェリクスが忌々しそうにフィーゴを睨みつける。

 そんなフェリクスの姿などまるで気にした素振りすら見せず皮袋を縛る紐を解いて中身を確認したフィーゴが僅かに目を細め口笛を吹く。


 「これはこれは……これ中身全部金貨だよ」


 広げた皮袋がフィーゴの手でテーブルに置かれると、ずしりと重量を感じさせる鈍い音がする。皮袋は小さいとはいえ、その全てが金貨であるならば重さや膨らみ方からしても恐らく中身は数十枚単位……それはかなりの額である。


 「それで条件というのは? 」


 アニエスは大量の金貨が詰まっているであろう皮袋にはさほど興味を示さない。

 旅には金が掛かる……あって困る物ではないがだからといって面倒な約束事と引き換えならば、逆に面倒事を抱える事になりかねない。寧ろアニエスには其方の方が気掛かりであったのだ。


 「今回の一件で我々はあくまでも騎士団が討ち洩らした魔物を掃討しただけだと、その事に今後異論を唱えず合意して欲しいと要請を受けた」


 ベルナディスはそれが強引な懐柔行為ではなく、誠意が感じられる要請であったと念を押す。

 散って逝った騎士たちにせめて花を持たせたいという気持ちと、政治的な体面上の理由……そして自分たちに対する負い目、元騎士として……いや、今もその在り方は騎士そのものであるベルナディスにはそうした領主の複雑な心情を理解出来た。だからこそベルナディスは独断ではあったがその条件を飲んだのだ。


 「皆に相談もせず勝手に判断した事を詫びたい」


 「ベルナディスが団長として判断したのなら異論なんてないさ……それに彼らが身を呈して街を救った事実は変わらない、誰だってそれを貶めたいなんて思う人間はいないよ」


 エレナの言葉にアニエスやベルナディスは瞳を伏せ、フェリクスやフィーゴなどは興味深そうにエレナを見る。思うところは皆それぞれではあったが、ベルナディスの言葉にエレナがどう答えを出すかだけは皆が分かっていたからだ。


 「まあいいや、金が入ったんなら文句はねえよ」


 フェリクスは給仕の女性を呼び寄せ豪快に酒と料理を注文していく。

 頼んでいる酒の量を考えてもこのまま日が落ちるまで飲み明かそうという意図が見て取れる。

 そんな空気を感じ取ったのだろう、エレナがちらちらとベルナディスに目配せを送る。

 本人はいたって真面目に、しかも周囲に悟られぬ様に気を配っているつもりなのだろうが、突然のエレナのこの態度は余りにも不自然すぎた。

 ベルナディスもエレナの視線には気づいていたのだが、逆に怪しすぎるエレナの態度に自然な形で話を切り出し難くなってしまい明らかに戸惑いを見せている。

 エレナはエレナでベルナディスが気づいていないと思っているのか、本人にして見ればさり気なく、周囲から見れば露骨に肘でベルナディスの脇を軽く突き出す。


 まったくこの子は……。


 傍から見れば恋人に場を抜け出す様に促しているとしか思えないエレナの行為に、アニエスは呆れた様に溜息をつき、最近ではエレナのそうした態度に愛らしさすら覚えてきた自分のある種の慣れに対して知らず苦笑を浮かべてしまう。


 「ベルナディス、申し訳ないのだけれど皆が酔ってしまう前に宿の手配をお願いできるかしら」


 このままでは埒が明きそうにないのを見かねたアニエスは助け舟を出す事にする。


 「そ……そうだね、私も付き合うよベルナディス」


 エレナはこれ幸いとばかりにその話に食いつく。平静を装いながら、だが半分身を乗り出したかなり不自然な姿ではあったのだが、本人にその自覚はないようで、早々とベルナディスの腕を取り酒場を出て行く。


 「なんだあの二人、できてんのか? 」


 酒場を後にする二人の背中越しにフェリクスが少し驚いた様な様子を見せる。


 「ベルナディスも意外に抜け目ないね」


 とフィーゴも冷やかし半分に視線を送る。


 アニエスはそんな二人の姿を見なかった事にするかの様に酒の杯を一気に空けると、もう何度目になるだろう深い溜息をつくのであった。



 酒場を出たエレナとベルナディスは、そのまま大通りの方角へと歩き出すが途中幾つか並ぶ宿屋には入る事はなく歩みを進める。


 「アニエスに助けられた形になったけど、ベルナディスももう少し早く気づいてくれないと……皆に怪しまれるところだったじゃないか」


 大き目の外套を羽織るエレナの表情は伺えないが、表情が見えないだけに少し拗ねた様な少女の可愛らしい声にベルナディスは返答に詰まる。

 ベルナディスはエレナの秘密を知っているだけにエレナを女性として見てはいないが、それでも可愛らしいその声だけ聞かされればベルナディスも男である以上、何も感じない、という訳には流石にいかない。


 「済まない、今後は気をつけよう」


 明らかにエレナの態度の方が怪しかったのだが、その事にはまったく触れずベルナディスは素直に謝罪する。それはベルナディスが紳士的だったから、という訳ではなく、其処に触れると色々と面倒そうだと直感的に感じとったからだ。


 そんなやり取りをしながら歩いていた二人は一軒の店の前にまで来ると、店内へと入っていく。

 店構えこそ小さかったがそこは鍛冶屋であった。


 フードを深く被った小柄な少女と色素の薄い長身の男、

 特徴的な二人の姿を覚えていた店主が二人の来店に気づくと店の奥へと姿を消し、直ぐにまた姿を見せる。店内には他の客の姿はなく、二人の下へとやってきた店主の両手には一振りの長剣が抱えられていた。


 「刃こぼれや刀身の傷は打ち直せたんですがね……」


 店主から長剣を受け取るベルナディス。

 鞘に収められた長剣……だがその鞘や剣の柄には拭えぬ黒い染みが見て取れる。


 「いや十分だ、無理を言って済まなかったな店主」


 僅か一日足らずで長剣を打ち直させた事を詫び、懐から硬貨を取り出そうとするベルナディスを店主が慌てて止める。


 「御代は結構ですよ、簡単な修復しか出来ませんでしたが私にはこの程度しか感謝を示す事ができませんから」


 店主は長剣の柄や鞘に刻まれた家紋からその剣の持ち主に気づいていた。

 そして彼らが街を救ってくれた傭兵たちであることも、この長剣をどうするつもりなのかも彼らの語る言葉の節々から感じ取っていたのだ。

 仮に自分の見込み違いであったとしても、家紋の刻まれた長剣など売ったところで安値しかつかぬし、ましてこのトルーセンではこの長剣を買い取る商会などないのだから。


 ベルナディスは店主の気遣いに礼を述べ、二人は鍛冶屋を出る。そしてそのまま大通りで馬車を拾うとトルーセンの郊外へと向かう。そこは領主邸もあるトルーセンでも貴族階級の邸宅が並ぶ一角であった。


 やがて馬車が一軒の屋敷の前へと止まると二人は馬車を降りる。


 「それじゃあベルナディス、頼むよ」


 走り去る馬車を背にベルナディスが首を横に振る。


 「エレナ、君がそう望んだのだ、だからその役目は君が務めるのが筋であろう」


 そう差し出された長剣をエレナは思わず受け取ってしまう。


 「その事についてはもう話したじゃないか、今の私では……この身体では相応しくないと……」


 騎士にとって己の愛剣は自身の分身……魂の一部。

 だからこそエレナはせめてその魂を家族の下へと還してあげたかった。

 だが傭兵たちの間でならばまだ知らず、貴族階級においてそうした行為は尊く、同じ騎士が同胞を悼み行うのが常となっている。

 それが傭兵の手で行われるだけでも相手の遺族に対して尊厳を傷つける事になりかねないと言うのに、まして今の自分は女の身……まだまだ貴族社会は男の世界であり女が口を挟む事自体を嫌う貴族たちは少なくない。

 それを考えれば騎士団が壊滅した今、ベルナディスの様な男でなければ遺族たちの心をその痛みを和らげる事は出来はしない。


 今の自分ではそれが出来ない……。


 その事が歯痒く口惜しく、エレナは唇を噛み締める。


 「下らぬ、人が人を思うのに男だの女だのそんな事は些細な事柄に過ぎぬ」


 ベルナディスはエレナの言葉を一刀で両断する。


 「アインス・ベルトナーであろうとエレナ・ロゼであろうと、今それを望みそう願ったのが己自身であるならば、還すべき魂をその思いと共に伝えるのは願った者の務めであろう。それを道理で誤魔化そうとするのはそなたの逃げでしかない」


 諭すでもなく叱咤するでもなく、だが微塵の迷いすらない力強いベルナディスの言葉。その言葉にエレナは瞳を伏せ、両手に持つ長剣を大事そうにその胸へと抱く。


 「厳しいな……だが優しい騎士殿だよ貴方は」


 話を聞いた時からそのつもりであったのだろうベルナディスが、それでも最後まで自分に付き添い見届けようとしてくれるその姿に、その心根にエレナは感謝の念を抱かずにはいられない。


 アインスとベルナディスは年齢的にはほぼ同年代であり、自分に歳の近い兄弟がいればこんな感じなのだろうか、とエレナは思う。


 だがもしそうなら私が弟なのだろうな。


 屋敷の門を背に自分を送り出すベルナディスの姿にエレナはそんな感慨を抱く。


 そしてエレナは一人、屋敷の扉を叩くのであった。

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