第113話

 血と死臭漂う戦場に騎士たちの雄叫びと絶叫が木霊する。

 トルーセンの正門を背に半円に展開する騎士団の輪形陣を黒い塊と化した魔物の群れが蹂躙し侵食していく。 

 四百に迫る魔物、背徳の蠍ノー・フェイスは俊敏性に優れ、前後のみならず左右への高い対応力と機動性を有している。同じ下級位危険種である南部域のアンダーマンと比べても対人殺傷能力の高さと言う点においてノー・フェイスが勝るだろう。

 本来同数程度であれば人間など容易く蹂躙し尽くしてしまう程に圧倒的なまでの能力差が魔物と人間の間には存在するのだ。

 それを思えば三百騎という数ですら魔物に劣る騎士団が、守勢を貫き、防戦に徹しているとはいえ、戦端が開かれてから既に一刻余り、一方的に蹂躙されながらも陣形を崩す事なく魔物の侵攻を阻んでいるこの状況は奇跡とすら言えた。

 前線の騎士たちは身の丈程もある長盾を壁の様に連ね、その隙間から槍をノー・フェイスに突き立てる。

 だが窮屈な態勢から放たれる槍では速度も威力も足りず、硬質化したノー・フェイスの皮膚には傷をつける事は出来ない。


 防戦の中、盾の壁を越え迫るノー・フェイスに二陣の騎士たちが斬り掛かる。

 四方から迫る騎士にノー・フェイスの鋏角が唸り、ある者は挟まれたまま胴体から切断され、そのまま薙ぎ払われた者は鋼の鎧をまるで紙の様に拉げさせて地面へと叩きつけられる。その毒尾に喉を貫かれた者は全身の毛穴から血を噴出し憤死する。

 それでも残る騎士たちがノー・フェイスの頭部……最も脆い能面の様な顔を貫き仕留めていく。一匹を仕留めるのに二人……三人と死者を出しながら……。


 「奴らの攻勢が激しい、陣を引くぞ」


 中隊長らしき騎士の号令を受けた前線の騎士たちが徐々に、だが陣形を維持したまま統率が取れた動きを見せ後退を始める。

 ノー・フェイスの群れは騎士たちが退き空いた空間を埋める様に前進するが、一定の距離を詰めるとその前進が止まる。先頭集団のノー・フェイスたちが地に伏した騎士たちの死骸を喰らいだし、後続の集団の壁となっていたのだ。


 魔物には戦術も戦略も存在しない。魔物はただ人間を喰らう。


 血と死臭に誘われたノー・フェイスの全ての固体が騎士団へと集中し、結果黒い塊が列を成して群がっていた。騎士たちが己の命を懸けて魔物を惹き付けていた為、騎士団を無視し外壁に取り付こうとする固体は一体も見られない。


 そんな魔物の習性すらも利用して、死して尚魔物の足を止めさせる騎士たちの戦い様は壮絶としかいえぬ凄まじいものであったが、しかし騎士団の陣形は戦術とすら言えぬ……勝利すら望めぬただの遅滞行為でしかない。

 援軍も無く孤立無援、その結末に待つのは避けられぬ死。そんな絶望的な戦場において、だが騎士たちの士気は高く揺るがぬ闘志をその身に纏う。

 それはひとえに彼らの指揮を執る騎士団長バルザック・ステイフへの信頼と尊敬が、恐怖すら払拭するほどの意思と覚悟を彼らに喚起させていたからだ。


 騎士たる者は民を守る一個の剣たれと。

 戦場においては先陣に立ち、退く時は殿を務める、それこそが武門の誉れであると。


 言葉ではなく行動で示してきたそんなバルザックの生き様に焦がれ憧れた彼らだからこそ、この場に今尚立ち続けられていられたのだ。


 「死力を尽くし挑んで尚及ばず……残念ですがそろそろ潮時でしょうか」


 バルザックと並び前線を見つめる騎士が覚悟を決めた様に呟く。


 「此処で我らが果てようと、その結果それに倍する人々の命を救えたのだとしたらそれをこそ誇れば良い。そなた達は良く戦った」


 バルザックの言葉に騎士たちが項垂れる。

 住民たちの命を繋ぎ不浄なる魔物どもを討ち滅ぼす……救えぬ命と勝てぬ現実……それを前にこの結果が満足のゆくものであろう筈などない……。

 だが既に前線は大きく押しやられ、魔物の群れは最終防衛線と定めた正門前へと迫っていた。正門を前にこれ以上の後退は許されない以上この場を死守するしかない……だがそれが齎す結果は誰の目にも明らかであった。


 これより更に半刻、騎士たちは魔物の群れを食い止め続ける。

 だが数を減らし薄くなった輪形陣の一角が破られそこから魔物が雪崩れ込むと、一気に陣形は崩れ乱戦へと突入する。


 そこからは一瞬であった。


 元々の能力差に加え蓄積されていた疲労、二倍近くにまで広がった数の差により騎士たちは成す術なく魔物に蹂躙されていく。そこは最早戦場ですらなく魔物の捕食場と化す。

 騎士たちの断末魔の絶叫と骨を砕き肉を喰らう魔物の咀嚼音が響き渡る地獄の様な混戦の中、バルザックは横たわるノー・フェイスの頭部を貫く自身の長剣を引き抜く。

 周囲には数人の騎士たちのみ……バルザックたちを囲む様に無数の魔物が取り囲む。最早バルザックには進むべき進路も下がるべき退路もない。


 「先に参ります、閣下」


 別れを告げる言葉と共に魔物へと駆ける騎士たち。

 だが彼らの剣が届く事は無い……決死の覚悟も悲痛な決意も、押し寄せる魔物の前には余りに無力であった。騎士たちは群がる魔物によって一矢すら報いる事叶わず捕食され肉片へと変わり果てていく。


 「これが現実と……人の思いも騎士の矜持も、こんな化け物どもに容易く、理不尽に挫かれるものであったのだと……それを認めろというのか!! 」


 バルザックは憤怒を湛えた瞳で魔物を睨み、吼える。


 若き日に見た夢物語……単騎で千の敵を討ち払い、世界を救う騎士たちの英雄譚。

 バルザックはそんな騎士たちの姿に憧れた。

 だがそれは物語の中にしか存在し得ぬ馬鹿げた絵空事。

 現実の戦場を知り、戦い続けたバルザックの中でいつしかその思いは色褪せていき、やがてその想いは若き日の淡い思い出へと変わる……しかし死を前に、絶望の最中最後に望み渇望したのは、理不尽すら打ち砕く奇跡の様な英雄たちの姿であったのだ。


 無念の内に散って逝った同胞たち、魔物により踏み躙られるであろう救えぬ住民たち。無力な自分に、理不尽なこの世界に、バルザックの中で何かが弾ける。


 雄叫びを上げ魔物へと駆けるバルザック。

 それはさながら放たれた矢の如く、迫る鋏角をかわし正面のノー・フェイスの頭部をその長剣で両断する。

 刹那、バルザックは胸に激痛が奔った。

 崩れ落ちる正面のノー・フェイス……その側面の固体の毒尾がバルザックの胸を背後から貫いていた。


 残る全ての力を振り絞り毒尾を引き抜くバルザック。

 だが致死性の猛毒が直ぐに身体全体へと回り、全ての器官から逆流した血液が毛穴から噴出する。


 「呪われろ……化け物ども……いつの日か……お前たちを……滅ぼす者……が……」


 急速に麻痺していく身体、それ以上は言葉を発する事が出来ない。

 光を失っていく瞳。

 悲嘆と怨嗟の中……それでも最後に浮かぶのは……。


 アイシャ……アリア……。



 音を立て僅かに開いた正門から風が吹き抜ける。

 魔物の群れへと駆け抜けるその風は、黒髪の少女の姿を纏い戦場へと舞い降りる。


 それは風鳴り。

 大気すら切り裂いて振るわれる少女の双剣は風の刃となって、間合いに捉えた三体のノー・フェイスの四肢を一瞬で断ち切り肉塊へと変える。


 少女に……エレナへと群がるノー・フェイスの群れ。

 機動性に優れた種であるノー・フェイス。だがその動きは恐ろしく鈍重で……違う、エレナが速過ぎるのだ。ノー・フェイスの動きがまるで出来の悪いからくり人形の如く緩慢に見える程に、放たれる神速の斬撃は現実すらも置き去りに先の未来を断ち切る。

 エレナの剣戟に間合いに入ったノー・フェイスが次々に肉片を撒き散らし地に沈んでいく。


 その光景を目にしベルナディスの額に冷たい汗が滲む。その少女の姿は自分と剣をかわした少女とはまるで別人……いや違う。ベルナディスはこのとき気づく。

 この姿こそが試合という形式に縛られず、一切の制約を外したエレナ・ロゼ本来の姿なのだ、と。


 「私はいつも間に合わない……」


 死して尚立ったまま魔物を睨む騎士の姿に、勇敢に戦い散って逝ったのであろう数多の騎士の屍を前にエレナは悲しげに微笑む。


 「無念に散った徒花たちよ、誰が報いずとも私が報いよう。勇敢なる騎士たちよ、その無念も悲嘆も怒りも憎しみも……その想いは我が剣と共に」


 黒い瞳に怒りとも悲しみともつかぬ激しい炎を宿し、エレナは尚迫る魔物たちを睨む。


 「一匹たりと生かしておかぬ、その不浄なる魂が、忌まわしい肉体が例え恐れを抱かずとも、刻みつけよう、その身体に恐怖を、その魂に絶望を」


 今だ二百を越える魔物の群れ、対するは僅かに五人。


 だがこれがオーランド王国において長らく語られる事になるトルーセンの奇跡……その始まりの序曲であった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る