第109話


 セント・バジルナからソラック地方へと続く南の街道に騎馬の集団が列をなして行軍している。

 王国の直轄領であるセント・バジルナから南方は王国の貴族たちが治める地方領が広がり、此処ソラック地方は直轄領であるセント・バジルナに隣接する地方領の一つであった。

 これはオーランド王国に限った話ではないのだが、今の大陸の現状のにおいて主要な都市に人口が密集する余り、それに比例するように都市部を離れる程に魔物の脅威は増加を辿り其処に住む人々の生活水準もまた大きく低下していく。

 今騎馬の集団が進む街道沿いも災厄以前は肥沃な土地が広がり、其処で取れる農作物は多くの人々の生活の糧となり、またオーランド王国に住む人々の食を支える重要な田園地帯であった……しかし今では人が住めぬ故に手入れが及ばず枯れ果てた無残な荒野が広がるばかりとなっていた。



 「バイロン様、そろそろ合流地点に到着します」


 騎馬の列の中央を進むバイロン・クリフトンの下に一人の従騎士が馬を寄せる。


 ソラッソ地方へと続く街道を行軍する騎馬の集団……それは都督就任を経てジルベルトと共にセント・バジルナへと赴いたルーデバッハ家を主筋と仰ぐ二十七家門が一つクリフトン家の従騎士団の騎列であった。


 構成人員千名……騎馬三百、歩兵七百。一個大隊規模の騎士団を有するクリフトン家ではあったが、それはセント・バジルナにおいて新たに迎えた人員が多数を占める騎士団とは名ばかりの混成部隊である。

 バイロン自身は純然たる王国貴族であり誉れ高き聖騎士の一人ではあったものの、二十七家門の中でも末席であるクリフトン家は魔物討伐の最前線を任される立場上、家門の従騎士を増員せねばならず、質という面において大きく劣化した従騎士団の現在の有り様には内心忸怩たる思いを抱いていた。

 しかし同時に数は力であり、力を持たざる者には何も成す事は出来ない。

 今回、遠征と呼べる程の規模ではないにしろソラッソ地方を治める領主であるウィンストン家との合同で行われる内陸部街道の大規模な魔物の間引き、そして棄てられた内陸部の地方都市ラーゼンに再度入植を果たし、内陸部への橋頭堡とするジルベルトの構想にバイロンは大きな期待を寄せていた。

 災厄以降ソラック地方の中心は港町トルーセンへと移った為、最早廃墟と化した内陸部の地方都市ラーゼンを経由するこの街道の重要性は薄らいでいる。

 魔物が存在しない海洋を中心に人の生活圏が狭められてしまった今の大陸の現状は致し方ないとしても、先の二十年を思えば枯渇する内地の資源確保は急務であったからだ。

 オーランド王国もまた領土の三割近くを王国の統制のとれぬ不毛な土地として放置されている。中央域に隣接するラテーヌ地方などは別においても、内陸部を魔物の支配から奪還する事は王国の未来を……ひいては大陸における人類の存続の為にも成さねばならぬ使命であったのだ。

 そしてそれらの偉業の立役者としてジルベルトの功績が認められれば、ジルベルトが再び王国の中枢に返り咲く日も決して夢ではない。そうした意味においてもその先駆けとなる今回の遠征にバイロンは並々ならぬ決意と覚悟で臨んでいた。


 バイロンの視界の先、開けた平原に各所で旗を掲げた一団が映る。総数だけで言えば恐らく二千を越えるであろうか。


 「どうやら数だけは揃えてきたようですな」


 従う従騎士の一人が少し小馬鹿にしたような調子でバイロンに声を掛ける。

 確かに良く見ればそれらの集団は正規の騎士団にしては装備もばらばらであり、傭兵たちを掻き集めたのであろう雑多な混成部隊である事が伺える。


 「此方とて人様を悪し様に言える程に大層な編成でもあるまい、我が身に返る様な言葉は慎め」


 バイロンに諌められた従騎士は恐縮した様に頭を下げる。

 いくらジルベルトの申し出を断れぬとはいえ、ライズワースやセント・バジルナとは経済規模も大きく異なる地方領でこれだけの人員を確保してくれた地方領主であるロボス・ウィンストン伯爵には個人的にバイロンは感謝の気持ちを抱いていたのだ。


 そんなバイロンが率いる騎士団の到着を平原にて待っていた地方領主の集めた集団の中、異彩を放つ一団がある。

 トルーセンでの傭兵募集に応じ参戦した傭兵団であろう十人程度の集団ではあったが、その一人一人が放つ気配が他の者たちとはまるで異なる。少し目端が利く者であれば彼らが如何に訓練と経験を積んだ戦闘集団であるかに気づいたであろう。


 「お爺様。どうやら向こうも到着したようですわ」


 長い艶やかな銀髪を後ろで束ね、戦装束を纏う可憐な女騎士が横に立つ老騎士へと声を掛ける。


 「しかしこの様な回りくどい方法を取る必要が本当にあったのでしょうか?」


 二人の背後で若い男の声が響く。

 二十代前半、まだ若い青年の名はルース・ルパード。

 穏やかな物腰と礼節を尊ぶロザリア帝国の騎士でありながら、魔物との戦闘で見せる苛烈なまでの姿勢からオルベールの人狼……ベイオウルフの異名を持つ若き英才の姿があった。

 ルースが帯剣する長剣、その鞘に施された意匠は見る者が見ればそれと分かる見事な一品であり、災厄以前に病没した大陸屈指の刀工……神匠と謳われたコルネールが後期に鍛えた業物である事が見て取れる。

 コルネールが晩年残した四振りの刀剣。


 アインス・ベルトナーが所有した終焉に至る刃……対の双剣ダランテ。

 アンリ・アメレールが所有していた神殺し……アイオリオン・フレーゼ。


 巡り合う事が……所有する事が英雄の証となるその刀剣を帯剣するルース・ルパートは次世代の英雄に相応しい雰囲気を持つ青年であった。


 「商人殿には何か考えあっての事であろう、レイリオ殿の助力を仰ぐのならばまずはそれに従うのが筋道というものだろうて」


 老騎士……ヘクターの言葉に銀髪の女騎士オリヴィエも賛同する様に頷く。

 二人にそう言われては引き下がるしかないルースは、軽く溜息を付きながらも此方へと近づいて来る騎馬の一団を眺めやるのであった。



 


 セント・バジルナの港に程近い酒場、その端のテーブルから一際賑やかな笑い声が漏れ聞こえ、他の客たちが興味深そうにその光景を覗き見ていた。

 カルヴィンとの話し合いの為に場所を変えて再度集まったエレナたちであったが、手打ちの場になる筈の席がいつも間にか酒宴の席へと変貌を遂げていた。

 酒瓶を片手にフィーゴに絡んでいるカルヴィンの姿に……そしてそれを許しているフィーゴにアニエスは内心驚きを覚えながらその姿を見つめる。

 初対面の筈のフィーゴに対しても酔っている影響もあるのだろうが、旧友にでも接する様な態度を見せるカルヴィン。

 輪に解け込む事に長けた人間とはいるもので、アニエスにして見てもそうしたカルヴィンの資質が羨ましく思える部分は確かにある……ありはするのだが、それを差し引いてもアニエスの目にはカルヴィンはそれこそ何処にでもいる様な特徴のない平凡な男に映っていた。

 容貌も至って普通……言い方は悪いが人並みであり、確かに気さくで人あたりは良いかも知れないが、騎士としての貫禄を微塵も感じさせないその姿は個人的なアニエスの嗜好とは掛け離れた男であったのだ。

 だからこそフィーゴがカルヴィンに見せている表情に内心戸惑いを隠せない。

 フィーゴは見た目こそ良家の子息と偽っても誰も疑わぬ程の品の良い顔立ちをしていたが、その実その面の皮一枚めくればフェリクスとは別種ではあれ殺戮を快楽として楽しむ様な狂犬そのままの素顔が潜んでいる。

 そんなフィーゴがカルヴィンに対して楽しげに接していた。時折カルヴィンに向ける眼差しは興味を抱いた者にしか見せない……そんな色を覗かせている。それはフィーゴがエレナを見る眼差しと同種のものだ。

 最もフィーゴに興味を持たれる事が幸運なのかと言われればそれはまた別の話ではあるのだが……。

 そしてエレナもまたカルヴィンに対して会話の中で手合わせ出来ぬのを惜しむかの様な内容を口にしていた。エレナの口調や態度からもそれが社交辞令の様なものではない事がアニエスには分かった。

 アニエスも自分の男の好みでその人間の力量を判断する様な女性ではないのだが、どうしてもカルヴィンに対して何か特筆すべき点を見出せない。

 だがフィーゴだけならば何か特殊な理由から、と自分を納得させる事も出来たのだがエレナまでがそうした態度を見せているとあっては自分の判断を疑わざるを得ない。

 年齢を考えれば経験から養われたとは思い難いがエレナの人を見る目は確かなものであったし、敵味方の区別なくエレナが認めた者たちは何かしらの資質を感じさせる者たちであったからだ。


 自分には見抜けぬ才もあるのだろう。


 アニエスはそう結論付ける。

 万能ならざる人の身である自分が全てに通じていると驕る程アニエスは子供ではなかったし、向きになってまでカルヴィンの事を知ろうと思うほど彼自身に興味もなかったからだ。


 それにこの状況は自分たちにとってそう悪くは無い。

 カルヴィンの意図が仮に別にあったとしても、こうして従騎士団の人間と酒を酌み交わす姿を多くの大衆の下に晒す事で和解が成立したと多くの者たちに示す事が出来る。それはこの先、従騎士団との関係が悪化したとしても此方の不利になる事はないであろう。


 「エレナ姉さんたちはこれから南に向かうのかい?」


 自分より一回りは年下であろう少女を公然と姉さん呼ばわりをするカルヴィン。だがエレナはそんなカルヴィンを楽しげに見つめ、特に異論を挟む様子は見られない。


 「そうだね、そのつもりだけど」


 エレナの言葉にカルヴィンは大げさに周囲を確認するように辺りを見回しテーブルに身を乗り出す。


 「なら面白い話が一つあるんだがね」


 カルヴィンの言葉に同行していた二人の男たちが驚いた様に目を剥く。

 カルヴィンがこれから話そうとしている内容に察しがついたからだ。そしてそれは今だ一般には公表されていない従騎士団内部だけの情報であった。


 「別に隠して置く程の内容でもなかろうし、直ぐに知れ渡る情報なら教えてしまっても問題ねえだろう」


 そんな連れの男たちの表情が可笑しかったのか、はたまた酒の影響か、顔を真っ赤に染めたカルヴィンは本当に楽しそうに声を出して笑っていた。



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