第110話

 ライズワースからの旅人たちを迎える北門は日々訪れる多くの人々で賑わいを見せていた。

 北門を過ぎると直ぐに広がる広場には出店が並び、祝日などには大道芸人たちの演劇などが行われるなど旅人のみならずセント・バジルナに住む住民たちの憩いの場として広く活用されていた。

 その広場の片隅でエレナとアニエスは待ち人との再会を果たす。


 「待っていたよ、ベルナディス」


 エレナは見上げる様に長身の男性……ベルナディスへと笑みを向ける。


 「待たせてしまい申し訳なかった エレナ殿」


 自身の事情からエレナたちを足止めした形になってしまった事を詫びるベルナディスにエレナは両手を広げる。


 「私はもうベルナディスと呼ばせて貰ってるよ、だから私の事もエレナでいい」


 自分に対し両手を広げるエレナの姿勢の意味を理解したベルナディスは一瞬逡巡するが、屈み込みエレナと抱擁を交わしエレナの小さな左手がベルナディスの背中を数度軽く叩くと二人は離れる。

 二人の抱擁は友人同士が交わすごく自然な挨拶程度のものではあったのだが、これを異性同士が行うと別の意味合いも含まれる。

 もっともエレナにそんなつもりがない事はその表情を見れば明らかで、ベルナディスは変わらずエレナらしいそんな姿に苦笑と呼ぶには好意的な、そんな笑みを口元に浮かべる。

 そんな二人のやり取りを眺めていたアニエスなどはそうした不用意なエレナの行動がどれ程男に気を持たせる残酷な行為であるかを知るだけに、以前に比べれば幾分かは改善されてきていたとは言え、男心の機微にまだまだ頓着がないエレナのそんな姿に軽く溜息をつく。


 再会を果たした三人であったが、そのままエレナとアニエスが大通りへと足を運ぶのを見てベルナディスは少し意外そうな表情を見せる。

 エレナたちが向かう方向は街を出るならば逆方向であり、自分が到着し次第直ぐにセント・バジルナを離れるのだと……またベルナディス自身もそのつもりでいた為、エレナたちは既に宿を引き払っていると思っていたのだ。


 「状況が少し変わってね、まずは一杯やりながら話さないか」


 ベルナディスの戸惑いを察してかエレナが大通りの北門に程近い一軒の酒場へと入っていく。

 まだ昼には早い所為か店内には空席が目立ち、端に並ぶテーブルにそれぞれフェリクスとフィーゴの姿がある。幾ら空席が目立つとはいえ同じテーブルにもつかない二人の姿にエレナは少し呆れた様な表情を浮かべた。

 事前に注文してあったのか、エレナたちが席につくと直ぐに給仕の女が酒を運んでくるが既に杯を傾けていたフェリクスやフィーゴは再会を祝し、などという気ははなからないのであろう黙々と杯を重ねていた。

 旅を始めてから最早見慣れた光景となっているそんな二人の姿であったが、ベルナディスが加わった事で何処か全体に落ち着いた空気をエレナは感じていた。

 ベルナディスは傭兵という立場に変わろうがその心持ちは今だに生粋の騎士なのだろうとエレナは思う。騎士としての矜持よりも自由を選んだ自分の様な存在には持ち得ない、信念という強い意志がベルナディスからは感じられ、それが威風となって周囲の人々を自然と引き締めるのだ。


 「話を聞かせて貰えるかな」


 置かれた杯を一口呷り、フェリクスやフィーゴの姿勢になんら気分を害した様子すら見せずベルナディスがエレナへと問う。


 「時期が悪かった……と言えば良いのかな、ソラッソ地方の街道を南に抜けるのは現状厳しそうなんだ」


 昨日カルヴィンから齎された情報を思い浮かべる様にその神秘的な黒い瞳が宙を見据える。


 カルヴィンから得られた情報は二つ。


 一つはエレナたちがセント・バジルナに到着する前日にソラッソ地方の街道に騎士団が派遣されていたと言う事実。

 剣舞の宴の開催期間を避けていた事と、セント・バジルナの協会がこの遠征に際して傭兵の募集を掛けていなかった経緯を考えると、ジルベルト公爵旗下の騎士団のみで構成された今回の遠征は恐らく事前から準備がされていた計画的なものであったのだろう。

 魔物の間引きは日常において大陸の各都市で行われており、今回の遠征も殊更情報を伏せられる程に特異性が高いものではない。

 にも関わらず公に公表を控えているのはそれだけ危険度が高く、散々たる結果を招いた挙句にジルベルト公爵の威信を貶めうる事態すら鑑みての言わば予防策のようなものなのだろう。

 最悪の場合騎士団の壊滅すら想定しなければならぬ程、内陸部の魔物の間引きには危険が伴い、また野放し状態の魔物が群生するそうした内陸部の街道で一度戦闘が始まってしまえば最早その一帯は戦場と変わらない。

 ライズワース、セント・バジルナ間の様に日々大規模な間引きが行われている街道とは違い今回の遠征の様に普段使われない街道での魔物の間引きとはそれだけ大きな危険を孕んでいるのだ。


 戦場と化した街道を進むなど常識的に考えても無謀であり、エレナたちにしても嬉々としてその場に乗り込む程物好きではない。


 「ならばいっその事アウスクルツまで船で渡ってしまおうという事かな」


 ベルナディスが口にしたアウスクルツとはメデレーナ地方の港街である。

 セント・バジルナから南方に街道を行き中央域に至るまでにはソラッソ、オルバラス、メデレーナ、そしてラテーヌと四つの地方領を超えねばならず、王国の統治下から離れているラテーヌ地方を除けばメデレーナ地方の都市の一つであるアウスクルツはオーランド王国で最も南に存在する港街でもあった。


 「最短の行程を考えるなら……そうなのだけれど」


 エレナは僅かに瞳を伏せ少し言い難そうに言葉を濁す。

 ベルナディスもそしてエレナ自身も残された時間が分からぬ以上、目的に向かって最短の行程を辿るのが本来は普通であり、陸路で中央域を目指す旅は時間と危険だけが増す非効率なものである事が、いくら同意の上とはいえ宿願を果たすべく旅に出たベルナディスに対して回り道をさせている様でエレナはベルナディスに対して負い目の様なものを感じていたのだ。

 だからこそエレナは続く言葉がなかなか言い出せずにいた。


 「カルヴィンという従騎士団の男から聞いたもう一つの情報がエレナは気に掛かっているのよ」


 エレナの心情を察してかアニエスが代弁する様に言葉を続ける。


 カルヴィンから齎された二つ目の情報。

 それは地方領からこのセント・バジルナへ陸路で訪れる商人たちの到達率がこの半月程激減しているという話であった。最もこちらはカルヴィン曰く確かな統計が出ている訳では無い為あくまでも噂話程度、という事らしいが。

 一般的に街や都市間の移動の到達率が三割と言われる程に危険な陸路での交易もまったく行われないという訳ではない。

 中でも地方都市から各国の主要都市への陸路の交易は危険が多い分見返りも大きいのだ。

 海上貿易が全体の七割以上を占めるこの大陸では大手の商会やその港街に地盤を持つ商人たちに寄って商船を始め港の停泊所すらも独占されているせいで、中小の商会は法外な手数料を払いそうした商人たちの商船に積荷を預けて運ぶしか他に手段はなく、本来得られる利益の半分以上を吸い上げられているのが現状であった。

 特に地方領の民芸品などはライズワースやセント・バジルナでは人気が高く、地方領内では銅貨数枚程度で取引されるそうした品々が都市部では銀貨や相場次第では金貨にまで化ける。そうした歪な構造のせいか法外な手数料を必要とせず元手も掛からない……命懸けだが実りも大きい陸路を行く流しの商人たちも決して少なくはなかった。

 そうした地方の商人たちの到達率が一割を切る……元々の確率の低さを思えば異常である、と断言する事は難しい……しかし普段単体で行動する魔物であっても数が増え飽和状態を向かえると群れを形成するという仮説がアドラトルテの惨劇を経てまことしやかに囁かれていた。

 情報が少なく協会も確かな確証が持てぬ故に正式な見解を示してはいなかったが、こうした街道の状態が……普段とは異なる変化こそがその危険信号なのではないのか、とエレナは心配していたのだ。

 もしそうであるならば遠征に出た騎士団は藪を突いて蛇を出す……という最悪の事態すら考えられる。


 「トルーセンまで船で移動してそこから陸路でオルバラス地方へと向かいたい」


 エレナは意を決した様にベルナディスへと切り出す。


 騎士団の最終目的地がラーゼンであるならば、トルーセンからオルバラス地方へと続く街道とは一つ隔てた別の街道を騎士団は通過する事になる。

 エレナの心配が杞憂であればそのままオルバラス地方へと抜けてしまえばいいし、万が一何かしらの異変があったとすれば街道を一つ隔てるとはいえ気づく事が出来るであろう、と考えたのだ。


 「それで構わぬのではないかな」


 ベルナディスはなんら逡巡する事なくエレナの言葉に同意を示す。

 元よりベルナディス自身、エレナたちと旅を共にすると決めた時点で覚悟はとうに決めていた。

 目の届く者を決して見捨てる事が出来ないエレナの性格を知って尚共に行こうというのだ。例え旅の道中でこの身が尽きてもその事で後悔などあろう筈がない。寧ろ自分を気遣うエレナの気持ちが嬉しくもある反面、少し水臭いとも感じていた。


 「これは提案なのだがこの先旅を続けていく上で個々人がばらばらで行動していては何かと不都合が生じかねない、ここは体裁を整える為にも傭兵団を名乗ってはどうであろうか」


 ベルナディスの提案にフェリクスもフィーゴも特に異論を挟む様子は見られない。

 確かに傭兵団としての括りがあった方が宿泊する宿を始め手続き上面倒が掛からない場合が多く、まして地方領を南下していく上でも傭兵団と名乗っていた方が何かと怪しまれずに済み都合も良いだろう。

 窮屈な制約を課せられないのであればフェリクスやフィーゴも特に反対する理由は見当たらなかった。勿論エレナもアニエスも異論などない。

 だがその傭兵団の名前を決めようという流れにはならない。誰もが知っていたからだ……エレナ・ロゼが背負う名は後にも先にも一つである事を。


 暫定的ではあったものの、それが傭兵団双国の月の誕生の瞬間であった。


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