第103話


 「よう、待ってたぜエレナ」


 と、気安げに声を掛けてくるヴォルフガングは特別これまでと変わった様子は見られない。それは隣に立つアニエスも同様ではあったが、こちらはまだ傷が痛むのであろう、普段より明らかに顔色が悪くやや青ざめた表情をしていた。


 ヴォルフガングを先頭にギルドの門をくぐるエレナたちの前に中庭に整列して立つ完全武装で身を固めた男たちの姿が目に飛び込んで来る。

 四十人……いや五十人近くは居るであろうか、男たちはエレナとヴォルフガングに気づくと一斉に剣を打ち鳴らし二人を迎える。


 「ヴォルフガングさん……これは?」


 「ああ、お前さんから護衛の依頼があった事を伝えたらよ、馬鹿共が挙って志願しやがってな……まあ多い分には構わねえだろ」


 砂塵の大鷲の構成員は百名を超える。だがその全てが常にギルドで待機している訳では無い。連日多くの依頼が寄せられる砂塵の大鷲では依頼を受けてライズワースから離れている者や、ライズワース内や近隣の依頼であってもギルドには直接顔を出さない者たちも数多くいる。

 そういった事情を考えても常時ギルドに詰めているのは多くて全体の半数程度であり、つまり今ギルドに残っているほぼ全ての者たちがエレナの護衛に志願している計算になる。


 「ちょっ……それは困るよ、第一そんな人数分も報酬を払える程の手持ちも無いし……」


 エレナは事も無げに言うヴォルフガングに慌てて口を挟む。

 報酬の問題もあるがそれ以上にどこぞの貴族であるまいし、こんな人数を護衛に付けて街道を行くなどと悪目立ちが過ぎると言うものだ。エレナは一瞬その光景を想像して湧き上がる悪寒に身震いする。


 「駄目か?」


 「駄目に決まってる!!」


 エレナの必死の形相にヴォルフガングはつまらなそうに息を一つ吐くと中庭に整列している男たちへと目を向け暫し何かを考えていたようであったが、やがてふむ、と頷くとまたエレナへと視線を戻す。


 「あいつらもあいつらなりに思うところがあるんだろう、だからよ、十人……それで手を打たねえか、お前と俺との仲だ、料金は三人分に負けとくからよ」


 十人でも多すぎる、とエレナは思ったがヴォルフガングにそう言われてはそれ以上異論を挟むのは憚られた。ヴォルフガングを始め砂塵の大鷲の面々にはこれまで随分と世話にもなったし迷惑も掛けてきた。なによりこれからも双刻の月とは良い関係のままでいて欲しい。それを考えればこの辺りが落としどころなのだろう。


 不承不承ながら頷くエレナにヴォルフガングは話が纏まったとばかりに男たちに


 「お前ら話は聞いてたな、ちょっと裏で話をつけて来いや」


 と、大声で怒鳴る。


 その声に男たちは拳を握り締め指をぼきぼきと鳴らす者や、周囲の男たちを威圧する様に肩をぐるぐると回しながら思い思いにギルドの建物の裏側、裏庭へと姿を消していく。


 暫し後、裏庭から顔を腫らし鼻血を流しながら男たちが戻ってくる。

 その余りの光景にエレナは呆気にとられ、呆然と眺めていたが戻ってきた男たちのぼろぼろの姿に思わず噴出す様に笑ってしまった。

 身を屈ませ笑うエレナの姿に男たちも照れ臭そうに顔を背けている。


 粗野で短絡的でおよそ洗練さとはかけ離れた男たち……だがエレナはそれ故にどこか純粋な彼らの生き方や存在が好きだった。彼らと過ごした時間もまたエレナにとっては忘れ難い大切な思い出の一つとなっていたのだ。 


 「それでどうする、今からライズワースを出るとなると間違いなく途中で野営する事になるがそれでも行くのか」


 もうすぐ夕刻を迎える今からでは流石にセント・バジルナに日没までに辿り着く事は不可能であり、魔物の活動が活発化する夜間に強行軍で街道を行くなど本来自殺行為に等しい暴挙といえた。

 しかしオーランド王国の生命線であるライズワース、セント・バジルナ間の街道はギルドの活動の成果もあり他の地域に比べ圧倒的に安全が確保されている。

 日中に比べて格段に危険度は跳ね上がるとは言え、砂塵の大鷲の傭兵たちは極めて高い戦闘訓練と実戦を経験している一流の傭兵たちであり、加えてエレナやアニエスたちの実力を考えれば選択肢として除外される程ではなかったのだ。


 「俺としては最後に約束を果たしていって貰いたいんだがね」


 ヴォルフガングの言葉にエレナは笑顔を見せ頷く。

 エレナもヴォルフガングと交わした約束を忘れていた訳では無かった。

 ライズワースでの最後の夜に気の置けない男たちと酒を飲み交わすのも悪く無い。


 「決まりだな、酒宴の席はもう用意してある、新しい番犬共も気軽に参加してくれや」


 自分たちの事を指しているであろうヴォルフガングの揶揄に、フェリクスはふん、と鼻で笑いながらフィーゴは貼り付けた笑みを崩す事なくエレナやアニエス、そして男たちと共にギルドの建物へと消えていく。


 最後まで残っていたヴォルフガングに一人の男が近づく。

 砂塵の大鷲の傭兵である男は、既に建物の中へと姿を消したエレナの様子を伺う様にちらちらと建物を気にした素振りを見せる。


 「本当にいいんですか団長……俺は最後にエレナさんに嫌われるのは御免なんですがね」


 心底嫌そうに呟く男にヴォルフガングが一喝する。


 「いいからお前は双刻の月に行ってエレナの所在を伝えてくりゃいいんだよ」


 ヴォルフガングに怒鳴られた男は嫌々といった風に用意していた馬に跨ると門を出て姿を消す。


 エレナ・ロゼと言う謎めいた少女はその態度も言動も達観し大人びている。

 エレナと過ごした時間が長ければ長い程、エレナが示した行動や残した功績の余りの大きさからエレナを特別視し、まるで聖女の様に決して間違わぬ存在のように誤認する者たちも増えてくるのだ。

 だが等身大のエレナはそんな完璧な存在などではない。過ちも犯すし後悔もする。楽しければ笑うし、上手く行かない事で焦りも怒りもする……そんな当たり前の一人の人間なのだ。


 そんなエレナが足早にライズワースを発とうとする本当の理由はエレナ本人にしか分かりはしない。だがその理由の一端にあの姉弟が関係しているのだけは間違いないだろう。

 全てを自分で背負い込もうとするエレナの不器用な生き方はヴォルフガングには理解が難しく受け入れ難い生き方だ。

 エレナがあの姉弟との別れに際し何を思い、どう決断したのかヴォルフガングが口を挟む話では無いのかも知れない。だがこの最後の別れの場にあの姉弟が姿を見せない事はどう考えても不自然であり、まともな決着をつけたとは思い難い。

 エレナとレティシアそしてシェルン……三人を知る者たちはレティシアとシェルンが一方的にエレナへの特別な感情から何かと気に掛け世話を焼いていた様に映っていたのだろうが、ヴォルフガングはまるで逆の印象を持っていた。

 エレナこそがあの姉弟を本当の姉の様に大切に思い、過保護なまでに守ろうとしていた、と。

 だからこそヴォルフガングはエレナが二人を避ける様にライズワースを離れる事が気に入らない。

 そう……それは簡単に言ってしまえばヴォルフガングのそんな個人的な感情に過ぎない。


 だがなエレナ……例えその別れが辛く残酷なものであったとしても、その心に深い消えない傷跡を残すことになろうとも、けじめをつけてちゃんと終わらせてやらないと、また歩き出せない奴だっているんだぜ。


 建物を見つめそんな事を考える自分にヴォルフガングは照れ臭そうに鼻を掻き歩き出す。


 「らしくねえな……俺はそんな柄じゃねえのによ」


 一人大きく溜息を吐き愚痴るヴォルフガングの呟きが、誰も居なくなった中庭に僅かに響き風に運ばれ消えていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る