第101話


 エレナ・ロゼの優勝で幕を閉じた剣舞の宴は、オーランド王国の国王であるランゼ・クルムド・オーランドが直接優勝者に労いの言葉を与える閉幕式を兼ねた式典を残すのみとなり、長期に渡り行われたオーランド王国最大の行事も終焉が間近に迫っていた。

 とはいえ、大会終了後は王国主催での催しが二日、ギルド会館主催での催しが四日間と都合六日間に渡って祝いの催しが行われる為、まだまだライズワースを包む独特の高揚感にも似た祭りの雰囲気は収まる気配を見せず、逆にこれからの祝日に向けて湧き立つような更なる高まりを人々は感じていた。



 闘技場の医務室で簡単な治療を受けたエレナは、閉幕式に参加するべく会場の通路を急ぐ。

 閉幕式の折に優勝者が国王であるランゼから賜る聖杯がこの大会に参加した当初の目的であり、エレナがライズワースにやってきた理由でもある。今となっては二次的な目的になっていたとはいえ、一つの目的を完遂するという意味においてはエレナにとって重要な意味を持つ。

 エレナがライズワースに訪れてからの一年半近く、残された寿命の大半を費やして過ごしたこの国での一つの節目であり、けじめでもあるからだ。


 歩く足からの振動に刺す様な痛みが奔りエレナは僅かに表情を曇らせる。

 幸い折れてはいなかったがベルナディス戦の折に床に叩きつけられた衝撃で胸骨の数本にひびが入り、それが振動により断続的に刺す様な痛みを齎すのだ。

 だがより深刻なのは……。

 エレナは右手を軽く握り締める。

 刹那、胸部の刺す様な鋭利な痛みとは異なる重く鈍い痛みがエレナを襲う。

 ベルナディスの盾をアル・カラミスで受けた時、刀身を折られぬ様に力を受け流したあの瞬間、逃し切れなかった衝撃で右手を痛めていた。

 以前の身体ならばなんら問題にもならぬ様な衝撃ですら、今のこの繊細な身体では致命的な痛手になりかねない。小柄で軽い体重、そして女性特有のしなやかで柔軟なばねが齎す圧倒的な速度と引き換えに、持久力と強靭さに欠ける致命的な欠陥を持つこの人形の身体。

 エレナは改めてその長所と短所を強く意識する。



 闘技場の舞台の前面、最上段の貴賓席に続く石段の両脇をオーランド王国の近衛騎士たちが整然と列を成して並ぶ。

 エレナはその近衛騎士たちを両脇に見ながら石段をゆっくりと一歩一歩登っていく。

 エレナの美しい容姿を前にしても表情一つ変える事なく不測の事態への警戒を怠らないその姿は、まさに騎士の中でも更に選ればれた猛者たちである事を伺わせた。

 石段の終わり、舞台を正面から見下ろす玉座に腰を下ろす初老の男、オーランド王国の支配者たるランゼ・クルムド・オーランドを前に石段を登りきったエレナは片膝を付きランゼに対して最上級の礼を示す。


 「面を上げよ、麗しき勝利者よ」


 大国オーランドの支配者に相応しい威厳に満ちた声でランゼがエレナに告げる。

 促され顔を上げたエレナを見たランゼは改めてエレナの美しい容姿に目を細める。


 「誰よりも美しく、そして強く……か、まさに神話に謳われる戦女神の姿をそのままを体現させたような存在であるな」


 「勿体無いお言葉で御座います、陛下」


 エレナはランゼの最大級の賛辞を頭を垂れて受ける。こうした場で過分な謙遜は逆に非礼に当たる。その辺りの儀礼的なやり取りはアインスとして騎士時代に嫌と言う程経験させられていたエレナは十分に理解していた。


 「エレナ・ロゼよ、どうであろう、このまま真に余に仕える気はないか? 無論そなた程の才を無下には扱わぬ、聖騎士として遇する事を約束しよう」


 ランゼの手前、声に出して騒ぎ出す者は流石にいなかったが、明らかに周囲の空気がざわざわとざわめき出す。

 オーランド王国の騎士の中でも最高位の称号たる聖騎士は従騎士や準騎士とは大きく意味合いが異なる。

 正規の騎士の中でも選ばれた者のみが与えられる聖騎士の称号は叙勲と共に男爵位以上の爵位が与えられ、純然たるオーランド王国の貴族の地位が約束される騎士としての最高峰たる位である。

 如何に剣舞の宴の優勝者であってもエレナは身元も不確かな一介の傭兵に過ぎず、何より姿見はまだ未熟な少女である。オーランド王国の建国以来、傭兵がいきなり聖騎士に叙勲された前例などは無く、まして女性、それも年少者の聖騎士など聞いた事すら無い。

 ランゼがエレナに提示した条件はそれ程に異例中の異例であり、また前代未聞の提案であったのだ。


 「非才なる我が身に過分なる配慮、感謝致します陛下。しかし私などが御身の御傍に侍るなど分不相応であり、陛下に御迷惑をお掛けする事となりましょう」


 エレナはランゼの誘いを角が立たぬようやんわりと拒絶する。

 ランゼはエレナの言葉にやや残念そうに表情を曇らせると、手入れの行き届いた見事な顎鬚を右手で撫でる。


 「ベルナディスもそうであったが、傭兵という人種には騎士として生きるという道は窮屈で、まるで鳥籠の中の小鳥を思わせるものなのかの」


 ベルナディスにも言い回しは違えど同様に断りを入れられていたランゼは、意図したものかどうか別にしてエレナにやや愚痴に近い感情を吐露する。


 「そのような事はありません、陛下。騎士として国に、民に殉じる生き方は誇らしく、また信に足る主に捧げる剣は無常の喜びを感じさせるものであると」


 「そう思うなら何故余の誘いを断る」


 ランゼの言葉に周囲のざわつきは一変し俄かに緊張が奔る。

 今のエレナの言い様では、ランゼが仕えるに足らぬ王であると捉えられてもおかしくは無い。次のエレナの言葉次第ではランゼの逆鱗に触れる危険すらあった。


 そんな張り詰めた雰囲気の中、エレナは跪いたまま面を上げると真っ直ぐにランゼを見る。


 「私はもう十分に騎士としての生を全うしましたから」


 何の迷いも躊躇いも無くそう語るエレナにランゼは一瞬面食らったような複雑な表情を見せたが、やがて周囲にランゼの楽しげな笑い声が響き渡る。


 「そうか、もう十分騎士として生きたか」


 ランゼは愉快で堪らぬといったふうに目尻を下げ、まるで自身の孫娘でも見やる様に自分に跪くエレナの姿を眺める。

 無論ランゼとて今のエレナの言葉が真実であろうなどと気づこう筈も無い。冗談にしては余りに突飛過ぎ、一国の国王に対して陳べるには不敬とすら取られかねないエレナの返答。

 だがこのうら若い少女の媚びる事も諂う事もない堂々とした真っ直ぐな姿は、常に他者の顔色を窺い、物言わぬ人形の様に自分に従うだけの王宮の者共と比べ見てランゼにはむしろ好ましく映った。


 「ではこの申し出は一度保留とし、我が王城ハイデルベルクの城門を開け放ち余はそなたを待とう、いつなりと訪ねてくるが良いぞ、麗しき戦乙女よ」


 ランゼの言葉に深く頭を垂れるエレナ。

 ランゼはそのエレナの姿を満足そうに見やり一度大きく頷き自身の背後に控える従者の一人に目配せすると、既に準備は整っていたのだろう、従者の男はその手に丁寧に抱く様に持っていた聖杯をランゼへと丁重に手渡す。


 「勝利者に祝福を」


 ランゼは闘技場全体に響く様な声で高らかに告げ、玉座から立ち上がり数歩先で跪くエレナの下へと歩み寄った。



 跪いたままランゼの手から聖杯を授けられたエレナは、その姿勢を崩す事なく聖杯に注がれた清水を飲み干す。

 エレナの体格を考慮してであろう、やや大きめの聖杯に注がれていた清水は半分にも満たず、小柄なエレナでも一気に飲み干せるよう配慮がなされていたのだ。


 そのエレナの姿にここまで静まり返っていた観客席から盛大な歓声が沸き起こる。

 エレナとランゼを讃える合唱が交互に闘技場に木霊する。


 大歓声の中、エレナは一人冷静に自身の変化を観察する。

 オーランド王国の至宝の一つ。アテイルの聖杯。

 古の大魔法士アグナス・マクスウェルが作り上げたとされる至上の杯。


 聖杯に注がれた液体は須らく祝福を授けられ、一切の災厄を祓う恩恵を与えらた聖水へと転じると言われる、オーランド王国の建国以来長きに渡り数々の逸話を残してきたアグナスの遺物。


 しかし聖杯に注がれた清水を飲み干したエレナの身にはなんら変化は見られない。

 瞬時に傷が完治するような奇跡も、体中に力が漲るような超常的な加護も感じさせはしなかった。だがエレナはその事に対して大きな落胆は無かった。

 予めエリーゼから聖杯の効能について聞かされていたという事もあるが、当初の目的はどうであれ、今のエレナにとってはこのライズワースで過ごした一年と数ヶ月という日々は、大切な人々と過ごした日常は、エレナがこれまで望んでも決して得られる事の無かった替えの無い時間であり、聖杯から得られる恩恵が例え気休め程度のものだったとしても、ライズワースに赴いた事への後悔など抱きようはずなどなかったのだ。


 一つの節目を終えてエレナは再度決意を新たにする。

 先人たちが自分たちの世代に想いを紡ぎ、生き様を示してくれたように、動乱の大陸を駆け抜け、カテリーナの災厄を当事者として戦ってきた自分たちが次の世代に、シェルンやレティシア、そしてリムたち若者たちに残さねばならない想いがある。伝えておきたい願いがある。


 特定危険種クリルベリアを討ちアドラトルテを魔物の手から奪還する。

 人間同士が殺し合う時代が終焉を向かえ、魔物との生存を懸けた戦いに身を投じていくであろうこれからの世代の若者たちにそれが一つの希望となるならば全てを懸ける価値はある。


 自分たちの想いがシェルンたち若者に受け継がれ、そしてその想いは願いとなり祈りとなってまた次の世代の子供たちへと紡がれていくのだ。

 その人々の小さな想いはやがて時を越えて魔物無き世を、子供たちが戦場に果てること無き平和な世界へと至るとエレナは信じて疑わない。


 何故ならばそれが多くを間違え違えても、悩み、迷いながらも、過ちや後悔と共にそれを正そうとする想いと共に後世へと伝えていける、それが人間の持つ無限の可能性なのだから。


 自分の存在を含め、人間の持つ醜い負の側面を嫌と言うほど見てきたエレナが、それでも最後に辿り着いたそれが答えであった。

 


 観客たちの絶えぬ歓声の中、剣舞の宴は此処に閉幕を迎える。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る