第100話


 剣舞の宴最終日。

 今オーランド王国が誇るギルド制度において最強の座を賭けた戦いの幕が開ける。

 各国から訪れていた全ての来賓たち、そしてオーランド王国国王自らが観戦するこの決勝の舞台で、エレナとベルナディスの両者が遂に相打つ。

 戦いを前に最早両者に言葉は無い……いや必要ないのだろう。通わせるのは剣であり、その心なのだから。


 静まり返る場内、だが開始の合図と共にその空気は一変する。


 エレナは開始と同時に自らの双剣を抜き放ち床を蹴り上げる様にベルナディスへと駆ける。

 振り子の様に上体を揺らし滑らかな曲線を描くエレナの美しい肢体は、だが相対する相手に取っては畏怖とそして圧倒的な威圧感すら与える。

 終わる事の無い剣撃の暴風。

 アインス・ベルトナーが到達した双剣の極。剣撃の極地。

 姿を変えその剣質は変われども培われた経験と技能がエレナの双剣をその高みへと導く。


 両者の剣戟の間合い。

 エレナの両腕が閃き繰り出される双剣の乱舞をベルナディスは長剣を合わせる事で弾き、左腕の盾で巧みに捌いていく。

 舞台の上で繰り広げられている二人の攻防に、観客たちは息を呑み、時に感嘆の溜息を付く。


 真剣を使用し実戦形式で行われているこの大会では勝負が付くのは一瞬である事が多く、実力者が集う決勝大会ではその傾向はより顕著に現れていた。

 だがエレナとベルナディス。両者の間で繰り広げられている攻防は、何処か演目の殺陣すら思わせる程に華麗であり優美……その剣舞の様な両者の光景に観客たちは魅了され、言葉すら失った様に舞台へと視線が釘付けとなる。


 これまでフェリクスを始めクルスやアニエスの様にエレナとの戦いにおいてその速度に対応出来た者は居る。だがベルナディスはエレナの神速の斬撃と真っ向から打ち合っていた。


 エレナの速さに対応出来る実力者はいても、これまでその速度と対等に渡り合い打ち合える者はこの広いライズワースの中にさえ居なかった。

 激しい剣戟の中、火花を散らしながら激突する刀身の反響音が舞台に響き渡り空気を震わせる。

 肉薄する両者の距離、エレナとベルナディスの視線が交差する。

 右手のアル・カラミスの一閃を盾で受け流されたエレナの姿勢が刹那反転し、一瞬左手のエルマリュートの切っ先をベルナディスの視界から切る。

 瞬間、切り上げる様な流線を描きエルマリュートの刀身がベルナディスへと迫る。

 構わず長剣を振り下ろすベルナディス。交差する長剣とエルマリュート。

 エルマリュートの切っ先がベルナディスの右頬を掠め、ベルナディスの頬から額にかけて薄っすらと血が滲む。


 ベルナディスの長剣を捉えるエレナの黒い瞳。

 その眼前を大気すら切り裂く様な長剣が通り抜け、流れるエレナの長い黒髪の一片を断ち切る。

 風に舞う様に美しい黒髪が宙に散る。

 ベルナディスはエレナのお株を奪う様に、左腕の盾を最短の軌道で滑らせる様に奔らせ、エレナは咄嗟にアル・カラミスの刀身でそれを受ける。

 窮屈な姿勢を強いられた為に力を受け流せず弾き飛ばされるエレナ。

 そのまま舞台の床に叩き付けられるかと思われたエレナの肢体が空中で見事に態勢を整え、鮮やかに右足から流れる様に着地する。


 何処までも華麗であり優美で美しいそのエレナの姿に観客たちは目を奪われる……だが試合を観戦していたエレナを良く知るレティシアやシェルンなどは他の観客たちとは違った意味合いで驚きを隠せずにいた。

 対人戦闘……特に一対一の戦闘において無類の強さを誇るエレナ。

 多くの者がエレナが見せる双剣の苛烈にして芸術的ですらあるその技術に注目するが、エレナを支える強さ、それは寧ろ彼女が持つ卓越した戦闘技術、中でも相手の剣を、その攻勢を完封してのける程の先読みの技術、未来予知とさえ呼べる程の凄まじい技能の裏打ちがあってこその強さなのだ。

 現にこの大会でエレナが最も苦戦した相手であろうフェリクスとの試合においても、結果的にはエレナは最後までフェリクスにその身体を触れさせる事すら無かった。

 だが今ベルナディスの剣は長い黒髪と言えど確実にエレナに届き得る事を示した。その事実にシェルンなどはベルナディスの実力に、その力量に驚愕すら覚えていた。


 エレナの額から大粒の汗が流れ落ちる。高鳴る心音と乱れる呼吸、その身体が小刻みに震える。だがその震えは疲労からくるものなどでは無い。

 全力を賭して挑む極限の死闘。生死の狭間にあってこそ己の存在を、その生を実感出来る。強者を下し、己の剣を掲げた瞬間に獲られる形容し難い悦楽と歓喜は言葉で語るのは難しい。

 闘争に生き、剣戟の中でこそ眩い輝きを放つ。エレナ・ロゼとはそうした純粋なる一己の魂である。


 エレナの双剣が眼前で正十字を刻み、そのまま緩やかに下げられた両腕と双剣が一対の斜め十字を象る。それはエレナ・ロゼが生み出した新たなる双剣の形。

 無尽蔵の体力を活かし、絶え間無い連撃の嵐で相手を蹂躙するアインス・ベルトナーの暴風。それが双剣の一つの完成形だとするならば、左右からの初撃の連撃を一対の刃と成して全てを断ち切る二撃終殺は、アインス・ベルトナーでは到達し得なかったであろう、エレナ・ロゼだけのもう一つの双剣の極み。


 ベルナディスは研ぎ澄まされた抜き身の刃の如く洗練された佇まいで自身の前に立つエレナの姿に、我知らず感嘆の吐息を洩らす。

 同世代の騎士たちの中にあって頭一つ抜けた存在。ビエナート王国の騎士アインス・ベルトナー。

 自分が今その相手と剣を交えている事にベルナディスは不思議な感慨を抱く。

 複雑な経緯を辿り、今は少女の身に姿を変えて尚、その剣はかつての英雄の名に恥じぬ鮮烈で苛烈なものである。

 だからこそ惜しまれるのだ。

 ベルナディスはエレナとの戦いの中、その身体が抱えているであろう重大な欠点に気づいていた。

 このまま戦いを長引かせれば自分の勝ちはまず揺るがない。その事が脳裏に過ぎった時、ベルナディスは己の弱さを笑う。

 もう長くは無い己の寿命、それを全うし先達たちが集う常世の地で、自分は同胞たちに語って聞かせる武勇譚に、自分はあの英雄アインス・ベルトナーとの立会いで勝利したと真に恥じる事なく誇れるのか。


 断じて否、そんな不細工な勝利などいらぬ。


 騎士として戦場にあるならば、大儀の為に己の信念すらも曲げねばならぬ時もある。だが一度純粋なる立会いの場に身を置いたなら、己の信念を貫き通してこそ騎士の本懐であろう。


 動から静へ……二人の間の時間は一瞬止まり――――そして動き出す。


 互いに向けて同時に駆ける両者。


 ベルナディスはその独特の構えからエレナが放つであろう神速の連撃に全神経を集中させる。

 初見であるならば恐らく受けるのが精一杯であろう程の速度。だがベルナディスはエレナのその神速の連撃をフェリクス戦の折に一度見ている。

 自分ならばエレナのその連撃に長剣を合わせる事は可能。

 完璧なタイミングで打ち込まれた自分の長剣はエレナの命を奪う事になるかも知れない……だが。


 エレナとベルナディス、両者が互いの剣戟の間合いへと踏み込む。

 交差されたエレナの双剣が奔る。

 それはまるで一陣の風が如く、その刀身すら霞ませる程の神速の斬撃がベルナディスに迫る。

 ベルナディスは左のエルマリュートの軌道に沿うように自身の長剣を奔らせ、右のアル・カラミスを白銀の盾で受け流す。

 瞬き程の一瞬の攻防。

 だがその刹那の瞬間にベルナディスが見せた技術は圧巻の一言に尽きる。


 エレナは自身に迫る長剣を前に――――微かに微笑む。

 その光景にベルナディスの瞳は見開き、次の瞬間、僅かに軌道を変えたエルマリュートがベルナディスの長剣の軌道を反らす。

 エルマリュートとベルナディスの長剣が両者の頬を掠めて振り切られる。


 自身の最速の剣すら囮か……だがそれでも。


 ベルナディスは滑らせる様に盾をエレナへと打ち込む。

 アニエス戦で見せた様に小型の盾は近接戦闘において決定打に成り得る破壊力を秘めた打撃用の武器に姿を変える。最短の軌道で最速を誇るこの盾こそがベルナディスのもう一つの刃であった。

 エレナは鮮やかに両手首を返す事で双剣を反転させ、逆手でその柄を掴むとエルマリュートを一閃させる。

 ベルナディスの盾がエレナの胸部に接触する刹那、エルマリュートの柄の部分がベルナディスの左腕を捉え、ベルナディスの左腕の骨が砕ける鈍い音が響く。

 ベルナディスはそのまま盾をエレナへと打ち込み、エレナの細い肢体が宙へと浮き上がる。そのままエレナの身体を真横へと薙ぎ払うベルナディスであったが、弾き飛ばされる瞬間、アル・カラミスの柄がベルナディスの左側頭部へと打ち込まれその衝撃で揺らいだベルナディスは態勢を崩し片膝を床に付く。

 エレナも今度は華麗に着地とは行かず、受身は取りながらも床へと叩きつけられ、咄嗟に起き上がるがその美しい唇からは血の筋が滴り床へと落ちる。


 ベルナディスは頭部からの流血で真っ赤に染まり歪む視界でエレナを見つめる。


 未練は残れど……詮無き事か。


 ベルナディスの身体から力が抜けていく。

 まだ十分に戦える……だが自分にはまだ成さねばならぬ事がある。此処で終わる訳にはいかないのだ。


 「エレナ殿、我らが英雄殿、貴方と剣を交えた栄誉は決して忘れぬ」


 ベルナディスが剣を下げた事で静まり返っていた場内が爆発的な歓声へと包まれる。


 エレナは自分を讃える歓声の中、静かに瞼を閉じた。

 痛みすら忘れる程の高揚感にその身を委ねるエレナの耳元で、自身の勝利を告げるギルド職員の声が何処か遠くに響いていた。




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