第95話


 フィーゴ・アルセイスの試合はその凄惨な試合内容から公開処刑とまで囁かれ、一般の観客からの受けは良くない。だが中にはベルナディスやアニエス、そしてエレナと言った人気と話題を攫う参加者の試合を他所に、フィーゴの試合のみを観戦に訪れる熱狂的な観客たちもいる。

 人間が持つ原始的な本能故か、闘争の行き着き先に、その帰結に死が存在するのならば純粋な殺戮者であるフィーゴと云う存在はある意味、人々が憧れ讃える英雄と呼ばれる存在とは対極に位置する反英雄として、人間が持つ残忍性と暴力性の体現者として、彼らの抑圧された欲望を満たす存在であるのかも知れない。


 だがフィーゴの一方的な殺戮を期待し観戦していた一部の観客にとっては、苛立ちを覚える程予想外の展開が闘技場の舞台では繰り広げられていた。


 間合いを測りながらフィーゴの長剣を裁き距離を取り続けるカルロ。

 攻勢に出ながら主導権を奪いきれないフィーゴ。

 フィーゴを追い掛ける様にその試合を観戦して来た観客たちからすれば、此処までフィーゴが何処か窮屈にすら見える程攻めあぐねる姿を見るのは、前回の大会の準決勝でフィーゴが敗れたフェリクス戦以来であろう事に気づいただろう。

 故にフィーゴを良く知る観客たちには分かっていた。

 フィーゴが不調な訳ではない……カルロ・ヴァルザーニが強いのであると。

 序列七位 カルロ・ヴァルザーニ。

 今年三十七歳を迎えたカルロは一桁と云う高位序列を持ち一線で名を馳せる傭兵の中では異例の高齢と言える。

 アインス・ベルトナーを始めとして数多の英雄を輩出した救世の世代、その世代から一つ上の世代は大陸の動乱とカテリーナの災厄と云う二つの戦禍により傭兵、騎士を問わずその数は激減していた。

 その世代において今だ現役で一線を戦うカルロがどれ程の経験を積んだ戦上手であるのかは、そうした背景を知る者であるならば態々語る必要すら無い話ではあったのだ。

 カルロの振るう剣の性質はエレナの華麗なまでに完成された剣技とも、フェリクスの桁違いとさえ言える才能から放たれる剛剣とも違う。

 そうした強い輝きを放つ個性の中では色褪せる程の……凡夫の剣。

 だが際立つ個性が無い故に、己の限界を見極めた弱者の剣は突き詰める事で強者すら討つ刃となる。

 弱者故に生き抜く為に思考し続け、数え切らぬ戦場で死線を越え、戦闘経験ではエレナすら上回るカルロの剣は、相手の長所を殺し、短所を際立たせるカルロの戦い方は、戦巧者の名に恥じぬ経験の豊かさを感じさせた。


 カルロはフィーゴとの打ち合いを意図的に避けていた。

 フィーゴの剣は直前で不自然に軌道がぶれる為恐ろしく太刀筋が読み難く、捌き難い。

 意図的に変化を加えているのであろうが、それを可能にしているしなやかで強靭な手首のばねには舌を巻くしかない。

 的確に急所を狙うだけでなく人体の脆い部分を狙い済ました様に襲い来る斬撃は、卓越した技能を持つ傭兵たちが死闘の中にあってすら、己の魂を刃に乗せて繰り出す剣撃が人々を魅了する輝きを放つの対して、フィーゴの剣は殺傷と人体の破壊のみを目的とした暗殺者が用いるまさに暗殺の剣であった。

 だが剣の質は別に置いてもフィーゴがベルナディスとフェリクスに次ぐ序列三位、王立階位に相応しい実力の持ち主であり、その力は直接剣を交えるカルロ自身が肌で感じ取っていた。


 カルロとフィーゴの間で繰り広げられている牽制と言うには余りに物騒で剣呑な打ち合いを、始めは不満げに野次を飛ばしていた観客席の観客たちも次第に口数が減り舞台を注目し出す。

 二人の間で行われている戦いは激しく打ち合う様な人目を惹く派手なものでは無い。だが互いの支配する間合いを奪い合い、削り取る様な一撃一打の張り詰めた攻防は、一手の斬撃で相手を仕留める力量を有するカルロとフィーゴの高度な心理戦とすら感じさせ、やがて観客たちは固唾を呑んでその成り行きを見つめる。


 「いい感じだよおじさん、久しぶりに楽しめそうだ」


 「たくっ……どいつもこいつも人をおっさん呼ばわりしやがって」


 他愛無い憎まれ口を叩きながらも両者は呵責なく苛烈な斬撃を交し合う。

 身体的能力も剣の純粋な技量もフィーゴに分がある。だが打ち合いを避けながらも何故カルロが一方的な防戦に晒されないのかと言えば、絶妙な間合いから計算されたかの様に放たれるカルロの剣がフィーゴの勢いを殺し、畳み掛ける様なフィーゴの連撃の機会を、機先を削いでいたからだ。


 間合いを取る両者。

 フィーゴは自身の長剣を眼前を斜めに遮る様に斜め上段に構える。

 剣術の基本となる上段の構えに比べ変則的なそのフィーゴの構えにカルロは慎重に間合いを測る。


 これ以上はやばい、これ以上やりあえば命の取り合いになる。

 嫌と云う程に肌に突き刺さるフィーゴの殺意と抜き身の刃を連想させるその姿に、カルロの本能が、経験から生じる直感が危険信号を放つ。

 だがカルロがその判断に従うより早くフィーゴが動いた。

 フィーゴはカルロの間合いに踏み込むと同時に長剣を切り下ろす。

 申し分の無い剣速と威力を秘めた斬撃ではあったが急所を違わず狙う先程までとは違い、カルロの胴を絶つ様な軌道を描くフィーゴの剣にカルロは不審を抱き、剣では受けず身体を半身に引く様にフィーゴの剣を反らす。そして追撃の為では無く次のフィーゴの挙動に全神経を集中させる。

 此処までのフィーゴの戦い方からしてもこんな単調な斬撃が本命とは思えない。ならば……。

 カルロに避けられたフィーゴの剣が振り下ろされ様刀身を返し切り上げられる。

 澱み無く滑らかに切り上げられるフィーゴの長剣は先程までより速い。

 だが細心の注意を払っていたカルロは返すフィーゴの長剣の軌道を塞ぐ様に自身の剣を奔らせた。

 カルロの視界に一瞬フィーゴの瞳が映り込み――――カルロの全身に悪寒が奔り抜ける。

 カルロとフィーゴの剣が軌道を重ねぶつかり合う――――筈であった。

 フィーゴの長剣が一切の減速すら見せずピタリと止まる。

 刹那軌道を再度変化させたフィーゴの長剣は流線を描き、カルロの剣を握る右手首を鮮やかに断ち切る。

 一刀の動作から繰り出される変則の三連撃――――恐るべきフィーゴの剣技がカルロの予測をも超える。


 焼け付く様な激痛にカルロは咄嗟に大きくフィーゴから飛び退く。同時にカルロの剣を握ったままの右手首が舞台の床へと落ち……床を血に染める。

 意識を失い掛ける程の激痛と自身の右手を失うという衝撃……普通の人間ならば正気を失う様な状況にありながら、だがカルロは冷静に状況を把握していた。

 自身へと一気に間合いを詰め、迫るフィーゴの姿に……カルロが苦笑を浮かべる。


 こりゃ、参ったね。


 感慨と呼ぶには余りにもあっさりとした思い。

 エレナやフェリクスと大陸を旅する。カルロは恐らく自分の人生の中でもっとも充実した毎日になったかも知れない日々を、あったかも知れない未来を一瞬惜しむ。だが同時に直ぐに仕方ねえな、と納得もしていた。

 傭兵は今を生き、刹那の時に命を賭ける。

 だからこそ何者にも縛られず、侵されず、自由でいられるのだ。

 傭兵にとっては先の未来など儚き夢で出しかない。叶わぬ夢ならばそれまでの事だ。

 未練も悔いもある……だが後悔だけはしない。

 それが傭兵、カルロ・ヴァルザーニと言う男であった。


 カルロを逃すつもりなど毛頭無い苛烈なフィーゴの剣が、黄泉へと誘う死神の鎌の如くカルロの胸を、その心の臓を穿つ様に放たれる。

 カルロはそのフィーゴの剣先をかわせない……いやかわさない。

 カルロの左腕の手甲がフィーゴの刃先を僅かに反らすが、勢いを失わないフィーゴの長刀はカルロの胸部を貫き、鮮血で真っ赤に染め上げた背中からその刃先を覗かせていた。


 「若造、手負いの獲物を仕留めるにしちゃあ、詰めが甘めえよ」


 カルロの声は苦悶の呻きでも断末魔の叫びでもない……その表情はまるで浮き立つ様な、ガキ大将が自慢げに浮かべる屈託の無い笑顔の様な、一片の曇りも無い満面の笑み。

 急所を外された事でフィーゴは即座に刀身をカルロの身体から引き抜こうとする。即死は免れたとは言えカルロが受けた傷が致命傷なのは変わらない。フィーゴが剣を引き抜けばカルロは大量の出血で即座に死に至るだろう。

 だがカルロの残された左手がフィーゴの剣の柄を掴み離さない。まるで万力にでも締めつけられたかの様にフィーゴが幾ら力を込めてもカルロにつき立てられた長剣はピクリともしなかった。

 刹那フィーゴの身体が凄まじい激突音と共に傾く。

 カルロの頭突きがフィーゴの眉間を割り一撃でその顔を赤く染める。だが加減の無い頭突きはカルロ自身の頭部をも割り、一瞬で両者の顔が血に塗まった。

 衝撃と激痛で揺らぐフィーゴの襟元を左手を伸ばし掴むと、カルロはそのままフィーゴの鼻先に更に頭突きを叩き込む。

 鼻骨が砕ける嫌な音と共に、完全に意識を刈り取られたフィーゴの身体が……両膝が床に付き……そして崩れ落ちる。


 静まりかえる場内。


 立会いの職員がカルロへと駆け寄る。


 「告げろ、勝ったのは誰だ、勝者はどちらだ」


 カルロの言葉に一瞬立会いの男は驚いた様な表情を浮かべるが、直ぐに右腕を大きく掲げ、


 「勝者 カルロ・ヴァルザーニ」


 と高らかに宣言する。


 大歓声に包まれる舞台。

 カルロはその声を聴きながら、ゆっくりと、ゆっくりと、その瞼を閉じていく。


 クソみてえな戦場を渡り歩き、やっとこさ生き残って、さあこれからって時にこんな下らねえ試合に命を賭けて意地を張って……しまらねえ最後だが――――まあそんなに悪くもねえか。


 薄れゆく意識の中、カルロはそんな事を漠然と考えていた。



 

 舞台の入口でカルロの試合を見ていたエレナは、カルロの最期を見届け瞳を閉じる。

 馬鹿な男と人はカルロを笑うだろうか。

 いや……笑わせなどしない、馬鹿になどさせはしない。

 騎士が信念と大儀に殉じる様に傭兵は己の欲望に命を懸ける。

 金の為に、一晩の女と酒の為に、そんな馬鹿げた物にすら命を……全てを懸けられる男たちに、自分に正直に、純粋に生きられる男たちにエレナは強い憧れを抱く。

 そんな傭兵たちの中でもカルロは誰よりもエレナが焦がれる傭兵らしい男であったと、カルロの最期を見届けたエレナは思う。

 カルロに対してエレナは哀悼を示さない。そんな見送られ方をカルロが望むとは思えなかったからだ。

 カルロを笑っていいのは、そんな生き方を愛し憧れた者たちだけだ。 

 だからこそエレナは寂しそうに微笑みカルロを送る。


 エレナの胸にまた一人名を刻む男の名はカルロ・ヴァルザーニ。


 何処までも傭兵らしく生きた、自由を愛した男の名であった。

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