第92話


 「お初にお目に掛かります、私の名はオリヴィエ。ロザリア帝国第二王子、クレイヴ・バルタ・ローディス殿下にお仕えるする騎士、オリヴィエ・ハーヴェルと申します」


 立ち上がり名乗りを上げるオリヴィエはカルロに目線を送りながらも、視界に映るエレナの姿を注視していた。

 そんなオリヴィエの姿にカルロは油断無く周囲を伺う。

 身分を明かした事でロザリア帝国の騎士であるオリヴィエが帯剣を許されている理由は分かったが、その騎士が主であるクレイヴの傍元を離れ何故此処に居るのかの、その理由の説明にはなっていなかったからだ。


 「そのロザリア帝国の騎士殿が一体この様な場に何の御用かな」


 「これは失礼しましたカルロ・ヴァルザーニ殿」


 初めて会った筈の自分の名を告げるオリヴィエにカルロは警戒心を強めた様に僅かに目を細める。

 ロザリア帝国とオーランド王国の関係は災厄以前から友好的とまではいかずとも悪くは無い。特に現ローディス王家とは長き戦乱状態に突入していた敵国であり、国力、兵力ともにオーランド王国を上回るベルサリア王国への牽制と言う側面においてロザリア帝国とは共闘関係にあったとさえ言えた。

 ロザリア帝国側からしても、ファーレンガルト連邦との泥沼化した十年戦争終結に向けてベルサリア王国の横槍を牽制する意図があったのだろうが、表面上は不可侵の中立国同士であった両国にはそうした協力関係が成立していたのだ。


 しかし当初ベルサリア王国が侵攻していたオーランド王国領ラテーヌ地方での激化した戦乱の中に傭兵として身を置いていたカルロには、ザルニア城砦の悲劇として知られる虐殺の記憶が今尚鮮明に記憶に残っている。


 ザルニア城砦攻防戦。


 ラテーヌ地方を防衛するオーランド王国の拠点の一つであったザルニア城砦をベルサリア王国軍が完全に包囲する形で行われた攻城戦は、ロザリア帝国軍がラテーヌ地方の南東に位置するベルサリア王国の国境線に、軍事演習という名目で騎士団を動かす事でベルサリア王国を側面から牽制し、援軍到着までの時間を稼ぐ手筈になっていた。 

 ところが攻城戦が始まってもロザリア帝国は動く事は無く、後背に憂いの無いベルサリア王国軍の猛攻に寄って援軍の到着を待つ事無くザルニア城砦は僅か四日で陥落する。

 これによりザルニア城砦の守備に当たっていたオーランド王国の駐屯軍を始め、城砦へと避難していた近隣の村や街の住民たち合わせて三万人以上がベルサリア王国軍により虐殺される。

 見せしめと心理的効果を狙ったのだろうベルサリア王国軍は、略奪と破壊の限りを尽くした後、城砦の外壁に斬首した三万人以上の首を晒したのだ。その中には無慈悲に首を刎ねられたまだ幼い子供たちや若い女性たちも数多く含まれ――――援軍の一員としてザルニア城砦に赴きその惨状を目の当たりにしていたカルロに取っては決して生涯忘れえぬ忌まわしい記憶として焼き付いている。


 ザルニア城砦の悲劇……その背景にはロザリア帝国の干渉を嫌ったベルサリア王国とロザリア帝国の間に何らかの政治的な取引が行われていたのは明白であり、カルロにとって東部域の民族とは平気で約束を反故にする腹に一物もニ物も持った、信用に値しない人種であるという強い偏見を持っていた。

 だからこそ美しい容姿を持った女性であるオリヴィエに対しても、カルロが抱いたのは東部域の人間に対する強い不信感と湧き上がる嫌悪感であった。


 「本選での御二方の勇姿を拝見して、是非一度お話したいと思っていたのです。本当に偶然ではありますが御二人の姿を御見掛けし、些か無粋かとは思いましたがお声を掛けさせて頂きました」


 「確かに無粋だな」


 カルロはオリヴィエを見据えたまま、隣に立つエレナの細い腰へと腕を回し僅かにその身を引き寄せる。大広間を離れ、態々男女がこうして人気の無い中庭に居る意味考えろ、とカルロはオリヴィエに暗に示して見せる。



 エレナはカルロから差し伸べられた腕に抗う事はせず大人しく身を任せる。今はカルロの演技が寧ろ有り難かったからだ。

 自分の目の前に立つ女性……オリヴィエ・ハーヴェルは宣託の騎士団の一員としてエレナがロザリア帝国の帝都に滞在していた折にお世話になった恩師の孫娘であり、エレナも良く知る妹の様な存在であった。

 最後に会ったのはもう二年近く前になるだろうか……美しく成長を遂げたオリヴィエの姿に戸惑いを感じてはいたが、エレナを一番驚かせたのはオリヴィエがロザリア帝国の騎士と名乗った事であり、それが何よりも衝撃的であった。

 勝手な思いではあったがエレナはオリヴィエには好きな男を見つけ子を産み育てる……平凡でも当たり前なそんな幸せを見つけて貰いたかった。それがアンリとエレナが夢見た希望であり、ささやかな願いでもあったのだ。

 だがエレナがオリヴィエが選んだ道に口など挟める道理は無い……全ては自分たちが生きて戻れなかった、その悲しみと無念がオリヴィエに騎士になる道を選ばせたのだろう事が容易に想像出来たからだ。

 だからこそこうして再会を果たしたオリヴィエにエレナは謝る事も、再会を懐かしむ事も出来ず口を閉ざす……オリヴィエに掛ける言葉が思い浮かばないのだ。


 「無粋は承知でこうして参上したと申しました」


 カルロの少し意地の悪い対応にもオリヴィエは動じる様子は見せない。思う所が無い訳ではないが、この機会を逃せば次にこうして話せる機会に恵まれる保障などないからだ。


 「エレナ・ロゼ……さんでしたね、貴方の剣技は特に素晴らしいものでした。私が知る英雄の姿を彷彿とさせる程に……」


 エレナを見つめるオリヴィエの瞳が熱を帯びた様に潤む。


 「私が知る最高の騎士、最強の騎士……エレナさんはアインス・ベルトナーの名をご存知でしょうか」


 エレナのみを見つめ語るオリヴィエの姿に、カルロは一掃の不信感を募らせる。世界を救った英雄の名を知らぬ者など居よう筈が無いからだ。

 魔女カテリーナを討った救世の騎士アインス・ベルトナー。

 大陸に生きる者にとってその名は特別なものであり、今や三歳の赤子ですら子守唄に聞かされ知っているだろう。


 「アインス兄様の意思は魔物をこの世界から駆逐し、人の世を……魔物に怯えず笑顔で人々が暮らせる世界を取り戻す事でした。エレナさん……ロザリアに共に参りませんか、クレイヴ殿下が作られる新たな世界の構築にお力をお貸し頂きたいのです」


 オリヴィエの熱が篭った声にカルロはオリヴィエの真意と意図を察する。

 確かにギルド会館に所属しオーランド王国から援助を受けているとは言え、傭兵であるエレナやカルロがロザリア帝国の騎士に雇われる事はギルドを抜ける事が条件にはなるが法的な問題は無い。つまりオリヴィエはこの大会で優秀な人材をロザリア帝国に勧誘しようと言うのだ。


 「笑顔で暮らせる世界ねえ……綺麗事過ぎて反吐が出る。魔物がこうして現れる災厄以前の大陸が人々が笑顔で暮らせた世界だったとでも言うつもりかお嬢ちゃん」


 確かに魔物が蔓延る今のこの大陸は地獄かも知れない……だが災厄以前、大陸の何処を見渡しても戦乱に包まれ、貧困、疫病……死に溢れたあの世界もまた地獄であった。


 「人間同士が……国家間の戦争が無くなった今の状態の方がましだって考え方だって出来るんだぜ」


 「それは導くに値しない者たちの愚行に寄る結果でしかありません。クレイヴ殿下ならばそんな過ちは犯さない……世界をより正しく導いて下さる筈です」


 オリヴィエの瞳にはクレイヴへの絶対的なまでの信頼が浮かんでいる。


 「一人の人間の意思の力で世界に変革を齎そうとするのは大きな驕りであると思う」


 これまで沈黙を守ってきたエレナの不意の言葉に、オリヴィエは衝撃を受けたように呆然とエレナの姿を見つめる。


 「かつての英雄が何を願い何をなそうとしていたのか……私には分らないけど、世界を変えるのならば誰か一人の力では無く、それは多くの人々の意思であるべきだと私は信じてる。貴方の考え方は酷く危険で歪んでいる……だから私は貴方と共には行けない」


 信頼を寄せる兄からの決別の言葉にオリヴィエは言葉を失う。アインスならば喜んでクレイヴの理想に協力してくれると信じて疑っていなかっただけにその受けた衝撃は計り知れない。

 だが直ぐにオリヴィエは思い至る。

 あの魔女が……エリーゼが何かアインスの意思を縛る様な制約を科したのでは無いか、と。

 そう考えれば全ての辻褄が合う。

 アインスが意に沿わぬ発言を強制されていると思うとオリヴィエの胸は締め付けられる様に痛む。


 「話がそれだけならこれで失礼します」


 エレナは呆然と立ち尽くすオリヴィエに背を向けてカルロと共に大広間へと戻っていく。


 可哀想なアインス兄様……必ずオリヴィエがお救い致しますから……。


 オリヴィエは痛ましそうにエレナの姿を見送っていた。




 クレイヴは挨拶程度に姿を見せただけで早々に舞踏会を切り上げ自身の寝室へと戻ってきていた。ヘクターとオリヴィエも下がらせている為、寝室にはクレイヴ以外人の姿は無い。


 「首尾はどうであった」


 「上々とはいえぬ結果で御座いますな、我が王よ……」


 クレイヴの問いに闇が答える。

 寝室の隅に闇が生まれ形をなしていく。


 「そう全てが容易く運ぶとはいかぬか」


 言葉とは裏腹にクレイヴはさして不機嫌そうな様子は見られず、寧ろ何処か楽しげな表情すら浮かべている。


 「偉大なる王には、相応しき英雄の存在が必要で御座います……かの娘、必ず手に入れなされ……我が至高なる王よ……」


 「貴様の方こそ随分と入れ込んでいる様だな、アウグスト」


 ククッ、と笑っているのであろうか、アウグストの潰れた喉から不快感を伴う酷く歪な音が漏れる。


 「まあ良い……暫くはオリヴィエの好きにやらせるとしよう、それもまた一興であろう」


 欲しいものは必ず手に入れる、だが手に入れ難いものだからこそ、その過程を楽しめるというものだ。故にもう少し時間を掛けるのも良いだろう。


 肘掛に肘をついたまま酒が注がれた杯を呷るクレイヴの姿は何処か暴力的で、だが滲み出す風格は若き覇王の名に相応しい荒々しいまでの覇気と貫禄を秘めていた。


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