第82話

 ライズワースからセント・バジルナとを結ぶ街道を行く三台の荷馬車。御者台に座る商人が各荷馬車に二人、そして三台の荷馬車を囲むように二十数騎はいるであろうか、武装した騎馬の群れが荷馬車に併走する様に歩みを進める。


 ライズワースからセント・バジルナまでは早駆けの騎馬なら数時間、緩やかな歩みで向かうこの商隊でも日没までには到着出来る様、出発時刻を調整してライズワースを発っていた。


 数年前まではどの国でも当たり前に見られたこうした光景も、今やライズワース近郊でしか見られない特異な光景となっている。何故ならば、この速度で陸路を往来する人間の集団など、魔物にとっては格好の獲物であるからだ。


 商隊がこうして陸路を行けるのは、街道沿いの魔物狩りを徹底して行っているギルドの活動があってこそであり、オーランド王国が他国に示すギルド制度の成果の証と言えるだろう。


 商隊の先頭付近にレティシアたち双刻の月の面々の姿が見える。リム、アルク、ライエルの三人が馬を並べ、少し前を馬上のレティシアが進む。


 「リム、どうだ?」


 前を進むレティシアに聞かれぬ様に声を潜めてリムに話し掛けるアルク。

 先程まで少しレティシアと会話を交わしていたリムは同じくレティシアの様子を伺いながら、アルクとライエルだけに見えるように両の人差し指を斜めに交差させた。


 ここ数日レティシアの機嫌がすこぶる悪い。そしてレティシアの機嫌を此処まで左右出来る存在は恐らく一人だけであるのだが、その人物はこの場には居ない。

 少し距離を置く事で多少はレティシアの気が晴れる事を期待していたリムたちだったのだが、どうやらその望みは薄そうである。

 とは言えレティシアは感情に任せてリムたちに当たる様な真似をする狭量の狭い女性では無いので、そう言う意味ではリムたちに直接的な被害が及ぶ様な事は無いのだが、それでもやはり何処か気まずい空気が生まれてしまうのは否めない。


 「だけど実際勿体無いよな」


 「何がよ?」


 「折角の美女が同性のエレナに執着したって生産性がないだろ」


 「ばっ――――!!」


 リムは慌ててアルクの口を塞ごうとして思わず馬上から身を乗り出してしまう。不用意にアルクの口から飛び出した言葉は、最早双刻の月では暗黙の了解と為っている禁句であったのだ。


 リムから見てもレティシアがエレナに向ける愛情は、親愛の情すら大きく逸脱して異性に対しての一途な愛情……見方を変えるなら強すぎる執着を感じさせた。


 同性愛と言う価値観はリムには未知の感情であり、倫理的な価値観からいえば受け入れ難いものではあったが、リムの中では困惑はあれ嫌悪を抱くというところまでには至ってはいない。それは一般的な価値観からのものでは無く、レティシアという女性の人となり故だろう。


 眉目秀麗、才色兼備。リムから見てもレティシアは非の打ち所の無い理想的な女性である。そのレティシアがもし女性しか愛せないのだとしたら、それはそれで個人の嗜好として受け入れねば為らないのでは無いかと思える程に、個人的にリムはレティシアを尊敬してもいたし、また自分をこのギルドへと受け入れてくれた事への恩義も感じていた。


 なによりレティシアの執着の対象であるのがエレナと言う少女である事が一番大きな理由かも知れない。そうした気が無いリムにしても、時折エレナが見せる何気ない仕草にまったく心が動かされないかと言えばそれは嘘になってしまうからだ。


 性別を越えて美しい者を愛でる気持ちは等しく同じであると、エレナが相手として例えられたとしたら誰がそれを否定出来るであろうか。


 「お前……焦り過ぎ、馬蹄の音でこの程度の声が聞こえる訳ねえだろ」


 リムの慌てた態度に寧ろアルクの方が困惑した様な表情を浮かべている。

 アルクの言葉通り前を進むレティシアは二人の会話に気づいて様子は無く、特に変わった様子は見受けられない。


 「あんたこそ、もう少し周囲に気を遣いなさいよ、こんな微妙な話題をこんなところで持ち出さないで貰いたいわね」


 「俺は女同士じゃ子供を作れない事が問題であって、そういう嗜好がどうのなんて言ってねえだろ」


 アルクにして見ればリムなどよりもっと単純に物事を捉えていた。


 アルクにとっては男女の営みは自分の血を残す為の手段であり、その為に男は女を抱き子を作るのだ。多くの女を抱くのはより強く自分の血を受け継ぐ子供を授かる為であり、女に対する欲求はそれを促進する為の二次的な感情に過ぎない。欲望に任せて女を襲う連中ですら根源的な欲求に、本能に身を任せているとすら言えるかも知れない。


 そうした価値観を持つアルクには同性間で生じる恋愛感情など、子を宿せぬ以上ただの気の迷いか戯れにしか思えず理解の範疇の外にあった。


 ただアルクがリムと大きく違うのは、アルクが一般的な倫理観などはまるで意に介していないところであろうか。だからこそレティシアのそうした嗜好を惜しいとは思えど、所詮は他人事と客観的に物事を見ているアルクとリムでは微妙に理解が異なり会話にすれ違いが生じている原因ともなっている。


 「二人共、声が大きくなってるよ」


 そんな二人の間にライエルが割って入る。

 リムは尚アルクに対して言い足り無さそうではあったが、レティシアが近くに居るこの状況でこれ以上言い争う事が何の特にもならない事も分かっていた為、渋々ではあるが引き下がる。


 「ライエル、お前のそういう卒が無いところ嫌いじゃないぜ、俺が名を挙げて貴族になったら俺の領地に呼んでやるよ」


 「それは光栄だね、楽しみに待ってるよ」


 尊大とも取れるアルクの言葉にライエルは笑顔を向けた。アルクがライエルに向ける緋色の瞳には冗談と片付けてしまうのが憚られる程強い意志の光が宿っている。ライエルにはそんなアルクの姿が少し眩しく、そして羨ましくもあった。


 「リム、お前もな」


 「あら、光栄ですわリッチオ卿」


 リムはそんなアルクに少しおどけた様な表情を見せる。


 アルクが見せる若者特有の何の根拠も無い自信と大きな夢。だが一片の臆面も見せずそれを語るアルクの姿に自分には無い何かをリムは其処に感じていた。

 己の進む道を、その野望を夢のまま終わらせはしない……そうした強い意志と自分に対しての絶対的なまでの自信。


 緋色の瞳に宿るその強い光にリムは羨望の様な感情を抱く。最も身近な競争相手でもあるアルクに……いや、身近な存在だからこそ理解し認めている一面もまた存在していたのは確かであろう。


 そんな三人の周囲が僅かにざわつき、前から商隊に向かってくる騎影の姿をリムたちもその視界に捉える。それは商隊に先駆けて先行させていた騎馬の一騎。その騎馬が姿を見せたという事は前方で何か異変が起きたという事だ。


 「レティシア嬢、この先右前方に魔物が一体、このまま進めば鉢合わせになるぜ」


 「この近辺に討伐に出ているギルドは居ないのかしら?」


 「さてな、此処まで街道沿いでは見かけなかったな」


 駆け寄ってきた騎馬にレティシアは少し思案げな表情を浮かべる。


 こうした場合、街道沿いの討伐に赴いているギルドに討伐対象がいる事を知らせ処理を任せるのが一般的な対応ではあったのだが、それが無理な場合に取るべき対処は二つある。


 魔物に道を塞がれる前に全速で駆け抜けるか魔物を始末する。


 無難な道を選ぶのであれば危険が少ない前者でろうが……積荷を積んだ荷馬車では魔物を振り切るのは現実として難しい、となれば取るべき選択肢は自ずと限られてしまう。


 「商隊はこのまま前進、リム、アルク、ライエル、三人は私と来なさい」


 後ろを進む三人に声を掛けるとレティシアは手綱を操り商隊の隊列を離れる。リムたちもそのレティシアの後に続く。


 商隊から離れ暫く馬を走らせたレティシアたちはの眼前に、街道の中央に商隊の進路を阻むかの様に立ち塞がる人外の異様な姿が目に飛び込んで来る。


 背徳の蠍(ノー・フェイス)。


 この北部域で最大の個体数が確認されている下級位危険種の姿である。


 レティシアはノー・フェイスと距離を取る様に馬を下りると、馬の背に吊っていた槍を手にする。リムたちも腰の剣を抜きレティシアの後ろに降り立つ。


 「商隊が着く前に片を付けるわよ」


 レティシアの声を合図にアルクとライエルがノー・フェイスの左右へと散る。正面のレティシアがノー・フェイスの注意を引き付け、左右後背からリムたちが仕留める。対魔物用の戦闘においては最も基本的な陣形ではあるが、言い替えるのならば大陸中に一般的に普及する程に効率的で理想的な陣形とも言える。


 だがレティシアの声に反応したアルクとライエルを尻目に、本来ノー・フェイスの後背に移動しなければならないリムの姿が以前レティシアの背にあった。強張った表情で魔物を見つめるリムの瞳には緊張とそして恐怖の色が浮かんでいる。


 リムとて初めて魔物を目にした訳ではない。だがこうして実際間近に魔物の異様に接した時、人に模した能面のようなノー・フェイスの頭部を、嫌悪感を感じずにはいられないその姿を目の当たりにしてリムの身体が震え、意思に反して思う様に身体を動かす事が出来ずにいた。


 人間の根源的恐怖を呼び起こさずにはいられない魔物の異様な姿に、リムは完全に飲み込まれていたのだ。


 「リム、貴方はそこで見ていなさい」


 レティシアの声で我に返った様にノー・フェイスから視線を外す事すら出来ずにいたリムの瞳が、宙を彷徨いそしてレティシアの背を映す。


 「私もやれます!!」


 やや上ずりながらもレティシアの声に応えるリム。レティシアの冷静な声音を聞き、リムの中でレティシアの前で無様な姿を晒してしまった自分への怒りが、臆してしまった事への羞恥が魔物に対する恐怖を上回る。


 「恐怖を感じる事は決して恥ずべき事ではないわ、臆病な位で丁度いい、この世界で生きると決めたのなら学びなさい、生き残る術を、自分の戦い方を」


 レティシアの右手の槍が半円を描き、その刀身が斜め下段へと下げられる。一切の緊張すら感じさせないその凛々しく優美なレティシアの姿に、自分との経験とそして力の差をまざまざと見せ付けられている様で、リムは知らず唇を噛み締める。


 眼前にと歩み寄るレティシアを標的として定めた様にノー・フェイスの四肢が不快な音を立てながらレティシアへと迫る。逆立てたノー・フェイスの毒尾がチリチリと音を立てて小刻みに震えている。


 捕食体勢をとるノー・フェイスの悍ましい姿を前にレティシアは不快そうに美しい眉を顰めた。


 「来なさい、化け物」


 挑発的なレティシアの言葉を理解した訳ではないのであろうが、刹那その毒尾が振り下ろす様にレティシアに襲い掛かる。


 放たれた矢の様に速度に乗ったノー・フェイスの毒尾にレティシアの槍が半円の軌跡を描き奔る――――瞬間ノー・フェイスの甲高い金切り声の様な絶叫と共に、尾の半ばで断ち切られた毒尾が地面へと転がった。


 どす黒い血飛沫を撒き散らし小刻みに地面を跳ねる毒尾に、レティシアは僅かに一瞥をくれる。


 如何に速かろうが単調で変化の無いノー・フェイスの攻撃など、レティシアにとってはまるで脅威になど為り得ない。容易く毒尾に絶ったレティシアはそのまま滑り込む様にノー・フェイスの懐へと身を躍らせ、それに併せてアルクとライエルも左右からノー・フェイスへと斬り込む。


 だがレティシアの方が速い。


 その手から放たれた槍は淀み無い流線を虚空に刻み、ノー・フェイスの右の触角ごと頭部の能面の様な顔を縦に両断する。


 レティシアに頭部を両断され、横転する様に地面へと崩れ落ちるノー・フェイスの巨体に、アルクとライエルも踏み込んでいた足を止めた。


 初動から一瞬でノー・フェイスを仕留めたレティシアの技量の凄まじさに、アルクは頭を掻き様な仕草でレティシアを見つめる。

 ライエルもまた改めてレティシアの実力を再認識する。


 アニエスやエレナの存在に隠れて目立たぬとは言え、レティシアもまた上位の序列者であり、一線で戦う実力を持つ傭兵であるのだと。


 「焦らず、経験し、そして驕る事無く研鑽を重ねなさい。その全てがこれからの貴方たちの糧となる様に」


 呼吸すら乱す事無く、一瞬で魔物を仕留めたレティシアの雄姿にその華麗なる姿にリムは目を奪われていた。後方から聞こえて来る商隊の馬蹄の音にすら気づかぬ程に。


 いつか届くのであろうか、いつか並べるのであろうか、アニエスやエレナ、そしてレティシアたちに……未熟で非才な自分の姿と比べ、美しく強い彼女たちの姿にリムは強い憧れを抱きそして同時に――――。


 リムの両手は強く、強く握り締められていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る