第81話

 優勝候補の一角であったフェリクス・ナザリエルが開幕初戦で敗れると言う波乱の幕開けを迎えた剣舞の宴ではあったが、その後の試合経過は大きな番狂わせも無く、各組二回戦を終えた時点で高位の序列者たちが勝ち残ると言う順当な流れに推移していた。


 これはギルドと言う制度が確立されて二年近くの月日を経た事で、競争の中淘汰され、洗練され、序列そのものが正当な実力者たちに与えられて来たという、言わばギルド会館側の成果の現われとも言える。


 だからこそフェリクスを破ったエレナの名は一躍ライズワース中に知れ渡り、今や優勝候補の一人にすら挙げられている。その容姿を含め、話題性が先行していると言う面は否めないが、それでもエレナ・ロゼの名は大会に沸く街中や酒場において常に中心で語られる、今や時の人である事は間違い無い。


 「壱組はもう順当にベルナディスとエレナで決まりだろうな」


 そんな声が賑わう酒場のテーブルを囲む男たちの中から聞こえて来る。ほろ酔い加減の男たちの中でそれに異論を唱える者は出て来なかった。


 「壱組に入ってる有力所ていやあ、後はロベルタス位かね」


 「だなっ、けど奴が勝ち残っても準決勝でベルナディスと当たる事になるからな、厳しいだろう」


 剣舞の宴の優勝予想……やはり下馬評では王立階位を持つ五人の名が挙げられ、中でも大方の予想はベルナディスの名で占められる。次点の候補はやはり序列通りフェリクスであり、そのフェリクスを破ったエレナが今や今大会最大の波乱の目として二番手に挙げられていた。


 エレナの勝利をまぐれや運に恵まれたと揶揄する声も囁かれてはいたが、そうした声はやっかみや、フェリクスに大枚をはたいていた極一部の少数派の意見であり、エレナの試合を直接観戦していた者たちは無論の事、このライズワースで序列者たちを僅かにでも見知っている者たちならば、序列二位と言う最高位に近い序列者であるフェリクスが運やまぐれで敗れる程、空ろで脆弱な存在では有り得ない事ぐらい当然の認識として理解していた。

 男たちの話題はエレナとベルナディスの直接対決と言う決勝という見せ場を残すとは言え、ほぼ当確者が決まった壱組の話題から他の組の話題へと移っていく。


 そうした男たちが熱く語り合う酒場の二階、個室として使用されている一室にその当事者たるエレナの姿があった。


 「では砂塵の大鷲さんの方から出して頂ける人員の人選はお任せするとして、条件等と報酬の金額の方なのですが」


 「その額でこっちは構わねえぜ」


 カタリナがテーブルに置かれた書面を指ですっと前に座るヴォルフガングの方へと滑らせると、その書面に記された金額を確認したヴォルフガングは同意を示す様に頷く。


 こうした交渉の場に赴く場合、主にアニエスがカタリナの付き添いとして同行していたのだが、今回は見知った相手であった事もあり、次の試合が近いアニエスに代わりエレナがカタリナの護衛を兼ねた付き添いとして同行していたのだ。


 剣舞の宴の開催期間中と言えどギルドの活動自体は日々普段通り行われている。そうした中、実質上活動を休止しているとは言え、双刻の月への依頼は後を絶たない。


 そうした依頼の大半は断りを入れていたのだが、個々で齎される依頼の中にはどうしても断る事が難しい依頼も存在するのだ。


 特にギルド会館に多額の寄付と支援を行っている大手商会の依頼となると、双刻の月がギルド会館に所属するギルドである以上、正当な理由が無い現状では無下にあしらう事は流石に出来ない。


 そうした理由から大手商会の一つであるロダック商会からの依頼を、レティシアは不本意ながら承諾せざる得ず、その支援を砂塵の大鷲へと依頼する事となったのだ。


 ロダック商会からの依頼はセント・バジルナへの商隊の護衛と言う比較的容易な依頼内容ではあったのだが、大会に参加中であるエレナたち主要な面々を商隊の護衛につかせる訳にはいかず、今回初の実戦参加となるリムたち三人とレティシアだけでは経験もそして人数的な面でも心許なかったのだ。


 「お前らも大変だな」


 ヴォルフガングにしては少し含みが篭められた声音には理由がある。


 本来構成員七名程度の小規模ギルドには商隊の護衛というのは些か荷が重い。個人の護衛ですら最低三人は必要とされる陸路を、積荷を積んだ荷馬車の護衛ともなれば最低でも十人以上は護衛が必要とされるのが一般的な常識である。


 ロダック商会がこの程度の常識を知らぬ筈もなく、それでも尚双刻の月に依頼をするのは商人流の打算的な計算故だろう。


 今や飛ぶ鳥を落す勢いの双刻の月との今後の関係を考えての、接待的な意味合いが深いのは提示された報酬額が通常の相場の二倍近い事を考えても容易に伺えた。


 それは双刻の月と言うギルドの名が今後大きな影響力を持つと商人たちに認められた証であり、本来は喜ぶべき事ではあったのだが、正直この時期に数日ライズワースを離れなければならないこの手の依頼はレティシアにとってはいい迷惑と言わざるを得ない。


 「こうしたしがらみも、ギルドとして周囲に認められたと考えれば喜ばねばならないのでしょうね」


 「だろうな」


 ヴォルフガング自身、そうしたギルドの運営に関しては人任せな面が多分にあるせいであろうか、自身で話を振った割にはカタリナの言葉にさして反応を見せず、用意されていた酒を呷っている。


 「次勝ち上がればシェルンと当たるのに、ヴォルフガングさんは随分と余裕そうだね」


 エレナにして見れば嫌味を言ったつもりでは無かったのだが、シェルンもまた次の試合を勝たねばヴォルフガングとは当たらない……いわば同条件にも関わらず、シェルンの勝利を疑わないエレナの言葉に若干ではあったがヴォルフガングは不機嫌そうな表情になる。


 「小僧が勝ち上がって来ようが、相手が誰になろうが俺には関係ねえな、俺と当たった時点で結果は決まってるからな」


 「どうかな、それはやってみないと分からないと思うけど?」


 ヴォルフガングのやや小馬鹿にした様な態度に、エレナは挑む様な眼差しをヴォルフガングに向ける。


 「ではヴォルフガングさん、護衛の人員の件、宜しくお願いします」


 カタリナは二人の様子を察すると強引に話を戻そうとする。明らかにエレナの雰囲気が先程までとは変わっている。当然それは良い意味では無い。


 普段は大人びているエレナであったが、時折酷く子供っぽい一面を見せる事がある。特に身近な人間が関わる事となるとそれは顕著に現れる。先の言葉とは相反するが、妙に大人気が無くなるのだ。


 カタリナですら傭兵と言う生き物が力への自負と自尊心の塊である事くらいは既に十分弁えている。エレナならば尚の事それを理解している筈なのにも関わらず、こうして剥きになってヴォルフガングに噛み付こうとしている。


 あんな聞き方をすればヴォルフガングがどう答えるかなど火を見るまでも無く明らかだと言うのにだ。


 「じゃあエレナ、一つ勝負といこうか」


 「勝負?」


 まるで天啓でも受けたかの様に、ヴォルフガングの表情が一転して楽しげなものにと変わる。


 「ああ、俺があの小僧に勝ったら俺に一晩付き合え、もし小僧が勝ったら……そうだな何でも一つ言う事を聞いてやるよ」


 ヴォルフガングの提案にエレナは思わず呆れてしまう。


 そんな条件などまったくもって話に為らない。ヴォルフガングの言う一晩付き合う事が、食事や酒の話ではないのが明白な以上、何をもってそんな勝負を受けねば為らないのかがそもそも分からない。


 少し熱くはなっていたとは言え、そんな馬鹿げた条件を飲むとヴォルフガングに思われていたと言うのならば心外な話である。


 「そんな条件飲める訳――――」


 「逃げたっていいんだぜ、そうだよな、あんな小僧が俺に敵う訳がねえしな、そもそも賭けにすらならねえか」


 ヴォルフガングは意図的にエレナの言葉に被せる様にシェルンを煽る。

 重ねる様にエレナを挑発するヴォルフガングの言葉にエレナの白い肌が見る間に朱に染まっていく。

 その二人の様子に不味い、と感じたカタリナが強引に話に割り込もうとするが一足遅かった。


 「いいですよ、その勝負受けましょう、吠え面をかかないで下さいねヴォルフガングさん」


 見事な満面の作り笑顔でヴォルフガングの勝負を受けるエレナ。だがその黒い瞳はまったく笑っていない。


 そんなエレナに対して鹿爪らしい表情を浮かべるヴォルフガングであったが、内心では会心の笑みを浮かべていた。


 この手の大会などまるで興味など無く、いつ辞めようかと思案していたヴォルフガングにとってはこれは思い掛けない僥倖であった。少なくとも、もう少し楽しめそうだ、と。


 互いに意味深げな笑みを浮かべて微笑みあう二人の姿にカタリナは思わず頭を抱えそうになる。


 こうなってしまっては最早後の祭り……お互いもう一歩も退かないだろう。

 もうこうなればシェルンに勝って貰うしか穏便に収める方法はないのだが、その前にカタリナには最大の試練が待っている。


 レティシアにこの事をどう告げるべきか……。


 その光景を想像しカタリナの背中にぞぞっ、と悪寒が奔り、思わず天を仰ぎ見てしまう。この場にエレナを連れて来てしまった我が身の迂闊さを後悔せずにはおれないカタリナであった。

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