第79話

 闘技場を埋め尽くす群集の大歓声がエレナと、そしてエレナと対峙して立つフェリクスを包み込む。

 立会いを勤めるギルドの職員の男がエレンとフェリクスに対して、幾つかの注意事項を述べているが、職員の男の声は群集の大歓声に掻き消され、エレナの耳に届く事は無い。

 だがエレナにとってはそれは大きな問題では無かった。

 弓矢の様な飛び道具の使用すらも認められているこの剣舞の宴において、禁止事項や反則行為などは無いに等しい。

 要は相手を戦闘不能にまで追い込むか、負けを認めさせた者が勝利を手にする。至極単純なその仕組みさえ理解していればそれだけで十分であったのだ。


 「両者抜刀!!」


 職員の男は二人に一定の距離を取らせ、身振りを交え大きく叫ぶ。

 エレナはその合図に合わせ両の腰に帯剣している双剣を鞘から抜き放つ。


 「始め!!」


 両者が互いに自身の得物を手にするのを確認すると、職員の男は振り上げた右腕を振り下ろす様な動作と共にそう叫んだ。


 剣舞の宴 本選壱組一番。 エレナ・ロゼ対フェリクス・ナザリエル。

 今、両者の激闘の幕が開ける。


 試合の開始と共に徐々に静まり返る場内、だが開始の合図を受けても両者が大きな動きを見せなかった為、その立ち上がりは緩やかで、静かなものであった。

 エレナの視線の先、悠然とエレナを見据え、肩に大剣を担ぐフェリクスが立つ。

 フェリクスの大剣……いや、それは長刀、薙刀と呼称される種に分類されるのだろうか。

 研ぎ澄まされた刀身は約六十センチにも及び、鋼鉄製の柄はフェリクスの身長よりも長く、その全長は二百センチを越える。

 フェリクスが扱うこの長刀が余りにも規格外である事を差し引いても、エレナの双剣と同様に長刀を扱う使い手は数少ない。

 長刀特有の広い間合いは確かな利点として挙げられはすれど、長大な柄に長大な刀身を持つ長刀は余りにも重量が嵩み過ぎ振り回す事が困難であり、その長さ故に強度の面に関しても問題を抱える為、好んで扱う者がいないのだ。

 とは言え、柄の部分に軽量化を図り長さを調整した、斬撃に主眼をおいて作られる槍も大きく分けるならばこの長刀に分類され、レティシアが扱う槍もそれに属するものである。

 男性に比べ膂力に劣る女性が扱う武器としては、最大の利点である間合いの優位性を含め比較的好まれる傾向にはあり、まったく普及していない特殊な武器という訳では決して無い。

 だがフェリクスの扱う長刀はそれらの一般的なものとはまるで異なる。

 規格外の長さ、そして柄の素材を鋼鉄製にすることで強度そのものを高め、大剣に匹敵する打撃力すらも備えたフェリクスの長刀は、その対価として想像を絶するまでの重量を持つ。

 それは一般の成人男性が数人掛りでやっと浮かせる事が出来る程の出鱈目な代物であり、恐らくエレナでは僅かに動かす事すら不可能であろうそれは、フェリクスの先天的な身体的資質が齎す驚異的な膂力が無ければそもそもが成立しない武器であり、ある種エレナの双剣と同質のフェリクスのみが扱う事を許されたものであると言えよう。


 「美しいな、お前もまた与えられた者であるのなら、自身の舞台へと戻るがいい、此処はお前が君臨する類の場ではあるまいよ」


 エレナを一目みてフェリクスはエレナが自身と同種の人種である事を理解する。

 持つ者と持たざる者。

 それがフェリクスの持つ絶対的な価値基準である。

 無論、持たぬ者たちの中には興深き者たちや好ましい者たちは存在する。フェリクスはそれらの持たざる者たちを哀れんだ事もましてや蔑んだ事など一度として無かったし、それら弱き者たちに対して優越感など微塵も抱いた事は無かった。

 何故なら自分と他者との差など、ただそう生まれて来たか、そう生まれる事が出来なかったか……ただそれだけの違いでしか無いからだ。

 だからこそ才能に恵まれ、強者として生まれたフェリクスにとって、自身が他者より優れている事などは誇る様な事柄ですらなく、自分より他者が劣る事に対して見下す様な感情を抱く事も無い。

 そんなフェリクスから見てもエレナは持つ側の人間であった。

 その土俵は違えど、エレナの持つ美しさは与えられた資質であり、持たざる者が決して届きえぬ、隔絶された格差と言うものが厳然と存在するからだ。


 「私は今此処に立っている、ならば交わすべきは言葉ではない筈だ」


 「そうか……」


 エレナの言葉にフェリクスは僅かに声の調子を落とす。

 此処で刈り取ってしまうには余りに美しい花。 

 だが――――。

 圧倒的な重量を持つ長刀を肩に担いだまま、フェリクスは滑らかに前方へと駆ける。

 獲物を狙う野生の豹を思わせる俊敏なその動き、その圧倒的な瞬発力。

 警戒していたであろうエレナが反応する前に、呆気無く一瞬で長刀の間合いへと捉えると、そのままエレナに向けて長刀をなぎ払う。

 重さなど微塵も感じさせないその一撃は重く、そして――――速い。

 自身に迫る長刀の刀身を、その軌跡を、エレナの黒い瞳が映し出す。

 フェリクスの長刀がエレナの眼前へと到達する刹那、エレナは上体を大きく反らしながら放たれた左手のエルマリュートが閃き、虚空に軌跡を描く。

 激しい金属音と飛び散る火花。

 僅かに斬り上げる形で長刀の刃先を捉えたエルマリュートの刀身を、フェリクスの長刀が火花を上げながら滑っていく。

 エレナに軌道を変えられた長刀は仰け反らせたエレナの眼前を横切る様に大きく振り切られる。

 エレナは長刀を受け流すと、大きく身を退いてフェリクスの間合いを脱する事で追撃を防ぐ。


 「成る程、大したもんだ」


 加減してつもりは無い。戦場(いくさば)に立つという事は等しく命を懸けると言う事。例えそれが女、子供であろうともだ。

 それ故にかフェリクスの声音は驚きよりも寧ろ感心した様な趣きがある。


 仕切り直す形で再び距離を取り対峙するエレナとフェリクス。


 「凄い……」


 エレナの剣技を間近で見ていた観客席のリムの口から、感嘆の呟きが漏れる。

 フェリクスの長刀の重量を考えても、其処に込められた威力は想像を絶するものであった筈だ。だがエレナは非力な細腕で……しかも左手一本のみでその一撃を凌いで見せたのだ。リムにもそれが並みの技術ではない事くらいは分かる。


 「一対一の対人戦でエレナさんに触れられる者なんていない」


 リムの隣に座るシェルンが、エレナの姿から目を離さぬまま誇らしげに呟く。

 エレナの強さ。それは全てを断ち切る神速の斬撃だけでは無い。

 全てを見通すかの様な心眼と呼べる程に昇華された洞察力、そして非力が故に相手の力を利用し制する剣の技術。それら完成された絶技こそがエレナの強さを支える礎となっているのだ。


 エレナの両腕がゆっくりと下ろされ交差する。両腕と一対になった双剣が斜め十字を刻む。

 その構えこそが剣人一体。初撃の連撃で全てを断ち切るエレナが誇る最速の剣、二撃終殺の構えであった。


 「エレナは初太刀で決める気ね」


 アニエスはエレナの意図を察する。

 エレナならば最初の攻防でフェリクスの力量は十分に理解した筈だ。

 戦いが長引けば致命的な欠点を抱えるエレナの方が分が悪い。ならば早々に持てる最大の力で相手を仕留めるのは悪い選択ではない。

 そして初見でエレナのあの斬撃を防げる者はいないだろう。フェリクスの懐に入れさえすればエレナの勝ちだ。

 だが今だ底を見せないフェリクスの懐に飛び込むのは、エレナに取ってもかなりの危険を伴う行為であるのは間違いない。


 しかしアニエスの予想に反してフェリクスはエレナの構えを見て、長刀を眼前に斜めに構える。

 フェリクスが見せたのは受けの構え。フェリクスはエレナの剣撃を敢えて受ける構えを見せる事でエレナを誘っている。


 「愚かね、その慢心が、驕りが貴方の敗因だわ」


 アニエスが呟きとほぼ同時に、エレナが地を蹴り駆ける。

 エレナの美しい肢体が残滓を残し、旋律を奏でる様に螺旋を描く。交差された両腕が、その双剣が銀閃の風となって煌めき――――。


 金属同士がぶつかり合う甲高い激突音。

 その光景にアニエスが、シェルンが、驚いた様に目を見開く。

 遠目からは重なり合う様に映る二つの影、その身長差からフェリクスは見下ろす様にエレナを見つめ、エレナもまたフェリクスを見上げる様に見つめる。

 交差する二人の瞳。

 エレナの神速の連撃を……エレナの双剣をフェリクスは長刀の刀身と柄で受け止めていた。


 「これでおあいこだな」


 咄嗟にエレナはフェリクスから飛び退く。だがフェリクスはその場から動く様子は無い。

 それはエレナに初撃を受け流されたフェリクスの意趣返し。

 自分の初撃をああも鮮やかに受け流されてはそれに応えねば為らない。

 傍から見れば理解に苦しむ理由であっても、フェリクスにとっては返さねばならない借りであり、だからこそフェリクスにはエレナの初撃を真っ向から受けねばなら無かったのだ。

 それこそが、その思考こそがフェリクスが異端児と呼ばれる由縁であろう。


 上級危険種である穢れし殉職者にすら届き得た自身の最速の連撃を防がれたエレナ。

 自分を凌駕する反応速度を見せたフェリクスの姿にその美しい黒き瞳に宿るのは歓喜。

 魔物相手では決して味わう事が出来ない浮き立つ様な高揚感。背筋に奔る快楽にも似た感覚。

 大陸は広い。英雄よ最強よといくら褒め讃えられようが、まだ見ぬ兵(つわもの)が野にはこうして存在するではないか。

 今だ道半ば、だからこそ進める、だからこそ挑める。自分の限界のその先に ――――。

 それを実感させてくれる強者の存在に、全力を賭して挑める相手に巡り合えた幸運をエレナは噛み締める。


 「儚きその姿は仮初めの、その実戦乱と闘争の神、オルヘイウスの化身であったか」


 異端の戦神オルヘイウス。

 戦いを好み、どこまでも強さを追い求めて、遂には他の神々にまで戦争を仕掛けたオルヘイウスの名は、神話の神々に準えて人を称す時に好ましい意味で使われる神の名ではない。

 だがフェリクスを知る者ならば直ぐに気づいた筈だ。それがフェリクスなりの最大級の賛辞である事に。


 フェリクスは大きく腰を落とすと、右腕を後方へと反らし長刀を構える。その姿はまるで限界まで引き絞られた一本の矢を思わせる。

 対してエレナは緩やかに両腕を上段へと掲げると眼前で双剣を十字に交差する。


 「そんな、まさか……」


 エレナのその構えに貴賓席で試合を見ていたオリヴィエが思わず身を乗り出す。

 エレナの構え、それはアインスが全力で挑む相手に見せる敬意の証。そして双剣が刻む正十字は死者を弔う鎮魂歌(レクイエム)。


 「アインス兄様……」


 戸惑いと、そして希望……オリヴィエは食い入る様にエレナの立ち姿を見つめ、その姿にアインスを重ねる。

 姿が違えど見間違える筈など無い。オリヴィエが慕い、憧れた兄の雄姿を。

 オリヴィエの瞳に映るエレナの姿は、紛れも無くアインス・ベルトナーその人であったのだから。

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