第77話

 「フェリクス、試合を明日に控えているんだ、その辺にしておけよ」


 自身の手に握られた大剣を鞘に収め、相方の方を見やる男の名はカルロ・ヴァルザーニ。

 ギルドランク三位 愚者の天秤所属の傭兵であり、序列七位を持つライズワースでも名の知れた傭兵の一人である。

 カルロの視線の先に立つ男。

 その男の足元には夥しい数の背徳の蠍(ノー・フェイス)の死骸が散乱している。

 鍛え上げられた体躯、長身のカルロより更に頭二つは高い身長。だがそれ程の体格でありながら、鈍重さなど微塵も感じさせない、まるで野生の豹を思わせる様な見事なしなやかな筋肉に覆われた身体。


 その男の名はフェリクス・ナザリエル。


 体躯、才能、資質、戦う為に必要な全ての素養を神から授けられた祝福を受けし戦神の子。


 故にフェリクスは生まれついての強者であった。


 その剣は我流であり、誰かに師事した事も学んだ事すらない。ただ自己流の鍛錬を僅かに重ねるだけで他者を圧倒し蹂躙してきた。


 今から七年前、十七歳の折、傭兵として参戦した中央域の大国ベルサリアとの大戦に身を投じたフェリクスは、長き大戦の中、数々の功績を挙げその名を馳せていく。


 ベルサリア王国の兵士たちに悪魔の様に恐れられる一方で、オーランド王国軍からは戦場の麒麟児としてその存在を示すフェリクスは、度重なる王国側からの騎士への就任要請を幾度と無く断り続けた。


 フェリクスの自由奔放な掴み所の無い性格は多くの味方とそして敵を作り、異端児として広くオーランド国内に名を残す事となる。


 そしてフェリクスは傭兵の身でありながら、カテリーナの災厄を受けてオーランド王国が選抜した、宣託の騎士団への人員に選出される。

 だがフェリクスは興味が無いと言う理由だけで、それを辞退したばかりか遠征軍に参加する事すらなく暫くオーランド王国から姿を消す事になる。

 傭兵であった故にフェリクスのその行動は、咎められる事は無かったとはいえ、当時それを非難する声も多かったのは確かな事だ。


 だが彼らは知らない。その期間フェリクスが単身中央域へと赴き、魔物を狩り続けていた事を。


 通常の価値観とは大きく異なる……異端者であるフェリクスを、何者にも縛られない彼の行動を、自由な生き様を、人々は天衣無縫と称した。


 フェリクス・ナザリエル。


 彼には強い信念も強さを求める渇望も無い。それが彼を強者足らしめる由縁でもある。何故ならば己の強さなど彼にとっては至極当然のものであり、求めるものに足り得ないからだ。

 その生き方は、自身の才能の限界すらも弛まぬ研鑽と、魂すらすり減らす実戦の中で昇華させ、挑み続け、そして超え続けて来たエレナとは真逆の生き方であり、エレナとはまさに対極をなす存在であった。


 「一回戦ね、余り興味ねえな……」


 フェリクスにとって関心があるのは、戯れで参加した前回の大会で自分を負かした男の事だけだ。

 同じ舞台で今度は完膚なきまでに叩き潰す。

 フェリクスがギルド等と言うお遊びに付き合っているのも、このライズワースに留まっているのも、言ってしまえばその為だけが理由と言っていい。

 そんなフェリクスにとっては、其処に至るまでの過程などただの茶番であり、取るに足らない煩わしい雑事でしか無かったのだ。

 だからこそ組み合わせなど気にも留めないフェリクスだからこそ、自分の一回戦の相手が序列すら持たず、しかもまで若い少女であった事など知り様も無かったのだった。



 双刻の月。

 その中庭にエレナの姿がある。

 双剣を構えたエレナの肢体が一呼吸の間を空けてしなやかに動き出す。

 緩やかに、滑らかに、そして何より優雅なその姿は神事において神に奉納される舞いが如く壮麗であり美しい。


 エレナが刻む双剣の軌跡は、淀む事が無い清らかな清流を思わせ、戯曲を虚空に奏でる様に舞い踊り、螺旋を描くエレナの肢体に併せ、長い黒髪が風に靡く。


 それは一糸乱れぬ完成された世界。


 エレナの剣舞を見守るシェルンやレティシアには分かる。エレナと同様に剣の道を、その頂を目指す者だからこそ分かるのだ。

 エレナが紡ぐ完全なる調和と旋律が、寸分の狂いすら無く、微塵の揺らぎすら無く、描かれる双剣の軌跡が、才能などと言う壁すら超えてエレナが到達した剣技の極地なのだと。

 

 エレナが一年と数ヶ月と言う僅かな期間でこの極地へと至った訳で無い。

 全てはその土台となるアインスとしての経験があればこそだ。

 アインス・ベルトナーには剣の才能など無かった。

 だからこそ、怠惰を許さず研鑽を重ね、辛酸を舐めて尚高みへと挑み続けたその経験は、肉体を離れても、魂に刻み込まれたその信念は、エレナ・ロゼの中で今も生き続けている。


 エレナの当初の目的であった自身の身体に掛けられた呪いを解くという、目的意識は最早希薄になっていた。


 元々聖杯の伝承が信憑性に欠けていたと言う事もあるが、以前にはまだあった元の身体に戻りたいと言う僅かに残っていた未練は今はもう無い。

 仮に呪いが解け元の肉体に戻れたとしても、もうアインス・ベルトナーとして生きていく事は無いだろう。名を捨て、また一人の剣士として生きていく道を自分は選ぶであろうから。


 だからこそ、エレナは今純粋にこの瞬間を楽しんでいた。


 大国であるオーランド王国の名立たる剣士たちと、全力で剣を交える機会など恐らくもう二度と訪れないだろう。そして次の機会などエレナには無いのだから。


 この身体で命尽きる事に最早悔いなどは無い。


 天寿を全うする事のみが生きた証の全てでは無い。例え僅かな瞬き程の一瞬であろうと、その刹那の時に己の全てを賭して燃え尽きるまで挑み続けられるのならば、その生涯は満足のいく満たされたものであるとエレナは思うのだ。

 それが剣に生きる者の本分であり、本懐であると。


 一連の型の調整を兼ねた剣舞が終わり、エレナは双剣を鞘に収めると僅かに肩で息をする自身の乱れた呼吸を整える。

 魅入る様にエレナの剣舞を眺めていたレティシアは、それに気づくと慌ててエレナの元へと駆け寄り、用意していた布をエレナへと手渡す。

 汗を拭いながら談笑する二人の姿を眺めシェルンは胸に秘めていた思いが確信へと変わる。


 エレナ・ロゼと言うシェルンが目指し愛する少女は高嶺の花である。そしてその一輪の花が咲き誇るのは遥かな高みの頂であるのだと。


 だからこそシェルンには相手が誰であれ、エレナが負ける姿など想像すら出来ない。誰の手にも届かぬからこそ、儚く美しく、そしてそれ故に人々を魅了してやまないのだ。


 だが同時にシェルンの胸に別の不安が過ぎる。


 エレナが双刻の月に来た理由。それはこの剣舞の宴に参加する為だった。だがそれが叶った今、エレナはこの大会が終わった後はどうするのだろうかと。


 無論これからもずっと自分たちと共に居てくれる。それがエレナにとっては家族の様な繋がりだとしてもだ。

 そう思いながらも、馬鹿げた、下らない杞憂であると思ってもシェルンの不安は拭えない。それは愛する者を失うかも知れないと言う漠然とした恐怖。


 エレナが優勝出来なければ次の剣舞の宴まで、エレナを繋ぎ止めておけるのではないか。そんな何の根拠も無い思いがシェルンの脳裏に浮かぶ。


 自分が優勝すればいい、そうすれば全てが解決する。


 エレナがこの大会に何を思い、何を得る為に臨むのかシェルンには分からない。だが一つだけ確かな事があった。

 エレナと共に在る為に、自分は決して負ける訳にはいかないと言う事だ。

 例えその相手がエレナ本人であったとしてもだ。

 決意を秘めたシェルンの瞳がエレナへと向けられ、その右手が無意識に伸ばされる。


 それはまるで目指し、追いかけて来たエレナの背中を掴むかの様に。

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