第76話
ライズワースの南の区画で一番の繁華街、雑多な食材が店先に並ぶその大通りの一つにリムたちの姿があった。
通称ラウルシア通りと呼ばれる、豊穣の女神ラウルシアの名を冠したこの大通りは、南の区画でも新鮮な食材を扱う商店が軒を連ねる、ライズワースでも有名な大通りの一つであった。
「リム……ごめんちょっと荷物を馬車に置いて来ていいかな……これ以上持つのはきついかも……」
店先で食材を物色しているリムに、両腕に抱える様に荷物を持ってその隣に立っていたライエルが情けない声を上げる。
「男の癖に情け無い事言わないの、向こうを見てみなさいよ」
リムとライエルの二人から数軒離れた軒先にはちょっとした人だかりが出来ていた。
その中心には黒髪の少女、エレナの姿がある。
エレナが店の店主たちに軽く微笑むだけで、木箱単位の食材が格安の値段でエレナへと売られ、かなりの重量があるであろう、その木箱をアルクとシェルンが軽々と担ぎ通りの端にと停めている馬車の荷台へと運んでいる。
「あんな筋肉馬鹿たちと一緒にされたら困るよ、あの二人が異常なんだから」
「分かったわよ、早く荷物を置いて戻ってきてよね」
リムの許しが出たライエルがほっとした表情を浮かべ、両腕に荷物を抱えたままよろよろと覚束無い足取りで馬車へと歩いていく。
そのライエルの何処か頼りなげな後姿に、普段の優雅な優男然としたライエルとの雰囲気の落差に、リムは思わずくすりと笑みを浮かべてしまった。
「エレナ、買いだめするのは日持ちする物だけにしなければ駄目よ」
明らかに鼻の下を伸ばしてエレナを自分の店へと案内してく商店の店主たち。
その店主たちに自らが伝授した愛想笑いを振り撒いているエレナにリムは声を掛ける。
次の店へと移動し掛けていたエレナはリムの声に反応し、分かってる、と示す様に大きく手を振る。
そしてそんなエレナの仕草すら愛らしいと感じたのか、店主たちはだらしなく表情を崩す。
「本当、男って馬鹿」
そんな光景を呆れた様に眺め、リムは小さく呟く。
エレナの今の行動や一寸した男たちに見せる仕草も全て事前にリムがエレナへと教えていた言わば演技であった。
十五歳から三年近くを酒場や男たちの集まりであるギルドで過ごしてきたリムには、男たちが喜ぶ仕草や言動などは熟知していたし、またそうでなければ女の身で自身の身を守る事など難しかったのだ。
エレナを含め、美しい美女たちが揃う双刻の月であればこそリムの容姿は霞んでしまうとは言え、一般的な水準からすればリムの容姿が平均的に劣るものという訳では無い。
だがやはり、笑顔一つで簡単に男たちを魅了していくエレナの姿を見せられては、そうした格差は感じざる得ない。
そういう意味では今だエレナに対してリムに何の蟠りも無いかと言えば嘘になる。
だがそれでもあの日以来二人の関係は変わりつつあった。
あの日を境にエレナはリムに歩み寄りを見せる様になり、二人は以前より会話をする様になっていた。
エレナと会話を重ねる中でリムは、エレナと言う少女が決してリムが思っていた様な深窓の令嬢を想像させる世間知らずなお嬢様ではない事を知る。
共に教練をする様になってエレナが剣の技量にも優れている事も分かった。
流石に剣舞の宴の本選への出場が特例で認められていた事には驚きもしたが、シェルンやアニエスと共に南部の地での活躍を聞かされある程度納得も出来た。
だが何よりもリムを驚かせたのは、エレナ・ロゼと言う少女が酷く不器用な人間であり、大きく何かが欠落している人間であった事だ。
見返りを求めず他人の為に命すら投げ出す事すら厭わないエレナの姿勢……それはリムの目指す騎士の鏡の様な生き方に見えて、だが大きく異なる。
国の為、民の為に命を懸けて戦う騎士の姿は崇高ではあるが、そこには自身への名声や栄達が目的として存在する。だがそれは決して相反する事では無いのだ。
エレナの様に自身への見返りを求めない生き方はリムには到底理解出来い、言ってしまえばそんな生き方は狂気の沙汰であったし、エレナの短い人生の中で彼女をそんな生き方に駆り立てた何かがあったとするならば、それは最早エレナに掛けられた呪いではないかとすら思う。
ただ一つ、エレナがぽつりと語った強さへの執着と憧憬。
剣のみに生き、己が最強であると望み願い、そして挑むエレナの姿に、その一点においてのみリムはエレナに共感し折り合う事が出来た。
まだ友人とも仲間とも呼べる程、お互いを分かり合えた訳では無かったが、それでも確実に二人の距離は縮まっていたし、それが結果として他の二人、アルクとライエルとの関係にも良い変化を与えていたのは間違い無い。
リムの背後が急に騒がしくなり、憲兵隊の一団がエレナを中心に出来た人の輪へと近づいていく。
通りでの騒ぎを聞きつけたのだろうか、憲兵隊の隊長らしき男が店主たちとなにやら話しをしていたが、揉め事の類ではない事を確認した憲兵隊の一団は直ぐに通りへと消えていった。
「剣舞の宴の本選を観戦する為に、各国の要人たちが次々にこのライズワースを訪れているって言う噂だから、街中の警備が厳重に為っている見たいだね」
戻って来たライエルは観察する様に憲兵隊が消えていった通りの方角を眺めている。
リムもその噂は聞いている。
何でも今回は随分と大物たちが各国から訪れているらしい。
話半分に思って聞いてはいたが、この程度の騒ぎで早々と憲兵隊が姿を見せたという事は、この南の区画だけでもかなりの数の部隊が巡回しているのだろう。
それ程の厳重な警備体制を敷いているとなると、強ち信憑性の無い噂と言う訳ではないのかも知れない。
予選も終わり、本選の組み合わせが明日ギルド会館から発表される事になっている。
いよいよ剣舞の宴という大きな祭りの幕が開けようとしていた。
翌日、組み合わせを確認する為、レティシアと参加者であるエレナ、アニエス、シェルンの三人は朝一番にギルド会館へと遣って来ていた。
この日が待ち遠しかったと言う訳では無く、単純に昼に近くなるにつれギルド会館が多くの人でごった返すのが目に見えていたからだ。
まだ朝が早いこの時刻でも既に他の参加者やギルドの関係者、そして組み合わせ表を求める一般の人々が専用の窓口に列をなしていた。
エレナたちは参加者とギルド関係者の為に設けられた講堂へと向かう。
広い講堂は関係者のみしか入館を許されていなかった為、外の混雑に比べ人の姿はまだ少なかった。
レティシアは講堂の壁に張り出されている大きな組み合わせ表を祈るように見つめる。
こうした対戦形式の試合にはやはり組み合わせの妙と言うものがある。
此処まで残った者たちは皆実力者ばかりではあるが、それでもその中には明確な格と言う物は存在する。レティシアにしてみれば、エレナには少しでも楽な組み合わせの組に入って貰いたかった。
双刻の月にエレナが訪れてから、名声も序列すらも望まなかったエレナがただ一つ望んでいたのは、この剣舞の宴に出場する事だったからだ。
だからこそエレナには満足がいく、悔いの残らない結果を残して欲しかったのだ。
レティシアの視線が壁の端に張られた四組の表から順に流れていく。
「幸運に恵まれた、本当に私は運がいい」
何処か楽しげで、満足そうなエレナの声が聞こえ、レティシアはエレナの視線の先へと目を向けた。
壱組一番 双刻の月 所属 エレナ・ロゼ 序列番外。
壱組二番 愚者の天秤 所属 フェリクス・ナザリエル 序列二位。
それを目にしたレティシアは目眩を感じる。
前回の剣舞の宴、準優勝者であり、序列二位の王立階位を戴くその男の名はレティシアのみならず、誰もが知る純粋なる強者の名である。
壱組二十番 天壌の焔 所属 ベルナディス・ベルリオーズ 序列一位。
エレナが入った壱組は前回大会の優勝者と準優勝者が名を連ねる、まさに死の組であった。
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