第68話

 海上に数多並ぶ錚々たるロザリア帝国の船団の中に、僅か数隻程度ではあったがファーレンガルト連邦の連邦旗と太陽と塔をモチーフに描かれた王国旗を掲げる船団があった。

 レイリオが乗船するその船団はファルーテ王国所属の軍船である。

 ファルーテ王国はファーレンガルト連邦の加盟国であり、連邦法こそ順守してはいたが七都市同盟の枠の外に置かれたファーレンガルト連邦唯一の王国である。

 ファルーテ王国と七都市同盟はかつて内戦と呼べるほどの大規模な争いを繰り広げてきた間柄ではあったが、紆余曲折を経て今はファーレンガルト連邦と言う枠組みの中で互いに共生する道を辿るに事となった、他国の者には些か理解に難しい複雑な経緯を持つ王国である。

 レイリオはニールバルナへと戻ると直ぐにライズワースからクレストを呼び寄せ、自身は休む間も無くファルーテ王国へと渡る。

 この時点でレイリオもまたエレナたち同様、議会制をとる七都市同盟では早期の救援部隊の派兵は難しいと判断していた。

 レイリオがファルーテ王国へと赴いた理由は二つ。

 一つは自身の生まれ故郷であるファルーテ王国にはベナンの街を中心として父親であるノルト・ガラートの人脈が王都マルテアにまで及んでいると言う事。

 この国でならそうした父親の地盤を利用出来ると言う地の利があるのだ。

 無論、家を出た経緯を考えても父親であるノルトが自分に協力的であるなどと言う甘い考えなど持ってはいなかったが、自分がこれから行おうとしている交渉が後にガラート商会に莫大な利益と南部域での絶大な信用を得られる有益なモノであると知れば、少なくとも当面はその動向を黙認し、静観を決め込むであろうという打算的な考えがあったのだ。


 そしてもう一つの理由はロザリア帝国軍を動かす為の、云わばその足掛かりとしてファルーテ王国を動かす為だ。

 仮にファルーテ王国にアドラトルテ救援の為の出兵を促せたとしても、今のファルーテ王国の軍事力では単独での出兵には無理があった。

 故にレイリオの思惑は最初からファルーテ王国を足掛かりに、四大国の一つであるロザリア帝国をこの一連の騒動に巻き込む事にあったのだ。

 何故レイリオが拠点を持ち、一応の人脈すらあるオーランド王国では無く、そうした人脈が形成されていないロザリア帝国を交渉の相手に選んだのかと言えば、それには相応の理由があった。

 まず第一に大陸の北と南という両国間の距離の遠さ。そして決定的なのは、現在大陸間協定で生命線となっている海上の領海権は各国共に主張しないという取り決めが為されているとはいえ、オーランド王国の軍船がロザリア帝国近海を航海するのは、実質上両国間の合意なくしては不可能であるからだ。

 今のアドラトルテの窮状を考えても、そうした大国間での細かな外交的な交渉を整えているだけの時間的な猶予が無いのは明らかであり、である以上その選択肢は捨てざる得なかった。

 クレストの人脈とレイリオが持つ個人資産の全てを使い、南部域の豪族たちを中心に組織されている南部域の商人たちの寄り合い組織である南部通商連合から多額の資金援助を受けたレイリオは、ファルーテ王国を動かし、ファルーテ王国からの要請と言う形でロザリア帝国から人道的な救助活動を名目にロザリア帝国軍をアドラトルテへと派兵させる事に成功する。

 一商人でしか無いレイリオが為した言わば奇跡的なこの功績には、当然ではあるが其処に至るまでに多くの問題と障害が立ち塞がる剣を使わぬ戦いであり、苛烈な死闘であったのだが、そうしたレイリオの活躍を語るのはまた別の機会となるだろう。


 「目的は為された様ですが、今後の展望はあるのですかな」


 甲板に立つレイリオの隣へとやって来た男の名はベルチ。ベルチ・リマーリオ。

 ファルーテ王国の貴族であり、今回のロザリア帝国との折衝においてレイリオ側の中核となって交渉を纏めた立役者である。


 「ええ……ベルチ卿のご助力のお陰で良い出会いにも恵まれました。これを機にロザリア帝国での商いも軌道に乗りそうですよ」


 今回の一件でレイリオにとって有意義な出会いがあったのは事実であった。

 特にこの船団の総指揮をとっているロザリア帝国の第二王子。クレイヴ・バルタ・ローディスとの繋がりは今後のレイリオの財産となる事は間違いない。


 「しかしレイリオ殿、心されよ、今回の貴殿の功績はその功罪も大きい。貴殿が救ったアドラトルテの市民たち、そしてその親類縁者、それらを含めた数十万と言う潜在的な支持者を得る対価として、貴殿の独断を決して快く思わない七都市同盟の支配者層を敵に回す事になりましょう。貴殿はこの南部域において多くの支持者とそしてそれに比肩するだけの外敵を作った事になる」


 「無論心得ておりますよベルチ卿」


 レイリオの行為に寄って、ファーレンガルト連邦はロザリア帝国に大きな借りを作る形となり、ひいてはその対応の速さ故に、これまで七都市同盟が正規の手続きを踏んで行ってきた議会制の在り方にまで一石を投じる結果となるだろう。

 これから各同盟都市で生じるであろう現体制や議会制への市民たちの不満や不審。それらが強まれば強まるほど今後のレイリオへの風当たりが強まるのは目に見えていたのだ。

 だがレイリオにとってその程度の事など問題では無い。

 元々全てが結果ありきなのだ。

 どんな手を講じてもエレナを救う。その結果があってこその工程なのだ。レイリオに取ってはその過程で生まれた利害に関しては全て受け入れる覚悟など当に出来ている。

 その中で商いに利用出来るモノは最大限利用し、不利益になるようなら切り捨てていけば良いだけの事だ。


 「今はまず、愛しい姫君に逢いに行くとするさ」


 強く吹く海風の中、レイリオのベルチにも聞こえぬ程の小さな独白は風に流され海にと消える。



 軍船を浅瀬の手前に留め、次々と小船で海岸へと上陸を始めるロザリア帝国軍。

 レイリオもファルーテ王国の軍船から小船に乗り換え、先発するロザリア帝国軍と共に海岸へと降り立つ。

 海岸に集まるアドラトルテの市民たちには、どの国の所属の軍隊かなど問題ではないのだろう。

 現れた救いの手に人々は歓喜の声を上げ、それは大きな波紋となって広がり海岸線は異常な程の興奮と喧騒に包まれていた。


 次々と海岸へと上陸するロザリア帝国軍を迎えるアドラトルテ国軍の兵士であろう者たちの表情は、喜びを隠そうともしない市民たちとは違いやはり何処か複雑そうであった。

 だがそれも無理からぬ事なのだ。

 今でこそファーレンガルト連邦とロザリア帝国とは同盟関係にあるとは言え、遂数年前までは十年戦争と呼ばれる激しい戦火を交えていた間柄なのだ。

 それも両国間が協議の末、折り合いをつけた終戦と言う訳でも無く、カテリーナの災厄という大陸を襲った未曾有の脅威に対抗するべく結ばれた言わば仮初めに近い同盟関係なのだ。

 災厄を前後する事となるが、十年戦争の推進者たる前皇帝が退位し支配者の血族が変わったロザリア帝国と、ファーレンガルト連邦と言う名は残しながらも七都市同盟を中心に新たな議会制へと変貌したファーレンガルト連邦。

 それらの改変や魔物の台頭により、両国間のしがらみや国民感情は大分改善されて来ていたとは言え、直接戦場で剣を交えてきた記憶がまだまだ鮮明に残る兵士たちの中には、今だロザリア帝国を仮想敵国として認識している者たちも多く、この状況に至っても今だ諸手を挙げて歓迎出来る程割り切れる者たちは想像以上に少なかった。

 だがそれでも兵士たちの表情の何処かには安堵感にも似た雰囲気が伺える。

 そうした感情論は兎も角、予期せぬ援軍とは言え助けが訪れた事への安堵感が兵士たちの間に生じるのは無理からぬことだろう。


 レイリオは市民たち、そしてロザリア帝国軍への対応に追われるアドラトルテ国軍の兵士の一人に声を掛け、自分の名とエレナとの関係を告げ、彼女との面会を求める。

 だがエレナの名をレイリオが出した途端、兵士の表情が露骨なまでに不審そうに曇る。


 「貴様、商人風情が我らが聖女殿を名指しするなど、どういった了見だ、事と次第によっては容赦せんぞ」


 その兵士の予想外の反応に些か驚きながらも、自分が怪しい者ではない事を懇々と説明する。

 兵士の表情を読む間でも無く、其処からエレナに対する尊敬と一種信奉に近い何かが感じ取れる。恐らく末端に近い兵士であろう、この男が見せている表情から、今のアドラトルテでのエレナの存在の大きさと影響力の強さをレイリオは察する。

 下手に自分がエレナと親しい事を強調すればやぶ蛇に為りかねない事を悟ったレイリオは、上手く話をはぐらかしながら、何とか上官に伝えて貰える様に話を誘導していく。

 そうした話し合いを根強く続け、騒ぎを聞きつけ集まって来た別の兵士たちにも何度も説明を重ねてやっと上官に報告して貰える事になるのだが、ほっとするのも束の間、レイリオは結局その場に二時間近く待たされる事となる。


 両軍の間での話し合いが終わったのか、海岸ではアドラトルテの兵士たちにより市民たちの選別が進められ、負傷者や女、子供たちを優先的に小船へと誘導し始めている。

 忘れられているのではないか、とレイリオが不安を覚え始めた矢先、先程の兵士がレイリオの前にと戻ってくるとそのままレイリオをアドラトルテ国軍の陣地へと案内する。

 兵士に連れられ、案内された先の天幕を潜ると中には一人の女性が待っていた。

 その女性にレイリオは覚えがあった。エレナと共に自分を迎えに来た……そう、エレナにアニエスと呼ばれていた女性。

 この場に待っていたのがエレナでは無く、連れの女性である事にレイリオは激しい胸騒ぎを覚える。

 エレナなら、彼女なら例えどの様に立場が変わったとしても自分を変わらず笑顔で迎えてくれる。エレナ・ロゼとはそういう少女だ。

 その彼女がこの場にいない……いや、来られないのだとしたら……。


 「これからエレナの下に連れていくわ、でも覚悟だけはしておいて」


 アニエスの言葉に最悪の状況を想像し愕然となるレイリオ。

 そこから先の事は後に思い返して見ても記憶が定かではない。アニエスに促され別の天幕へと連れて行かれたレイリオの瞳に愛しい少女の姿が映る。

 眠るように身を横たえるエレナの姿にレイリオは言葉を失う。

 レイリオもまた一目でエレナに起きている異変に気づいていた。

 規則正しく胸を上下させ呼吸をしているエレナ。だがその美しい顔からはまるで生気が感じ取れない。そのエレナの姿にレイリオは言葉を失ったように暫く立ち竦んでいた。

 だがやがてレイリオは眠る様に動かぬエレナの顔の傍まで来ると膝をつく。その隣ではエレナの手を取りレイリオに顔さえ向けぬ少年の姿がある。

 レイリオもシェルンの存在には気づいてはいたが敢えて声を掛ける様な事はしない。


 「まったく……あれ程無茶だけはしないでくれと頼んだのに……」


 エレナの名を聞いた兵士たちの表情や対応を見ても、エレナがこれまでどれ程の無茶を重ねて来たのかは彼女の性格を良く知るレイリオには痛いほど分かった。そうでなければ兵士たちの中に、あれ程の信頼をこの短い期間で得られなどしないだろう。


 「ライズワースに帰ろう……エレナ」


 それは無意識の行為だった。

 レイリオはその右手をそっと眠るエレナの頬へと伸ばす。

 刹那、そのレイリオの右手が激しく弾かれる。

 バシッという音が天幕の中に響き、シェルンの左手がエレナへと伸ばされたレイリオの右手を払っていた。


 「エレナさんに触れるな」


 短いが明確な敵意を示しシェルンはレイリオを睨む。

 恐らく一睡もしていないのだろう、レイリオを睨むシェルンの目の下には薄っすらと隈が出来ている。

 そんなシェルンの瞳をレイリオもまた真っ向から見返していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る