第65話


 魔物の群れの中央部に楔を打ち込む形となった第三師団に歩調を合わせ、両翼の第一、第二師団が挟撃を開始する。 

 完全に包囲陣を完成させたアドラトルテ国軍がこのまま殲滅戦に移行するかと思われたが、中央部で混戦の中戦うエレナは魔物たちの群れに不自然な違和感を感じ取っていた。

 既に協会が提唱する魔物の行動予測や習性はこのアドラトルテの戦い……いや今思い返せばあの穢れし殉職者(アンダーズ・ペイン)が二体出現したあの時から何かが狂い始めている。故に今その常識に囚われるのは危険なのだ。

 エレナの違和感は魔物の群れの構成にあった。エレナたちが中央部で戦い始めてから此処までアンダーマンとグリーカーしかこの戦場で見掛けていない。

 特にベルナークたち第一師団の直営部隊の壊滅の切欠となったアイアン・リーパーの群れが、魔物たちの中に発見出来ない事にエレナの心はざわつきを覚える。

 獲物への執着心が強いアイアン・リーパーたちが包囲を抜けたアドラトルテ国軍を追って来なかった事もこれまでの習性から考えれば有り得ない行動であった。

 それに加え、この魔物の群れの中にも姿が見られないと言うのは余りにも不自然過ぎる。

 そしてギガス・バルダと共に確認されていたベイル・スナッチャーの姿も見えない。少なくとも数十という単位のベイル・スナッチャーがこの海岸線へと向かっていたのは、斥候部隊の報告からも間違い無い筈だと言うのに。

 奴らが追走を諦めたとは俄かには信じ難い……だとすれば一体何処に消え失せたというのか……。

 それらの魔物の姿が以前見えぬ事にエレナは何か不気味な予兆めいたモノを感じていた。

 魔物たちが人間の真似事めいた戦術を取る。

 それはベルナークの死により明確な可能性となってエレナたちの心に懸念材料として影を落とす。

 この状況……あの頃と良く似ている。

 魔物一体一体に強い意志や思考の様なモノは感じ取れない。しかし個では無く集団として、魔物全体で行動する時、そこには大きな意思が働いている。

 規模こそ違え現在のこの状況はあの頃と良く似ていた。

 魔女カテリーナが魔物を支配していた暗黒の災厄当時に。


 エレナは迷いを払うかの様に双剣を振るう。

 答え合わせなどいつでも出来る。今遣るべき事はこの挟撃戦を成功させ中央部の魔物を駆逐する事だ。

 エレナの手から繰り出される双剣は更に冴え渡り、魔物を次々に屠っていく。

 そんなエレナの勇姿に感化される様に第三師団の兵士たちは奮戦を続け、中央部での戦いは完全にアドラトルテ国軍が勢いにおいて魔物に勝っていた。


 そんな中、優勢に戦いを進めるアドラトルテ国軍の右翼で異変は起こる。


 「ボルス団長!! 我が軍側面に敵影、アイアン・リーパーの群れと思われます!!」


 「来たか」


 報告を受けるボルスに焦りの色は無い。

 アイアン・リーパーやベイル・スナッチャーが伏兵的な動きを見せる可能性は幾度と無く三師団間で話し合われて来た。

 その為両翼の第一、第二師団は戦闘が開始されてからも周囲の警戒を厳にしていたのだ。


 「馬鹿の一つ覚えの様に……此処でベルナーク殿の仇、討たせて貰う」


 アドラトルテ国軍の索敵網に掛からぬ様、海岸を大きく迂回したのであろうアイアン・リーパーの群れの数は約千。

 ボルスはその対応の為、第一から第四大隊を迎撃に当たらせる。

 歩兵を中心とした四千のアドラトルテ国軍とアイアン・リーパーの群れが右翼側面で激突する。

 そしてアイアン・リーパーの群れと時を同じくして左翼にベイル・スナッチャーの群れが姿を現す。

 その数約百体。

 第一師団も第二師団同様、四千と言う半数の兵力を割いてこの中級位危険種を迎え撃った。

 これにより両翼からの圧力が低下した中央部は魔物たちが勢いを増し、尚挟撃の布陣を崩さない第三師団との間で激しい戦闘が繰り広げられる。


 海岸線での戦闘が開始されてから既に五時間近くが経過し、尚その戦いは激しさを増していく。


 「うおおおおっっ!!」


 ボルスの大剣が唸りを上げ、金属を削るような激しい音と火花を散らしアイアン・リーパーの頚椎を粉砕する。

 足元に沈むアイアン・リーパーの頭部を右足で踏みつけ周囲を睨むボルスの全身は、自身が流す血と返り血で赤く染まっていた。

 ボルスの周囲には累々と兵士たちとアイアン・リーパーの骸が転がる。

 アイアン・リーパーの群れを殲滅した代償として、ボルス自らが率いた四個大隊、四千の兵士たちの損耗率は五割を越え実質上壊滅状態にあった。

 既にボルスの周りにも幾人かの歩兵の姿が見られるだけで、指揮命令系統は完全に崩壊していた。


 「部隊の再編成を急がせよ!! 動ける者たちのみで良い、小隊単位で部隊を組み直すのだ」


 周囲の兵士たちに激を飛ばし命令系統の再編を急がせる。

 四倍の兵力を持って挑んだ結果がこの惨状である。ボルスの心配は寧ろ中央部の第三師団より、中級位危険種のベイル・スナッチャーの対応に当たっている左翼の第一師団にあった。

 今第一師団の指揮を取っているのはベルナークでは無いのだ。その事実がボルスの焦燥感を煽る。

 ここが正念場か……。

 慌しく駆け回る兵士たち。その姿を見据えボルスもまた身を休める事無くその兵士たちの中へと身を投じていった。



 アンダーマンの四肢を半ばまで断ち切りアニエスの鋼線は勢いを失う。アニエスは僅かに眉を潜め鋼線を手元へと戻す。

 長時間の戦闘でアニエスの鋼線は魔物の血と油で大きくその切れ味を削がれていた。

 アニエスは表情を変える事は無かったが、蓄積されていく疲労によりアニエス自身の体力も既に限界近くにまで達していた。

 だがアニエス以上に限界を向かえている者がいた。

 アニエスの隣で遂に魔物を前にして片膝をつく少女。

 エレナの口から漏れるのは呼吸と呼ぶには余りのも荒々しい喘ぎ。

 白銀の戦装束を魔物の返り血で真っ赤に染め上げたエレナの美しい顔は赤みを失い真っ青であった。

 それは呼吸困難からくるチアノーゼ。それもかなり深刻な状況である事が伺えた。

 エレナの額を冷たい汗が伝い地面を濡らす。だが満身創痍の中その黒い瞳だけは光を失わず、激しい輝きを放ち魔物を見据えている。

 そしてエレナとは対照的に彼女の盾となる様に魔物に立ち塞がるシェルンの動きは激しさを増し、長時間に及ぶこの激戦の中、今だ衰えぬ凄まじい勢いで魔物を切り伏せていく。

 シェルンは今やエレナに代わり第三師団の歩兵を突き動かす求心力となっていた。


 その時は唐突に訪れる。


 これまで感じていた魔物の圧力が突然弱まったのだ。

 そして遅れてエレナたちの下に凶報が齎される。

 第一師団壊滅。

 ベイル・スナッチャーの猛攻を防ぎ切れず、本隊にまで進入を許したベイル・スナッチャーの群れにより直営部隊と多くの部隊長を失った第一師団の命令系統は崩壊し、総崩れとなった第一師団に中央部の魔物が雪崩れの様に押し寄せていた。

 その為第三師団への圧力が弱まったのだが……それは包囲陣形の崩壊と共に、この戦闘の敗北をも意味していた。

 最早第一師団を立て直す為の人員は第三師団にも第二師団にも無い。兵士たちの体力は底を尽き、気力のみで戦い続けていたのだ。

 一度心が折れればもう立ち上がる事など出来ないであろう。


 「これで……終わりなのか……」


 「負けた……負けたんだ……」


 兵士たちの口からは絶望の言葉が次々に漏れ、明らかその勢いを失っていく。中には既に振るう剣を止め、地に膝をつき放心する者たちすらいた。


 このままでは……。


 エレナは力の入らぬ自らの身体を叱咤し再度立ち上がる。

 襲い来る激しい虚脱感と耳鳴り、そして急速に狭まる視野。

 自身の身体が限界を超えようとしている。その事にエレナ自身既に気づいていた。


 「まだ……終わっていない……まだ戦える……」


 兵士たちを叱咤する様に叫ぶエレナの声は、だが喘ぎの中にか細い呟きとなって消える。

 今のエレナには既に声を発する事すら困難であったのだ。そんなエレナの背を支える様にアニエスの腕が伸ばされる。

 アニエス・アヴリーヌ。彼女もまた戦う事を諦めてはいなかった。

 薄く笑うエレナにアニエスは黙って頷く。

 エレナは力無く震える自身の両手に意思の力を……己が魂を込め双剣の柄を握り締める。

 アニエスに支えられる様にエレナは一歩、また一歩、魔物へと歩みを進ませた。

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