第64話

 海岸の広範囲に設置された篝火が闇に包まれた海辺の大地を照らしている。

 その炎に無数の魔物の影が揺れる。

 アドラトルテを離れたエレナたちアドラトルテ国軍。そして住民たちを追うように二万に近い魔物の大群が海岸線へと姿を現していた。

 本来夜の闇で明かりを灯すのは上策とは言えない。明かりに誘われる様に魔物が集まって来るからだ。これ程の大規模な篝火ともなれば尚の事だ。

 しかし現状、一寸先も見えぬ闇の中で戦う事が出来ぬ以上、この判断は仕方が無い事でもあったのだ。


 住民たちを海岸まで退避させ、向かって左翼に旧第一師団、右翼に第二師団が展開し、正面中央をエレナたちがいる第三師団が布陣していた。

 編成を終えたアドラトルテ国軍は約二万五千。数の上では勝ってはいたが通常魔物との戦いには三倍の兵力が必要と言われている事を考えれば、劣勢は否めない状況ではあった。


 突撃の合図を待つ第三師団の兵士たちと共にエレナは闇を……その先に蠢く魔物たちを睨む。

 勝機は有る。少なくともエレナはそう考えている。

 確かに相対的に見れば人間の戦闘能力は魔物に劣る。だがアドラトルテの兵士と此処まで共に戦いエレナは感じていた。

 彼らは勇猛果敢で戦闘の経験も豊富な訓練された兵士たちであると。この戦力差も彼らとなら覆せると。エレナはそう信じていた。

 ここでまとまった数の魔物を叩ければ、海岸線をそのまま東進し自力でルーエンに向かうと言う選択肢すら生まれて来るのだ。

 人々の希望を、祈りをこんなところで潰えさせる訳にはいかない。全てを守ると誓った、何も諦めなどしないと決めたのだ。ならば例えこの身が壊れようと絶対にその想いは貫き通してみせる。

 エレナは悲壮な程の覚悟を定め戦場に立つ。


 「全軍突撃!! 魔物を海岸に近づけさせるな!!」


 ラグスの号令と共に各師団の騎兵部隊が魔物へと突撃を開始する。その動きに合わせエレナたち歩兵部隊も騎兵部隊に続くように駆け出した。


 「全ての同胞たちよ、頼もしき仲間たちよ、その武勇を持ってこの理不尽を打ち砕き、粉砕せよ。私を見よ、私の背を追え、我が名はエレナ・ロゼ。我が剣は風となりて闇を裂き光を照らそう、我が風は祝福となりてこの戦いに勝利を齎さん!!」


 エレナは双剣を抜き放ち高らかに謳う。

 その美しい澄んだ声音は冬の夜空に響き渡り、兵士たちの闘志を喚起する。


 撤退戦の時と同様に三師団の騎兵部隊がその突破力を生かし魔物の群れに大きな穴を穿つ。

 その開いた穴に歩兵たちが雄叫びを上げながら切り込んでいく。

 そして歩兵たちの先頭に立つ美しき戦乙女の姿。

 エレナの双剣が闇に奔る度、その残滓がまるで人々の希望の光を体現しているが如く、その神速の煌きが魔物たちを切り裂いていく。

 シェルンとアニエスもエレナの両翼の様にその傍らに続き、次々と魔物を屠っていった。

 それはまさに旋風。全てを薙ぎ払う暴風となってエレナたちは駆ける。

 エレナに導かれる様に第三師団の歩兵たちは剣を振るい、その勢いは中央部で魔物を半ば迄押し込もうとしている。


 「このまま魔物の群れを分断するぞ!!」


 歩兵部隊の凄まじい勢いを見たラグスは、騎乗する馬の手綱を操りながら騎兵部隊に激を飛ばす。 

 その瞬間、ラグスの直ぐ脇を馬が飛んだ。それは誇張では無く文字通り飛んで来たのだ。

 遅れて響く騎兵たちの悲鳴。

 ラグスの前方に二つの巨人の影が闇夜に浮ぶ。

 二体のギガス・バルダが騎兵部隊の前方を塞ぎ、その巨大な腕が馬ごと騎兵を薙ぎ払う。

 騎兵たちはギガス・バルダを囲み馬上から槍を振るうが、その鋼鉄の様な身体に槍は弾かれ傷一つ負わせる事が出来ない。

 それどころか、その見た目からは想像もつかないほど機敏なギガス・バルダの動きに騎兵たちは翻弄され、騎兵たちは踏み潰され、握り潰され、投げ飛ばされる。

 たった二体……たった二体の巨人を相手に騎兵たちは為す術も無く蹂躪されていく。

 その光景を前にラグスは思い知らされる。

 やはり認識が甘かったのだと。

 下級位危険種相手に一時いくら優勢を誇ろうと、たった二体の中級位危険種が現れただけで呆気無く簡単に人間は蹂躪されてしまうのだ。

 人が家畜を狩る様に魔物にとって人間の存在など牛や豚と変わらない……そんな無力で狩られるだけの存在であるのだと。

 ラグスの様な武人がそう感じてしまうほど、それは余りに一方的で理不尽すら感じさせる凄惨な光景であった。

 ラグスが絶望的な衝動に駆られたその瞬間、そのラグスの馬の脇を風が奔る。

 それは闇夜に咲き誇る一輪の花。

 闇に溶け込む様な長い黒髪が舞い、甘い花の香りがラグスの鼻腔へと届く。


 「シェルン、アニエス。右の奴を頼む」


 エレナの黒い瞳が今まさに騎兵を踏み潰さんとするギガス・バルダを見据える。

 双剣を手に駆け寄るエレナから何かを感じたのか、ギガス・バルダは騎兵たちを無視する様にエレナへと向き直る。

 エレナがギガス・バルダの間合いに入った刹那、その豪腕が唸りを上げ大気を震わせる。

 エレナは幾度と無く繰り出されるギガス・バルダの左右の拳を速度を緩める事無く、事も無げにかわして行く。

 僅かに触れるだけでエレナの華奢な身体など瞬時に肉塊へと変わり果てるであろう、凄まじい威力を秘めたギガス・バルダの拳も触れさえしなければそれはただの冬の微風と変わらない。

 研ぎ澄まされたエレナの五感はギガス・バルダの動作の全てを掌握し支配する。

 ギガス・バルダが今のエレナを捉える事など百年経とうが有り得ない。その場にいる誰もがそう感じる程の圧倒的なまでの威圧感をエレナは放っていた。

 双剣の間合いへと入ったエレナは僅かに腰を落とし、くるりと剣舞を舞うように華麗にその身を翻した。その手から奔る双剣。エレナの美しい黒髪が宙を舞う。

 刹那、ズルリとギガス・バルダの右脚が、エレナの胴回りどころか、上半身はあろうかと言うギガス・バルダの右脚が音を立ててずれ落ちる。

 騎兵たちの渾身の槍すらも跳ね返す鋼の身体を持つギガス・バルダの右脚を容易く両断するエレナの剣技は人の領域を越え、剣撃の極地へと遥かな頂へと至る。

 右脚を絶たれたギガス・バルダが怒りの咆哮を上げ、態勢を崩しながらもエレナへと両腕を伸ばす。

 迫るギガス・バルダの両腕を前にエレナはその場から動く気配は無い。

 エレナの両腕が流れる様に交差され対となる双剣が斜め十字を虚空に刻む。

 残滓を残し奔る双剣。

 大気を切り裂き、音すら置き去りにする程の神速の斬撃はギガス・バルダの両腕を幾重にも断ち切り、その残骸がエレナの眼前にばらばらと音を立てて崩れ落ちて行く。

 そして前のめりに崩れてくるギガス・バルダの上半身をその間合いに捉えたエレナは再度その双剣を振るう。

 轟音を立てて大地に崩れるギガス・バルダの巨体は、まるでエレナに平伏すかの様に前のめりにその足元へと沈む。

 エレナは大地に転がるギガス・バルダの頭部を一瞥し、右手を掲げる。

 中級位危険種をまるで赤子を捻るが如く圧倒し制圧する美しき戦乙女の姿に、絶望に支配されていた騎兵たちや後続の歩兵たちは目を奪われ、やがて熱狂的な歓声がその場を支配する。中には既に涙すら滲ませ高らかにエレナの名を叫ぶ者たちすらいた。

 その大歓声の中、エレナに遅れてシェルンによって右腕を砕かれ、その首をアニエスの鋼線に絶たれたもう一体のギガス・バルダが大地に沈む。


 「戦い続けろ、抗い続けるのだ!! 私の剣は風となり皆と共に在る」


 エレナの声に兵士たちの上げる歓声は大気を震わせ闇夜に木霊する。


 「進め、我らがエレナ・ロゼと共に!!」


 再度号令を下すラグスの声と共に騎兵たちが動き出す。

 ギガス・バルダとの攻防で三分の一を失ったとは言え、騎兵部隊のその後の奮戦は目覚しく、エレナたち歩兵部隊の獅子奮迅の活躍と相まって、第三師団は遂に魔物の群れの中央を突破しその分断に成功する。

 その第三師団の奮戦に呼応する様に両翼の第一、第二師団も押し上げ始め、第三師団を基点とする半包囲陣形が構築されて行く。

 ほぼ同数の魔物に対し優勢に戦いを進めるアドラトルテ国軍とエレナたち。

 しかしそれは苛烈なまでの激戦へと発展して行くこの戦いの第一幕でしか無かった。

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