第54話
アドラトルテの行政府。
その執務室にある執政官の椅子に座る小太りの男は、本来ならその椅子に一生縁など無かったであろう男であった。
男の名はラビル・バナット。
ラビルは執政官を補佐する補佐官の中でも第七席。最も位の低い末席にあった。
元々豊かな才能も才覚も無かったラビルが今の地位を得たのも金の力である。ラビルは補佐官になる前、行政府の役人であった時代から裏の顔を持っていた。とは言っても国家を揺るがすような、そんなだいそれたモノでは無い。
ラビルは南部の豪族たち縁の者たち、特にその縁者の子息や令嬢と言った若者たちが起こす不始末を揉み消したり、時に彼らに便宜を図るなど、そうした小さな揉め事を解決する事でその親たちから金を受け取っていたのだ。
アドラトルテは七都市同盟の中でもニールバルナと並び南部の豪族たちの影響力が強い都市であり、行政府側もそうした小さな事件に関してはラビルの行いをある程度黙認していたと言う節もある。
だが当然の事ながらそうしたラビルの行いを快く思わない者も多く、行政府の主だった者たちのラビルへの評価は、多少目端が利く小悪党と言った余り覚えが良いとは言えぬモノであった。
一方南部の豪族の血縁者たちの方でもラビルは使い勝手の良い小間使い程度の認識でしかなく、そういう意味においてラビルは行政府と南部の豪族の血縁者、双方から等しい評価を受ける、まさに小者であった。
そんなラビルがそうして貯め込んだ金を使い、他者を蹴落として補佐官まで登り詰めた時も大半の者が……いやラビル本人ですら此処が自身の到達点である事に薄々気づいていた。
だが四十歳半ばで末席とは言え補佐官まで登り詰めた事にラビル自身満足もしていたし、達成感の様なモノすら感じていた。ラビル・バナットとは良くも悪くもその程度の男であったのだ。
だが魔物の大群がアドラトルテを襲撃した事でラビルの運命は大きく動き出す。
魔物の襲撃の一報を受け、執政官を始め多くの行政府の要人たちは直ぐにニールバルナへと避難を決めた。そしてその人員の中にラビルが含まれる事は無かった。
変わりにラビルに与えられたのは、執政官代理の役職。
十数万の魔物の襲撃を前に如何に城塞都市と謳われるアドラトルテであってもその命運は誰の目にも明らかであった。つまりラビルは滅び行く都市に残された国民たちに捧げられる人柱……生贄という訳だ。
その事に当初は絶望していたラビルであったが、直ぐにある事に気づく。このアドラトルテがいつまでもつかは分からない。だがその時までは自分がこの都市の支配者なのだと。
その事実がラビルの中の恐怖や不安を上回る優越感と高揚感を与え、ラビルの小さな虚栄心を満たす。
国民の暴動に寄って死ぬか、魔物の喰われて命を落とすか……どちらにしろそれまでは自分が支配者であり、王なのだとラビルはそう腹を決めていた。
ラビルは出頭させた三人の姿をまじまじと眺める。
一人は若い男。いや、まだ少年と呼ぶべきだろうか。見事な金髪にサファイアの様な青い瞳。眉目秀麗な少年の姿にラビルは心の中で舌打ちする。
自身の少年期を振り返り、幼い頃からその体格と容姿を蛙のようだと馬鹿にされて来たラビルにとって、この少年の様な存在はそれだけで腹が立ち苛立ちを覚えさせた。
もう一人は若い女。それもかなりの美女だ。肩まで伸びる金髪を後ろで束ね、その整った目鼻立ち。切れ長の緑の瞳がやや全体に冷たい印象を与えてはいたが、その豊満な肢体と言いそそられる女であった。
そしてラビルの目が中央の少女に向けられ……固まった。
腰まで伸びる艶やかな長い黒髪。澄んだ夜空の様に神秘的な黒い瞳。透き通る様な白い肌。その小さな顔に浮かぶ美しい容姿にラビルは眼を奪われる。
少女の線の細い肢体は腰の括れも小ぶりな胸の二つの膨らみもまだ幼さを残してはいたが、それが逆にに男を惑わす様な、虜にする様な、そんな妖しい魅力を放っていた。
ラビルは少女の肢体を舐める様に見回すと想像の中で少女を犯す。その光景を夢想するだけでラビルの背中を痺れる様な妖しい愉悦が奔っていた。
「執政官代理殿?」
部屋の隅に控えていた兵士がそんなラビルに不審げに声を掛ける。
「ああ……ごほんっ!!」
ラビルはその兵士の声で没頭し掛けた妄想から我に返る。
「シェルン・メルヴィス、アニエス・アヴリーヌ、そしてエレナ・ロゼ。そなたら三名はオーランド王国所属の傭兵という事で間違いないのだな?」
「はい、執政官代理殿」
エレナの澄んだ鈴の音の様な声にまたラビルの背中にゾクリと震えが奔る。
「他国の傭兵がこのアドラトルテの国防の大事に力を貸してくれた事に関しては感謝しよう。だが正規軍が管轄する区画に勝手に侵入した事については罪に問われてもおかしく無い行為であったと覚えておいて貰いたい」
「その件に関しては深く反省し謝罪します。執政官代理殿」
エレナのしおらしい言い様にラビルの虚栄心がくすぐられ、ラビルは満足げに頷く。
「だがそなたたちの活躍により中級位危険種を排除できたという報告も同時に入ってきている。それに今回の査問に関しては第三師団の方からも嘆願を求める書面が上がってきている事も考慮し、今回は処分を不問とする事としょう」
俄かには信じ難い話だが、中級位危険種を退ける程の力を持つ傭兵を牢獄に入れてしまうなどと言う愚挙を流石のラビルも本気で考えていた訳では無い。だが力関係はきっちりと示しておく必要がある。この査問は言わばその為の儀式の様なモノである。
「これよりそなた達三名を正式に義勇兵として第三師団の預かりとする。改めてその力を尽くしこのアドラトルテ防衛に協力して欲しい」
ラビルの言葉にエレナは深く頭を下げた。
エレナはラビルのちょっとした仕草や態度、そして言葉の節々から感じられる傲慢な声音の響きから、この男の性質を直ぐに理解していた。
そしてエレナはこうしたラビルの様な男の扱いには馴れている。何故ならビエナート王国の王宮にはこの種の人種など掃いて捨てる程いたからだ。
適当に話を合わせ、少しおだててやってその小さな虚栄心を満してやればいい。
だがこの時エレナは自分が大きな間違いを犯していた事に気づいていない。
そうした対応は男であり、また騎士であったアインス・ベルトナーだからこそ通用する、言い換えるなら成り立っていた対応であった。
少女である今のエレナがそうした男たちの前で従順な姿勢を見せる事が男たちの劣情をどれ程煽る事になるのかなど、思いも寄らなかったのかも知れない。
まして先の無い追い詰められた執政者代理の男にとって今のエレナの姿がどう
映ったかなど、エレナにとっては想像だに出来なかったのであろう。
執務室を後にする三人の……エレナの後ろ姿を見つめ、ラビルはそっと舌なめずりをするのであった。
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