第53話
暴食なる暴君(ギガス・バルダ)の一つ目が獲物を値踏みする様にエレナへと向けられる。だが余りに小さく脆弱なその姿に然して食指を動かされなかったのか、自分に向かい駆けるエレナの姿に煩わしそうに右手を払う。
その右手が起こす風圧だけで儚く掻き消えてしまいそうなエレナの肢体は、だがギガス・バルダの右腕が到達する前に宙を駆る。
それはまさに虚空を駆ける一陣の風の様にその身を翻し宙を舞う。
ギガス・バルダは左手を伸ばしその指を開いてエレナの身体を掴み取ろうと迫る。回避不可能な空中で迫るギガス・バルダの右腕。
エレナの両手から残光を残し閃く剣閃。
刹那、どす黒い血飛沫が大地を染める。
その大量の血の量に多くの兵士たちが可憐な少女の無残な最期を想像した。だが僅かの間をおきソレは大地へと落ちる。大きなその塊は――――ギガス・バルダの右指。
鮮やかに断ち切られたその切断面から大量の血液を噴出させ、ギガス・バルダの五つの右指が大地を転がる。
グガァァァァァァ!!
エレナの双剣により五指を切断されたギガス・バルダの咆哮が周囲に響き渡る。
その一つ目に明確に宿るのは激しい怒り。
エレナは切断したギガス・バルダの手を踏み台に更に跳躍する。空中で十字に交差される双剣。
エレナの黒い瞳にとギガス・バルダの一つ目が空中で交差し、刹那エレナの手から放たれた双剣が光の残光と共に十字の残滓を虚空に刻む。
ギガス・バルダの後背へと舞い降りたエレナにギガス・バルダは振り返り様大きく左腕を振り上げた。だがエレナはギガス・バルダを振り返る事無く眼前の残り二体のギガス・バルダを見据える。
エレナへとギガス・バルダの左腕が振り下ろされる――――事は無い。
ズルリ、とギガス・バルダの巨大な頭部がその肩口へとずれ落ちていき……そのまま地面へと音を立てて転がり落ちる。
ギガス・バルダの頭部を失った巨大な身体は首元から噴水の様にどす黒い血を大量に吹き上げながら、その左腕を振り上げたままグラリと揺らぎ、そしてそのまま仰向けに崩れ落ちる。
それに巻き込まれ数体のアンダーマンがギガス・バルダの身体の下敷きとなり押し潰された。
一瞬の静寂。そして沸き起こる歓声。
「勇士たちよ、その剣に捧げた誓いを今此処に果たせ、不浄なる者共をこの大地より殲滅せん!!」
少女から発せられた澄んだ声音。それはまるで神々から齎された宣託の様に兵士たちの不安や恐怖に沈む心に眩い光となって差し込む。
「魔物共を駆逐してやる」
一人の兵士が叫ぶ。その叫びは次々と連鎖する様に瞬く間に兵士たちの間に広がっていった。
一門の内周へと大きく押し込まれていた兵士たちは息を吹き返した様にアンダーマンの群れを押し返していく。
だが外壁の大穴からは絶え間なくアンダーマンが侵入を続け、エレナの眼前には二体のギガス・バルダが立ち塞がる。
増え続けるアンダーマンを前に兵士たちの獅子奮迅とも言える攻勢を持ってしても尚、一度押し込まれた距離を縮めるのは容易い事では無い。
外壁の大穴の前に立つエレナとアスボルトは完全に孤立していた。
「聖女よ……どうか兵士たちを連れお退き下さい……」
見惚れる程美しき少女の姿にその勇姿にアスボルトは其処に神の意思を感じていた。この美しき少女こそがアドラトルテを救う為、神が遣わされた守護天使であると。
「将軍、直ぐにあのデカブツを始末して退きましょう、貴方も共に……」
エレナはアスボルトの事を知っていた。知己と言う程親しかった訳では無かったが、顔を合わせれば会話を交わす程度には面識を得ていたのだ。
エレナはアスボルトを見る。流れる血は止まらず、血の気が失せたその顔は青ざめ生気を感じさせない。恐らくは内臓を痛めているのであろう、満身創痍のアスボルトから漂うのは明確な死の気配。
だがそれでも尚、己が両足で立ち、決して膝を屈せぬアスボルトの鋼の様な意思の強さに、その武人としての矜持にエレナは強く畏敬の念を抱いていた。
エレナの背後からギガス・バルダの死骸を乗り越える様に二体のアンダーマンがのそりと迫る。
兵士たちとアンダーマン。その剣戟の間を駆け抜ける影。その影がエレナの背後のアンダーマンへと迫り、その手から打ち込まれた大剣がアンダーマンの腹部へとめり込むと、更に力を加えた大剣はアンダーマンの胴体部を二つに引き裂いた。
シェルンはそのままエクルートナを引かず自身の身体を回転させる様に身を捻ると側面のアンダーマンの頭部へと切り上げる。
アンダーマンは野太い両腕を十字に組み頭部を守る様にその両腕でエクルートナを受け止めようとするが、瞬間シェルンは身体を開き、大きく体重を移動させる事でエクルートナの軌道を変える。軌道を僅かに変化させたエクルートナはアンダーマンの胸部を捉え、エクルートナの刀身はその胸部の半ばまでを一瞬で切り裂く。
「エレナさん、他の部隊はもう撤退を始めてるよ、このままだと北面の部隊だけが取り残される」
崩れ落ちるアンダーマンを一瞥すらせず駆け寄ったシェルンはエレナに告げる。
「シェルン、将軍を頼む」
無数に立ち塞がるアンダーマンの群れの僅かな隙間を駆け抜け、エレナは二体のギガス・バルダへと走る。
そのエレナの姿に咆哮を上げ迫る二体のギガス・バルダ。
ギガス・バルダはエレナへと真っ直ぐに向かい、エレナとの間を塞ぐアンダーマンたちがギガス・バルダに踏み潰されていく。
エレナの黒い瞳はその視界に、自身の左右に映る二体の巨人の姿を捉える。エレナの瞳はギガス・バルダの動き一つ一つを、いや……その脈打つ心臓の鼓動の速度や回数すらもその全てを掌握する。
それは先読みや予測、そうした技術すらも越え、遥かな頂へと至る極地。
エレナのソレは最早未来視とすら呼べる神の領域へと達していた。
エレナを踏み潰そうとギガス・バルダは大きく右足を浮かせる。だがエレナはその瞬間、全体重が乗ったギガス・バルダの左足へと双剣を閃かせる。
ギガス・バルダの左足は一瞬で踝から切断され、大きく態勢を崩されたギガス・バルダは右足を上げたまま轟音を上げ仰向けに倒れ込んだ。
瞬間、眼前にまで迫っていたもう一体のギガス・バルダの右拳がエレナへと迫っていた。エレナはその拳を見る事も無く大きくその肢体を横へと反らす。
そのエレナの身体から僅か数センチ。唸りを上げてギガス・バルダの拳が通り過ぎる。その拳圧が巻き起こした風がエレナの黒髪を宙へと高く巻き上げる。
ギガス・バルダの拳に潰されたアンダーマンの身体から漏れる嫌な音が僅かに周囲に響く。
次の瞬間にはエレナの肢体は再び宙を舞い、伸ばされたその右腕を蹴り上げると一気にギガス・バルダの眼前へと迫る。
エレナの交差された両腕から放たれた双剣は、周囲の空間すら断ち切るように大気を切り裂きながら壮麗な戯曲を奏でギガス・バルダの首を一瞬で切り落とす。
横倒しに崩れるギガス・バルダ。
エレナは上体を起こしたもう一体へと双剣を十字に刻みながら駆ける。
自分へと迫る小さな姿をその一つ目に映しギガス・バルダは大きな咆哮を上げる。だが刹那その咆哮がピタリと止んだ。
上体を起こしていたギガス・バルダの身体がビクリ、ビクリ、と何度か痙攣を繰り返し、力無くまた仰向けに倒れ込む。だがその身体にはもうあるべき頭部は……存在していない。
ギガス・バルダの死骸を前にエレナが立つ。だがその身体が僅かに揺らぎ片膝をつく。その美しい顔には玉のような汗を掻き、その小さな唇からは喘ぐ様な荒い呼吸が漏れる。
エレナの神がかり的な剣技。だがその代償は大きい。今のエレナには全力を出せる時間が余りにも短かった。
そんなエレナを取り囲む様にアンダーマンがエレナへと迫る。エレナへと伸ばされる野太い腕。
ボトリ。
顔を上げることすら出来ぬエレナの足元に何かが落ちる。僅かに視線を上げたエレナの目に映るのはアンダーマンの腕。
刹那、エレナを囲むアンダーマンの四肢が一瞬で切断される。巻き上がる血吹雪。アンダーマンの残骸がボロボロと崩れて落ちていく。
陽光を反射する様に鈍く輝く鋼線がエレナを守護するかの様にその周囲を包み込んでいる。
「退きましょう、エレナ」
エレナを見つめるエメラルドの瞳。その手がエレナへと伸ばされ、エレナはそのアニエスの手を取った。
「私の事はいい……あの少女を頼む、少年よ……」
アスボルトの周囲へと迫るアンダーマンを切り伏せていたシェルンの背後に掛けられた声。シェルンは一度アスボルトを振り返り、そして大きく頷いた。
エレナの元へと走るシェルン。そして駆け寄りざまエクルートナを背中の鞘へと収めるとシェルンはエレナの小さな身体を抱き上げる。
「シェルン……」
「この方が早い、僕に摑まってエレナさん」
エレナは一瞬逡巡するが、黙ってシェルンの首へと腕を回す。
アニエスを先頭にエレナを抱き抱えたシェルンがその後に続く。
アスボルトと三人がすれ違う。その一瞬の刻。アニエスがシェルンがアスボルトへと僅かに頭を下げる。すれ違う三人の姿にアスボルトは満足そうに笑う。
「北面の全部隊に再度通達する、二門まで撤退せよ!!」
アスボルトの最後の号令が周囲に響き渡る。
そしてアスボルトは自身を囲み蠢くアンダーマンの群れへと長剣を構える。
だがその死を……その最後を前にしてアスボルトの心は驚くほど澄んでいた。何故なら最後にアスボルトが見たのは希望。それは暗闇に多い尽くされたこの都市を照らす一陣の光。
「願わくば、もう少し長く……共に戦いたかったものだ……」
それが僅かに残る悔いか。だがそれも詮無き事。アスボルトは自分の未練を笑う。
「来るがいい、この木偶の坊共が」
アスボルトは高々と長剣を上段へと構え虚空に吼える。
その意思がその鋼の心が風に乗り天へと昇る。
アドラトルテの一門が遂に破られた。それは魔物の襲撃から五日後の事である。
この攻防でアドラトルテ側の死傷者は四百名を越えた。だが何より人々に衝撃を与えたのは名将アスボルト・リーガンの戦死の報であったろう。
だがアスボルトを失った悲しみに暮れる間も無く、二門を巡る第二幕が幕を開けようとしていた。
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