第52話

 アドラトルテの一門。

 外周に面したその外壁を黒い異様な塊が這う様に登る。

 個体差はあるもののそれの全長は約二メートル。頭胸部に四対の歩脚と一対の触肢、口には鎌状になった鋏角があるその魔物の姿は蜘蛛そのもの。だが巨大なその姿を別にしても通常の蜘蛛とは明らかに異なる部分がある。それは頭部に並ぶ八つの目。それは普通の蜘蛛では有り得ない、二列に並び血走った眼球を上下左右へと忙しなく動かすその目はまさに人のソレであった。

 その魔物の名は強奪する者(ベイル・スナッチャー)。

 南部域の森林地帯に多く生息するこの大蜘蛛は通常群れを成すことは無く、街道のような開けた場所に姿を見せる事も無い。単独で行動するこの種は木々が密集した様な場所を好み、そこに巣を張り迷い込んだ人間たちを捕食する。その為本来その行動範囲は狭く、森や林のような森林地帯にさえ足を踏み入れねば滅多に遭遇する機会の少ない魔物ではあったが、災厄以降の大陸では大都市や大きな街の騎士団や自警団、そして傭兵たちの庇護が不可欠な為、どうしてもそれらの近隣に集落を作らねばならなかった都合上、森や森林の開拓が不可欠な場合も多かった。そうした開拓民にとってはこの大蜘蛛、強奪する者。は最も厄介で危険な魔物であったのだ。

 またその固体の獰猛性や多岐に渡る殺傷能力の高い捕食器官の多彩さから、協会からは中級位危険種として定められた南部域でもかなり危険度の高い魔物である。


 大蜘蛛たちは器用に八本の脚を駆使し外壁の僅かな隙間に脚を滑り込ませながらアドラトルテの外壁をよじ登る。その無数の大蜘蛛たちにより外壁は黒一色に染め上げられたいた。


 「一匹たりとも害虫共の進入を許すな!!」


 指揮官らしき男の号令と共にアドラトルテ国軍の兵士たちが二人掛りで抱える大樽を傾け、外壁をよじ登る大蜘蛛へとその中身をぶちまける。樽から零れ落ちる透明な液体が次々に大蜘蛛たちへと降り注ぐ。


 「火を放て!!」


 再度木霊する指揮官の男の声に火矢を番えた兵士たちが次々に外壁の淵に並ぶ。そしてその弓から放たれた火矢が大蜘蛛たちへと触れた瞬間、大火となって大蜘蛛たちを包み込む。それは一瞬にして炎の壁の様に燃え広がった。

 先ほどの樽の中身は油。それに火矢の炎が燃え移り壁を登る大蜘蛛たちを焼き払う。

 ギリギリギリッ――――!!

 耳障りな金切り声を上げながら炎に包まれ落下していく大蜘蛛たち。

 だが油が掛からなかった後ろの列の大蜘蛛の群れがまた外壁の頂へと徐々にその距離を詰めていく。


 「くそっ……なんて数だ」


 巨大な大槌を右手一本で軽々と抱える巨漢の男。鋼の意思を宿した瞳が眼下の大蜘蛛を忌々しそうに見つめる。

 アドラトルテ北面の外壁を防衛するアドラトルテ国軍第三師団の師団長であるこの男の名はアスボルト・リーゲン。

 アスボルトはかつてはファーレンガルト連邦の参加国の一つレドニア王国の将軍にまで上り詰めて男であった。

 南部域に侵攻する中央域の大国ベルサリア王国とファーレンガルト連邦との戦争。南部戦役と呼ばれるこの大戦においてアスボルトは大戦初期から連邦軍の将として数々の武勲を立てた南部域の英雄の一人でもある。またその秀でた武勇を買われカテリーナの災厄初期に結成されたアインスたち宣託の騎士団の候補にまで挙がった程の逸材でもあった。

 カテリーナ討伐軍に参加した中央域での戦いを生き延びたアスボルトは、災厄後の動乱の中祖国レドニアを魔物たちにより滅ぼされる。失意の中亡国の将となったアスボルトはその後ファーレンガルト連邦から独立を果たしたこのアドラトルテへと身を寄せ、その力を遺憾なく発揮する事となる。

 現在ではアドラトルテの守護の要として、またその実直な人柄はアドラトルテの人々の尊敬と敬意を一身に集める存在とまでなっている。

 七都市同盟の中でもその武勇によって名を馳せる勇士たち。中でも輝かしい戦歴を誇る三人の英雄を人々は南部三傑と称しその功績を讃えた。

 アスボルト・リーゲンはその南部三傑の一人である。

 南部三傑の勇名は南部域の人々に取っては宣託の騎士団の英雄たち。そして救世の騎士アインス・ベルトナーと並ぶ、まさに希望の名であった。


 「アスボルト団長!! 北面の壁が!!」


 兵士の一人が眼下の壁を指差す。


 外壁をよじ登る強奪する者。奴らの様に器用に外壁を登れず外壁に取り付く魔物たちの姿がアスボルトの目に映る。

 その巨大な体躯。ざんばらな長い長髪。紅を塗ったように赤く裂けた口。南部域に最も多く生息すると言われる人もどき。正式な名称を愚鈍なる暴徒(アンダーマン)の姿であった。

 動きが緩慢な人もどきではアドラトルテの外壁を登る事は出来ない。その為奴らはこの五日間ただ外壁を叩き続けていた。昼夜問わず絶え間無く。

 長らく人もどきの怪力に耐えてきたアドラトルテの外壁がとうとう悲鳴を上げる。

 兵士が指差す外壁の一部に大きな亀裂が奔り、バラバラと石の壁が崩れ始め埃が舞い上がっていた。


 「一個大隊を壁の内周へ向かわせろ。残った者たちは害虫共を登らせるなよ」


 アスボルトは伝令の兵士たちにそう告げると自身も外壁の階段を駆け下りる。


 ドコン、ドゴン、とまるで太鼓を打ち鳴らす様な音が外壁の外で響き渡っている。

 亀裂の広がる壁の前にアスボルトが立つ。その周囲、壁を取り囲む様に兵士たちが展開していた。


 「例え外に何万いようが、進入できる数は限られている。冷静に対処し駆逐せよ」


 アスボルトは巨大な大槌を片手で担ぐと、鼓舞する様に周囲の兵士たちへと号令を掛けた。

 アスボルトの勇姿に感化された様に兵士たちは一様に喚声を上げ剣を掲げ、意志の強さを戦意の高さをアスボルトへと示す。

 刹那、轟音を立て外壁が崩れる。幅七メートル強の大穴がついにアドラトルテの外壁へと穿たれた。

 その外壁の大穴からのろのろと緩慢な動きで人もどきたちが姿を見せ始める。

 その人もどきの群れの中にアスボルトが先陣を切るように走る。その手の大槌が唸りを上げて先頭の人もどきの頭部へと迫り、激しい激突音と共にその頭部を粉砕する。だがアスボルトの大槌は止まらない。その勢いのまま身体を大きく捻ると遠心力を乗せたその大槌は別の固体の胸部を捉え、その人もどきの巨体をまるで石ころでも弾く様に吹き飛ばした。

 一呼吸の間に二体の人もどきを瞬殺したアスボルトの姿に兵士たちの士気は最高潮にまで高まり、兵士たちは次々に侵入してくる人もどきへと斬り掛かっていく。


 累々と積み重ねられていく人もどきの死骸。だがまるで無尽蔵に沸いてくるように大穴から姿を見せる人もどきの群れ。アスボルトは冷静に引き際の機会を伺っていた。

 今はまだこの一箇所だけではあったが、いつどこで他の箇所に此処と同じ様な大穴が空いてもおかしく無い状況にあったのだ。そしてそれはこの北面だけとは限らない。東西南北、何処か一箇所でも魔物の侵入を許せばそれまでだ。

 最早現状で一門の死守は不可能な段階まで来ていた。現在一門に展開している全部隊を最小限の被害で二門へと退避させねばならない。アスボルトは伝令を飛ばし各方面の指揮官たちと連絡を取り合いその機会を図っていた。

 その瞬間アスボルトの耳に劈くような轟音が響き渡る。

 目の前の壁が崩れ落ち更なる大穴が穿たれる。そしてその大穴から姿を見せた巨大な影に兵士たちが後ずさる。

 その巨大な影の足元に蠢く人もどき。その影は実に五メートル強はあろうか。隆々と盛り上がった鋼の様な筋肉に分厚い胸板。腰蓑の様なモノを纏った半裸の巨人の姿は神話の巨人族の姿そのままに頭部の一つ目がギョロリとアスボルトを見つめる。

 その魔物の名は暴食なる暴君(ギガス・バルダ)。

 協会が定める中級位危険種の一種。南部域でもその絶対数は少ないと言われる希少種であるこの一つ目の巨人は、だが幾つもの忌まわしい逸話を持つ危険種であった。

 たった一体で小国の騎士団を壊滅させその死骸を喰らい尽くしたと言われる、その凶暴性と食欲。その巨体からは想像も出来ない程の俊敏性と刃を通さぬ鋼の身体。そして巨木の様な太い二の腕は人もどきすら遥かに凌駕する怪力を誇る。

 遭遇する事が即、死を意味するとすら恐れられる凶悪な危険種。それがこの魔物、暴食なる暴君であった。


 「伝令!!全部隊に撤退を指示しろ、急げ!!」


 アスボルトは即座に決断する。だが周囲の兵士たちに後退の指示を出すことは無かった。

 いつ頃この化け物がやって来ていたのかは分からない。だが少なくとも襲撃当初からでは無かった筈なのだ。この化け物が最初からいたのならこの外壁が五日も持つ筈が無かったからだ。

 だとすれば此処でこの化け物を仕留めておかねば二門まで退いたとしても簡単に外壁を破られかねない。


 「このデカブツはここで仕留める。お前たちはウスノロ共の相手を頼む」


 広がった大穴から次々と姿を見せる人もどき。それらの対処を兵士たちに託しアスボルトは暴食なる暴君へと駆ける。

 中級位危険種に単身で挑むなど本来無謀な行為であり命を無駄に捨てるような愚挙である。

 風を切る、いや押し潰す様な轟音と共に暴食なる暴君の右腕がアスボルトへと迫る。

 その巨体からは信じられぬ速度で迫るその腕をアスボルトの大槌が唸りを上げ弾き飛ばす。僅かに打点がずれただけでも押し潰されていただろう暴食なる暴君の右腕を、アスボルトの大槌は完璧なタイミングでそれを打ち抜く。

 そのまま暴食なる暴君の足元へと迫ったアスボルトは裂帛の気合と共にその巨木の様な右足へと大槌を叩き込んだ。その衝撃でグラリと暴食なる暴君の巨体は揺らぎ、その上体を前方へと大きく傾かせた。

 アスボルトは全体重を乗せ間合いに捉えた暴食なる暴君の頭部へと渾身の力を込めた一撃を放つ。アスボルトの大槌が暴食なる暴君の側頭部を捉え轟音が響き渡る。

 振り切られる大槌。横倒しに倒れ込む暴食なる暴君。

 その光景に、英雄のその姿に兵士たちの間から歓声が上がる。

 刹那それは起きた。

 アスボルトの油断と言うには余りに酷な程刹那の瞬間。倒れた暴食なる暴君の右手が僅かに動き数本の指がアスボルトへと伸ばされた。

 誰の目から見ても全く力のこもらぬ、弱々しいその指先をアスボルトは大槌の鋼の柄で受ける。だがその瞬間、大槌を支える鋼の柄はぐにゃりと拉げ、アスボルトは疾走する馬車に激突したかの様に弾け飛んだ。

 地面を転がるアスボルトの身体。暴食なる暴君はゆっくりとその巨体を起こし何度がその首を横に振る。


 「ぐはっ――――!!」


 アスボルトの口から大量の血液が吐き出される。だが大量に侵入し続ける人もどきにより兵士たちはアスボルトへと近づく事が出来ない。


 そして兵士たちの動きが完全に止まる。


 立ち上がる暴食なる暴君の背後、大穴を潜る様に更に二体の暴食なる暴君がその姿を現したのだ。

 アスボルトはひしゃげた大槌を支えに立ち上がる。その目、鼻、耳。全ての器官から血が流れ出しその顔を赤く染め上げる。だがその闘志を宿した瞳は尚強く、そして激しく輝きを放ち、アスボルトは腰の長剣を抜き放つ。

 だが兵士たちは三体の暴食なる暴君の姿に戦意を挫かれた様に人もどきたちに押され徐々に後退していく。それらを背にアスボルトは一歩、一歩、前へと歩みを進める。

 最早兵士たちの目は恐怖に歪み、恐慌を起こす一歩手前。訓練された優秀な兵士であった事が辛うじて瀬戸際で彼らの理性を支えていた。


 「勇敢な勇士たちよ、英雄の背中を見よ、誇り高きその背にその魂を己が剣を掲げよ」


 凛として澄み渡る少女の声が兵士たちの耳に響き渡る。

 その手に輝く双剣を手に美しき少女が駆ける。

 白銀の戦装束を纏い駆けるその姿は神々の娘たち。戦乙女そのままに凛々しく可憐でそして美しい。

 天から舞い降りたかの様なその少女は長い黒髪を風に揺らし、暴食なる暴君へとその身を舞わせた。

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