第51話
三隻の魔導船はアドラトルテ上空で何度か旋回を繰り返すと、やがて散開しながら高度を下げ始めそれぞれ別の魔導船発着場へとゆっくりと降下して行く。
三隻の魔導船が同じ魔導船発着場に着陸しないのには相応の理由がある。魔導船の存在に気づいたアドラトルテの住民たちが救助を求め殺到する事態が予測される為、そうした混乱を分散させるのが主だった目的であったのだ。
もう一つの理由としては、それぞれの魔導船に搭乗させる救助者は名簿により割り振られ詳細に管理されている為、その人物たちの所在にもっとも近い立地にある魔導船発着場に魔導船を着陸させたいと言う思惑もあった。
エレナたちが搭乗するニールバルナの魔導船メレオスはアドラトルテの中心部に近い、商業区に面した魔導船発着場へと着陸する。
着陸と同時にメレオスの搭乗口と貨物搬入口が開かれ、数十名の完全武装のニールバルナ国軍の兵士たちがアドラトルテの地へと降り立ちメレオスを中心に円状に展開して行く。
それから少し遅れ、エレナたち要人救助の為に集めれれた傭兵たちやニールバルナ国軍の兵士たちがメレオスから魔導船発着場へと降り立った。
「再度確認するが滞在する一刻という時間はあくまで最長の刻限であって、状況が変化すれば早々と発艦しなければならない事態も起こり得るという事を忘れずにいて貰いたい。諸君らには迅速に行動し任務遂行後は速やかに帰還して貰いたい」
ニールバルナ国軍の指揮官の男は厳粛な表情を浮けべたままエレナたちにそう釘を刺した。
異変に気づいたアドラトルテ国軍の兵士たちが集まり始め、ニールバルナ国軍の兵士となにやら話し合いが行われている。暫くするとアドラトルテ国軍の兵士たちもメレオスの警備に加わり始め、この魔導船発着場が保有している物だろうか幾台もの馬車がエレナたちの下へと運ばれて来る。
「諸君らの健闘を祈る」
指揮官の男や兵士たちに見送られ要人救出の為に次々と馬車が魔導船発着場を後にして行く。エレナたちもまた用意された馬車に乗り込み、そうした馬車の一団の中へと姿を消していった。
「此処からなら買い付けに訪れたと言うラダナック商会が近いわね、寄合所は街の中心部にあるようだしまずはラダナック商会から当たりましょう」
馬車の中でアドラトルテの街の地図を広げたアニエスの細い指が地図の上をなぞっていく。
アドラトルテの街中は行き交うアドラトルテ国軍の兵士たちの姿で溢れ返っていた。総動員体制が取られている為だろう、まだ十代と思しき少年兵たちの姿もある。それぞれの持ち場に向かう彼らは通りを走るエレナたちの馬車など一顧にだにせず通り過ぎていく。彼らの表情を見ても戦局が思わしくない事は直ぐに見て取れた。
通りには兵士たち以外、住民たちの姿は殆ど見られない。多くに住民たちは家の門戸を固く閉ざし成り行きを見守っていた。いや見守ることしか無力な彼らには出来なかったのだ。
エレナたちが乗る馬車が一軒の商店の前に止まる。馬車から降りた三人は商店の入口へと向かうが、やはり商店は閉められ入口は閉ざされていた。
アニエスは強く数度その扉を叩く。間隔を空け、一度……二度と。
暫くすると扉の向こう側で人が近づく気配がすると僅かに扉が引かれる。
「どちら様でしょうか?」
扉の向こう側から少し不審そうな中年の男の声がエレナたちに掛けられる。
「突然失礼します。私たちはガラート商会の使いの者ですが、此方にレイリオ・ガラートがお伺いしていませんでしょうか?」
エレナの問い掛けにゆっくりと扉は開かれ扉の奥に中年の男性が姿を見せた。
「レイリオさんのお知り合いの方でしたか、これは失礼しました、どうぞ中にお入り下さい」
中年の男性に招き入れられエレナたちは店内へと足を踏み入れた。
店内の窓は全て厚い木の板で塞がれ薄暗い。灯された幾つかのランプの明かりだけが周囲を照らし出していた。
こうした特殊な状況下においては錯乱した市民たちの暴動がいつ起きてもおかしくは無い。そうした混乱の中、火事場泥棒の様に窃盗や強盗を働く者は残念ながら少なくないのだ。店の窓や戸口を厳重に塞いでいるのは恐らくそうした暴徒たちへの警戒の為なのだろう。
「レイリオさんはうちに滞在されていますよ、今呼んできますので」
中年の男性はエレナたちにそう声を掛けると二階への階段を上がっていく。
エレナはほっと胸を撫で下ろすと深く息を吐いた。今度はどうやら間に合った……その安堵感からかエレナの肩から僅かに力が抜ける。
暫くすると中年の男性と共に懐かしい見知った青年の姿がエレナの黒い瞳に映し出される。
「エレナ!!」
その姿を見た瞬間、レイリオは階段を駆け下り少女の下へと駆け出していた。
ローブを羽織りフードで顔を隠す小柄な姿。だが顔を見ずともレイリオには見間違い様も無い愛しい少女の姿。レイリオは迷う事無く小柄なその少女を抱きしめていた。
「ちょっ……レイリオ」
「君が来てくれるなんて……本当に嬉しいよ……愛しているエレナ」
ライズワースで別れてから一度たりとも忘れた事など無かった。その愛しい少女をレイリオは強く……強く抱きしめた。もう二度と放すまいかとする様に強く……強く。
「い……痛いよ……レイリオ」
少女の、エレナの喘ぐような声にレイリオは我に返ると慌ててエレナから両手を放す。刹那、レイリオの首筋に冷たい刃の感触が触れ、その感触にレイリオはその刀身の先へと目線を移す。
「エレナさんから離れろよ」
底冷えする様な殺意を放ちシェルンのエクルートナはレイリオの首筋を捉えている。
「いいんだシェルン、こいつはこう言う男だから、まったく変わらないなお前は……」
エレナの言葉にシェルンはエクルートナを引くが怒りを湛えたその瞳はレイリオを捉えたまま放す事は無かった。
「別にお前が心配で助けに来た訳じゃないからな、勘違いするなよ、ただ……そう、この双剣の借りを返しに来ただけなんだから」
「その剣……受け取ってくれたんだねエレナ、良く似合ってるよ」
エレナの両の腰に帯剣されている長剣に視線を落としレイリオは嬉しそうに笑う。
エレナの表情はフードに隠れ伺う事は出来ないが、何処か落ち着かない様子でレイリオから視線を逸らすエレナの姿は、まるでただの年頃の少女の様でシェルンには何故か気に入らなかった。
「積もる話もあるかも知れないでしょうけど、今は時間が惜しいわ」
二人の遣り取りを眺めていたアニエスは冷静な声で二人を諌める。その言葉にエレナもレイリオも直ぐにその表情を引き締めた。
「行かれるのですな、レイリオさん」
中年の男性は今のアニエスの言葉で状況を察したのだろう、レイリオに寂しげに笑いかける。後から降りてきたのだろう中年の男の隣には妻と思われる女性とそして幼い少女の姿がある。
「クリムさん、このレイリオ・ガラート。貴方から受けた恩義、一生忘れる事はありません。本当に有難う御座いました」
深く頭を下げるレイリオの姿にクリムは僅かに視線を隣に立つ妻の姿に送る。
「せめて妻と娘だけでも同行させて頂くことは……出来ないのでしょうね……」
そのクリムの言葉にレイリオはエレナへと振り返り、エレナはゆっくりと首を横に振った。
「良いのです、これは私の我侭なのですから……レイリオさんどうかご無事で」
クリムはエレナの姿を見て諦めたようにそう呟くと、横で震える妻の肩を優しく抱いた。
「お兄ちゃん、行っちゃうの?」
レイリオの袖を掴んだ少女が寂しそうにレイリオのを見上げていた。そのつぶらな瞳には恐怖の色は無い。まだ街の状況など分からぬ幼い少女は純粋にレイリオとの別れを悲しんでいる様子であった。
「サリアちゃん……ごめんな……お兄ちゃん……」
レイリオは苦悶の表情を浮かべ、サリアから顔を背ける。
「サリア、お兄ちゃんを困らせてはいけませんよ、こっちにおいで」
クリムの妻がサリアにそう声を掛けるとサリアはうん、と元気良く頷き母親へと抱きつくように駆け寄って行った。
「お兄ちゃん、サリア良い子にしてるからまた遊びに来てね」
サリアは母親に抱かれながら満面の笑顔を湛えてレイリオに手を振った。
クリムの商店を後にしたエレナたちは魔導船発着場へと馬車を急がせる。だがその車内はエレナとレイリオの再会の感動も束の間に水を打ったような静けさに包まれていた。
誰一人言葉を発する者は無く、ただ馬の蹄の音と時折車体が揺れて生じる車体が軋む音だけが永遠と響いていた。
エレナたちが発着場へと戻ると其処には多くの人だかりが出来ていた。馬車に気づいた兵士たちが強引に群集を下がらせ道を作る。
「俺たちも乗せてってくれ!!」
「お願い……見捨てないで……」
「ふざけるな!!俺も乗せろ!!」
馬車を降りメレオスへと搭乗するエレナの耳に怒号と悲痛な叫びが木霊する。
救える命……救えない命。
何かと比べ、より大きな何かを選び取る。そうした選択をエレナはこれまで幾度と無く繰り返してきた。アインス・ベルトナーとして生きてきた騎士時代はそうした選択の連続であった。
エレナの小さな手が震え……握られる。
だが今の自分はアインス・ベルトナーでは無い。
メレオスの搭乗口へと続く階段を上がるエレナの足が止まる。
「ごめんレイリオ……俺は行けない」
少女のあんな笑顔を見てしまったら……もうどちらかを選ぶことなんて俺には出来ない。
「どうしたんだ、エレナ?」
レイリオは後ろを歩くエレナの歩みが止まったのに気づき振り返った。
「俺はここに残って全てを護るよ」
それがどんなに傲慢な言葉かエレナには分かっている。だがもう何かを選び何かを失うのには疲れた。だからエレナ・ロゼは何も諦めない。選択などしない。その結果例え命を落とそうが後悔など微塵も無かった。
エレナの決意に満ちた美しい黒い瞳、その瞳を前にレイリオの手は無意識にエレナへと伸ばされる。だがそのレイリオの手を阻むようにシェルンの身体がその手を遮った。
「お前ではエレナさんの隣には立てない」
レイリオにしか聞こえない、それは小さな呟き。そしてシェルンはエレナへと向き直る。
「エレナさんが残るなら僕もその隣で戦わせて欲しい」
「まったく……馬鹿な子たちね、でもその生き方、本当に面白いわ」
エレナはシェルンをアニエスを見て、その小さな身体は踵を返す。階段を下りるエレナの後ろをシェルンとアニエスが続く。
「エレナ!!」
レイリオはエレナの姿を追うように足を踏み出そうとする。
「レイリオ、此処から先は剣を持つ者たちの闘争の場だ、お前がついて来る所じゃない」
それは完全なる拒絶。
そのエレナの言葉にレイリオの足が止まる。
「お前がもし共に戦うと言うのならレイリオ、お前の戦場は此処じゃないだろ」
エレナは足を止めレイリオへと振り返る、そして纏うローブを脱ぎ捨てた。美しい黒い黒髪が風に靡き、その黒い瞳は真っ直ぐにレイリオを見つめる。
「君が僕を救ったように、僕はこの街を、君を必ず救ってみせる」
まるで挑むかの様にレイリオはエレナの黒い瞳を見つめるとやがてレイリオもまた踵を返し、メレオスの搭乗口へと階段を上り始める。
レイリオとエレナ、二人の道はまた分かたれた。だが目的を同じくする限り次に辿り着く場所は同じであると、エレナもレイリオも互いに信じて疑うことは無かった。
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