第50話
ファーレンガルト連邦。商業都市ニールバルナは七都市同盟の中核を成す大都市である。
他の多くの都市がそうである様に海洋に面したこの都市の主要産業は豊かな水産物と海洋資源であり、特にニールバルナ周辺の海流の緩やかな海域は水揚げ量も高く多彩な海の恵みを人々に与えていた。それに加えて、オーランド王国との海の玄関口となっているニールバルナはオーランド王国とファーレンガルト連邦を結ぶ海上貿易の中心地となっていた。
クレストが手配した貿易品を積む魔導船に同乗しライズワースを発ったエレナたち三人は、アドラトルテへと救援に向かう三隻の魔導船の調整の為、此処ニールバルナに二日程足止めされる事になる。
アドラトルテへの魔物の襲撃の一報を受けたニールバルナの街の様子はエレナから見ても何処か浮き足立った喧騒に包まれていた。
七都市最大の船舶の収容数を誇るその広大な港には緊急時の為に多数の大型船が停泊され、街中の至る所でニールバルナ国軍の兵装を纏った兵士たちの姿が見掛けられる。
街中に幾つか点在する傭兵たちの寄合所では、協会とニールバルナの執政官の連名で依頼書が発行され、ニールバルナ国軍と合同で行われる大規模な魔物の間引きを目的とした軍事行動への参加を傭兵たちに広く求めていた。
そうした幾つもの事柄が重なった結果、今やニールバルナの街はニールバルナ国軍、傭兵たち、そして連邦軍と言った多種多数の兵士たちが街中を行き交う戦時下を思わせる重い雰囲気に包まれている。
エレナはそんな街の光景を宿屋の二階の窓から眺めていた。
この宿はニールバルナ行政府を訪れたエレナたちに行政府側から滞在中の期間宿泊する様指定された宿である。エレナたち以外の宿泊客たちも多くがエレナたちと目的を同じくする者たちである。
ニールバルナが七都市同盟の決議を待たずアドラトルテへと単独で貴重な魔導船を派遣するのは体面上掲げられた人道的救助が本当の目的では無い。
七都市間でもニールバルナとアドラトルテは親交が深く盛んな人的交流が行われていた。その中でもアドラトルテにはニールバルナ発展を影から支えた南部域の豪族たち縁の者たちが多く生活している。
アドラトルテが魔物に襲われた当時、魔導船に搭乗し逃げ出す事が出来たのはアドラトルテ行政府の一部の高官とその家族たちだけであり、今だアドラトルテには多くの要人たちが取り残されていた。
ニールバルナが今回早急にアドラトルテへの救助を決めた背景には、そうして取り残された血縁者や親類を救うため南部豪族たちの圧力があったことは広く噂される衆知の事実であった。
内陸部にあるアドラトルテには海路を使っての連邦軍の派遣は困難であり、アドラトルテ単独で魔物の襲撃を撃退出来る可能性は低い現状において、一度限りの最後の機会になるであろうこの三隻の魔導船はアドラトルテの人々全てを救うには余りにも小さ過ぎた。
「何をちんたらやってるんだこの国は、これじゃあ間に合うものも間に合いやしない」
苛立ちを隠そうともしないエレナの呟きがその口から漏れる。
アドラトルテ襲撃の報から既に四日は経っている。普通の街なら魔物に襲われれば一日と持たず陥落する。如何に城塞都市との呼び声高いアドラトルテであってもそう何日も持ち堪えられるとは思えない。下手をすればもう手遅れに為っているかも知れないのだ。
「焦る気持ちは分かるけど、それは八つ当たりではなくて、エレナ」
エレナとシェルン、二人が待機していた部屋の扉が開かれ行政府から呼び出しを受けていたアニエスが姿を見せる。
三人の中で最も年上なのは実はエレナなのではあったが、現在のエレナの姿は十代の少女であり、三人の中から代表者を選べと言われればやはりアニエスが選ばれるのが妥当であり自然な流れではあった。
「明日の早朝、日の出と共にアドラトルテへの出発が決まったわ」
「明日か……」
エレナは尚不満そうではあったが、こればかりは文句を言っても仕方が無い。これ以上何かを言ってもアニエスの言う通りただの八つ当たりにしかならないからだ。
「それに伴って確認事項が幾つかあるわ」
アニエスは部屋の中央に置かれたテーブルに対と成って置かれている椅子へと腰を下ろした。寝台へ腰を掛けていたシェルン、窓辺に立ち外の様子を眺めていたエレナもアニエスに倣い、テーブルの前の椅子へと座る。
「まず前提条件としてアドラトルテ到着時、魔物たちの襲撃により街が陥落していた場合は速やかにニールバルナへと引き返すという事。そしてもう一つはアドラトルテがまだ陥落していなかったとしても、三門の内二門まで破られていた場合も同様の措置を取ると言う事」
城塞都市と呼ばれるアドラトルテは対魔物用の対策として外周に巡らされた外壁を一門、その内周に数百メートル空けて建てられている外壁を二門、更に街に隣接する様に建てられた外壁を三門と三層の防御壁により守られていた。それに加えてアドラトルテは七都市の中でも最精鋭と謳われる三個師団から成る軍団で構成された国軍を持ち、城塞都市の名に相応しい防衛力と軍事力、剣と盾を有する都市国家であった。
「これらの条件を満たしてアドラトルテに着陸しても滞在するのは最長で一刻。それまでに速やかに対象者を連れてくる事。例外や滞在時間の延長は一切認めない。それが今回同行する条件だそうよ」
アニエスは淡々と伝えられた条件を二人に話す。そしてこれらの条件はニールバルナ行政府からの通達であり提案ではない。エレナやシェルンにはそれに異議を唱える事など出来ないのだ。
「レイリオとか言う男の所在は掴めているんでしょ」
時間が限られている以上街中を当ても無く探し回ると言う訳にはいかない。そう言う意味でもシェルンの疑問はもっともと言える。
「クレストさんの話では恐らく商人たちの寄合所か買い付けに行っていた商会の店舗のどちらかに身を寄せている筈だと言っていた」
レイリオは頭の切れる青年だ。混乱を起こして馬鹿な真似など犯さず、救助の可能性を信じて冷静に行動しているだろうとの確信がエレナにはあった。
「恐らくアドラトルテの街中は混乱の極みにあるでしょうし、何が起こるか分からないわ。最悪の場合に備えて幾つか決め事をしておきましょう
そうした三人の話し合いは夕暮れまで続き、そして運命の朝を迎える。
指定された魔導船発着場へと赴いた三人を乗せ、三隻の魔導船がアドラトルテへと向けニールバルナを発つ。
陸路なら数日掛かるであろう行程を僅か数時間でアドラトルテ上空へと到達した三隻の魔導船の、その眼下に広がる異様な光景にシェルンは……いやアニエスやエレナでさえ目を見開いて眺めていた。
アドラトルテの外壁に纏まり付く様に蠢く無数の黒い塊。それは黒い絨毯の様に大地を埋め尽くしていた。正確な数など分からない。だが目算でも推定十万以上はいるであろう魔物の大群が黒い塊となってアドラトルテを飲み込もうと蠢き、覆い尽くしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます