第49話

 オーランド王国の王都ライスワースでは新年を祝う祝福の休日が終わり多くの人々が日常の生活に戻る中、此処双刻の月には予期せぬ来訪者が訪れていた。

 双刻の月の入口へと続く石畳に一台の馬車が止まっている。それは明らかに一般の人々が利用する乗合馬車や個人を対象とした街中を走る流しの馬車とは違う、貴族たちが使うような洗練された趣がある立派な物であった。


 双刻の月。その応接間には訪れた二人の来客者をレティシアとカタリナが迎えていた。

 応接間の奥、窓際に配してある意匠を凝らしたテーブルに両手を重ねる様に座るレティシア。その隣にはカタリナが立つ。そのテーブルの前には少し距離をおいて来客用のソファーと小さなテーブルが二つ並ぶ様に置かれている。

 来客用のソファーには二人の人物が座っていた。一人は巨漢とまではいかないが長身の立派な体躯をした男。もう一人は白髪を整えた初老の紳士である。


 「お初にお目に掛かります。レティシア様。わたくしはガラート商会の店舗一つ。トアル・ロゼを任されております支配人のクレストと申します」


 クレストは立ち上がると改めてレティシアへと頭を垂れる。右腕を胸の前に置き頭を下げるその洗練された所作は、クレストの高い教養と品格すら伺わせるに十分な見事なものであった。対して隣に座るミローズは我関せずと言った様子で出された紅茶を啜っている。


 「クレストさんのお名前は此処に居るカタリナやエレナから聞き及んでいます。先の事件では多大なご尽力を頂いた事、双刻の月のギルドマスターとして改めて謝意を述べさせて下さい」


 クレストが立ち上がったのを見てレティシアも感謝の意を伝える為席を立つ。


 「お互いもう知らない仲じゃないんだし、さっさと本題に入った方がいいんじゃないのか爺さん、今回切羽詰ってるのはこっちなんだからよ」


 二人の様子を眺めていたミローズがクレストにそう声を掛けた。ミローズの言葉にもその優美な態度を崩す事無くクレストは穏やかな表情を浮かべたままレティシアを見ている。レティシアはそんなクレストに再度席を勧めるようにそっと手を伸ばし自分もまた椅子へと腰を下ろした。


 「ではご用件をお伺いいたします」


 今のミローズの言葉でクレストが新年の挨拶にきたのでは無い事は明らかであった。それにどうやら余り穏やかな話では無い事も……。


 「はい、レティシア様、実は今日お伺いしたのは双刻の月の皆様方にご相談……いえ、依頼をさせて頂きたく罷り越した次第で御座います」


 「詳しくお聞かせ願えますか?」


 レティシアの言葉にクレストは、まだ正式な公表はされていませんが、と前置きをし語り始めたその内容にたちまちレティシアとカタリナの顔色が変わる。


 「現在南部域に御座いますファーレンガルト連邦の都市の一つであるアドラトルテが魔物たちの大群に寄る襲撃を受けております、それもどうやら多種多様の種が群れを成している様なのです」


 魔物たちは同一の種で群れを形成する事はあっても、複数の種が群を成すほどの規模で人間を襲う事は、少なくとも魔女カテリーナが討たれて以降一度として目撃例の無い事例であった。クレストの言う事が真実ならばこのオーランド王国も対岸の火事と傍観出来ぬ異常事態と言える。


 「その魔物の襲撃を受けたアドラトルテに我が主レイリオが現在も滞在しております。本来ならギルドとしての範疇を超えたお願いであることは重々存じておりますが、主レイリオの救出を双刻の月の皆様方にお願いしたいのです」


 「ちょっと待って下さい!!」


 思考が混乱する中、思わずレティシアはクレストの話を遮っていた。

 アドラトルテと言えばファーレンガルト連邦を形成する七都市同盟の一つである大都市である。その大都市を襲った魔物の規模がどれ程の物なのかレティシアには想像も付かない。しかしアドラトルテの地理を考えても恐らく陸の孤島と化しているであろうその地に赴くという事は死地に足を踏み入れるのに等しい行為ではないか。


 「レティシア、まずはクレストさんの話を最後まで聞きましょう、それが礼儀と言う物ですよ」


 冷静にレティシアを諌めるカタリナではあったが流石にその顔色は青ざめている。


 「お心遣い感謝しますカタリナ様。確かに陸路でアドラトルテに入るのは無謀な話。ですが空路なら如何でしょうか」


 確かに空を飛ぶ飛行種が大陸の中央域から姿を見せぬ以上、空路でなら比較的安全にアドラトルテに入れるかも知れない。事実その貿易の大半を空輸に頼っていたアドラトルテには幾つもの魔導船の発着場が合った筈だ。


 「しかしその情報が齎されたということは、既にアドラトルテにある魔導船はアドラトルテを離れているのではありませんか?」


 「その通りで御座いますレティシア様。魔物の襲撃を受けた直後、アドラトルテの魔導船ブルーメルは要人たちを乗せ既に同盟都市であるニールバルナへと待避しております」


 「だったら……」


 無理では無いか、と続く言葉をレティシアは飲み込む。最後まで話を聞くと言った手前ここで口を挟む訳にはいかなかったからだ。


 「ニールバルナで現在緊急に開かれている七都市会議では今だ全体の方針は定まってはおりませぬが、ニールバルナは単独で自らが保有する魔導船ファルージャとメレオスの二隻をアドラトルテの救援に向かわせる事を決定しました。これにブルーメルが加わり三隻の魔導船がアドラトルテへと向かう事になります」


 カテリーナの災厄で多くの魔導船を失っていた各国に残されたのは僅かに残る輸送船のみである。特に圧倒的な火力で国の権威と軍事力の象徴でもあった戦艦級の魔導船を保有するのは、今やオーランド王国のノーデンヒルトとロザリア帝国のブルムデリクの二隻を残すのみとなり、その二隻にしても災厄の折に受けた激しい損傷の為現在は稼動を停止していた。

 輸送船にはその性質上武装などは施されてはいない。つまりアドラトルテに向かう三隻の魔導船は軍事的支援の為ではない。

 輸送船の最大積載量を考えても一隻に収容出来る人員には限りがある。つまり神話に残る逸話にある様に選ばれた者のみを救い出す、まさに方舟という訳だ。

 聡明なレティシアはクレストの話から直ぐにその事に気づく。


 「アドラトルテに向かう三隻の魔導船の搭乗員名簿には既にレイリオ様の名は載せております。皆様にはアドラトルテに向かう魔導船に搭乗して無事レイリオ様をこのライズワースへとお連れして頂きたいのです」


 クレストの話の趣旨は分かった。確かにそれなら危険は少ないかも知れない、だが……。


 「それならニールバルナでも現地でも幾らでも協力者を集う事は出来るのに、何故私たちを……いいえ、エレナを巻き込もうとするの」


 真っ向からクレストを見つめるレティシアの燃え上がる様な瞳をクレストの瞳が受け止める。だがクレストの穏やかな面差しは変わる事は無い。 


 「わたくしめの役目は主を無事救い出す事で御座いますれば、その為に最も信頼に足る御方にお頼みするのが最善の方策かと。既にニールバルナへの魔導船の手配は此方で済ませておりますし、失礼ながら危険に見合うだけの報酬もご用意させて頂きました」


 クレストの主を救いたいと言うその言葉に嘘はないのだろう。レティシアもそれを疑うつもりは無い。だが同時にこの老人はレティシアがこの依頼を断れない事も承知の上でこの計画を進めているのもまた確かなのだ。

 もしここでレティシアが断ったとしてもこの事がエレナの耳に入れば迷う事無く彼女はレイリオと言う男を救いに行くだろう。レティシアがそれを止めようとすればギルドを抜けてでもアドラトルテへと赴こうとする筈だ。彼女は……エレナはそういう少女だ。


 「分かりました……その話お受けします。ただしギルドへの報酬は頂きません。これで……この事で少なくとも私とあなた方とは一切の貸し借りは無くなったと考えて宜しいですね?」


 「感謝致しますレティシア様、その様に解釈頂いて結構で御座います」


 レティシアの言葉にクレストは立ち上がると今度は深々と頭を下げた。カタリナはそんなレティシアの姿を心配げに、ミローズはクレストを覗き見る様にそれぞれ見つめていた。


 クレストとミローズが双刻の月を後にすると、レティシアにより広間に集められたエレナたちにクレストから齎された依頼の趣旨が説明された。

 レティシアから話を聞いたエレナは居ても立っても居られないと言った動揺した様子を見せていたが、今は明日の出立に備え既に準備の為自室へと戻っている。

 今回の依頼を受けアドラトルテへと向かうのはエレナ、シェルン、そしてアニエスの三人。

 その中に自分が入れない事をレティシアは心底悔やんではいたが、ギルドマスターである以上その職務を放棄して他国に赴く事は出来ない。個人の感情を優先させる事など許されないのだ。


 「姉さん、エレナさんは僕が必ず護って見せるから」


 そんなレティシアの心情を察してかシェルンがそう声を掛ける。


 「心配さずとも私が傍にいる限り、仲間をむざむざ死なせなどしないわ」


 二人の言葉にレティシアは頷くと膝をつきシェルンを優しく抱きしめる。


 「三人が無事に帰って来てくれるだけで……私はそれだけでいいから……無茶だけはしないで……」


 怯えた様に身体を震わせるレティシアの細い身体をシェルンはそっと抱きしめる。

 アドラトルテで何が起きているのか、そしてこれから何が起きるのか、レティシアには想像もつかない。だが確かに分かる事がある。限られた人間しか救えない……その現実を前にしてあの優しい少女がどれ程悲しみ、傷つく事になるのか……そのエレナの悲しみを想像しただけでレティシアの心は張り裂けそうな程に痛んだ。

 レティシアの美しい瞳から涙が溢れる。それは頬を伝い床へと零れて落ちる。

 そんなレティシアの姿をシェルンもカタリナもアニエスもただ見守ることしか出来なかった。

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