南方に蠢くは黒き魔獣

第48話

 大陸の南部域に広大な版図を持つファーレンガルト連邦は三つの王国と二十を越える小国からなる連邦国家である。いや……正確にはあったと言うべきだろう。

 カテリーナの災厄以降、四大国と呼ばれる大国の中で最も大きくその体制を変化させたのがこのファーレンガルト連邦であった。

 災厄が齎した魔物の台頭。それがファーレンガルト連邦の根幹を大きく揺るがす事になる。

 他の三大国が単一国家であったのと比べ、多くの小国が加盟する連邦制を採っていたファーレンガルト連邦は国境と言う概念を越えて現れる魔物の脅威に対して余りにその対応が遅速であった。

 その一つにはファーレンガルト連邦の加盟する全国家が同時に魔物の脅威に晒された事で、各国が合同で組織する連邦軍がまったく機能しなくなった事が挙げられる。

 加盟する各国が自国の国内での対応に終始する余り、連邦議会は参加国の意思の統合を図れず瞬く間にその機能を失ってしまう。

 国力のある国は自国の魔物の対処に追われ他の小国を見捨てていった。結果として支援を受けられず単独では対処が難しい国力の弱い小国から魔物に蹂躙され次々と滅亡していく。

 だがそうした小国を失うことでファーレンガルト連邦全体の力は次第に弱体化していき、末期を迎えると多くの難民たちの受け入れを拒否した参加国が、数万人規模に及ぶ難民たちを虐殺するという地獄絵図のような光景が各地で繰り広げられる事となる。

 だがそうした参加国の非人道的な行為や魔物の被害によって求心力を失っていた連邦に対して、連邦の主要都市であったニールバルナがそうした難民たちを糾合しファーレンガルト連邦からの独立を宣言する。

 魔物脅威、そこから生まれる貧困や圧制に苦しんでいた多くの人々はその大きな流れを歓迎し瞬く間にファーレンガルト連邦全土に独立の気運が高まっていく。

 ニールバルナに触発された各都市は次々と連邦からの独立を宣言し、これにより大都市を失った残りの参加国も滅亡の道を辿る事になる。

 災厄から八ヶ月が過ぎ、ファーレンガルト連邦は今だその名を残してはいたが、その内情は七つの都市国家同盟と旧議長国であるファルーテ王国からなる都市国家同盟へとその様相を大きく変えていた。


 ファーレンガルト連邦。城塞都市アドラトルテ。

 他の六都市と比べ内陸部に位置するアドラトルテはかつては緑豊かな肥沃な土地が広がる農産物の貿易で栄えた一大都市であった。

 現在でも魔物の脅威に怯えながら農作業に従事する多くの人々の献身的とすら言える功績のお陰もあり、アドラトルテから出荷される農作物の割合はファーレンガルト連邦全体の二割近くを占めていた。

 災厄以降の劇的な国内の変化により、国土の六割近くが魔物が跋扈する無秩序な無法地帯と化している。ファーレンガルト連邦全体の生産量も災厄以前の十分の一程度にまで激減しているにも関わらず、国民たちが辛うじて飢えず生活していられるのは、総人口の大幅な減少の為と言うのは些か皮肉な話ではあった。


 夕暮れのアドラトルテの高い外壁の上を二人の兵士が巡回していた。兵士たちの眼下には外壁を沿うように円状に家々が密集し大きな集落を形成している。アドラトルテに収容しきれない多くの人々がこうして集まりもう一つの街を形成していた。その外周の街の更に向こうには田園地帯が広がっている。

 オーランド王国の王都ライズワースの様に広大な版図の三分一を堅牢な外壁で覆うような特殊な環境を除けば、アドラトルテに限らず多くの国と人々が日々の生活の中で常に魔物の影に怯えながら生活していた。


 「今日も無事、一日が終わりそうだな」


 兵士の一人が外壁の上に設置してある無数のトーチに明かりを灯していく。この時間の巡回の兵士は監視と共にトーチに明かりを灯して廻るのも職務の一つであった。兵士の目に遠く対面する外壁からも明かりが灯り出すのが見える。


 「今日お前夜勤じゃないなら飲みにでも行くか」


 相方の兵士が外壁の外、沈み行く夕日を眺めながらポツリと呟いた。


 「おっ、いいね、たまには俺が奢ってやってもいいぜ」


 トーチに火をくべながら兵士が気安げに相方の兵士にそう答える。


 「じょ……冗談……だろ……」


 「おいおい、俺が奢ってやるってのがそんなに――――」


 相方の兵士の余りの驚き様に些か憤慨した兵士は相方の兵士を振り返り、呆然と外を眺めるその視線の先へと目を向ける。

 ソレを目にした兵士の身体は凍りついた様に固まり……震えだす手に握られていた松明が外壁の床へと落ちた。

 二人の兵士の視線の先、夕日が沈む地平線を黒い塊が覆い尽くしていた。犇(ひし)めき合い蠢くその塊は多種多様の魔物たちの群れ。途切れぬ黒い絨毯の様にソレはアドラトルテへと迫っていた。

 我に返った二人の兵士たちは慌てて外壁を駆け出す。


 新年を向かえようやく安定の兆しを見せ始めたファーレンガルト連邦に新たなる脅威が迫ろうとしていた。これが城塞都市アドラトルテを巡り繰り広げられる壮絶な戦いの始まりを告げる狼煙となる。

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