第45話

 エレナはアシュレイの遺体をそっと地面へと横たえると小さな右手で瞼に触れる。

 瞼を閉じたアシュレイの死顔はどこかを夢を見ている様な、満ち足りた表情を浮かべていた。


 「力があっても……強さがあっても……結局大切なモノ一つ護れやしない……」


 小さなエレナの肩が微かに震えている。俯き、前髪で隠れる憂いを帯びた黒い瞳がアシュレイの姿を見つめている。その横顔には涙は無い。だからこそ……感情を押し殺す様な少女の気丈な姿がアニエスには逆に痛々しく、小さな少女の身体がこのまま儚く消えてしまいそうな、そんな危うさすら感じさせた。


 「それでも貴方と出逢った事でこの男は救われた。そうでなければもっと惨めで悲惨な最期を遂げていた筈よ」


 何処までも冷静なアニエスの声に、エレナにしては珍しく感情を剥き出しにしてアニエスを睨む。


 「救われた……アシュレイがそう言っていたとでも? 死んだ人間は何も答えてはくれない、そんなモノは生きている者たちが勝手に抱くただの欺瞞に過ぎない」


 エレナは立ち上がりアニエスの横を通り過ぎる。向かい合いすれ違う二人は視線すら交わすこと無く――――二人の距離は離れて行く。


 英雄となった男と英雄に憧れる女性。二人は良く似ていた……似ているからこそ、その距離は近く……それ故に遠い。



 街の東面で行われていたヴォルフガングたち砂塵の大鷲と黄昏の獅子の残党たちの戦闘は、圧倒的な力を見せ付ける砂塵の大鷲の前に、数に倍する筈の黄昏の獅子の残党たちは半刻と掛からず瓦解し大半の者がその命を散らせた。

 その時の事を僅かに生き残った黄昏の獅子の構成員の一人は騎士団の取調べの折、それは戦闘と呼べるモノですら無く、一方的な虐殺であったと恐怖で震えながら語ったという。

 残党を統率していたアルマン・アルバートンが討たれた段階で僅かに残った者たちは投降し、その一報を受け動き出したオーランド王国騎士団が無法者たちの穴倉を完全に制圧する。

 結果、騎士団が街に入った段階で一切の抵抗が無力化されていたのが幸いし、街に出た被害は最小限で済むと共に町中を焼き払うと言った様な最悪の展開は回避されていた。


 此処からは後日談となるのだが、騎士団が無法者たちの穴倉を制圧した翌日には王国から完全な終息宣言が出され、ギルド黄昏の獅子が起こした事件の解決をライズワース全土に告げた。

 闘神の宴の最中に齎されたこの異例の報せは大いに人々を歓喜させ、またその盛り上がりに拍車を掛けた。

 だがその後、闘神の宴の期間中には大きな動きは見られなかった。この事件に伴い発生していた事後処理が、闘神の宴と言う国家的な行事の為先送りされていた、と言う感は否めないがギルドに関する権限を一手に担うギルド会館側が同時に闘神の宴の運営を行っていたという事を考慮すれば、それは仕方の無い判断であったと言えるのかも知れない。

 熱狂の内に闘神の宴が閉幕を迎え、ギルド会館が事件の調査とギルドの改定を終了させたのは闘神の宴の閉幕から更に五日後の事であった。

 黄昏の獅子はギルドとして抹消処分され、容疑が確定していなかった遙遠の回廊もギルドマスターであるエドヴァルド・エクロースを始め、一部の構成員たちが無断で姿を消し、また現在においても行方が分からないという事実を鑑みて遙遠の回廊の解体を正式に決定していた。

 ギルドランク五位と七位。そして全ギルドの中で最多の構成員を誇っていた二大ギルドが同時に消滅すると言う異例の自体は多くのギルド関係者たちに波紋を呼んだ。

 それは色々な側面において見てもギルド間の力関係を大きく変化させる重大な事件であったからだ。

 殺人の容疑が元で解体となった遙遠の回廊の構成員が他のギルドへと入れた割合は驚く程少なく、それだけ見ても事件の影響の大きさを物語っていた。加えて質は兎も角、両ギルド併せて五千名近くの人員を失った上に五十近くの序列が空位となったことでギルド会館は連日その処理に追われる事となっている。

 それらの懸案が残り三日と迫った年内に解決することはまず不可能であり、新たに認可を与えるギルドの選定と共に新年へと持ち越されることは濃厚であった。

 事件に関わった者たちにはうやむやとなった事件や多くの謎を尚残してはいたが、多くの一般の人々にとっては一応の解決を見た黄昏の獅子が起こした事件のこらが事の顛末である。



 「それでは検討して後日返事を致しますが年始と重なりますので二週間程度お時間を頂きますね」


 レティシアはにっこりと微笑み男を応接室から送り出す。だが男の姿が見えなくなると途端にその表情が疲れたように曇る。


 「カタリナ……今日は後何人かしら……」


 「あと二人ですね、年内の面接は今日で最後ですから頑張って下さい」


 レティシアの横に立つカタリナが書面の束を器用にパラパラと捲りながら事務的な口調で答える。

 あの事件以来、双刻の月にも大きな変化が訪れていた。連日双刻の月への加入を求める者たちがギルドへ殺到していたのだ。

 双刻の月は無法者たちの穴倉での功績が認められ王国から特別報奨金と勲章を与えられていた。市井の者に勲章が授与されるのは前例が無い訳では無かったが極めて異例ではあり、これに関しては当時黄昏の獅子討伐に赴いていた騎士団の指揮官からの強い推挙があったと噂されている。

 砂塵の大鷲にも同様に報奨金と勲章が与えられてはいたのだが、元々がギルドランク十五位と言う高位のギルドであり、またギルド間でも名前が知られていた砂塵の大鷲とは違い、全くの無名であった双刻の月の名はこの快挙で瞬く間に世に知られる事になる。

 そしてこれが一番大きな理由であろう。序列五位。王立階位を持つアニエスが所属するギルドという話題性。アニエスの名はこのライズワースにおいてそれだけ強い影響力を持つのだ。

 正直レティシアはアニエスの加入はこの事件が解決するまでの仮の所属のつもりだろうと考えていた。だが事件が解決してもアニエスは双刻の月に留まっている。正直その事に戸惑いと驚きを感じていた。

 年明けに改定されるギルドランクの格上げをギルド会館から既に示唆されているとは言え、現状はギルドランク七十二位。構成員四人という小規模な下位のギルドであった双刻の月は今や一躍注目を浴びるギルドへと変貌していたのだ。


 「ねえカタリナ……そろそろ食事でも……」


 「次の方を待たせる訳にはいかないでしょう、食事は面接が終わった後にして下さい」


 カタリナのその冷酷な宣告にレティシアは力無くテーブルへと顔を埋めていた。



 無法者たちの穴倉を見下ろす丘の上に少女が一人立っていた。その手には一輪の花が握られている。

 その美しい黒い瞳は青く澄み渡った冬の青空を映し出す。

 やがて少女は街に背を向け歩き出す。吹き抜ける風が少女の手からその花を舞い上がらせた。風に乗り名も無い一輪の花が宙を舞う。そしてそれは丘を離れ街へと舞い降りていく。


 数え切れない命を奪った災厄の年が終わり、人々は新たな新年に祈りを捧げる。


 どうか希望に溢れた良い年であります様にと。

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