第44話

 街の通りを四騎の騎馬が疾走する。目指すのは街の中心部にあるアンゼルムの屋敷。

 アシュレイがこの街にいるという確証は無い。だが何かの目的があり戻ってきたとするならば其処以外行く場所は考えられなかった。

 街に入ったエレナたちの行く道を塞ぐ者の影は無かった。恐らくは戦力の大半を街の東に集中させたのだろう、街中に人の影は無く不自然な静寂に包まれている。

 他方向からの警戒を怠るなど戦術としては甚だ不細工ではあるが、街全体を掌握する程の人員も既に黄昏の獅子にはないのだろう。そういう意味においてこれは戦いとは呼べないのかも知れない。彼らにとってこの戦い自体が処刑台の階段を登るのと同義であるのだから。

 馬を走らせる四人の目に前方から昇る黒煙が飛び込んでくる。それが自分たちが目指している屋敷の方角である事に気づくとエレナは後ろを走るレティシアとシェルンを馬上から振り返る。


 「レティシアさん、シェルン、周辺の捜索を頼むよ、私とアニエスさんは屋敷に向かうから」


 あの黒煙は恐らくアンゼルムの屋敷が燃えているのだろう、とエレナは直感していた。何故ならあの辺りは警備の為か他に目立った建物など無かった筈だからだ。

 だとすれば、この状況で何かしらの大きな動きがあったと考えるのが妥当ではないか。屋敷の周辺を調べる為に二手に別れる。だがアニエスと離れることが出来ない以上その振り分けは自ずと定まってしまう。


 「分ったよエレナさん」


 即答するシェルンとは対照的にレティシアの表情にはありありと不満の色が浮かんでいる。しかし状況も事情も知るだけにそれを口に出す事は憚られた。


 「姉さん」


 シェルンに急かされレティシアは不承不承と言った面持ちでエレナに頷く。

 次に向かえた路地でレティシアとシェルンは進路を変え大きく右折する。それはアンゼルムの屋敷の側面へと続く道へと繋がっている。

 エレナとアニエスは真っ直ぐアンゼルムの屋敷への進路をとる。既に燃え上がる屋敷を全景を二人は既に捉えていた。


 開け放たれている屋敷の門を抜け、広い庭園で馬から降りる二人。無論周囲に人の気配は無い。


 「屋敷の中に入るのは無理そうね」


 アンゼルムの屋敷は二階部分が崩れ落ち激しく炎が燃え上がっていた。屋敷自体が全焼していると言っていい。アニエスではないが、もう屋敷の中に入るのは無理だろう。

 アニエスの瞳がどうする、とエレナに問いかける。その意図は明白だ。


 「二手に別れよう、そう言いたいんだろう?」


 「話が早くて助かるわ」


 一瞬二人の瞳が交差し二つの影が左右へと駆け出す。まるで申し合わせたかの様にそれはほぼ同時であった。

 屋敷の外壁をなぞるようにエレナは走る。屋敷の壁際は熱風と火の粉が舞いちり、とても近づける状況では無かった。

 エレナは走りながら舌打ちをする。

 遅きに失した……後手を踏んでいるという焦燥感がエレナを苛立たせる。

 屋敷の現状を考えても中に人がいるとは思えない。仮に居たとしてももう……。

 屋敷の外を探した方がいいのではないか、とエレナが迷い始めているとその前方に影が生まれる。エレナは咄嗟に双剣を抜き放つとその影から距離をとった。

 その影はやがて人の姿へと形を変えていく。そして姿を現したその姿をエレナは知っていた。


 「久しいな、人形の娘よ」


 「まだ数日しか経ってない気がするんだけどね」


 「そうであったな……焦がれるという感覚は久しく無かった感覚故にな、時間の感覚とは移ろい易きものよな」


 「茶番は止めろ、全てはお前の企みなのか」


 エレナの両腕がゆっくりと伸ばされ交差される。その腕と双剣が一対となり斜め十字を刻む。


 「異な事を……我はそなたとの盟約を果たしたに過ぎぬ。寧ろ我はそなたの憂いを絶ったつもりでいたのだがな」


 「痴れ事を」


 刹那、エレナはアウグストとの距離を一気に詰める。

 エレナの双剣が流れるような軌跡を描く。まるで剣舞を舞うが如く美しいその姿から繰り出された双剣は、残滓すら捉える事のできぬ神速の旋風となってアウグストの身体を捉える。

 アウグストの身体に剣先が触れる瞬間まるで波紋のように波打つ紋様。それはアウグストが展開する防御障壁。だがエレナの双剣は紙でも断ち切るが如くその障壁ごとアウグストの胴と首を一瞬で切断していた。

 アウグストの切断された身体が崩れ落ちる……だがその身体は地面へと達する前に霞の様に存在がぼやけ消える。エレナはその手応えの無さにまた小さく舌打ちをする。


 「恐るべきはその剣の冴えよ……」


 虚空にしわがれたアウグストの声が木霊する。


 「人形に封じられて尚それ程の剣勢を誇るそなたは何者ぞ……実に興味が尽きぬ……だからこそ、いやそれ故にあの魔女の道化で終わらせるのは余りに惜しい……」


 エレナはただ虚空を睨みアウグストの問いに答える事は無い。それに答える義理などエレナには無いのだから。


 「夢違える事無かれ、我はそなたの敵に在らず、再度名乗ろう、我が名はアウグスト・ベルトリアス。そして刻むがいい。そなたを救済へと導く者の名を」


 虚空の声が残響を残し風に消える。

 エレナは双剣を収めるともう一度虚空を見つめる。アウグストの言葉はエレナの心に一片の漣(さざなみ)すら起こすことは無かった。

 救済だと……笑わせる。俺は救われたい訳じゃない。

 エレナが今生きる意味、これから生きる意味もまたそうした思いからは遠くかけ離れている。エレナ・ロゼとして生きる意味。それは決して贖罪の為などではないのだから。

 エレナは自分の両手を眼前に掲げる。その目に映るのは細く白い小さな手のひら。

 僅かな時間それを見つめていたエレナではあったが、そんな自分の行動に呆れたように苦笑を浮かべるとまた裏庭へと続く外周を走り出した。



 走るアニエスの前方に木にもたれ掛かる様に立つ赤毛の男の姿が映る。それが誰なのかアニエスには直ぐに分った。

 エレナが反対側から向かって来ていたとしても最低でも後数分は掛かる。


 「悪いわね、エレナ」


 アニエスにとっては数分も要らない。数秒あれば十分なのだ。

 アシュレイへと距離を詰めるアニエスはそのアシュレイの腕や足、そして腹部へと刺さる投剣の存在に気づく。

 刹那、空気を振るわせる音と共に飛来した無数の投剣がアニエスを襲う。

 完全に気配を絶った見事な隠形術。アニエス程の者が直前まで全く気配すら掴むことが出来なかった。まるで突然そこに姿を現したかのような黒ずくめの男たちの手から放たれた投剣は、だがアニエスに届く事は無い。

 アニエスが振るう両腕に合わせて、渦を巻くようにアニエスを包んだ鋼線が全ての投剣を幾重にも寸断し、切断された投剣の残骸がバラバラと地面へと落ちていく。

 だが男たちの動きに淀みは無い。アニエスの前方から二人、左右後方から一人ずつ。前方の二人は囮、本命は死角から迫る三人である。例え前方の二人が倒されても死角から迫る一人が標的の命を絶てばいい。暗殺者たちが使う玉砕前提の確殺の陣形であった。


 「愚かね……」


 アニエスの何処か哀れみさえ感じさせる呟き。

 この黒ずくめの男たちの暗殺者としての技量の高さは認めざる得ない。だからこそ距離をとって戦うべきであった。そうすればまだ勝機はあったかも知れないのだから。

 黒ずくめの男たちとアニエスの距離が詰まっていく。そしてアニエスの絶対王域へとその足を踏み入れる。女王の領域に踏み入る愚かな侵入者たちにその衛兵たちが牙を剥く。

 それはまさに銀閃の風が如く。

 優美に両腕を振るうアニエスの姿は審判を司る女神の様に凛々しくそして美しい。

 それは瞬き程の刹那――――。

 アニエスを中心に凄まじい勢いで血飛沫が上がる。襲い掛かった五人の刺客たちの四肢が一瞬で寸断されていた。 

 黒ずくめの男たちを切り刻んだ鋼線がその血で染め上げられ姿を現している。まるで意思を持っているかの様に波打つ鋼線たちはアニエスの指の動きに合わせ主の下へと戻っていく。

 アニエスは残骸と化した男たちに一瞥すらする事無くアシュレイの元へと歩み寄る。逃げる素振りすら見せず立ち竦むアシュレイの姿を間近で眺めアニエスは美しい眉を僅かに顰める。

 右腕と左足に刺さった投剣はそう深くは無い。恐らく骨までは達していないだろう……だが腹部に刺さった投剣は深く内臓にまで達していると思われた。腹部から滲んだ血がアシュレイの服を伝い地面に血溜まりを作っている。

 そして青ざめ、脂汗を流しながらもアニエスに気づき、僅かに口元を歪め笑うアシュレイの顔には、かつて戦場でアニエスもよく見かけたそれは……死相であった。


 「助かったぜ……姉さん……てか……助かってねえか……」


 無理に笑おうとしたのだろう、口から大量の吐血をして咳き込むアシュレイ。そして立っているのも辛いのだろうか……ズルズルと木にもたれるように腰を下ろした。


 「次に会ったら名前を教えるって……約束だったな……俺は……」


 「アシュレイ・ベルトーニ、もう知ってるわ」


 アシュレイに呟くアニエスの表情は変わらない。その表情からは感情を読み取ることは難しかった。


 「そうかい……なら話は早えな……姉さん、俺を殺す前に一つ頼まれちゃくれねえか……」


 「そんな義理が私にあるとでも?」


 「そう言わねえで……頼むよ姉さん……」


 そういうとアシュレイはまた大きく咳き込む。流れ出た血の量だけ見てもアシュレイの死期が迫っていることは誰の目からも明らかであった。


 「聞くだけ聞いてあげるわ、話して見なさい」


 「済まねえな姉さん……実はよ、俺の妹を名乗る餓鬼が街に居やがるんだけどさ……どこぞに売っ払っちまうつもりで騙したんだが……病気持ちの使えねえ餓鬼でさ……俺もほとほと困っててね……俺とは何の関係もねえから手は出さねえでくれるかな……」


 「そんな子供に興味はないわ、貴方に騙されていたと言うのなら、私たちが見つけて暫く保護してもいいくらいね」


 アニエスの言葉にアシュレイは安心した様な、どこかほっとした様な表情を一瞬浮かべる。


 「そうかい……ならいいんだ……忘れてくれよ」


 アシュレイの身体から急速に力が抜けていく。


 「姉さん……早く……しねえと……」


 瞬間、アニエスの前方に此方に走ってくる少女の姿が目に映る。


 「アシュレイ!!」


 エレナの声に一瞬アシュレイの身体が反応する。

 アシュレイに駆け寄ったエレナはその血溜まりに膝をつきアシュレイの手を握る。それに反応する様にアシュレイはエレナを見るがその瞳は既に輝きが失われつつあった。


 「ア……トリ……すまねえ……兄ちゃん……病気……治して……」


 既に意識が混濁しているせいか、アシュレイはエレナの姿に妹のアトリを見ているようであった。

 エレナはアシュレイの血塗れの手を両手で掴み、その耳元へと顔を寄せる。


 「兄さん、私生まれて来て良かった……兄さんの妹で幸せだったよ」


 その言葉にアシュレイの瞳から一筋の涙が零れ頬を伝う。


 アシュレイは薄れる意識の中、夢を見る。

 元気にはしゃぐアトリとそのアトリの手を握り自分に笑いかける少女。逆光でその顔は見えないが確かに自分に笑い掛けている。

 そうだ三人で旅をしよう。行き先など決めなくても言いではないか。気ままに自由に……何処まででも行けるのだから。


 「アトリ……そんなに……走ったら……あ…ぶな……い……」


 小さなエレナの手からアシュレイの手が力無く零れ落ちる。


 アシュレイ・ベルトーニ。


 虚空を見つめる彼の瞳に輝きが宿る事はもう二度と無かった。

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