第42話

 無法者たちの穴倉から東に離れること僅か一キロ。


 オーランド王国騎士団の本陣は草原地帯に半月を描くように布陣していた。

 その本陣の中心に張られた天幕の中で居並ぶ騎士たちを眺め、若い騎士が難しい顔で頭を掻いている。二十台後半、三十には達してはいないだろう、その騎士の名はルーベンス・フェリオ。

 一般にまで知られる大貴族では無いがフェリオ家は武門の誉れ高い名家であった。特に災厄前後にフェリオ家の者たちが挙げた武勇の数々は貴族たちの間では語り草になるほどの数々の功績を残していた。

 もっとも当時ライズワースの警備任務に就いていたルーベンスはその者たち……の中には含まれていなかったが。

 フェリオ家は男子ばかり四人の家系でルーベンは三男であった。母親は健在だが父親と次男、四男はカテリーナ討伐の遠征軍に参加し戦死していた。

 家督を継いだ長男は近衛騎士団の副団長を務め、行く末は近衛騎士団長との呼び声が高い英傑であった。とはいえルーベンスの出世が遅いのかといえばそうとも言い切れない。二十台後半で王国騎士団の大隊長といえば同年代の中では出世頭の一人であり、本来恥じる事の無い立派な職務に就いてはいたのだが、やはりフェリオ家の名と優秀過ぎる兄と比べられ陰口を囁かれる事は多かった。

 ルーベンスの外見が鍛えられているとは言えやや細身の優男であり、武勇よりも寧ろ宮殿で浮名を馳せていると言う心無い噂が男たちのやっかみと嫉妬を買っている、といった側面も大きいかも知れない。

 だがそれらの色眼鏡を外してもやはり、優秀な兄と劣った弟と言う評価が覆る事はないのだが。


 「フェリオ卿、どうなされるのですか?」


 天幕の中、居並ぶ騎士の一人がルーベンスへと問う。


 「さてどうしたものかな……まったく難儀なことだ」


 引っ切り無しに王宮から遣わされる使者。だがその命令は相反する二つのものであった。

 騎士団の上層部からは早急に国賊を討伐せよという知らせが届き、王宮からは慎重に事を運ぶべしとの通達が送られて来る。

 本来なら騎士団長の命令が立場上ルーベンスにとって優先される筈なのであるが、たちの悪い事に使者の口上の最後に必ず貴公の裁量において、と付く。

 つまり命令という重いものでもなければ、提案という軽いものでもない。となれば王宮からの指示も軽んじる訳にもいかなくなり、結局ルーベンスは判断を決めかねていた。

 大方政治的な駆け引きなのだろうが、そんな下らぬ争いに巻き込まれた我が身を呪うしかない。

 げんなりと顔を顰めるルーベンスの下に天幕を潜り伝令の騎士が姿を見せる。


 「なんだ、また使者でも来たのか」


 「それが……」


 どこか呆けたような表情を浮かべ、伝令の騎士は来訪者の訪れを告げた。



 その少女を見た騎士たちは一様に動きを止め呆然とただ眺めていた。

 白銀の戦装束を身に纏い本陣を歩く少女の長い黒髪を微風が吹き抜け靡かせる。

 サラリ、と風に舞う艶やかな長い黒髪の一本一本が陽光で照らされ輝きを放つ。どこか浮世離れした幻想的な少女の姿に騎士たちは心を奪われたかの様に少女の姿だけを目で追いかけていた。

 天上の女神たちですら少女の魅力に嫉妬し目を背けるだろう。それは決して比喩では無い。少女を見た者の誰一人としてそれを信じて疑わなかったのだから。何故ならそれ程までにその少女は美しかった。

 少女の両の腰に帯剣された二振りの長剣。その柄に施された芸術的な装飾も少女の前ではその存在が霞んでしまう。それ程に圧倒的なまでの存在感がその少女にはあった。

 少女の両端に並んで歩く女性たちもまた美しい女性たちではあったが、やはり少女と並べばその印象は薄らいでしまう。だがそれは彼女たちを貶める言葉にはならないだろう。

 その少女が余りに突出した存在であるが故に。


 伝令の騎士より報告を受けたルーベンスが天幕を出てその女性たちを迎える。傍に仕える騎士たちも天幕を出てルーベンスの背後に控えている。

 他の騎士たち同様、暫く驚いたように少女を見つめていたルーベンスであったが、淑女に対して余りに不躾な眼差しを向けている事に恐縮したように少女たちに片膝をつき騎士の礼をとる。


 「そのような勇ましく美しい姿を拝顔する栄誉を賜り、このルーベンス、光栄の極みで御座います姫様方」


 ルーベンスの目線は少女に釘付けなのだが、貴族としての教養の賜物か共に並ぶ女性たちへの配慮も忘れない。

 この時点でルーベンスはこの少女たちが何処かの貴族の令嬢であると思い、その事にまったく疑いすら持ってはいなかった。何故ならその外見からだけで無く、内から溢れ出る気品のようなものを感じていたからだ。それは普通の町娘などが身に纏えるようなものではない。


 「お立ち下さいませ騎士様、私共は市井(しせい)の者。貴族様に礼を尽くされる立場に無い者共で御座います」


 女性の一人がそう述べると少女共々ルーベンスへと膝をつく。もう一人の女性は一瞬躊躇ったようであったが二人の姿を見て、仕方無いといった様子でそれに倣う。

 その言葉を聞き立ち上がるルーベンス。三人の美女たちがルーベンスの前に膝を折る。

 その光景に周囲の騎士たちの間に小さなざわめきが起こる。騎士たちのどこか羨望にも似た眼差しがルーベンスへと集まる。

 美しい美女たちに跪かれる。

 男としこれ程虚栄心が満たされる光景が他にあるだろうか。


 「ではそなたたちは何者だ、何故この様な場所に来た」


 「はい、私共はギルド双刻の月。私はギルドマスターを務めておりますレティシア・メルヴィスと申します」


 メルヴィス家――――。

 ルーベンスもその名に聞き覚えがあった。それも当然だ。メルヴィス家といえばオーランド王国でも名門貴族の一つである。家柄だけでいうならフェリオ家より遥かに格上の家柄であった。

 だがメルヴィス家はお家騒動で……。

 ルーベンスは考えを読まれぬ様に表情に気を配りながらレティシアと名乗る女性を見つめる。


 「私共は国王陛下の勅命を果たすべく、国賊、黄昏の獅子を討つべく参じました。その前にまずはオーランド王国の騎士様方にご挨拶に伺った次第で御座います」


 「我らを差し置いて何を馬鹿な事を!!」


 ルーベンスの背後から慌てたような声がする。レティシアの言葉に興奮したようにルーベンスの傍仕えの騎士の一人が怒鳴り声を上げていた。


 「そうか、大儀である。陛下のお心が安んじられるよう粉骨砕身努めるがよかろう」


 「そうだ!!お前たちの出る幕など無いわ、身の程を弁えるがよい……フェリオ卿?」


 信じられぬ、といった表情でルーベンスを呆然と見つめる傍付きの騎士。


 「有難う御座います。必ずやそのご期待に応えてみせましょう」


 レティシアとエレナはもう一度深くルーベンスへと頭を下げる。アニエスはそこまで付き合う気にはなれなかったのか、頭を下げる二人よりも早く身を起こしていた。

 本陣を立ち去る三人の姿を騎士たちが見送る。


 「フェリオ卿、どう言うおつもりですか、陛下より国賊の討伐の大任を仰せつかったのは我ら騎士団でありましょう。それを市井のギルド如きにお譲りになられるおつもりか!!」


 「陛下より勅命を賜ったのはギルドも同じではないか。ならば結果が同じであれば譲るも譲らぬもあるまいよ。それで騎士の本分が廃るとは思えんがね」


 「ならばせめて我らも共に動くべきではありませぬか、そうなれば数の上でも圧倒できましょう」


 「元々数では圧倒しておろうに、それに有志のギルドと国賊共を見分ける術の無い我らが参戦しては混戦の折に同士討ちの危険が増すではないか」


 「しかし……」


 尚も納得がいかぬと食い下がる傍付きの騎士にルーベンスは何処か意地の悪そうな表情を浮かべる。


 「貴公には彼らが事を収めては何か不都合な事でもあるのかな?」


 「…………」


 あからさまな動揺を見せて傍付きの騎士は口を閉ざす。


 「冗談だ」


 それだけ言い残しルーベンスは天幕へと戻る。だがルーベンスの中にあった疑惑は確信へと変わっていた。

 実は部隊編成の折、ルーベンスの与り知らぬ所で幾つかの小隊がこの大隊に組み込まれていたのだ。何かしらの企みがあるとは思ってはいたがやはりどうやら碌でもない事を考えているらしい。

 騎士団長辺りに睨まれるのは面倒極まりないが、さりとて陰謀の片棒を担がされるなど迷惑千万であった。


 「だが貴公の言い分にも一理あるな、これより本陣を引き払い戦闘態勢で待機する。周辺の部隊には即応態勢で指示を待つよう伝えよ」


 天幕の入口で足を止めたルーベンスは伝令の騎士たちにそう告げると、まだ立ち尽くしている傍付きの騎士を振り返ることなく天幕の中へと消える。


 戦乙女たちが駆ける戦場というのもまた味わい深い。まずはお手並み拝見といこうか。


 天幕の外、慌しく駆け回る騎士たちの喧騒を聞きながらルーベンスは思いを馳せるようにそうポツリと呟いていた。



 見渡すばかりの草原に鏃のような形で馬群を組む一団があった。その鏃の先端部分には一際巨大な馬に跨る屈強な巨漢の姿。

 大剣を片手で肩に担ぎ、前方に微かに見える街を姿を楽しげに見つめる。


 「野郎共!!久しぶりの戦場だ、存分に楽しめよ。面倒な作戦は無しだ、向って来る野郎は遠慮はいらねえ、叩き潰し、踏み潰せ」


 ヴォルフガングの命令一下、放たれた矢の様に馬群が動き出す。

 土煙を上げて無法者たちの穴倉へと迫る砂塵の大鷲の一団。その動きに気づいていたのか街からも黄昏の獅子と思われる集団がそれに立ち塞がる姿勢を見せ迎え撃つ。その数おおよそ二百名前後か。

 両集団の先頭集団が接触し交差する。すれ違い様、ヴォルフガングの大剣が前方の男の胴をなぎ払う。

 今、戦いの幕が上がる。


 その馬群の最後尾、エレナたち双刻の月の面々も動き出していた。戦闘が始まった街の東面を大きく迂回し北面からの進入を図る為、四騎の騎馬が走り出す。

 走るエレナの馬にアニエスが馬体を寄せる。


 「最後にもう一度聞くわ、何故あんな男の為に貴方はここまでするの」


 アニエスの言葉にエレナの脳裏に過去の記憶が駆け抜ける。


 「もう何も失いたくないから……かな」


 手綱を掴むエレナの脳裏に鮮明な姿で思い返される映像の数々。


 燃え盛る炎に包まれる村。血塗れの姿で立つエレナの両手の長剣から血が滴り落ち地面を濡らす。

 弱々しく震える小さな手が助けを求めるようにエレナへと伸ばされる。

 見渡す限りの荒野を埋め尽くすような同胞たちの死骸。

 エレナの腕の中で全てを呪いながら息絶える友の姿。

 ノートワールの地で尊敬すべき仲間たちが自分を送るために散っていく。


 「今のこの手はちっぽけで多くのものは掴めないけど、だからこそ、その一つ一つが大切で愛おしい。それが手から零れ落ちるのが怖いんだ……なんて言ったら笑うだろ?」


 エレナは僅かにアニエスに顔を向け冗談げに微かに笑う。だがアニエスは何も言わずエレナを見つめ、そして馬体を離す。

 離れ際アニエスの唇が微かに動くが風の音でその声はエレナには届かなかった。

 だがアニエスは確かに呟いていた。


 別におかしくはないわ、と。

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