第40話

 闘神の宴の当日。


 ライズワースは熱狂的な賑わいで満ちていた。

 北の区画にある五万人を収容出来る二つの闘技場には朝早くから長蛇の列が並び、既に最後尾付近では入場を制限するための抽選が行われていた。

 闘技場以外の場所でも各区画に設営された特設会場では大道芸人たちの曲芸を始め、舞台劇や詩人たちによる楽曲の演奏など様々な催しが行われるとあって、どこか血生臭いそれらを敬遠する若い女性たちや子供連れなどはそうした会場へと足を運んでいた。

 当然月に一度の書き入れ時であるこの日に合わせ多くの商会は会場内、またはその周辺に出店を出し準備に余念がない。店先に並ぶ民芸品や装飾類、食品や軽食に至るまで様々な商品の数々が祭りに華を添えていた。

 一週間という期間続くこの熱狂な祭りを目当てに、わざわざ魔導船に乗り各国からこのライズワースに訪れる者も少なくない。

 祭りを楽しむ者、それを運営する者、それらを含めれば数百万人規模の人間たちが関わるこの闘神の宴は、それが生み出す莫大な利益を考えても国家的な催しと言っても過言ではないだろう。

 そんな街の人々の懸念は、闘神の宴前日に齎された大規模ギルド黄昏の獅子に関する驚くべき知らせであったが、その直後に公表された闘神の宴の期間中の警備体制、それが一部を除くほぼ憲兵隊の全部隊を投入するという大規模かつ強固な体制であった事と、その日の内に行われた憲兵隊と有志ギルドによる黄昏の獅子の一斉検挙により、各区画の主要界隈からの黄昏の獅子に所属する構成員たちの完全排除が行われた事で、明確な弱体化を見せた黄昏の獅子への楽観論が体勢を占めていた。

 事実、死傷者を含めた拘束者はその日一日で千人を越え、黄昏の獅子はその根城とする無法者たちの穴倉を除いた全ての活動拠点と人員を失い、完全に区画内への影響力を失っていた。

 加えて、国家反逆罪の裁定により無法者たちの穴倉へと派遣されたオーランド王国騎士団の一個大隊千名は、完全にその周辺地域を掌握し、無法者たちの穴倉への物資、人員の交通を絶っていた。

 騎士団が直ちに無法者たちの穴倉を制圧、占拠しなかったことには多くの有識者たちの意見が分かれるところでは合ったが、無法者たちの穴倉に住む無関係な者たちへの配慮と闘神の宴に与える影響を考慮しての措置であるというのが大方の意見であった。

 だがそんな彼らの共通の見解として、黄昏の獅子の命運は長くても闘神の宴が閉幕するまでの一週間程度であり、大きな混乱もなく終息するであろうとの予想で一致していた。



 「だから、知らないって何度もいってるだろ」


 もう何度目になるだろう……エレナは目の前に座る女性、アニエスに同じ言葉を繰り返す。


 「それはおかしいわね、兄妹などと周囲を偽ってまで同じ部屋で暮らしていた貴方たちが、緊急時に落ち合う場所も決めておかないなんて、そんな話を私に信じろと?」


 ミシミシ……。エレナの隣に座るレティシアのテーブルの辺りからなにやら嫌な音が響く。


 「それはもう説明しただろ、互いに利用し合ってただけで、そんな関係じゃなかったんだって」


 「では聞くけど、その必要がなくなった今、どうしてあの男を助けようとしているのかしら」


 「それは……」


 ミシミシミシ……。


 はっきりした理由を問われれば上手く言葉には出来ない。強いて言うならやはりアシュレイの事が好きなのだろう。恐らく自分はアシュレイの一面だけしか見ていない。だがどこか憎めないあの男の姿が役を演じる偽りの姿であったとしても好感を抱いてしまったのだから仕方がない。

 大切な仲間と居場所であった遥遠の回廊をアシュレイによって奪われたアニエスの怒りと憤りはエレナにもよく分かる。出会い方が違えば自分はアニエスに喜んで協力していただろう。

 だが時間は戻らない。アニエスより先にアシュレイと出会ってしまった以上、それは本当にもう仕方がない。

 エレナにとって他者がどう思うかではなく自分がどう思うかがその行動原理の根幹にある。それはアインス・ベルトナーとして生きてきた騎士時代、国の為、名誉の為、忠義の為……自分の感情や意志を殺し続け、その手を血に染めてきた生き方とは真逆の考え方。

 その事がエレナ・ロゼとして生きる今、エレナにとっての自由であり、そして呪縛であった。


 「アシュレイは必ず見つけ出す、でもアニエス、貴方には絶対殺させない」


 「どうやって? 次は裸にでもなるつもりなのかしら」


 ミシミシミシミシミシ……。


 「二人共、少し大人気ないよ、敵同士ではないんだからまずは協力してその男を見つけようよ、その後どうするか考えても遅くはない筈だよ。大体エレナさんがただ利用、していただけの男に肩入れするような言い方をするから誤解、を招くんだよ」


 シェルンは利用、と誤解、の部分に殊更力を込めて二人の不毛な会話を止める。しかしシェルンにしてはエレナに対する言葉に棘がある。

 普段ならどんな場合においてもエレナを擁護する立場を崩さないシェルンが今回はエレナに対してどこか咎めている節がある。いや、元々感情を表に現す性格ではないが、シェルンはエレナに怒っていたのだ。

 エレナさんは優しくて不器用だから、そんな態度が周りの人間に誤解を招くんだ、とありありとその表情に現れていた。


 「シェルンの言うように一時休戦にしよう、そうしないと話が先に進まないからね」


 「いいでしょう、まずはあの男を見つけてからにしましょうか」


 ガシッ――――!!


 不意に肩を掴まれ振り返るエレナの瞳に満面の笑みを湛えたレティシアの笑顔が映る。


 「ご免なさいね、少し私の知らない話が出ていたようだから……本題に入る前に少しエレナをお借りするわね」


 「ちょ……レティ――――」


 レティシアに引き摺られる様に二人は広間から消えていく。レティシアの余りの迫力にカタリナすら止めるのを忘れ呆然と二人を見送っていた。

 暫くして我に返ったカタリナが慌てて二人の後を追うように広間から出て行く。


 「あの子、皆に愛されて、心配されているのね」


 シェルンと二人残された広間でアニエスはどこか羨ましそうにそう呟いた。


 「貴方にだってそう思える人が居たから今ここにいるんじゃないんですか」


 「そうね……でもあの子とは少し違うかしらね」


 アニエスは遙遠の回廊に愛着など持ってはいなかった。そういう意味で仲間と思える者たちなどいはしない。あの男に拘るのもただ勝手な自分へのけじめの為に過ぎないのだから。


 「その男が生きようが死のうが正直僕にはどうでもいい、でもエレナさんがその男が死んで悲しむというのなら、僕はエレナさんを悲しませる全てを許しはしない。貴方がエレナさんを傷つけるというのなら、僕が貴方を殺す」


 感情を露にするでもなく、声を荒げることもなく、シェルンはアニエスに告げる。まるで今日の天気でも話すように。

 そこには何の迷いも気負いもなかった。


 「怖い子ね、貴方」


 その気配に初めに気づいたのは入口に近い位置にいたシェルンとアニエスであった。二人は駆け出すように広間を出ると入口の扉を開け外へと飛び出す。

 外に出た二人の目に正面の門を荒々しく蹴り開け、敷地内へと進入する男の姿が映る。その手に持つ剣が陽光を反射して鈍く光る。


 「あの男……確か黄昏の獅子の」


 少し合間をおいてエレナたちも入口から外へと飛び出してきた。


 エドラットは血走った目で周囲を睨みつける。


 「てめえらか……てめえらなんぞに舐められたまま捕まってたまるかよ!!ぶっ殺してやる……ぶっ殺してやるよ」


 どこか正気を失ったようなエドラットの瞳が居並ぶ女性たちを舐めるように見つめると、その瞳に狂ったような情欲の色が浮かぶ。


 「いい女ばかりじゃねえかよ……殺す前に楽しませて貰うとするか、お前ら全員犯してやるよ、犯して、犯して、ぼろぼろになって泣いて許しを乞え……そんなお前らをこのエドラット様が一人ずつ殺していくんだ……ひっひひひ……」


 完全に狂っている。そんな狂態を晒すエドラットに、だが誰一人怯えた様子すら見せない。

 無言で一歩前に出ようとするアニエスをシェルンが止める。


 「この男がエドラット・モスなら僕がやる」


 抱えるほど巨大な大剣エクルートナを片手で軽々と鞘から抜くとシェルンはエドラットと対峙する。

 アインスもレティシアもそれを止める気配はない。


 「なんだ小僧……てめえから死にてえのか」


 エドラットの右手が不意に動く。瞬時に間合いを詰めシェルンへと振り下ろされたエドラットの一撃は先程まで狂態を示していた男のものとはとても思えない。それ程の切れ味を秘めた斬撃であった。

 エドラットの序列は百九十位。

 エドラット・モス。この男がこれまでどの様な手を使って序列を上げてきたのかは想像に難しくない。だが、序列百番台とはそれだけで容易く得られる程軽いものではない。図らずもエドラット自身がそれを証明する結果になったのは皮肉といえば皮肉ではあった。


 完全な不意打ちに近いエドラットの剣に反応出来ないのか、シェルンは棒立ちのまま迫る凶刃を見つめる。

 そのエドラットの剣の刃先がシェルンを捉えると思われた瞬間、だがエドラットの剣はまるでシェルンをすり抜けるように虚空を切っていた。

 エドラットは一瞬不思議そうにその現実を認められずにいた。そう……エドラットから見てもシェルンが避けたというより、自分が目測を誤ったとしか思えなかったからだ。


 「運がいいな、小僧、だが次はねえ!!」


 畳み掛けるようなエドラットの斬撃。だがその斬撃がシェルンを捉えることは――――ない。

 案山子の様にただ立ち尽くしているだけのシェルンに自分の剣がかすりもしない現実に、まるで魔法にでも掛けられているかのような異常な状況に、エドラットの中に底知れぬ不気味さと恐怖心が芽生え始める。


 シェルンは僅かな体重移動だけでエドラットの剣を全てかわしていた。日々エレナを相手に神速の斬撃を受け続けてきたシェルンにとって、エドラットの剣は余りに単調であり緩慢で遅過ぎた。まともに相手をするのが馬鹿馬鹿しくなるほどに……。

 シェルンにとってこれが初めて命を賭けた対人戦。そのやり取りの中シェルンが感じたのは深い失望である。

 オーランド王国が謳う最強の証。

 序列百番台といえば限られ、選ばれた者が手にするその到達点の一つ。

 それがこの程度の男が容易く手にしていると思うと耐え難い憤りを感じざる得ない。だがそれでもたった一つだけこの男に感謝できることがあった。


 「初めての相手がお前みたいな男で良かった」


 何の呵責も無く殺せる相手で本当に良かった……と。

 無造作とも思えるシェルンのエクルートナの余りの緩慢なその動きにエドラットは鼻で笑う。

 まずはあの大剣をかわしてから――――だがエドラットの身体は意思に反してまともに動かない。ゆっくりと迫るその大剣の存在にエドラットは焦る。

 瞬間エドラットの脳裏に天啓のように閃く思い。

 そうか……小僧の剣が遅いんじゃない……速過ぎて――――――――。

 腹部に焼けるような激痛が奔りエドラットの意識は刈り取られる。

 エクルートナはエドラットの胸骨を粉砕し、その臓器全てを押し潰す。刹那、凄まじい衝撃により弾き飛ばされたエドラットの身体は幾度となく地面に叩きつけられた末に数度転がりやがて止まる。


 シェルン・メルヴィス。序列二百三十位。


 エレナは眩しそうにシェルンの背中を見やり目を細める。逆光が眩しいのかそれとも……その胸中は少くとも他者からは窺い知れなかった。

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