第39話

 オーランド王国の王都ライズワースの中心部。


 その十キロ四方は一般の人間は立ち入る事が許されない特別な区画になっている。

 オーランド王国の象徴ともいえる王城ハイデルベルクを始め、ヴュルツブルク宮殿、王立議事堂といった政治と権力の中枢がそこに集約されていた。

 またその区画に邸宅を持つ一部の貴族たちは、このオーランド王国を動かす重鎮や名門貴族たちであり、中央区に住む貴族たちとは明らかに一線を画した真の意味での支配者層である。

 他の区画との境界には資格無き者を拒むかのように、城壁と呼べる規模の巨大な壁がその区画を囲っている。その壁の威容は、魔物の進入を防ぐためライズワースに作られた強固な外壁に比べてもなんら遜色のないものであり、その堅牢さに加え荘厳な佇まいは見る者を威圧する。

 中央区に接する中央門に一台の馬車が停車していた。黒塗りの比較的質素な作りをしてはいたが、各所に見られる見事な装飾やよく手入れの行き届いたその車体を見ても貴族が所有する専用の馬車であることが窺えた。

 馬車の御者と何か言葉を交わしている警備の者も、ライズワースの市内を統括する憲兵隊のものではない。

 黒と赤を基調とした鎧を纏い、帯剣する剣の柄には国旗をあしらった紋章が刻印されている。彼らはオーランド王国騎士団の中でも特別な権限を与えられた、国王直属の近衛騎士団たちであった。

 近衛騎士団の一人と一言二言、言葉を交わしただけで、その馬車は車内を検められる事もなくあっさりと通過を許され、開け放たれている重厚な門を通り抜けていく。

 その光景を車内の窓からアシュレイは眺めていた。


 「旦那、あんた一体いつからこんな繋がりをもってたんだい」


 「古来より魔法士と権力者とは絶ち難い縁があるものだ。それが力を持つ魔法士ならば尚のこと……一月もあればそれらの縁を結ぶのに短い期間ではあるまいよ」


 「それじゃあ、もう俺はお役御免でことかい」


 アシュレイは隣に座る、漆黒のフードを纏う男アウグストを鋭い眼差しで見やる。


 「まさか……下らぬ連中であったとはいえ、奴らとの仲を取り持ってくれた貴様には感謝しておるよ。それに貴様の能力も高く評価しておる。でなければわざわざこうして助けたりなぞせんよ」


 追跡者に追われるアシュレイを救ったのはアウグストであった。もっともアウグストがその場に居合わせたのは無論偶然などではないのだが。


 「それに貴様のお陰で私も巡り逢うべき者との邂逅を果たすことができた。その功績を踏まえて次の依頼で貴様から全ての対価を受け取ったと、契約は完遂したとみなすとしよう」


 アウグストの言葉にアシュレイの顔色が変わる。


 「それじゃあ……」


 「貴様の願いを叶えてやろう」


 アシュレイの脳裏に自分に微笑み掛ける少女の笑みが浮かぶ。

 叶う筈の無い願い。希望にも似たそれは呪い。

 それでも……アシュレイの握り締められた拳が知らず震える。


 「俺は何をすればいい」


 フードに隠れた闇が笑った。いや少なくともアシュレイにはそう感じられた。


 「あの輩共も役には立った。しかし状況が変わった今となっては私にとっては既に害悪でしかない。あやつらには舞台から退場して貰うとしても、目先の問題として解決しておかなければならぬことがあってな」


 アウグストはアシュレイの耳元へと顔を寄せる。

 二人を乗せた馬車は大きな通りを右折すると、中心部へは向かわずその進路を東へと向けた。



 「しかしとんだじゃじゃ馬娘だな、おいエレナ、聞いてるのか」


 姑宜しく、がみがみと口煩く小言を並び立てるヴォルフガングの説教を渋い顔をしながらも黙ってエレナは聞いていた。

 憲兵隊の詰め所から迎えに来た砂塵の大鷲のギルド員に連れられてエレナは今砂塵の大鷲のギルドへと来ていた。そして久しぶりに会ったヴォルフガングからこうして説教を受ける羽目になっているのだが……。


 「ヴォルフガングさん……性格変わってるよ」


 「馬鹿野郎、これは心配かけてるあいつらに代わって説教してるんじゃねえか」


 それを言われるとエレナも返す言葉が無い。理由や思いはどうあれそれは変えようの無い事実なのだから。


 「まぁいいや、それじゃあ本題に入る前に情報交換といこうか、こっちも色々知りてえ事もあるからな」


 エレナもそれには異存は無い。アンゼルムは討てなかったが、あのアウグスト・ベルトリアスの名を騙る魔法士の存在を掴むことが出来たのは間違いなく収穫であった。再度行動を起こすにしても一度状況を整理するのも悪くない。

 エレナはこれまでの経緯をヴォルフガングに説明する。無論アウグストとの会話をそのまま伝えることは出来なかった為、その辺りは多少の改変を必要としたがそれ以外は隠すことなく全て伝える。


 「なるほどね」


 エレナの話を聞き終えたヴォルフガングは顎を手で摩りながらそれだけぽつりと呟いた。


 「昨日から黄昏の獅子の連中がどうにも騒がしくてな、調べさせちゃあいたんだが、なるほどその魔法士が姿を晦ましたとなりゃ辻褄は合うわな」


 それが本当ならあの魔法士は自分との約束を守ったということになる……だが仮にそうだとしても奴の真意がわからない以上楽観視は出来ない。


 「さてと……実はな、もう事態は俺たちの手を離れて大きく動き始めていてな」


 そういうとヴォルフガングは懐から封書を取り出してエレナに手渡す。それを受け取ったエレナは封書に刻まれている刻印を目にしその手が一瞬止まる。

 そこに刻まれた刻印は王家の紋章。

 つまりここに書かれている内容はギルド会館から発行される通知とは大きく意味合いを異なるもの。それはいわば王命。国王自らが発令する勅命ということになる。

 それに目を通したエレナは暫く考えたように黙り込む。


 「この封書は早朝、全ギルドに送らたらしいぜ、どんな力が働いたのか……それを考えるとゾッとしねえけどよ、だがこれでお前らの問題は全て解決しちまったことになるわな」


 その封書に書かれた内容。それはギルド黄昏の獅子の即時解体。それに伴う全構成員の捕縛許可。そして明記されている罪状は国家反逆罪であった。

 この封書が発行された時点で奴らは犯罪者集団ですら無くなった。今や黄昏の獅子は国賊となったのだ。


 「うちの人間もあの街から撤収させる、お前ももうあそこに戻る理由はないだろう、帰ってやりな、お前の帰りを持つ人間たちの下にな」


 解決……そう確かに解決したといえる。だがエレナの中に渦巻くのは腑に落ちない謎ばかりだ。この一件に得体の知れない力が働いているのは疑いようも無い。それがわからない以上手放しで喜べるはずも無い。


 「明日から開催される闘神の宴との兼ね合いもあるしな、どう事態が動くのか少し様子を見ようぜ」


 ヴォルフガングの言い分は間違ってはいない。懸念が残るのはアシュレイが今どこにいるのか、といことなのだが、あの男は馬鹿ではない。この状況であの街に戻るような馬鹿な真似はしないだろう。

 となると問題は昨日出会ったアニエスという女性のことだが、当面すぐ遭遇するような状況は考えにくい。ヴォルフガングの言うとおり一度双刻の月に戻って、アシュレイとの連絡方法を考えた方がよさそうだ。

 エレナはそう思考をめぐらせる。

 この先の事を幾つかヴォルフガングと話し合い、手配してくれた馬車が到着するのを確認すると、エレナはヴォルフガングに街の外に隠して来た双剣の回収を頼み部屋を後にする。

 ヴォルフガングは一人残った部屋で柄にも無く難しい顔をして何かを考えていたが、ぽん、と手を叩いて思い出したように呟く。

 アニエスのことを話すの忘れちまってたな、と。


 馬車の中であれやこれやと謝罪の言葉を考えていたエレナであったが、見慣れた道を辿り懐かしいその建物の前で馬車が止まると、意を決して馬車を降りる。

 瞬間、駆け寄ってくる人影。次の瞬間にはエレナは柔らかい両腕に抱きしめられていた。仄かに香る甘い香り。僅か数日しか経っていないというのにそれはどこか懐かしく心地良い。


 「お帰りなさい……エレナ……」


 レティシアのかすれた涙声がエレナの耳元に届く。エレナは瞳を閉じると震えるその背中にそっと腕を回す。


 「ただいま……」


 暫くそのままの佇み、目を開けたエレナはレティシアの肩越しに懐かしい、そして掛け替えのない仲間たち姿を目にする。

 シェルン、カタリナそしてアニエス……。アニエス?


 「…………」


 自分を見つめるそのエメラルドのような瞳にエレナは特上の愛想笑いを浮かべた。


 「お帰りなさい、初めましてかしらね、エレナ・ロゼさん」


 そのアニエスの言葉にエレナは浮かべた笑みをそのままに視線だけを宙に彷徨わせるのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る