第27話
「本当に譲って貰えるんですか……」
「勿論で御座います。寧ろエレナ様がお見えになられたというのに、この剣を渡さなかったなどと旦那様が知ればわたくしがお咎めを受けることになりましょう」
エレナにはこれらの長剣が一体どれ程の価値を持つ物かなど想像すら出来ない。だがそれが今自分が持つ全財産をはたいても柄の装飾一つ分にすら足りないであろう事はわかった。
剣として以外にも美術品としての付加価値が付くであろうこの二振りの剣を受け取るということは、恐らくエレナの残り少ない一生を掛けても返しきれない借りをレイリオに作ることになるという漠然とした不安と、これ程の名品を手にする機会を棒に振りたくないという欲求がエレナの中で葛藤となって渦巻く。
「エレナ様、それ程深く悩まれることは御座いません。確かにそれらの剣は高価な品々では御座いますが我々商人風に例えますれば所詮金に換えられる代物でしかありません。エレナ様のような方が持たれて初めてこれらの剣は本当の意味で金には換えれれぬ価値を持つことになるのです」
クレストはそこで一度息をつきまたエレナへと語りかける。
「善意と呼ぶには確かに重過ぎる贈り物ではありますが、旦那様はこの事でエレナ様に恩を売ろうなどと考えるような度量の狭い御方では御座いません。どうかその誠意を信じては頂けぬでしょうか」
エレナはクレストの語る言葉を目を閉じ聞いている。そして躊躇いながらも二振りの長剣をその手に取ると愛おしそうに胸に抱く。
「レイリオが戻ったら連絡を下さい。お礼くらいは直接会っていいたいので」
クレストが分かりましたと優美に礼をする。
「それで双剣の事が本題じゃないってんならどんな用件で此処に来たんだ?」
話が纏まるのを待っていたようにミローズが切り出す。
そのミローズの言葉にエレナは言い難そうに口ごもる。話の内容が内容だけにミローズはともかくクレストに相談していいかどうか迷っていたのだ。
「何か相談事があるならレイリオより寧ろこの爺さんに話してみたほうがいいぜ、なんせレイリオより余程抜け目のねえ爺さんだからな」
エレナの様子から何かを察したのかミローズは自信有り気にそう言った。
ミローズの態度を見てもクレストと呼ばれるこの初老の男に信頼のようなものを寄せていることは見て取れた。なによりレイリオが自分の店を任せているのだ。クレストが有能な男だということをエレナも疑っていたわけではない。
だがやはり助言を貰うだけで巻き込むつもりはないとはいえ、話をすることで僅かでもその可能性が生まれてしまうのも事実なのだ。エレナの中では既に仲間であるミローズやレイリオと違い、会ったばかりのクレストをその危険に晒すことに僅かだが抵抗があったのだ。
「わたくしでお役に立てることが御座いましたら何なりと。無論他言などはいたしませんので」
そのクレストの言葉にエレナは心を決める。
エレナはクレストとミローズにこれまでの経緯と今置かれている状況を詳しく説明した。クレストはエレナが話し終わるまで口を挟むことなく黙って聞いていたが、エレナの話が終わると少しの間目を閉じ何かを思案していたようだがやがてゆっくりとその口を開いた。
「なるほど、皆様はどうやら特定の何かを注視する余り大きな流れが見えていないような気が致します」
「大きな流れですか?」
「はい、もう少し引いた視線で、視野を広げることで見えてくる物も有るのではないかと」
俯瞰した視点でものを見る。クレストのその言葉をエレナなりに考えてはみたがやはり直ぐに何かを思いつく、といった都合の良い展開にはならない。
「そうか、金の流れを追えば……」
シェルンがそうポツリと呟く。
「その通りで御座いますシェルン様、私ども商人の視点で考えますれば黄昏の獅子なる輩が何を企み何をなそうと、そこには金を得ようという大きなベクトルが掛かっているのではないかと思われます。その流れの元を辿る事で見えてくる真実もあるのではないでしょうか」
そこでやっとエレナも気づく。黄昏に獅子が今回の失踪事件に関わっているとするなら、その目的が遙遠の回廊への怨恨からではないのだとしたら、大きな金を得ようとする企みである可能性は確かに高い。恐らく遙遠の回廊もそしてエレナたちも失踪者の足取りを追おうとする余り、そんな簡単な原理すら見落としていたのだ。
「宜しければその金の流れ、わたくしがお調べいたしましょうか」
「しかしそれでは……」
「この世界に長らくおりますと、色々な付き合いも多くなります。その中には人に誇れない有能な友人もおりますれば、決して足が付くような、エレナ様が危惧するようなそんな事態を招く心配は御座いませんのでどうぞご安心下さい」
「爺さんはできねえ事を安請け合いするような男じゃない、それに男に頼るのはいい女の特権だと思うがね」
金の流れを追う為の伝手など他にはないエレナにとってはまさに渡りに船のような話ではある。だが全てを他人に任せる、言い換えるのなら甘えることにエレナは慣れていなかった。だからどうしても戸惑ってしまうのだ。自分の今の姿見は確かに美しい。だがそれはただの虚像であり本当意味で自分ではないのだ。だからこそ、それを利用しているようで如何しても抵抗を感じてしまう。
「エレナさんからでは無く、ギルド双刻の月としてクレストさんにお願いします。それでは受けて貰えませんか?」
シェルンが突然口にした言葉にエレナは驚いてシェルンを見る。その真剣な眼差しにクレストはにこやかに頷いて見せた。
「分かりました、この件は旦那様やエレナ様とは関係なくシェルン様からの頼みをわたくしが個人的に受けさせて頂くということで宜しいですかな?」
シェルンは立ち上がるとクレストに深く頭を下げた。これ以上エレナが……彼女が自分の知らない……会ったこともない男に恩義を感じてしまう事が堪らなく我慢ならなかったのだ。今すぐには無理でも必ず自分が双剣の代金を叩き返してやると、そう心に決めていた。
シェルンはまだ見ぬレイリオという男に強い対抗心を感じていたのだ。
話を終え、互いの連絡の方法を確認した後、馬車に乗り店を後にするエレナとシェルンをミローズとクレストが見送っていた。
「やっぱり爺さんは食えねえ男だよ、なんだかんだ言っても最終的にエレナの背中を押したのは爺さんの言葉だからな、幾ら気にするなといってもエレナはレイリオに恩義を感じるし、今まで以上に意識もするだろうしな」
遠ざかる馬車を眺めながらミローズは面白そうに笑った。
ミローズとしては当然レイリオを応援している。だがあのシェルンという少年もなかなか侮れないと感じていたのだ。これから先どちらが早くエレナの心を掴むのか実に興味深い。
「それは勘ぐり過ぎというものです。主に仕える身としましては旦那様には想い人と添い遂げて頂きたいという気持ちは御座います。しかし以前旦那様はエレナ様についてこう仰っておられました。初めに惹かれたのは美しい外見だった。けれど自分が本当に愛したのは彼女の心の在り方だと」
そしてクレストは少し遠い目をして馬車を見送る。
「そんなエレナ様を恩義で縛るなど旦那様は決して望まれません。そしてわたくしが主が望まぬ事を行うことなど……それこそ有り得ないことです」
そんなクレストの言葉にミローズは馬車から視線を向けるが其処にはいつもの穏やかな微笑みを浮かべる老人の姿があるだけであった。
「うふふふ……ふふ」
馬車の中に奇妙な少女の声が響いている。
シェルンは呆れたように先程から胸に抱く長剣に頬ずりを繰り返している少女を見やる。
「エレナさん……気持ち悪いよ」
その言葉に少女は心外そうにシェルンへと振り返った。そして報復だといわんばかりに不意にシェルンの身体を抱き寄せる。
突然のことにシェルンはその顔を少女の胸に埋めてしまう。その柔らかい感触と頬に伝う少女の黒髪の甘い香りにたちまちその顔が赤く染まっていく。
「ちょっとエレナさん……恥ずかしいよ……」
だが慌ててもがくシェルンを少女が放す様子はない。
「さっきはありがとな……気を使ってくれて、嬉しかったよ」
そうポツリと照れたように呟く少女の言葉にシェルンは抵抗を止める。それが不器用な少女の感謝の表現なのだと気づいたからだ。
強く、気高く、そして美しい。自分が目指すべき存在であり憧れの人。
ずぼらでだらしなくて、直ぐに道に迷うほっとけない人。
お節介で、自分勝手で、恥ずかしがり屋で、でも誰よりも優しい人。
そんな少女の全てがシェルンには眩しかった。
僕がエレナさんを守るよ。
言葉にすれば儚く消えてしまう。そんな気がしてシェルンは心の中でそう呟いていた。
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