第26話


 トアル・ロゼ。


 大きく商店に掲げられた看板を持つその商店は中央区に並ぶ他の商会の建物と同様に小洒落た雰囲気と高級感を漂わせてエレナの前に建っていた。

 エレナはその雰囲気に気後れしたように我が身を見る。エレナはレティシアとの約束で外出時はローブを羽織っていたのだが、流石にこの場には余りに似つかわしくないように思えた。

 エレナは店の中に入る前にローブを脱ぐ。ローブの中から現れたエレナの普段着も女性が好んで着るような愛らしい服装では無く、男装ととられるまではいかずともかなり性別を意識せず両者が着れるようなごく一般的な……悪く言えば安ぼったい格好といえる。

 だがアインスの器となるエレナの姿見はそうした服装をしていても尚その美しさを損なうことはない。元の素材が突出している分、服装の印象が薄くなってしまう。良くも悪くもそうした点は否めないだろう。

 そんなエレナの様子を少し面白くなさそうにシェルンが見つめる。今訪れようとしている店がエレナの知人の店であることを聞いていたシェルンにとっては、今のエレナの行動は、まるで男に会う前に自分の姿見を気にするただの少女のような行動に見えて正直内心は穏やかではなかった。

 この一件が決着するまでは単独で行動することを控えていた双刻の月の面々は基本的に二人一組で行動していた。カタリナも昨日から自宅に戻らずギルドに寝泊りしている。

 いつもならレティシアが我先に名乗りを上げるはずのエレナの傍に何故シェルンがいるのかといえば、カタリナとどうしても外せない用事があったレティシアが断腸の思いでシェルンに譲った経緯がある。かなり未練がましく二人を見送っていたレティシアであったが、友人に会いに行くというエレナの言葉に何かを感じ取ったのか、シェルンに後で詳細を報告するようにと念を押すのを忘れなかった。


 エレナはもう一度手にした紙に書かれた住所を確認する。

 エレナは知人との連絡を取るため、商人たちの寄り合い所となっている商館へと足を運んでいたのだが、エレナからその名を聞いた商人風の男は直接彼の所在を教えてくれたのだ。

 レイリオがエレナと共にライズワースに訪れてからまだ一月半程度。異例の早さで中央区に店を構えた彼の名は商館でも有名らしくその評判の高さにエレナも驚かされたものだ。

 中央区で店を構えるという事が最終的な成功の到達点とする商人たちが多い中にあって、レイリオ・ガラートという若者の存在はそれを歓迎する者も疎ましく思う者にとっても注目せざる得ない存在となっていた。


 店内に入ったエレナたちを若い女性の店員が迎える。店内で接客するのは皆、見目麗しい女性たちばかりだ。黒を基調とした制服を着た彼女たちはどこか知的で穏やかな雰囲気を感じさせ、それが店自体の雰囲気をも落ち着いたある種の高級感を演出している。

 商才などないエレナがそれらを見てまず初めに感じたのは実にレイリオらしい……という一言に尽きる。どこか気取っているがそれが嫌味な程華美にはならず鼻にはつかない。

 エレナにはレイリオの思想を反映したような店内の雰囲気に知れず笑みが漏れる。それは決して悪意からではなくどこか懐かしさを感じているそんな微笑であった。


 「お嬢様、今日はどのような品をお求めでしょうか」


 エレナたちの応対に立つ女性が声を掛けて来る。エレナの姿を見た女性の瞳には驚きにも似た複雑な感情が見えるものの、にこやかに微笑む表情は崩さない。その一点だけ見てもこの女性が受けてきた教育の高さが伺えた。


 「この店の主だと思うのですが、レイリオ・ガラートにお会いしたいのですが」


 エレナの言葉に女性は申し訳なさそうに深く頭を下げた。


 「申し訳御座いません。レイリオは只今買い付けのためライズワースを離れておりまして、いつ戻られるかは此方でも正確には分かりかねる状況なのです……わざわざご足労頂いたというのに誠に申し訳御座いません」


 「いえ、突然伺った此方に非があることですので、また日を改めて伺わせて頂きます」


 商人であるレイリオならば自分が思いつかない別の視点から助言を貰えるかもという淡い期待が無かったといえば嘘になるが、言葉通りそれは此方の勝手な都合であってレイリオが不在だからといってそれに思うところなどあるはずも無い。だがそれをどこか残念がる自分が居た。その事にエレナ自身が些か驚いている。

 自分はあの若者の事を結構気に入っていたのだな、などど考えるエレナであった。


 「失礼ですがお名前とご用件をお伺いしてもよろしいでしょうか。主が戻られましたら必ずお伝えしますので」


 「私はエレナ・ロゼといいます。用件の方はお会い出来たときに直接話をしますから」


 エレナ・ロゼという名前を聞いた途端女性の表情が変わる。


 「エレナ・ロゼ様……エレナ様……少々……少々お待ち下さい」


 女性は慌てた様に店の奥へと姿を消すとしばらくして初老の男性を連れて二人の下へと戻って来た。

 事態の変化に困惑し顔を見合わせる二人に初老の男性は優美に礼をする。それは自然ではあるがどこか気品と品格を感じさせる洗練された礼であり、この初老の男性の高い教養と品性を感じさせる、そんな見事な所作であった。


 「エレナ様、大変失礼を致しました。私は当店を任されておりますクレストと申します。我が主レイリオよりエレナ様が来店される事があれば丁重におもてなしする様にと厳重に仰せつかっておりますれば、どうぞ奥に席をご用意させて頂きましたので宜しければなにとぞ」


 特に他に当てがあったわけでもなく、なによりクレストの礼を以て語られた口上を無下に断るのは礼を失するように感じられたエレナは素直にその好意を受けることにした。

 二人がクレストに連れられて招き入れられた部屋は応接室というより、最早貴賓室というべき佇まいの一室であった。

 置かれた家具を始め調度品、小物に至るまで見事な細工を施された一品たちで彩られ、さながら王宮にでも迷い込んだような、そんな錯覚すら覚えさせる。

 そんな見事な室内を見たエレナはだが部屋の中にいる人物に気づくと一瞬固まり、刹那身体を九の字に折って笑い始めた。


 「ミ……ミローズ……なんて格好してるんだ……お…前……俺を笑い殺す……」


 エレナは余りの衝撃に二の句が継げない。瞳一杯に涙を溜め膝を振るわせている。思わずシェルンが手を差し伸べそうになるほど、エレナの身体は力無く小刻みに震えている。


 「おいおいエレナ……久しぶりに会ってそりゃないぜ……」


 エレナの笑い崩れそうな姿を見てミローズは心外そうに、情けない声を出す。

 ミローズの着ている服もクレストと同じ黒を基調とした燕尾服に近いものではあったのだが、如何せんサイズが明らかにおかしい。比較的体格の良いミローズにはその服は小さ過ぎて、はち切れんばかりに伸び切っていた。

 シェルンはエレナの様子に動揺を隠せないようであったが何故かミローズを新種の魔物を見るように睨み付ける。クレストはエレナのこの変化にも表面上はなんら変化を見せていない。むしろ微笑ましそうにその光景を見つめていた。


 「お前さんが来たっていうから急いで着替えたんじゃねえか、この店は普段着じゃ中に入れねえんだよ……」


 茹蛸のように顔を真っ赤にして本気でへこむミローズの姿にエレナはまずい……と感じてはいたがどうしてもこみ上げて来る感情を抑えきれない。ある意味ここまでエレナの心を射止めた男はミローズが初めてであったかも知れない。


 「ミローズ様、やはり少々無理が合ったご様子ですし、旦那様には内密にしておきますので奥の部屋でお着替えをなされた方が宜しいかと、これではお話も進みませんので」


 店の主の許可を得たミローズは脱兎の如く隣の部屋へと駆け込んでいった。どうやらミローズ自身もそろそろ限界であったらしい。

 普段着に着替えたミローズが戻り、皆が席に着いてもエレナが平静を取り戻すのには些か時間を必要としたのだが、それはあえて詳しく語るまでもないだろう。


 用意された紅茶を一口だけ口にするとエレナは小さく息をつく。


 「済まなかったなミローズ、少し大げさすぎたよ」


 「もういいから、頼むから忘れてくれ……」


 内心かなりへこんでいたミローズでは合ったがこれ以上この話を引っ張るのは堪らないとばかりに大きく頭を振る。

 だが一番内心穏やかではなかったのは実はエレナでもミローズでもなくシェルンで合った。

 普段はどちらかと言えば物腰も丁寧で実際の見た目より遥かに大人びて見えるこの少女が、実は男勝りで奔放な女性であることをシェルンは知っている。

 時折感情が高ぶると見せる彼女の男言葉がその最たるものだろう。そうした場面以外でも自分の前でだけは自分を偽らない彼女の姿に少なからず周囲への優越感を持っていたシェルンにとっては、このミローズという男に見せるエレナの飾らない姿はかなりの衝撃であったのだ。

 自分だけが特別などと自惚れまい……と自分に言い聞かせていたつもりではあったのだが、こうしてその現実を目の当たりにさせられるとここまで暗澹たる気持ちにさせられるのか、とシェルンはミローズ以上に落ち込んでいた。


 「これでもお前さんがそろそろ尋ねてきそうだから気を配ってたんだぜ」


 そのミローズの言葉にエレナもそしてシェルンも驚きを隠せない。

 ここまで慎重に事を進めてきたつもりであったのだが、商人たちの耳に入る程此方の動きは目立っていたのだろうか。だとするなら黄昏の獅子にも此方の動きを悟られている可能性が高いのではないか。そうだとするならここで悠長に紅茶を飲んでいる場合ではない。


 「新しい剣を探してるんだろ?」


 的外れではないにしても、些か本筋とは違ったミローズの言葉に二人は安堵の表情を浮かべる。


 「なんだ違うのか? 変わった剣を求める小柄な女の話が刀工たちの間でちょっとした噂になっててな。詳しく聞けばそれが双剣て話じゃねえか、これはもうお前さん以外思いつかないってもんさ」


 「その件は確かに俺の話なんだけど、今回は別件なんだよ」


 双剣を折ってしまった詳しい経緯は流石に話すことは出来ない為、エレナは話を少しぼかしながら双剣を失ってしまった事実だけをミローズに告げた。


 「なるほどね、お前さん程の腕を持っていてあの業物を折っちまったくらいだから相当の相手だったんだろうな」


 ミローズ自身エレナの剣の技量を目の当たりにしているだけにその衝撃も大きい。あの上位危険種の掃討戦には語れないなにか裏の事情があるのだろうと思いながらもそれを口にするような無粋なことはしない。

 彼女の性格を考えても話せることなら話している。話さないということは話せない事情があるのは明らかなのだ。それを詮索するなど不細工な話だ。


 「だがお前さんは運がいい、その話を俺らが聞いたのが二週間前、そしてそんな話を聞いて、お前さんが困っているのを知って、あいつがただ手を拱いて見ていると思うかい」


 ミローズが目配せするとクレストが奥の部屋から長い二つの木箱を抱え戻ってくる。テーブルに置かれた木箱をクレストが開けるとそれぞれの箱に一振りずつ長剣が収められていた。

 その長剣の造形の余りの美しさにエレナは目を奪われる。柄に施された飾りの作りからそれが以前エレナが使っていた双剣の作者たちのものであることは見て取れた。だが装飾の精巧さそして曲線を描く刀身の美しさは以前のものとは比較にならない。

 以前のものも名刀と呼ぶに相応しい一品であったが、今エレナの目の前に置かれたこれらの長剣はそれらさえ遥かに凌ぐまさに稀代の名品、完成された芸術品といっても過言ではないだろう。


 「これらの作者、ヴェッテーヤとライデリンの最高傑作をエレナ様の為に旦那様が取り寄せたもので御座います。ヴェッテーヤの長剣の名は清浄なる息吹(アル・カラミス)。ライデリン作の長剣を天壌の翼(エルマリュート)とそれぞれ銘が打たれております」


 クレストの言葉を何処か遠くにエレナは聞いていた。

 剣に魅せられる。このような衝撃はかつての愛剣であったダランテに感じて以来である。高揚感にも似たこの感覚をまた味わえるのは一人の男として、剣士としてこれほど幸福な瞬間は無い。

 エレナにしては珍しい……いや……らしくないといっていい。まだ自分の物でもないその剣の柄へと無意識に手を伸ばしていた。

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