第28話
ガシャン――――!!
何かが倒れる大きな音を聞いて隣の部屋に待機していた砂塵の大鷲の男たちが応接室へと駆け込んでくる。
部屋に入った男たちが目にしたのは、横倒しに倒れたテーブルの前に鼻から血を流し蹲(うずくま)る男の姿と、その男を見下ろすように整った目尻を吊り上げ怒りに身体を震わせる美しい女性の姿だった。
「一昨日来なさい、三下」
カタリナはそう男に言い放つレティシアと蹲る男を交互に眺め、はぁと小さく溜息をついて眼鏡をくいと押し上げる。
初めから穏便に事が進むとは考えてはいなかったが、余りに展開が予想通りすぎてどこか可笑しく笑いすらさそう。当然それは失笑と呼べる類のものではあったのだが。
事前に予想した通り黄昏の獅子の構成員を名乗る男が双刻の月を訪れて来たのだ。その話も実にありきたりの内容であり、長々と遠まわしに脅し文句を交え語ったのは、要約すればシェルンに八百長をして負けろということだ。
ここで多少なりに脅しに来た男が頭を使った点を挙げるとするなら、八百長の前に自発的にという一文を付け加えたことであろうか。
つまり両者合意の下での不正ではなく、あくまで双刻の月の単独の行動であるということを強制しようというのだ。
闘神の宴を初めとした公式な試合において八百長行為は重罪である。それが発覚した時点で被害金額の多寡に関わらずそれに加担したギルドはその全資産を没収された後取り潰される。
そしてそれらのギルドの構成員たちのギルドへの参加資格は永久に停止され、もう二度とギルドへの加入を認められることはなくなるのだ。
加えてその首謀者や深く関与した関係者たちは即時にライズワースからの強制退去を命じられる。極刑や投獄されないだけ軽い罰則に感じるかも知れないが、武器の携帯すら許されず裸同然で外に放り出されるということは、近隣の村や街まで数十キロも離れていることを考えればそれは死の宣告と同義であろう。
黄昏の獅子はあくまで関与せず相手にのみ不正を強要する。実に下衆らしい卑しい考えではあったがそれだけ闘神の宴で勝者が得られるメリットが大きいともいえる。
序列者同士の戦いにおいて序列が低い者が勝った場合、相手の序列を手に出来る。仮に負けた場合でも序列の変動はない。
逆に序列の高い者が負けた場合は序列が下がるのではなく文字通り序列を奪われ失うことになる。だが勝った場合の報酬は破格であり、その試合で得られた売り上げの一割を賞金として手にすることができるのだ。
売り上げの一割といわれれば少なく聞こえるかも知れないが、一試合で賭けで動く金額の平均が金貨数百枚といわれており、注目の試合ともなると数千枚の金貨が飛び交うその売り上げの一割である。個人が手にする額としては莫大な金額になることは間違いない。
当初の予定では曖昧な返事に終始し相手の出方を見るつもりであったのだが、大人しく対応する美女の姿に気を良くしたのか次に放った男の一言がレティシアの逆鱗に触れる。
試合の当日、保険として誰か一人を人質として預かると言い出したのだ。この場合の誰かとは、双刻の月の場合選択肢は存在せず特定の人物を指すことになる。
何故なら当事者であるシェルンは当然除外され、ギルドマスターであるレティシアも候補から外れることになる。そしてそもそもカタリナはギルドの構成員ではないのだ。となれば自ずと誰になるかは明白だ。
その瞬間レティシアは脇に置いていた槍の柄で男の鼻面を叩き付けていた。骨が砕ける嫌な音と共に暴れた男がテーブルをひっくり返す。
レティシアに残された僅かな理性が男に刃先を向けることを自制させたのだが、それもかなり際どいぎりぎりのところで思い留まったに過ぎない。
「このアマ……こんな事をしてただで済むと思ってねえだろうな」
折れた鼻を押さえ涙を流しながら男は憎しみのこもった目でレティシアを睨む。
瞬間、男は側頭部に激しい痛みと衝撃を受け転がるように床を舐める。
「おいおい何粋がってんだこの野郎……交渉が決裂した時点で、てめえを生かしておく理由はこっちにはねえんだよ」
男の頭を蹴り上げた砂塵の大鷲の男の一人が目を血走らせて男を見下ろす。隣の部屋から二人の会話を聞いていた男たちにとって先程の男の発言はレティシア同様、男たちをぶち切れさせるのには十分であったようだ。
床に力なく転がりうめく男にはもう虚勢を張る力もないようだった。
「レティシアさん、後はこっちで処理しとくんで」
男たちから掛けられた言葉にレティシアは瞳を僅かに曇らせる。
今だに怒りが収まったわけではない。だがやはりどんな人間であれ、どんな理由があれ人を殺めるということに罪悪感を感じずにはいられない。綺麗事だけでは収まらない、そんなことはとっくに承知していた筈なのに、覚悟を決めていた筈なのに、最後の一線を越えることに躊躇いを覚えてしまう。
「レティシア……エレナさんたちが戻る前に終わらせてしまいましょう……」
いつもと変わらないカタリナの声。いや違う。付き合いの長いレティシアにはカタリナの声が僅かに震えていることがわかった。カタリナもまた必死に罪悪感と自己嫌悪に耐えているのではないか。
自分を心配させまいと、負担を感じさせまいと気丈に振舞うカタリナの姿を見てレティシアは心を定める。
自分はギルドマスターなのだ、いつまでも自分がぐらついていては皆に負担を押し付けるだけではないか。そんなことで一体何を守れるというのか。
レティシアは真っ直ぐに男たちを見つめ、ゆっくりと頷いた。
無法者たちの穴倉には街として機能を果たす為に必要な全てが揃っているというわけでは無かったが、娼官や酒場といった施設にはかなりの金をかけているようで、小さな街には不釣合いの大規模な店が幾つか点在していた。
もっともこんな場所に店を出す物好きなどはいる筈もないので全て黄昏の獅子が自腹で建てたものだ。そこで雇っている者たちも普通の職に就くことが出来ない脛に傷を持つ者たちや訳ありの者たちが大半を占め、街全体が排他的で退廃的な雰囲気に包まれていた。
そんな酒場の一つでエドラット・モスは苛立ちながら酒を喉に流し込んでいる。同じテーブルにはエドラットの取り巻きたちが席を囲んでいた。
黄昏の獅子はギルドマスターであるアンゼルム・アヒムが絶対君主のように君臨してはいたが、その側近たちを除けばそれ以外の上下の関係というものは存在しない。
人の扱いに長けた者、エドラットのように序列の高い者たちはそれぞれに自分の派閥を作り醜い派閥争いを繰り広げていた。
「あの野郎、どこで道草食ってやがる」
使いに出した男が夜になっても今だ戻らないことにエドラットは苛立ちを隠せない。
「もしかしたら何かあったんじゃあ……」
「聞いた事もねえ弱小ギルドが俺たちに逆らったとでもいいてえのか手前!!」
大分酒が入っていたこともあってか焦点の定まらない目で呟いた男の胸倉を掴む。
「す……すいません……エドラットさん……」
エドラットに胸倉を摑まれた男は顔面を蒼白にしながらひたすら謝り続ける。エドラットはそんな男をつまらなそうに眺め、視線を向けることなく後ろのテーブルの男に声を掛ける。
「アダン、もういいや、今から五人ばかり連れてってそのギルド燃やしちまえ」
「か……頭もこの件には余り乗り気じゃ無いみたいだし、いきなりそれは拙いんじゃ……」
慌てて止めようと立ち上がる男の顔が凄まじい勢いでテーブルへと叩きつけられる。鈍い音と共に男の前歯がテーブルへと飛び散った。
「余計な事はいうなよ、な?」
口から血を溢れさせうめく男の頭を掴みアダンは厭らしく笑う。
アダン・セルドニオ。序列五百二十三位。
エドラットの一派の中でももっとも頭のネジが飛んでいるといわれている云わば狂犬である。序列自体は高くも低くもないが、なんでも有りの殺し合いでこそ、その実力を発揮するタイプのアダンにとっては序列という基準は余りあてにはならない。
「別に火に焼かれようが煙に巻かれようが、死んじまったら死んじまったで別にいいじゃねえか、運良く生き残れたら次は素直になるだろうしよ」
支離滅裂なエドラットの言葉に誰ももう反論する者はいない。そんな中アダンだけが自身の手についた男の返り血をうっとりと狂気を秘めた目で眺めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます