第24話

 レティシアは目の前に座る男から視線を床に落とし内心で深い溜息を付く。そんなレティシアの様子を男の後ろに立つ若いギルド会館の職員が少し気の毒そうに見つめていた。

 レティシアとシェルンの二人は闘神の宴の辞退を申請する為、連れ立ってギルド会館を訪れていた。

 そんな二人が職員に案内され通された一室に現れたベルノルトと名乗る中年の担当官との話し合いは既に一刻に及ぼうとしている。

 そしてその内容はとても友好的な、とは言い難く幾度と無く堂々巡りを繰り返すベルノルトとの会話にレティシアはまるで袋小路にでも迷い込んだようなそんな徒労感に襲われていた。


 「双刻の月さんの言い分は大変良く分かりましたが、此方としても規則は規則ですので……」


 人の良さそうな表情を浮かべ、ベルノルトは幾度目になるだろう……同じ言葉を同じ調子で繰り返す。


 「ですから、我々も罰則を科せられる事に異議を唱えているわけではないんです。何度も言いますがギルドの解体という処罰は重すぎると抗議しているんです」


 ギルド会館……いやベルノルトから示された罰則は序列の剥奪に留まらなかった。レティシアも辞退の理由が此方側の一方的な事情によるところが大きいのは承知している。序列の剥奪以外にもそれなりの額の罰金は覚悟はしてはいた。だがベルノルトが示したギルドの解体という、いわば最高位に近い罰則を受け入れる事など出来様はずはない。


 「これまで当人の怪我や死亡という止むを得ない事情を除いては、こちらとしても辞退を認めた前例がないのですよ、もし双刻の月さんからの申し出を認めればそれが最初の一例となります。こう申しては失礼とは思いますが、今回双刻の月さんからの辞退の理由が余りにも世間の風潮を鵜呑みにされた偏ったものである事を考慮すれば安易な条件を提示するわけにはいかないのです」


 「悪しき前例になると、そうおっしゃいたいのですか?」


 「心苦しいですがその通りです。それにもし黄昏の獅子が本当にそのようなギルドであった場合には、双刻の月さんに接触を図った段階で再度此方に相談頂ければ何度も申し上げている通りギルド会館の方で調査をいたしますので」


 「だから接触をもたれてからでは遅いと、何度もいってるじゃない!!」


 レティシアは思わず激昂し腰を浮かし掛ける。だがその腕をシェルンが掴み止める。


 「もう帰ろう姉さん、この人は始めから認めるつもりなんて無いよ」


 それだけいうとシェルンはレティシアの腕を持ったままその手を引くように席を立って扉へと歩き出す。レティシアは戸惑いながらもシェルンの力強いその手に抵抗するのを忘れその後のついていく。


 「シェルン君だったね、君の試合楽しみにしているよ」


 目尻を下げて微笑むベルノルトを完全に無視するようにシェルンはレティシアを連れて部屋を出ていった。


 「少し気の毒な気もしますね……」


 二人の気配が完全に遠ざかるのを確認してからベルノルトの背後に立っていた若い職員が口を開く。

 ベルノルトの手前、口を挟むのは憚られていたが、本来こうした事案の対応は担当官の裁量に任されている部分が大きい。確かにベルノルトの考えには一理あったが双刻の月の訴え自体は真摯なものであったし、ギルドの規模を考えてももう少し温情的な采配であっても良かったのではないかと感じていたのだ。


 「だから君はいつまでも受付業務のままなんですよ」


 ベルノルトは笑顔を崩さず若い職員に囁く。笑顔とは対照的なその辛辣な言葉に若い職員は直ぐにはベルノルトの言葉の意味を理解できずにいた。


 「シェルン・メルビィス、彼はあの名門メルビィス家の嫡子だった元大貴族様ですよ。弟との家督争いに敗れた負け犬である彼が、突如異例の早さで序列二百三十位という高位の序列を得て新星の様に闘神の宴に参戦するのです。若く、姿見の良い堕ちた大貴族。こんな話題性のある人物を逃す手はありません、そうは思いませんか?」


 「それじゃあ貴方は始めから……」


 「同然ですよ、兎角馬鹿な市民たちはこうした薄幸の美少年という下らない幻想物が大好きですからね、まして対戦相手があの悪名高い黄昏の獅子ともなれば大いに盛り上がるでしょう。この試合の観客動員数、賭けの規模はかなり大きなものになるでしょうね、今から楽しみです」


 若い職員はベルノルトをまるで魔物を見るような怯えた目で見ていた。ベルノルトの優しげな表情の中に僅かに垣間見せるどす黒い何かに体の震えが止まらずにいた。



 ギルド黄昏の獅子。

 その本拠となる建物はライズワースの東の区画でもかなり郊外の丘の麓にあった。周りは見渡す限り草原が広がり他に人家などは存在していない。

 その広大な敷地には黄昏の獅子の構成員たちが住む小さな街が形成されている。無法者たちの穴倉と揶揄されるこの辺りに近づこうとする物好きなどはいはしない。黄昏の獅子のギルドマスター。アンゼルム・アヒムが治める小国がまさにそこにはあった。


 無法者たちの穴倉の中心部に一際大きい建物。アンゼルムの私邸の地下には地上の建物と同じ広さの空間が広がっている。昼間でも光が届かぬ薄暗いその通路を館の主であるアンゼルムが歩く。その後ろには護衛だろう二人の屈強な男たちが続いている。

 アンゼルムは長い通路の突き当たりにある扉を開くと中へと入る。部屋というよりは広間と呼ぶべきだろう広い室内の長テーブルにはアンゼルムがまるで理解できない魔道具や魔法書がそれこそ山済みされていた。


 「アウグスト、首尾はどうなっている?」


 僅かな明かりに照らされて壁に浮かび上がっている長い影へと呼びかける。広間の中央にたつ幽鬼のような影がゆらりと動きその指が壁際の闇を指す。

 護衛の男たちがランプの明かりをその闇にと翳す。浮かび上がるシルエット。そこには一糸纏わぬ魅惑的な肢体を晒した美女たちが佇んでいた。だが彼女たちは男たちの無粋な視線に晒されても身じろぎ一つしない。整った容姿を持つ瞳には光が失われ、豊かな二つの双丘からは胸の鼓動は感じられなかった。

 それは今や禁呪指定を受けた技術により作られた最高級の魔法人形たちであった。だがアンゼルムは知っている。売買すら禁止されているこれらの人に限りなく似した魔法人形とは異なり、今、目の前にあるそれがかつて人であった物だと。

 特殊な素材を多様する本来の製造法ではいまやライズワースでも素材の入手は困難であり、また仮に入手できたとしても使用用途が限定されるため足がつきやすい。だがこの男アウグストの技術は人を魔法人形へと変えるまさに異端の技術であった。

 しかも骨格自体、つまり身長のような体格を変化させることは無理のようだが、それ以外の姿見はアウグストの好きに変容させることが出来るため、攫って来る女の見た目を気にする必要すらない。商売女のような身元の不確かな連中を狙えばほとんどリスクも金も掛からないのだ。

 黄昏の獅子はこの魔法人形の売買でかつて無い程の財力と貴族や豪商たちとの裏の強固な繋がりを得ていた。最早遙遠の回廊などとは資金力を始め王国の中枢に与える影響力においても比較にならないほどに強大なものとなっていた。

 一月前忽然とこの無法者たちの穴倉へとやって来たアウグストをその時はただの狂人としか思っていなかったアンゼルムであったが、余興のつもりで交わした取引が黄昏の獅子のその後を大きく変えた。

 アウグストの要求は自身の研究室とその設備そして研究素材の提供であった。その見返りとして魔法人形を黄昏の獅子へと供給するという条件であり、魔導などに興味のないアンゼルムにはアウグストの研究内容などまるで興味すらなかった為、莫大な手数料などを要求されるより余程その条件は好都合であった。

 この二人の歪な利害関係が今や黄昏の獅子の大きな資金源であり、全ての行動の中核となっている。

 二人の女……いや二体の人形を護衛の男たちが肩に担ぎ広間を出る。用事を済ませるとアンゼルムも即座に広間を後にした。二人の間には結局会話すらない。

 利害関係が一致しているとはいえアンゼルムにとってはアウグストはやはり薄気味悪い化け物であり好んで関わり合いたいとは思えない存在であった。


 「そういえばエドラットさんが闘神の宴に選ばれたようですぜ」


 地上の屋敷へと戻る中、護衛の男がそんな言葉を漏らす。だが今のアンゼルムにはそんな催し自体に何一つ興味を持てずにいた。

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