第23話

 月に一度開催される闘神の宴はライズワースに住む市民たちにとって日々の不安を払拭する行事の象徴となっていた。

 賭け事の対象として熱狂する人々もいれば、競技として純粋に楽しむ者、人により楽しみ方はそれぞれではあったが今や色々な意味合いを含めて、ライズワースにおいて欠かせない催しであり祭りの一つになっていた。

 各ギルドに所属する傭兵たちにしても闘神の宴は序列者を下し自らの名を上げる最大の舞台であり、序列を持たない者たちはこの日の為に日々行われている闘技の宴に参加しているという側面が強い。

 一週間という期間行われる闘神の宴は一日十試合。計七十試合がギルド会館の主導で執り行われる。

 参加者の半数は序列を持たぬ者の中から事前に希望を募り、選ばれた者が出場の機会を得られるのだがそれは提出した順番は考慮には入らず、闘技の宴での実績と魔物狩りにおける貢献度によって優遇措置がとられていた。

 試合形式とはいえ真剣を使い、実戦とほぼ変わらないこれらの試合では当然命を落とす危険性も高い為か、意図的に……という確かな確証はないものの上位序列者、特に一桁同士の試合が組まれることは回避される傾向にあった。

 それでも序列保有者千名の中から七十名、いや自ら参加を希望する序列者が毎月半分はいるため、更にその半数三十五名の中からシェルンが今回選ばれた事は良く言えば引きが強く、悪くいうなら運が無かった。双刻の月として考えるなら対戦相手のギルドを見ても間違いなく後者といえよう。


 「シェルンの心情を考えると心苦しいですが、ギルドのことを含めて皆の安全を考慮するなら今回は棄権するのが最善の方法でしょう」


 ギルド会館からの召集を受け、カタリナとレティシアの二人は夜が更けるまで話し合いを続けていた。とはいえ取れる対策は限られていた。ある意味既に結論は出ていたのだが暗にそれを先延ばしにしていたに過ぎない。


 「相手のギルドは黄昏の獅子です。彼らが試合で堂々と決着を付けようとするとはとても思えません。恐らく私たちに裏で何かしらの接触を持とうとするのではないでしょうか。どんな話であれ彼らと関わりを持つのは私たちには何の利も有りませんし、もし話が拗れた場合、私たちの身にも危険が及ぶかも知れません」


 カタリナは敢えて強い調子でレティシアに迫る。他に良い方法が無い以上、例え自分が悪者となろうとレティシアに決断を促さねばならない。ギルドの為だけではない。親友と仲間たちのためにもだ。そうした強い決意がカタリナの言葉の節々に表れていた。


 「分かったわ、ギルドマスターの権限においてシェルンには闘神の宴への参加を辞退させます。明日にでも二人でギルド会館に行って来るわ」


 闘神の宴への序列者の参加は云わば強制であり義務である。それを辞退することは責務を放棄したとみなされ恐らくシェルンの序列は剥奪されることになるだろう。それはシェルンにとって受け入れ難い決断かも知れない。しかしそれしか他に方法が無い以上皆の安全の為にもシェルンには従って貰うしかない。例えシェルンの心を傷つける結果になろうともだ……。

 ギルドマスターとしての責務と弟への愛情に心が揺れるレティシア。だがそんなレティシアの迷いを払ったのはやはりエレナへの想いだった。

 もし彼女の身に何かあったらと考えただけでレティシアの身が震える。エレナは強い。自分よりシェルンより、そして恐らくあのヴォルフガングよりも。

 だがそれでも剣をおけば一人の少女に過ぎない。連中がどんな汚い手を使ってくるかなど自分たちにはとても想像出来ないではないか。そして万が一、エレナが……彼女が連中に連れ去られるようなことになってしまったら……。

 レティシアはエレナの身に起こることを想像しようとしただけで激しい悪寒と吐き気に見舞われる。そんな事態をそんな可能性を僅かにでも残すわけにはいかない。それが最終的にレティシアの決断を促す動機となっていた。

 自分を心配して自らがシェルンに話そうとするカタリナをレティシアはその肩に手を置きゆっくりと首を横に振る。カタリナの気持ちは嬉しいがやはりその役目はギルドマスターである自分の務めなのだ。


 レティシアはシェルンを探し部屋を訪れるが声を掛けても中からは何の反応も無い。今の時間を考えても既に寝ているのかと思い、レティシアは少し迷ったが意を決して扉を開ける。レティシアの視界には灯りが消えた暗い部屋の情景が飛び込んできた。そこに人の気配は無い。


 「シェルンならまだ別棟にいますよ」


 廊下から掛けられた少女の声にレティシアが振り返る。

 レティシアの瞳に映る少女は上気した肌を露にする様な下着に近い上着を羽織り、前髪が汗で額に張り付いていた。

 ほつれた長い黒髪に汗ばみ薄らと朱に染まる白い肌、微かに上下に揺れる小さな胸の膨らみ。少女のそのあられのない姿にレティシアは一瞬全て忘れて目を奪われてしまう。

 少女の小さいが形の良い胸の膨らみについ視線がいってしまいレティシアの頬がたちまち赤く染まっていく。


 「エレナ、どうしたの……そんな格好で……」


 「さっきまでシェルンに付き合ってたから汗を掻いてしまって」


 エレナの言葉の意味はシェルンの鍛錬に付き合っていたという事なのは直ぐに気づいてはいたのだが、深夜に近いこの時間までエレナがシェルンと二人きりでいたことや今のエレナの姿を見てしまうとレティシアの胸に鈍い痛みが奔る。それがシェルンへの嫉妬であることは認めざる得ない。

 今までは微笑ましく思えていた弟であるシェルンとの交流にまで嫉妬してしまう自分の醜い感情にレティシアは恥じ入る。

 だがそれでもエレナが自分以外の誰かと親しく接することにどうしても抵抗を感じてしまう。嫉妬してしまうのだ。例え相手が男のシェルンではなく女性のカタリナが相手だとしてもその感情は変わらない。自分の中に激しく渦巻く強い独占欲をレティシアは持て余していた。


 「あの子は強くなるよ、これからが愉しみですね」


 そのエレナの笑顔にまたズキリとレティシアの胸が痛む。


 「風邪を引かないように気をつけるのよ」


 レティシアは話を強引に切り上げるように少女から離れ別棟に向かう。どうしても今これ以上エレナの口からシェルンの事を語られるのが耐えられなくなりレティシアは逃げ出すようにその場を離れてしまった。


 別棟に灯された僅かな明かりの中シェルンは一人黙々と剣を振っていた。

 レティシアにはそれは見慣れた光景であった。ギルドを立ち上げた当初からシェルンが一人でこうして剣を振るう姿を見続けてきた。

 だが最近のシェルンは変わった。こうして一人剣を振り続けていてもそこに込められた思いがレティシアには感じられた。

 今までのような独り善がりの強さではない、何か確固たる信念のようなものをシェルンの中に感じ取れるのだ。


 「シェルン、少しいいかしら」


 レティシアの声にシェルンの剣が止まる。そして流れる汗を脱いでいた上着で拭き取るとその場に座り込む。それを見たレティシアがその隣に腰を下ろした。


 「なんだい姉さん、随分改まって?」


 「シェルン……ご免なさい、貴方には黙っていたのだけど、実はギルド会館から貴方宛に招集状が来ていたのよ、その意味は分かるわよね」


 レティシアは覚悟を決め言葉を続ける。


 「これは姉としてではなくギルドマスターの言葉として聞いて頂戴……今回は貴方に闘神の宴を辞退して欲しいの」


 シェルンはレティシアを見つめる。しかしそこには動揺も驚きも無かった。


 「分かったよ姉さん」


 落ち着いた様子で短く答えるシェルンにレティシアが目を見張る。シェルンがその意味を取り違えているとは思えないが、間違いなく序列を失うであろうこの状況に際し、余りに落ち着いたシェルンの様子にレティシアは困惑を隠せない。


 「姉さんがそんな事を僕に頼むんだからきっと深い理由があるんでしょ、僕にとって今の序列はエレナさんからおこぼれで貰ったようなものだし、姉さんに従うよ」


 シェルンは序列を失う事を恐れてはいない。そんなものはただの記号であり数字でしかない事をシェルンは知っている。、それはシェルンが尊敬する少女自らが示しているのだから。そしてシェルンが求める強さの先には常に彼女の姿があった。


 「本当にいいのね?」


 黙って頷くシェルンにレティシアは少し嬉しそうな、そしてどこか寂しそうに笑う。


 「本当に変わったわね貴方は……もう男の子じゃない、ちゃんと一人前の男の顔になってるわよ」


 「止めてくれよ姉さん、恥ずかしい」


 照れたように顔を背けるシェルンをレティシアは見つめる。

 レティシアにとっては今やただ一人の肉親であり大切な弟。この双刻の月は家を出たシェルンが無茶をしないよう見守る為にレティシアが作ったものだ。弟は自分が守るべき愛しい存在。だがシェルンはレティシアの想像を超えて日々成長している。やがて弟は自分の手を離れ大きく飛び立っていくのだろう。

 その事がレティシアには嬉しい反面少し寂しかった。レティシアはその手をシェルンの頭へと乗せる。


 「姉さん、エレナさんみたいなことは止めてくれよ……」


 どこか照れたように言うシェルンの言葉にまたレティシアは胸の疼きを感じるがそれを無視するようにシェルンの髪をくしゃりと撫でる。


 「生意気な事言わないの、弟の癖に」


 レティシアはそういいシェルンに笑いかけた。

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