不浄の闇に嗤いし獣

第22話


 ライズワースを騒がせた上級危険種。穢れし殉教者の討伐から一月が経ち、人々の中でもすっかりその興奮は冷めたようで一時期のお祭り気分は鳴りを潜めていた。

 年の瀬も押し迫る中、人々の関心は既に別の話題で盛り上がりをみせている。

 ギルドランク七位「遙遠の回廊」とギルドランク五位、「黄昏の獅子」によるギルド間での抗争が今もっとも人々が興味を寄せる関心事であった。

 元々この両者の確執の根は深い。ギルド制が施行された当初に共に立ち上げられた両ギルドはもっとも身近なライバルとして互いに鎬を削り合ってきた。

 初めの頃はそれでも闘神の宴や魔物狩りなどで序列や名声を賭けまともな競い合いをしていた両者であったが、名声や富を得て大きく成長を遂げた両者の肥大した虚栄心はやがて大きな闇を作り出す。

 そして遂に酒場での口論を発端にした両ギルドの諍いが死者を出すまでに発展すると事態は歪んだ形で歪に進みだすことになる。

 謀殺や狩場での待ち伏せを始め両者の間で行われ始めたそれは最早戦争と呼べるほどの凄惨な殺し合いへと変貌していった。

 そしてこれには複雑な事情としがらみが存在するのだが、ライズワースの治安を守る憲兵隊はギルド間の揉め事には基本的には干渉しない。

 外敵である魔物の駆逐、そして大きな利権を生み出す賭けの対象となるこれらギルドには豪商たちを始め貴族や一部の王族までもが関与しているという裏の事情が存在しているのだ。

 但し市民を巻き込むような事案やギルド員が起こした犯罪行為に対しては通常より遥かに重い罰則をもって対処することでその整合性を取っていた。

 しかしながら遙遠の回廊の構成員は二千三百名。対する黄昏の獅子二千七百名。これら大規模ギルドの抗争は国家間の衝突に例えても不自然ではない。

 下手をすればライズワースが火の海に包まれかねない事態に王族に連なる者が両者の仲裁に入り事を治めたという経緯があったのだ。

 だが今その両ギルドが再びかつての遺恨を再燃させるように一触即発の状況へと回帰しようとしていた。



 ライズワースの中心部に程近い商業区には質屋通りと呼ばれる一角が存在している。

 元々は大手の商会に対抗すべく小さな商店が集まり商いを始めたのが通称質屋通りの始まりなのだが、店主たちの当初の思惑とは別の形でこの通りはギルドの間で有名となっていく。

 いつの頃からか大手商会ではなかなか扱いづらい、いわゆる曰く付きの商品を売りに来る者たちが急増したのだ。

 盗品紛いのものから訳有りの品までこの通りで扱う品は幅広い。表のルートでは滅多にお目に掛かれない一品もこの質屋通りに流れてくることも多かった。

 中でも群を抜いて品揃いが豊富なのが武器や防具の数々だ。それが大体通常の半値以下で売られている。もっともその中に新品のものなどは一品もない。全て中古品である。

 察しの良い者なら直ぐにその入手経路に思い至るであろう。ここに流れてくるこうした武具を持ち込むのは大半が傭兵かギルドの関係者たちなのだ。

 日々行われる魔物狩りで命を落とす者は少なくない。毎日最低でも数人、日によっては数十人が命を落としている。

 それら死者たちの遺品を金に換える者たちがかなりの数存在するのだ。それらは少人数の下位のギルドより大所帯の大手ギルドにより強くその傾向が見られる。それは多数派故の仲間意識の希薄さとも言い換えられるのかも知れない。

 だが故人の所有物であったという点さえ気にならないのであれば、価格面以外の部分でも一般の商会の追随を許さない程の豊富な品揃えを誇っていた。


 ギルドの関係者や傭兵たちで賑わうその質屋通りの商店を見て回る二つの人影がある。

 一人は若い女性であった。癖の無い長い金髪を腰まで伸ばし、均整の取れた魅力的な肢体に整った容貌。サファイアの様な宝石を思わせる美しい瞳が印象的な美女である。

 もう一人はその女性より一回りは小柄な、恐らくは子供であろうか。その小柄な体格に似合わぬ大きめなローブを羽織り深くフードを被っている為性別すら外見からは判別が難しかった。


 「レティシアさん……いい加減この格好の方が目立つんじゃないかな……」


 エレナは大きめなローブから僅かに覗く自身の指先を見て小さく溜息をつく。


 「絶対に駄目よエレナ、貴方みたいな可愛い女の子がこんな場所で素顔を見せたら男たちが放って置く筈がないもの、人攫いにでも合ったらそれこそ取り返しがつかないわ」


 エレナの言葉にとんでもないとばかりに美しい眉を吊り上げる。だがそれはエレナに対して怒っているわけではなく、その状況を想像して憤慨しているといった様子だ。

 だがエレナは気づいていた。すれ違う男たちが皆レティシアの方を振り返っていることに。自分のことには余り頓着しないのだろうかとエレナの方が心配になってしまう。

 それに最近レティシアの様子が少しおかしい。妙に過保護というか傍に居たがるというか、とにかく口うるさくなった。近頃では一人で外出しようとすると何かと理由を付けてついて来るのだ。

 それが煩わしいというわけではないのだが、少々困惑しているというのが本音のところだ。あの部屋での一件以来、レティシアの中では自分のことを本当の妹の様に思ってくれているのだろう。

 だがどうもシェルンに見せる親愛の情とも少し違うような気もする。やはり弟と妹では心配する部分も異なるのだろうな、などとエレナは考えていた。

 エレナのそんな思いなど露ほども知らずレティシアはこの状況が気が気ではない。

 二人の想いを確認しあったあの日以来、エレナとの関係は進展はしていない。だが性急に結ばれたいとは流石に考えてはいないものの、レティシアにとってはもう二人は恋人同士でありエレナは最愛の女性なのだ。

 その愛しい人が男たちの邪な視線に晒されるなどレティシアには我慢がならないことであり、寛容できることではなかった。

 我ながら猟奇的だとは思うがエレナを自分の部屋に住まわせ、一歩も外に出したくないと考えてしまう事もままあるくらいなのだ。

 とはいえそれが無茶なことであることはレティシアも重々承知している。だからこそエレナには外出時には以前のように……いや以前以上に自分の姿見には注意を払って貰わねば困るのだ。それをエレナに守らせることが今のレティシアがぎりぎり許容出来る最大限の譲歩であった。


 そもそも二人が余り治安も柄も良くないこのような場所に赴いているのには相応のわけがあった。

 穢れし殉職者との激しい戦闘で失われたエレナの双剣、あらから一月が経つ現在でも未だその代わりとなる長剣を見つけられずにいたからだ。

 エレナの新たな剣探しは当然双刻の月がギルドとして全面的に協力していた。それは資金面も含めてということだ。だがなかなか彼女に適した剣と巡り合うことが出来ずにいる。

 小柄で華奢な少女が片手で扱える程軽量化を施し、尚且つ実戦に耐えうる強度と性能を備えた長剣となると確かに一般に出回っている物から探すのは極めて困難である。

 そこでエレナはライズワースにある多くの刀工たちの工房を訪ね直接、交渉してはいたのだがまだ良い返事を貰えた工房はなかった。それは彼らの腕が未熟という理由からでは無い。

 武具の概念に置いて大陸の主流が如何に重量を積み重ね、一撃で相手を叩き潰せるか、という大きな思想に基づいている為に刀工たちはそれらの技術を切磋琢磨し磨き続けている。

 武具とは鍛え上げられた男の為のものであり、そもそもが力の弱い女子供が持つものでは無いという考え方が大陸の常識であり一般的な考え方とされていた。

 それは今のエレナの速度と技術で相手を断つ、という戦闘スタイルとは真逆な理念であり、そうした軽量化を含めた技術を刀工たちが持ち合わせていないというのが大きな障害となって立ち塞がっていたのだ。


 通りに並ぶ一軒の店へと入った二人はさして広くない店内に所狭しと並べられた武具の数々を時に手にしながら物色を始める。他に客が居ないということもあるが店主はその二人の姿を興味深そうに眺めていた。

 若い女性、それもかなりの美女である彼女からはある種滲み出る気品のようなものがある。ただの町娘とは到底思えない。もう一人は弟なのだろうか。身を包むローブとフードのお蔭で性別すらわからない。

 店主は長年の経験から二人がどこか裕福な家庭の、或るいは貴族の姉弟ではないかと当たりを付けていた。

 だがそう考えるとそんな身分の者がこんな物騒な界隈に足を運んできている理由に首を捻る。普通に考えるならば背伸びをしたい年頃の弟にませた姉が護身用の武具でも買い与えようとしていると見えなくも無いが、仮にそうだとすればこんな場所では無くまともな商会に足を運ぶであろうし、そもそも護衛が一人も付いていないのは余りにも不自然すぎる。

 思わず店の外に目を向けた店主の耳にガシャガシャと不快な金属音を鳴らせ近づいてくる複数の足音が聞こえたきた。


 「お嬢さんたち、こっちにおいで早く!!」


 その足音の主たちに思い当たる店主は慌てて店内の二人に声を掛けた。この手の店を切り盛りしている男にしては彼はかなり真っ当な感性の持ち主だったといえよう。その理由には自分にも同じ年頃の娘たちがいたことが大きかったのかも知れない。

 初めは不審がっていた二人も外から近づく慌しい喧騒に気づき、店主に促されるように店の奥へと身を隠した。

 二人が姿を隠すのと入れ違いに複数の男たちが店の中へと入ってくる。店主はにこやかに愛想笑いを浮かべると男たちを笑顔で迎える。

 店主がいる店のカウンターへと近づく男たちの風体はかなり怪しい、というよりとてもまともではない。

 薄汚れた革鎧に顔には無精ひげを生やし手入れなどしたことが無いような頭髪。なにより不快感を与えるのはどの顔にも共通して見られるぎらぎらとした欲望を湛えたその瞳だろうか。

 街中でなければ盗賊か山賊にしか見て取れない男たちを店主はよく知っていた。ある意味この店の得意客でもあり今巷を賑わせているギルド、黄昏の獅子のギルドの傭兵たちだ。

 男たちは肩に担いでいた剣や槍といった品々を無造作にカウンターにぶちまける。その全てのものには共通の特徴があった。

 刀身にこびり付いた魔物とも人ともとれる赤黒い血痕、柄の部分にもそうした血痕がありありと残っている。聞くまでも無くその入手経路は明らかだろう。


 「いくらになる?」


 男の一人が店主に声を掛ける。店主は一本一本その状態を確認していく。


 「そうですね……状態は悪くなさそうですしこちらで見栄えを手直しさせて頂くとして……銀貨三枚で如何でしょうか」


 その額は正規の品なら一本分にも満たないかなり足元を見た値を男たちに提示する店主。


 「親父、てめえ俺たちを舐めてるのか」


 「そんなとんでもない!!分かりました……黄昏の獅子の方々はお得意様ですし儲けを度外視いたしまして……全て合わせて銀貨七枚で如何でしょうか」


 店主は男たちの迫力に負けて、といった呈で頭を下げる。男たちも最初の倍額以上を提示されて満更でもない顔を見せている。だが店主が男たちに提示した額は実はこの辺りの相場とほぼ変わらない。店主にしてもこの界隈で店を構える男なのだ。なかなかに強かな男であった。


 エレナは男たちと店主のやり取りを店の奥で見つめていた。

 ギルド黄昏の獅子。何かと今巷をにぎわせているその名にはエレナも聞き覚えがあった。だがギルドランク五位のギルドの構成員にしては余りにも男たちの見映えや態度が酷すぎる。あれではただの物取りの一団にしか見えない。


 「エレナ、絶対にあの手の連中とは関わりをもたないでね……」


 レティシアはそんなエレナの様子を心配して小声で囁きかける。

 レティシアも彼らの噂は耳にしている。そして耳に入る全てが悪評や黒い噂ばかりであった。

 彼ら黄昏の獅子は金の為ならどんな依頼も受ける、と真しやかに囁かれる通り、違法な金品の密売から恐喝、謀殺、そして人身売買までギルドの特権を悪用し様々な悪事に手を染めている。

 だがそれはあくまで噂でありまだ一度も黄昏の獅子が摘発されたことはない。これまで幾度と無く告発されたことはあったが告発した証言者たちが事故で命を落としたり、突然証言を翻したりと予想外の出来事が立て続けに起こり真相は常に闇の中へと消えて行った。

 今回の遙遠の回廊との揉め事も客観的に見れば遙遠の回廊側の一方的な言い掛かりに思えなくも無い。だが彼らならば或るいは……と思わせる負の印象が常に黄昏の獅子には付き纏うのだ。

 レティシアが絶対に関わりたくないギルドの一つがこの黄昏の獅子であった。


 男たちが上機嫌で店を後にするのを確認すると店主は二人を手招きして呼び寄せた。


 「今から馬車を呼んであげるからそれに乗って帰りなさい。この界隈は今何かと物騒だからね、共も付けずこんな場所に足を踏み入れては駄目だよ、特にお嬢さんみたいな綺麗な子はね」


 店主の親切心からの言葉にレティシアは感謝の言葉と共に深く頭を下げた。エレナもそれに倣うように頭を下げている。

 結局何も収穫を得られないまま馬車でギルドへと戻ったエレナたちの視界に、入り口で二人の帰りを待つカタリナの姿が目に映る。その顔は少し青ざめた様子でとても齎される話が吉報とは思えない。


 「お帰りなさい二人とも」


 カタリナは挨拶もそこそこにレティシアに一枚の書面を手渡す。それは闘神の宴を主催するギルド会館からの召集状であった。

 月に一度開催される闘神の宴は半数が序列者の中から無作為で選ばれる。そして一度選ばれた者は基本的に参加を拒否する事は許されていないのだ。これが序列者が負う義務の一つである。

 書面にはシェルンの名と共に日時と会場が記されている。だがカタリナの顔色を変えさせたのはシェルンが選ばれたことにではない。

 レティシアは書面を目で追いそして対戦相手の項目にその美しい顔を凍りつかせた。書面を持つ手が僅かに震える。


 序列百九十位、 エドラット・モス

 所属ギルド、 黄昏の獅子。

 書面にはそう記されていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る