第21話


 シェルンは自室の壁に飾った二振りの長剣を見つめる。

 見事な意匠を施された柄から伸びる刀身は半ばで無残に砕け、残された部分も酷い刃こぼれと無数の亀裂により最早剣としては役割を終えていた。壁に掛けられたそれはエレナの双剣であったものだ。

 シェルンは戦いの後折れた長剣を回収しエレナに頼んでそれを貰い受けていた。

 シェルンにとってその双剣は自分への戒めと慙愧の象徴であった。

 自分が弱いから彼女をあんな目に合わせてしまった……自分が未熟だから彼女は大切な双剣を失ってしまったのだ。

 この双剣が彼女の為に誂えたものでは無いことは柄の意匠の違いや刀身の刃紋、そして切っ先の反り返しの違いからも別々の刀工の作であることはわかっていた。しかし彼女に相応しい剣としては他に代わりが効かない貴重なものであった筈。それを自分の弱さが一端で失わせてしまったのだ。

 それを言えばきっとエレナさんは怒るだろう。だから口に出す事も謝罪もしない。その代わりに自分はこの双剣を見る度に思い出せる。あの時の自分の弱さと無力さを……。

 シェルンは改めて強さを欲していた。だがそれは以前のような独善的な思いからではない、大切な者を自分の手で守れる強さが欲しかったのだ。

 もしこの場にエレナが居たならばシェルンに何と声を掛けていただろうか。恐らく照れくさそうに苦笑いを浮かべていたことだろう。

 シェルンは今年で十五歳。そしてエレナが十五の時にはまだ貴族が通うビエナート王国の王立学院に通っていた頃だ。

 そして当時のエレナと今のシェルンを比べれば実戦の経験も剣の技量も大きくシェルンが上回っている。

 エレナを剣の天才と讃える者もいるがエレナ自身がそれを否定していた。自分には先天的な剣の才能などないことを誰よりも知っていたからだ。

 エレナを強者たらしめるのは実戦で得た知識、経験、そして技術を日々の弛まぬ研鑽により昇華させ続けたことにある。努力し続けることを才能というならば、そこで初めてエレナは天才の名に相応しい人物となるのだ。

 暫くその双剣を見つめていたシェルンであったが、やがて身支度を整えると部屋を出る。これからエレナの全快祝いを兼ねた身内だけの祝勝会が開かれることになっていたからだ。

 せめて今だけは皆が生き残れた事を素直に喜ぼうとシェルンは頭を切り替えるのであった。


 食堂となっている広間にエレナが入るとテーブルには恐らくレティシアの手料理であろうものから、カタリナが買い出しにでた折、買ってきた市販の軽食などが所狭しと置かれていた。

 いくら若者ばかりのギルドとはいえ四人でこの量は……と些かその量に圧倒されていたエレナであったが左右に五人ずつ、十人は座れる長いテーブルの右側の席につく二人の姿を見てああ、と納得する。

 テーブルの左の席には既にカタリナとシェルンが席についている。レティシアの姿は見えないが恐らくまだ厨房の方にいるのだろう。

 そして右側の席に座る二人。一人は随行官のロメルであった。カタリナかレティシアが声を掛けたのだろう。彼には協会との橋渡し役として随分双刻の月の為に骨を折ってくれたらしい。ロメルの熱心な直訴がなければここまでの好待遇を受けるのは難しかったのでは無いかとカタリナも感謝していた程だ。

 そしてロメルの隣に座るもう一人。こちらは間違いなく招かれざる客人であった。


 「エレナ、こっちの席が空いてるぜ」


 ヴォルフガングが自分の隣の席を野太い腕でバシバシと叩く。エレナはそれには気づかぬ振りをしシェルンの隣の席へと座る。

 それを見たシェルンは勝ち誇ったような顔でヴォルフガングを見るが、やれやれと厳つい肩を竦めるヴォルフガングにシェルンを気にする風はない。


 「皆揃ったようだしそろそろ始めましょうか」


 厨房がら姿を見せたレティシアは皆の姿を確認しそう声を掛ける。

 ヴォルフガングは少し期待の篭った眼差しをレティシアに向けるが、やはり彼女もそのままエレナの隣の席へと座った。


 「エレナ、お前の快気祝いだってんで、うちの奴らが祝いの品を持ってけと五月蝿くてな、乗ってきた馬車の荷台一杯に積んであるから馬車ごと貰ってくれや」


 少し拗ねたような声で言うヴォルフガングの言葉に一同が呆気に取られる。


 「あの戦いに参加していた連中が皆お前を聖女だの女神だのと熱心に他の奴らに語って聞かせるもんだから、うちのギルドはお前の信奉者ばかりになっちまったぜ、今回の祝いの品だって言って見れば貢物見てえなもんだな」


 少し……いや大分呆れたようにヴォルフガングは苦笑する。エレナも引き攣った笑みを顔に張り付かせながらヴォルフガングを見る。


 「そもそも内々の集まりに誰がヴォルフガングさんを誘ったんでしょうね」


 にこやかに笑ってはいるが剣呑な光を宿した瞳でレティシアがカタリナを睨んだ。


 「わ……私じゃありませんよレティシア」


 そのレティシアの雰囲気に圧倒されたカタリナが慌てて弁明する。


 「あの……それ、私なんですが何か不味かったですかな……」


 ロメルはおずおずと手を上げる。ヴォルフガング以外の視線がロメルへと集中した。なにやら得体の知れない息苦しさを感じたロメルは襟元を無意識に緩めていた。


 「いえ、そんなことはないですよ」


 レティシアの笑みは崩れない。だがロメルを見つめる瞳はまったく笑ってはいなかった。

 しかしレティシアも淑女としての教育を受けてきた身である。本人を前にして来て欲しくは無かったなどとは口が裂けてもいえる筈もない。

 乾いたレティシアの笑いだけが周囲に木霊する中、妙な緊張感を孕んだ快気祝いが始まりを告げた。


 「まあこのギルドもこの先大変だろうが、何か合ったらうちに声を掛けな、話をつけてやるからよ」


 ヴォルフガングが酒を呷りながら豪快に笑う。

 ヴォルフガングがギルドマスターを務める砂塵の大鷲も今回の一件でギルドランクを大幅に上げていた。そのランクは十五位。ヴォルフガング自身の序列も十三位となり、あの戦いに参加していた他の者たちもそれぞれ百番台の序列を得たらしい。

 今や砂塵の大鷲は大手ギルドの一角としてその名を広くライズワース中に知られる存在となっていた。


 「うちもここも、あの討伐戦で大きくギルドランクを上げちまったからな、穢れし殉職者の件が伏せられている以上、どんな大きな功績を挙げたのかって他のギルドの連中の間じゃかなり噂になってるぜ」


 物事には常に功罪というものが付き纏うものだ。ギルドが有名になる事でよい面も悪い面もでてくるのだ。

 一躍有名となった砂塵の大鷲にはこの三日間で百人以上の人間がその門戸を叩いたらしい。だが砂塵の大鷲は元々が少数精鋭をその気風としていた為、ヴォルフガング自身がかなり篩いにかけてはいるらしいがそれでも尚希望者が殺到しているという。

 それらの中には今回の事の経緯を探るのが目的の良からぬ輩も多分に含まれているらしく、そうした連中への対応にかなりの神経を擦り減らしていた。

 協会と書面まで交わした秘匿事項である二体目の穢れし殉職者の情報が、もしギルド側から漏洩するような事態になれば厳重な処罰が課せられるのは免れない。最悪ギルド自体を解体させられる可能性すらあるのだ。今簡単に人を入れてその情報を共有するのはかなり危険だといえよう。

 そしてこれらの事柄は全て双刻の月にも当て嵌まる問題である。

 双刻の月はギルドランクでいえばまだまだ下位のギルドではある。だがそれ故に他のギルドと比べても振り幅が大きく、今回協会からもっとも恩恵を受けたギルドとしてある意味悪目立ちしていたのだ。

 砂塵の大鷲の様にランクなどに注視せず戦闘にのみ特化させた戦闘集団だけがギルドの全てではない。数あるギルドの中には他のギルドを蹴落とすことで自分たちのランクと名声を維持しようと考える輩もまた存在するのだ。

 そうしたギルドからすれば大きく躍進した双刻の月は目障りであり、今の内に潰しておこうと考えたとしても不思議なことではない。

 そうした含みを込めてのヴォルフガングの言葉であった。


 「もっとも双刻の月はうちと親密な友好関係にあると噂を流しておいたから、そう無茶なことを考える連中は少ないとは思うがな」


 双刻の月にちょっかいを出せば砂塵の大鷲が動く。それは抑止力として大きな意味を持つ。流した噂に信憑性を持たせる為にこの祝いの席に参加したという側面もヴォルフガングにはあった。口も態度も悪いが彼は彼なりにエレナたちのことを気に掛けていたのだ。


 「まあ、エレナが所属するギルドに悪さしようなんて輩がいやがったら、俺がどうこうよりもうちの連中が黙っちゃいねえだろうがな、まず間違いなくそいつは奴らにぶち殺されちまうだろうよ」


 ヴォルフガングは何を想像したのだろうか、腹を抱えながら楽しそうに笑う。

 聡明なレティシアやカタリナはヴォルフガングの語った今後にも思い至っていた。それが杞憂であればよいと思いながらもその対策は二人の間で何度と無く話し合っていたのだ。

 だがそれでも彼女たちはまだ本当の意味で人の持つ深い業を知らない。

 嫉妬、妬み、強欲、そうした人が抱く負の感情は時に魔物より恐ろしいということを。

 宴の夜は深々と深け夜空に浮かぶ儚い月だけが彼らを照らし見守っていた。訪れるであろう新しい夜明けまで。

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