第19話


 エレナの頬を伝う汗が滴となり地面を濡らす。

 胸の鼓動は早鐘を打ち続け、幾つもの呼吸法を試すが最早息が整うことはない。これまでの経験から自分の体力の限界が間近に迫っている事をエレナは気づいていた。

 エレナは視線を落とし自らの双剣に目をやる。穢れし殉職者との激しい攻防を物語るようにその刀身には刃こぼれが目立ち、無数の小さな亀裂が刀身に奔っている。


 (どちらにしても、もうまともに打ち合うのは無理か)


 エレナは男たちに視線を移す。

 幽鬼のように立つ穢れし殉職者の姿に男たちの戦意は消え掛かっている。辛うじて恐慌に陥らず踏み止まれているのは恐らくはヴォルフガングを始めお互いへの信頼故だろうか。だがそれももう一押し何かが起きれば容易く崩壊してしまいそうなそんな危うさを漂わせていた。

 その中でヴォルフガングだけが唯一人その瞳に獣を宿し尚闘志を滾らせている。


 「エレナ……」


 掛けられた声の先に大切な仲間たちの姿がある。

 自分を心配そうに見つめる二人の瞳にエレナは無理に笑顔を作って見せる。それはかなりぎこちないものになってしまったが二人は黙ってそれに頷いた。

 レティシアたちも気づいているのだ。恐らく次の攻防が最後の抵抗になることを。

 エレナはその腕を大きく広げ穢れし殉職者に向かい合う。

 今更悔いなどは無い。もとより勝機の薄いこの戦いにそれぞれが自らの意思で選び挑んだのだ。そこに後悔などあろうものか。


 「その不景気な面は見飽きちまったよ、さっさと地獄に送り返してやる」


 そしてエレナは自ら地を蹴る。

 打ち込まれるエレナの双剣を穢れし殉職者がその鎌で受ける。先程までとは真逆。今度は穢れし殉職者が防戦に回る。それ程までにエレナの斬撃は鋭さを増していた。

 それは消え行く蝋燭の炎が消え際激しく燃え上がるかのように儚く……そして強く。

 エレナが繰り出す斬撃の暴風(テンペスト)に穢れし殉職者は鎌だけでなくその左手を使い凌いで行く。

 凄まじい連撃の嵐が巻き起こり、交差する残滓と火花がさながら嵐の中で輝く雷のように光を放っていた。

 耳を劈くような金属音と共に穢れし殉職者の鎌を大きく弾いた右手の長剣が砕けて折れる。

 エレナは構わず大きく踏み込むと穢れし殉職者の喉元へ左の長剣を奔らせる。

 遮る穢れし殉職者の左手をその手首から切断しエレナの長剣がその首筋を捉えた。そのままその首を切断するかのように思われた長剣が不意に軋み、そして刀身をその首にめり込ませたまま半ばから砕け散った。

 支えを失ったエレナはそのまま前のめりに倒れ込む。

 襲い来る激しい虚脱感。息をすることすら儘ならない程に悲鳴を上げ続ける鼓動。最早今のエレナには自力で立ち上がることすら困難であった。

 地面に顔を付けたまま僅かに瞳だけを上げる。霞む視界には自分に向け鎌を振り上げる死神の姿が微かに映り込んだ。

 意識が闇へと引きずり込まれそうになるのを歯を食いしばり耐える。最後の瞬間まで奴の姿から目を逸らすつもりはエレナには無かった。

 美しい黒い瞳から輝きが失われていく。僅かに残す意思の残滓を残して……。



 地に伏し動かぬ少女に振りかざされる大鎌。

 その光景にレティシアが感じたのは深い絶望と恐怖。だが直ぐに別の激しい感情がレティシアの中に沸き起こる。

 それは憤怒。

 怒りなどという生易しい感情ではない。

 大切な者を……愛しい者を奪おうとする者に対する身を焦がさんばかりの激情がレティシアの中に渦巻く。それは恐怖や絶望すらも覆い尽くし、レティシアは駆ける。


 「お前なんかに奪わせなどしない!!」


 激しい激情をその瞳に宿らせレティシアの槍が穢れし殉職者の背後から半円の軌跡を残し、振り下ろされた鎌へと激突する。

 激しい火花を散らし弾かれた鎌は標的を大きく逸らしエレナが倒れる遥か横の地面を穿つ。

 そのレティシアの行為に触発されたように男たちも動く。倒れる少女を守るため決死の覚悟と共に穢れし殉職者の正面へと切り込む。

 美しい少女が激しい戦いの中で男たちに見せたのは羨望。そして勇気。それは恐怖すら凌ぎ男たちを突き動かした。

 男たちが突き立てた刃は穢れし殉職者の身体に傷を負わせることは出来無かった。だが渾身の力を込めたそれらの思いがその上体を僅かに仰け反らせる。


 「おらぁぁぁぁぁ!!」


 獣の咆哮を上げヴォルフガングの筋肉が膨張し軋みをあげる。

 穢れし殉職者へと撃ち下ろされた剛剣がその咽元へと叩きつけられた。

 ヴォルフガングの大剣がその首に残る長剣の刀身と接触し甲高い金属音が周囲に響く。そしてそのままその刀身がその首を半ばまで断ち切った。

 霧のような黒い血吹雪を撒き散らせながら穢れし殉職者の頭部がずるりとずれる。千切れ掛けた頭部が背中へと傾き、その眼窩に迫る大剣を映し出した。

 レティシア同様その瞳に激しい怒りを宿し、打ち出されたシェルンのエクルートナが穢れし殉職者の側頭部へと叩き込まれた。

 ミシリと不快な音を残し完全に切断された頭部が地面へと転がる。それを見た男たちは地面落ちた頭部に次々と槍を突き立てる。

 頭部を失った穢れし殉職者の幽鬼のような身体はぐらりと揺らぐ。レティシアは倒れる少女の小さな身体を咄嗟に抱き上げるとその場を離れた。

 穢れし殉職者の身体はそのまま仰向けに崩れ落ちる。

 湧き上がる男たちの歓喜の雄叫び。だがレティシアも駆け寄ってきたシェルンもその声など耳に入らない。

 レティシアは自分の腕の中で力無く倒れる少女に必死に声を掛ける。

 小さな華奢な肢体を小刻みに震わし喘ぐ少女の姿はどこか背徳的な劣情すら呼び起こす官能的な色香すら漂わせていた。、

 レティシアは敢えて男たちに少女の姿を見せぬよう背を向け優しく少女を抱きしめる。


 「エレナ……お願いだから返事をして……」


 「エレナさん!! エレナさん!!」


 自分の手を取り必死に呼びかけるシェルンの姿。そして美しい瞳から大粒の涙を流し自分の頬を撫でるレティシアの姿をエレナは虚ろな瞳で見ていた。

 大丈夫だから……。そう声を掛け様とするのだがそれは言葉にならず小さな喘ぎ声に変わる。

 この状態をエレナは知っている。この身体の活動限界を超えたのだ。こうなると暫く間、身体どころか指を動かすことすら困難になる。

 エレナは抵抗を諦めゆっくりと瞳を閉じる。


 (後で二人に謝ろう……)


 そう思いながらエレナの意識は深い闇へと落ちていくのあった。

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